12話
アルギスとマリーがエルドリア皇国へと足を踏み入れて4日目の朝。
海沿いに面した獣道で2人が見据える先、門の開かれた交易街の埠頭には、続々と巨大な船が乗り付けていた。
(やっと、ここまで来たか。……長かった)
背後に広大な森を臨む交易街の情景に、アルギスは遠い目をしながら、内心でほろりと涙を流す。
立ち止まったアルギスが1人しみじみとする中。
深緑色の髪を後ろで一つに結んだエルフが、そっと背後から手を伸ばしていた。
「――申し訳ない。私に案内できるのは、ここまでだ」
「とんでもない。助かったよ、ウォーレン殿」
肩を叩く手に後ろを振り返ると、アルギスは穏やかな笑みを湛えながら胸へ手を当てる。
格式張った感謝に目を丸くしつつも、ウォーレンはすぐに苦笑いを浮かべて首を振った。
「ゼマの頼みだ、気にしないでくれ。私はこれで帰るが、何か伝言はあるかな?」
「……そうだな。次会った時にでも、達者でとだけ伝えてくれ」
しばし左右へ目線を彷徨わせたアルギスは、物憂げに笑みを深めながら言葉を返す。
程なく、小さく首を倒すアルギスに対し、襟を正したウォーレンは、神妙な面持ちで頷いた。
「わかった。確かに伝えよう」
(……色々と、面白い爺さんだったな)
ウォーレンの気配が遠ざかっていく中、アルギスはふとゼマとの別れが頭をよぎる。
ぼんやりと埠頭の船を見据えると、早々に側へと控えるマリーをよそに、未だ新しい記憶をたどり始めた。
――遡ること、十数時間前。
ぐんぐんと速度を上げるゼマの船は、遠目に見えるエルドリアの本土へと迫ろうとしていた。
「おい。どこまで行く気だ」
「ったく、気が短けぇなぁ」
椅子から腰を上げるアルギスを背に、ゼマはうんざりとした表情で、レバーを手間へと引き戻す。
そして、ハンドルを縄で固定すると、足元の容器を引き抜きながら立ち上がった。
「こっからは、また手で漕ぐぞ。坊主、着いてこい」
確かな足取りで後方へと向かうゼマをよそに、船は未だ速度を保ったまま、エルドリアへと進んでいく。
ゼマの後を追いかけていたアルギスは、ためらいがちに腰を浮かせるマリーの肩を、力づくで抑えつけた。
「……お前は、ここにいろ。話は全て私が聞く」
「は、はい……」
悲しげに身を縮こまらせると、マリーは再び椅子へ腰を落として、目を伏せる。
ギュッと手を握り締めるマリーを尻目に、アルギスはズカズカと船室の外へ出ていった。
「どうする気だ。いい加減答えろ」
「あれが交易街。ほんで、あっちの崖に梯子があるだろ?」
アルギスの声に顔を上げたゼマは、オールを押し付けながら、船が進む先を指差す。
しかし、オールを抱いたアルギスがいくら目を凝らしても、見えるのは漆黒の闇と見下ろすような木々の輪郭だけだった。
「……見えん」
「あるんだよ。で、上の集落に儂の連れがいる。ソイツなら、お前さん達を交易街まで案内してくれるはずだ」
アルギスの返答に肩を落としつつも、ゼマは誇らしげに頬を緩めて、左舷へと向かい出す。
一方、右舷に座り込んでいたアルギスは、サラリと伝えられた内容に、思わず横を振り向いた。
「なに?エルフの知り合いがいるのか……?」
「お互いデカい声じゃ言えねぇがな。例の島も、ソイツに聞いたんだ」
ほんの僅かに声を潜めると、ゼマは甲板をかかとでタンタンと叩きながら、オールを漕ぎ出す。
それから暫くの間、無言でオールを漕いでいた2人の視界を、程高い土の壁が覆う頃。
冷たい風に吹かれたアルギスは、自嘲気味な笑みを浮かべながら口を開いた。
「……仲が良さそうで、羨ましいよ」
「だろ?……っと。もう着くな」
投げやりな返事を気にした様子もなく、ゼマはオールを置いて、甲板から立ち上がる。
そそくさと船室へ戻っていくゼマの背中を、アルギスは不安げに眉を下げながら、じっと見つめた。
(……本当に大丈夫なのか?)
