11話
太陽が姿を隠し、空には煌々と月が輝く深夜。
アルギス達を乗せた船は、冷たい風と波を押し退け、遠目に見え始めた陸地を目指していた。
「ピュ~、ピュピュッピュゥ~♪」
(……また、これか)
小気味よくハンドルを指で叩くゼマに対し、アルギスは舌打ち交じりに、膝の上で組んでた手を握り締める。
ややあって、アルギスが意を決したように席を立つと、ゼマは訝しげな表情で、後方を一瞥した。
「なんだ?まだ着きゃしねぇぞ?」
「少し、速度を落とせ」
ゼマの隣の並んだアルギスは、暗闇の奥をキョロキョロと見渡しながら、警戒の声を上げる。
しかし、不満げに鼻を鳴らしたゼマは、どこ吹く風とばかりに、アルギスの肩を軽く小突いた。
「お前さんに、そんな権限はねぇよ。黙って座ってな」
「……この近くに、なにかいないか?この船の脅威になり得るようなヤツだ」
先の見通せないガラス窓から目線を外すと、アルギスは聞く耳を持たないゼマに、真剣な顔を向ける。
裏付けを取るようなアルギスの問いかけに、ゼマは握っていたレバーを、僅かに後ろへ引き戻した。
「ひょっとして、探知系のスキルでも持ってんのか……?」
「……探知系ではないが、スキルだ。時折、強烈な不快感を感じるだけの、な」
ゼマへ頷きを返しつつも、アルギスは自嘲気味に口元を吊り上げながら、窓の外を見やる。
しかし、アルギスの返答を聞いたゼマは、何も言わずレバーを引いて、その場に船を停めた。
「その様子だと、職業も、もう持ってそうだなぁ」
(……ん?”もう”とはどういう意味だ?)
足元の酒瓶を漁るゼマの言い回しに、アルギスは奇妙な違和感を覚える。
すぐに操舵席の背もたれに手をつくと、瓶に残った酒を揺らすゼマに胡乱な目を向けた。
「ああ、無論、持っている。だが、それがどうした?」
「……それ、あんま言いふらさない方がいいぞ。”金を持ってます”と教えるようなもんだ」
しばしの後、静かに体を起こしたゼマは、振り返り様、眉尻を下げてヒソヒソと声を顰める。
というのも、教会で”祝福”を受けるためには、少なくない献金が必要になるというのだ。
そして、それは同時に、この世界において職業を得る者が限られていることを意味していた。
「――ま、儂はもう死ぬのを待つだけの身だ。どーでも良いんだけどな、ハッハッハッ」
(……俺は、この世界の事をまだ何も知らないな)
上機嫌に酒瓶を傾けるゼマに対し、アルギスは肩を落としながら、穏やか海へ目を落とす。
やがて、諦めたようにアルギスが椅子へと戻ろうと振り返った時。
アルギス同様、真っ暗の海を見据えていたゼマが、ガラスへ顔をつけるように立ち上がった。
「っとぉ……」
「なんだ?」
そそくさと瓶へコルクを詰めるゼマに、アルギスは足を止めて、再び海へ目線を送る。
すると、アルギスの見つめる遥か先を指さしたゼマは、呆れ顔でハンドルを回しながら、船を後退させ始めた。
「見えやしねぇだろうが、この先を帆船が横切る。……しっかし、なんでこの時間帯でかち合うかねぇ」
「……お前が、それを言うのか?」
ゆっくりと船首が向きを変える中、アルギスは愚痴を零すゼマに、思わず言葉を返す。
不満げなアルギスをよそに、ハンドルを回す手を止めると、ゼマはふぅと安堵の息をついて船を前進させた。
「儂は頼まれなきゃこんな時間に出ねーよ」
「……まあ、そうだな」
至極もっともな反論に、アルギスは真顔のまま、ゼマの指さしていた方角へと目をやる。
しかし、依然暗闇で包まれた視界には、時折かかる水しぶき以外、僅かな変化すらなかった。
(……何も見えん。どうなっているんだ?)