「よーし、これでいい」
一方、船室へ戻ったゼマは、既に動きを止めつつある船の左舷を断崖へと寄せる。
そして、手慣れた手付きで垂れ下がった縄梯子を手繰り寄せると、スイスイと登り始めた。
「ゆっくり登れよー」
(……次は正規ルートで来よう)
上から気楽な声を掛けるゼマに、アルギスはため息をつきながら、目頭を押さえる。
しかし、諦めたように縄梯子へ手を置くと、唖然とした様子のマリーへ目を向けた。
「行くぞ」
「はい……」
未だ躊躇いつつも、マリーは先を行くアルギスだけを見つめて、縄梯子を登りだす。
隙間を開けて縦に並んだ2人は、時折風に揺られる中をひたすら上へと登っていった。
(これが、エルドリアの森か……イマイチ違いはわからんな)
ようやっと崖を登り終えると、アルギスは月明かりの漏れる木々を見上げなら、辺りを見回す。
アルギスが霜の降りた地面をサクサクと踏みしめる一方で、ゼマは両腕を擦りながら盛り上がった木の根に腰を下ろした。
「この辺で、ちっと待っとけ。多分すぐに来る」
「来る?」
はぁと息を吐いて手を温めるゼマの言葉に、アルギスは訝しげな表情で足を止める。
すると直後、黄土色の髪を後ろで一つに結んだエルフが、木の上から音もなく地面へと降りてきた。
「……やはり、ゼマか。こちらまで来るなんて、余程の事でもあったのか?」
「おう。急に来てすまねぇな、ウォーレン。いきなりだが、ちと頼まれて欲しいことがあってよ」
片目を瞑りながら片手を挙げたゼマは、警戒するウォーレンと慣れた様子で肩を組む。
ポンポンと肩を叩くゼマに対し、ウォーレンはぎょっと目を向いて、顔を覗き込んだ。
「君が頼み事なんて、出会った時以来だろう?……それとも、そちらのお客に何か関係があるのかな?」
「ああ、まどろっこしいのは好かねぇ。何も聞かず、コイツらを交易街まで送っちゃくれねぇか?」
ウォーレンがフードで顔を隠した2人へと目線を向けると、ゼマもまた、パッと手を離してアルギスとマリーの姿を見比べる。
しかし、ゼマの頼みを聞いたウォーレンは、困ったように眉を顰めながら、目線を彷徨わせ始めた。
「それは……」
「言いてぇ事はわかるが、コイツらなら大丈夫だ。儂が保証する」
ぱくぱくと口を開閉させるウォーレンに、ゼマはダメ押しとばかりに言葉を重ねる。
程なく、頭を下げようとするゼマを、ウォーレンは慌てて止めながら、重たい口を開いた。
「……だが、休憩もなく歩き続けることになるが構わないのか?」
「それくらいは当然だ。……だろ?坊主」
返す刀で頷いたゼマは、少しの間を置いて、後方のアルギスへと目線を送る。
いつの間にか進んでいる状況に呆れつつも、アルギスもまた、ウォーレンへ小さく頷いてみせた。
「……ああ」
「なら、急ぐとしよう。夜が明けてからでは厄介だ」
アルギスの返答に気負い立つと、ウォーレンはゼマから離れて、交易街の方角へと足を向ける。
一方、フッと肩の力を抜いたゼマは、腰を叩きながら、縄梯子のかかる断崖へと歩き出した。
「ふぅ、儂の仕事も、やっと終わりか」
「……マリー。少し、待っていろ」
早々に歩き出すウォーレンの足音を背に、アルギスは足を止めたまま、マリーへと声を掛ける。
程なく、アルギスがゼマの後を追いかけ出すと、マリーは顔を伏せながら、遠慮がちに前を歩くウォーレンの上着を掴んだ。
「え、えっと……」
「何か、あったのか?」
クイクイと裾を引かれたウォーレンは、マリーと共に足を止めて後ろを振り返る。
不思議そうな顔を浮かべる2人の目線の先では、アルギスとゼマが崖の端で向かい合っていた。
「ゼマ、世話になったな」
「あぁ?こっちも貰うもんは貰ってんだ、気にすんな」
感謝の言葉を口にするアルギスに対し、ゼマは男臭い笑みを浮かべながら手を振る。
歯切れの良い返事と共にゼマが崖下の梯子へ足を掛けると、アルギスはゆっくりと目を伏せて、口元を吊り上げた。
「……だとすれば、安く上がったものだ。――来い、幽闇百足」
「ばか!何して……!」
辺りを包む黒い霧に目を見開きつつも、ゼマはアルギスを止めようと、慌てて崖の上へ飛び上がる。