「一度、逃げるぞ。坊主の言ってた脅威ってのは、あれかもしんねぇ」
窓の外を覗き込むアルギスに対し、ゼマは前だけを見据えて、静かにレバーを倒す。
再び床下から轟くような振動が響き出すと、アルギスは窓から身を引いて、操舵席の背もたれに掴まった。
「判断は任せるが、結局、何が起きていたんだ?」
「何も。ただ、奴らの船を考えれば、離れた方がいい」
フルフルと首を振りつつも、ゼマは船を進めながら、辺りを注意深く見回す。
ゼマの態度の変わりように、アルギスもまた、表情を引き締めて口を開いた。
「……船の所属が、わかるのか?」
「知らねぇよ。……旗も揚げてねえし、どんな奴らが乗ってるか、わかったもんじゃねぇ」
ドスの利いた声で吐き捨てると、ゼマは嫌悪の表情を浮かべながら鼻を鳴らす。
一方、黙ってゼマの返事を待っていたアルギスは、ため息を抑え込むように口元を覆った。
「……チッ」
「お、おい。坊主ー?」
ズカズカと後方へ向かうアルギスに、ゼマは忙しなく前方と目線を行き来させる。
程なく、元座っていた椅子の側まで戻ると、アルギスは反対側の席に腰を下ろしていたマリーへと駆け寄った。
「マリー、立て」
「え……?」
唐突に腕を掴まれたマリーは、目を白黒させながらも、フラフラとアルギスに引っ張られていく。
戸惑いを隠せない様子のマリーに対し、アルギスは冷たい風の吹きすさぶ甲板で、周囲を見渡した。
「何か来るぞ。心の準備をしておけ」
「あ、あの、どうされ……」
しばし困惑していたマリーが、アルギスへ声を掛けようとした瞬間。
これまで波の音だけが響いていた暗闇を、突如中空に現れた稲光が白く染め上げる。
3人の乗る船の遠方へ雨の如く降り注ぐ落雷を、アルギスは立ち竦んだまま、呆然と見上げていた。
(なんだと……?あれは……)
「なぁっ!?――片影隔壁!」
ぼんやりと考え込むアルギスをよそに、マリーは白く泡を立てて迫りくる波に対して、斜めに影の障壁を展開する。
すると、船体へ直撃するかに思えた波は、展開された障壁を登るように、甲板の上を超えていった。
「おい!こっから離れるぞ!揺れるから気をつけろ!」
再び巨大な波が迫る中、ゼマは声を張り上げて、勢いよくレバーを押し倒す。
傾き出した甲板へ必死で捕まるアルギスとマリーをよそに、船はガチャガチャと唸りを上げて、飛ぶように進みだした。
(……あれは、再臨祭でワイバーンを灼いた術式に瓜二つだった。しかし、だとしたら、なぜここで?)
うねりを上げて襲いかかる波と並走するように船が進む最中。
ガタガタと上下に揺られながらも、アルギスの脳裏には、奥底に仕舞い込んでいた記憶が蘇る。
黙り込むアルギスと叫ぶマリーの掴まった船は、水面を跳ねながら暗闇を掻き分けていった。
◇
目を疑うような出来事から数十分が経った頃。
きつくハンドルを握りしめつつも、ゼマは窓から空の覗き込んで船の速度を落とした。
「ふぅ、ここまで来りゃ平気だろ。……まったく、ムダに魔石食っちまったぜ」
「……あれが何だったか、わかるか?」
延々と思考の渦に呑み込まれていたアルギスは、おもむろに席を立って、ゼマへと近づいていく。
さほど間をおかず、隣で顔を見下ろすアルギスに、ゼマはブルリと身震いをしながら、流し目を向けた。
「ありゃ、森都の侵入者を狩る”門番”だ。話にゃ聞いてたが、まさか、あんなとこまで追ってくるたぁ……」
「侵入者に、門番だと?」
造作もなく答えるゼマに片眉を上げると、アルギスは腕を組みながら顔を寄せる。
一方、前を向き直ったゼマは、これまでの態度が嘘のように、神妙な表情で口を開いた。
「ああ、こいつは世界樹様の言い伝えとは訳が違う。森都の土を無断で踏んで、生きて帰ったって話は聞いたことがねぇ」
「……門番は何者だ?」
苦々しい口調で呟くゼマに、アルギスは声を潜めて、質問を重ねる。
すると、静かに首を振ったゼマは、背もたれに寄りかかりながら、アルギスへ笑いかけた。
「それを知った奴は皆死んでる。……ただ、悪いことは言わねぇ、森都に忍び込むような真似だけは止しとけ」
「ああ、そんな情けない真似はしない」
訴えかけるようなゼマの視線に顔を顰めつつも、アルギスは語気を強めて即座に否定する。
しかし、無愛想な返答にニッと口元を吊り上げると、ゼマは節くれだった手を伸ばして、アルギスの頭を掴んだ。
「ハッハッハッ、ようやく素直になったなぁ!」
「……やめろ。鬱陶しい」
髪をぐしゃぐしゃに乱されたアルギスは、ゼマの腕を払い除けて、後ろへ引き下がる。
不快げに髪を整え直すアルギスに、ゼマはケラケラと笑い声を上げながら手を下ろした
「ま、森都が無理だってだけで、交易街も忍び込むのは簡単じゃねぇんだ。用心しろよ」
「……なぜ、交易街へ忍び込む前提なんだ?」
当然のように密入国を促すゼマを、アルギスは警戒交じりに睨めつける。
すると、再びアルギスを見上げたゼマは、キョトンとした顔で船のハンドルを叩いた。
「そりゃあ、この船は港に入れねぇからよ」
「は……?」
予想外の返答に、アルギスは頭を真っ白にして、あんぐりと口を開ける。
アルギスとゼマが間の抜けた表情で見つめ合う中。
2人の背後から、ダンと床板を踏みしめる音が響いた。
「やっぱり!」
(……やっぱり、だと?)
しばし唖然としていたアルギスは、床板を踏みつけながら近づいてくるマリーの足音に、正気を取り戻す。
一方、すぐさまアルギスの隣へ並んだマリーは、鬼の形相でゼマを睨みつけた。
「おかしいと思っていたんです!こんな船が、入港の承認を受けているわけがないって!」
「お、やっぱ嬢ちゃんは交易街の出かぁ」
耳元で怒鳴り声を上げるマリーに対し、ゼマは納得顔で足元の酒瓶を拾い上げる。
あしらうような返答にワナワナと肩を震わせると、マリーは瓶のコルクを咥えるゼマへ掴みかかった。
「何を呑気なことを!これでは、陸にも降りられないというのに……」
「安心しろって。交易街の手前までは渡りをつけてやっから」
持っていた瓶を置き直したゼマは、床にへたり込んだマリーに、得意げな顔を見せる。
そのまま軽く肩を叩くゼマに対し、マリーは下唇を噛み締めながら、逃げるように目を伏せた。
「そんなこと……」
「ふむ。随分と自信がありそうだな。どうする気だ?」
探るように目を細めると、アルギスはマリーと入れ替わるように質問を投げかける。
しかし、ボキボキと首を鳴らしたゼマは、アルギスに目もくれず、再び瓶を手に取った。
「ま、見とけって。儂も、伊達に長生きしてねぇんだ」
(……本当に、この世界は知らないことばかりのようだ)
はぐらかすような返答に、アルギスは苛立ちを抑え込みながら、足元へ目線を落とす。
そして、塞ぎ込むマリーを不快げに見下ろしつつも、何も言わず、元の席へと戻っていくのだった。
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