しかし、崖の下を指さしたアルギスは、守護するように巻き付いていた幽闇百足をゼマの足元へ滑らせた。
「老体に1人で船を漕がせるのは気が引ける。コイツで押し出してやるから、さっさと下へ降りろ」
「……見送りてぇなら、最初っからそう言えよ。面倒くせぇなぁ」
苦笑交じりにポリポリと頭を掻くと、ゼマは握りこぶしでアルギスの肩を小突く。
呆れ顔で首を振るゼマをよそに、アルギスは目を逸らしながら、険しい表情で腕を掴んだ。
「……そんなつもりはない。ただの気まぐれだ」
「にしても、こんなもん持ってるたぁ、余計な苦労させちまったな……」
アルギスの返答をサラリと受け流したゼマは、声を顰めながら、足元で顎を鳴らす幽闇百足の甲殻を叩く。
初めて見るしおらしい姿に満足げな笑みを浮かべると、アルギスは腕を下ろして大きく首を振った。
「それも含めて、世話になった。……そろそろ、マズイな」
「ま、うめぇことやれよ。また会おうぜ、アルギス」
ウォーレンの視線を気にかけるアルギスに対し、ゼマは軽く手を振って、縄梯子を降り始める。
一方、別れの言葉に目を丸くしたアルギスは、すかさず崖の上から降りていくゼマの頭を見下ろした。
「ああ。……そうだな」
「おお!こいつぁ楽そうだ!次乗った時も頼むな!」
ややあって、ゼマが船の甲板へと降り立つと、幽闇百足が船尾でバネのようにとぐろを巻く。
程なく、船体を押し出した幽闇百足がブクブクと海に沈む中。
ゼマを乗せた船は、波の音が響く暗闇の奥へと消えていった。
(……次乗った時、か。本当に、また会う気でいたんだな)
しばしゼマの言葉を噛み締めていたアルギスは、頬を緩めながら感慨に耽る。
ぼんやりと虚空を見つめ続けるアルギスに対し、マリーは躊躇いがちにローブのフードを下ろした。
「アルギス様?」
「……ウォーレンは、もう去ったか」
マリーが小さく声を上げると、アルギスはスッと真顔に戻って、後ろを振り向く。
すると、穏やかな笑みを湛えたマリーは、流れるような所作で恭しく腰を折った。
「はい。……如何、されましたか?」
「――お前は、私に後いくつ隠し立てをしている?」
不安げな表情で首を傾げるマリーに、アルギスは眦を吊り上げて、指先を突きつける。
そのまま肩を怒らせたアルギスが詰め寄ると、マリーは顔を真っ青にしてブンブンと髪を振り乱した。
「か、隠し立てなど……!」
「出生に始まり、世界樹の言い伝え、果ては入港の証符だぞ。これが隠し立てでなくてなんだ」
しかし、矢継ぎ早に言葉を重ねたアルギスは、マリーの声を遮りながら、触れんばかりに顔を近づける。
殺気立つアルギスに怯えつつも、マリーはしどろもどろに震える声で口を開いた。
「そ、それは、アルギス様が本来、お知りになる必要のないことで……」
「それを、決めるのは私の役目だ。情報の選別など、頼んだ覚えは無いぞ……」
ぼそぼそと食い下がるマリーに、アルギスは額を抑えながら、がっくりと項垂れる。
失望の表情と共にアルギスが口を閉じると、マリーは勢いよく真っ白になった顔を伏せた。
「っ!大変!申し訳ございません!」
長い沈黙の後、アルギスは震え続けるマリーの肩を掴んで無理矢理顔を上げさせる。
「……お前は、私が死ぬその時まで私の従者だ。隠し事はいらん、いいな?」
以降、何も言わず返事を待つアルギスに、マリーは体の前で組んでいた両手を色が変わるほど握りしめた。
「はい……全て、全て私が間違っておりました……!」
「……話は、以上だ。交易街に入り次第、今後の予定を纏めるぞ」
言うことは言ったとばかりにマリーへ背を向けると、アルギスは山道の端に立って、ぞろぞろと並んだ人の列を見下ろす。
すると、一度大きく鼻をすすったマリーは、目を赤くしつつも、晴れやかな表情でアルギスの後ろへ控えた。
「かしこまりました」
(……さて、あとは交易街に入るだけか)
吹っ切れた様子のマリーを背に、アルギスは人の並びだした屋根付きの関門を眺めながら、頭を悩ませる。
依然として打開策の見つからない状況の中、文字通り最終関門を目指して、再び山道を進み始めるのだった。
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