9話

 日が傾き出し、気温が下がり始めたことで、ビトが名残惜しそうに洞窟を去っていく中。


 鉄板の敷き詰められた甲板では、腰を下ろしたゼマが、上機嫌に水筒のような容器へ魔石を収めていた。


 

「ピュ~ピュピュゥ~♪」 


 

 キュッキュと音を立てて容器の蓋を閉めるゼマを尻目に、アルギスはガラス窓の嵌められた船室の扉へと足を向ける。


 手前に小ぶりな椅子が備え付けらた船室の最奥には、操舵席の背もたれ越しに金属製のハンドルが頭を覗かせていたのだ。

 


(……本当に、この船はどういう仕組なんだ?)  



 アルギスがしばし中の様子を覗き込んでいた時。


 片膝に手をついたゼマが、甲板からゆっくりと腰を上げた。

 


「それにしても、交易街までねぇ……」



「……ああ。どこの船も忙しいそうだ」



 未だ船室の窓に気を取られつつも、アルギスは後ろを振り返って肩を竦める。


 一方、2人の顔を交互に見比べたゼマは、持っていた容器をポケットへ入れて、アルギスに探るような目線を向けた。



「この魔石といい、随分ワケありみたいだな」



「ふむ。私達の内情に踏み入るのは遠慮願いたいが……」



 確信めいたゼマの口調に、アルギスは目を伏せながら、一度言葉を途切れさせる。


 しかし、甲板の端に寄せられた樽を横目に見ると、ゼマへ目線を戻して再び口を開いた。


 

「魔石については問題ないはずだ。正規の手段で手に入れたものだぞ?」



「手段は問題じゃあねぇ。あんな量の魔石を持ってることが不自然なんだ」


 

 釈然としない様子のアルギスに対し、難しい顔で腕を組んだゼマは、ため息交じりに首を振る。


 呆れ顔でゼマが樽を見やる中、アルギスは目を丸くしながら、首を傾げた。



「どういうことだ?」



「どういうって……お前さん、まさかあれ買い取ったのか?……だが協会にバレればギルドも、いや、でも――」 



 気にした様子もなく問い返すアルギスの顔をまじまじと見つめると、ゼマは1人、小声で独りごち始める。


 ブツブツと続くゼマの呟きにアルギスが耳を傾ければ、この数年、冒険者ギルドの魔石は、半ば強制的に魔術師協会から買い上げられているというのだ。


 しばし黙って2人が耳をそばだてる中、”ミダス”の名を口に出したゼマは、ハッと顔を上げて、逃げるように甲板の後方へと向き直った。

 


「別に答えは知りたくねぇ。言わなくていいぜ」 



「……マリー。何か、知っているか?」



 そそくさと遠ざかっていくゼマをよそに、アルギスは隣で口を噤んでいたマリーへと囁きかける。


 すると、小さく頷き返したマリーは、口元に手を添えて、アルギスの耳元へと顔を寄せた。



「はい。協会へ確認に向かった際、クロフォード様より、”何かあれば処理しとくから好きにしていいよ”とお言葉を頂いております」



(そういう意味では……まあ、問題ないならいいか)


 

 見当外れな返答に眉を顰めつつも、アルギスはマリーの得意げな顔が目に入ると、開きかけた口を閉じる。


 

 そのままアルギスがマリーから顔を離そうとした時。


 甲板の最後尾でしゃがみ込んでいたゼマが、くるりと振り返って、嫌らしい笑みを浮かべた。


 

「おいおぃ、坊主!嬢ちゃんに任せっぱなしじゃダメだぞぉ?」



「……ああ、肝に銘じるよ」



 ニヤニヤと冷やかすゼマに軽く手を振り返すと、アルギスは顔を背けながら噛みしめるように呟く。


 ややあって、アルギスとマリーがコソコソと船室を覗き込む中、駆動部を確認し終えたゼマは、大きく息を吸い込みながら、汚れた手を叩いた。


 

「よし。ほんじゃ、ぼちぼち出るとすっかねぇ」



「なに?今から出るのか?」



 軽い足取りで船室へ向かうゼマに、アルギスはオレンジ色に染まる洞窟の外を一瞥して首を傾げる。


 しかし、呆れ交じりに肩を竦めたゼマは、そのまま2人の横を通り過ぎて、船室の扉へと手をかけた。



「当たり前だろ?この船は見つかったら沈められる」 



「……どうする気だ?」



 不吉なゼマの返答に眉間の皺を深めると、アルギスもまた、マリーと共に船室へと駆け込む。


 一方、奥に計器の並ぶ操舵席へ腰掛けたゼマは、ポケットから取り出した容器を、足元へ空いた穴へと差し込んだ。


 

「ま、見とけ。約束は守る」



(不安だ……うおっ!)



 男臭いゼマの笑みに気を揉みながら、アルギスが船室に備え付けられた革張りの椅子へ腰掛けた直後。


 船全体を揺らすような重たい振動と共に、床下からはキャリキャリと歯車の噛み合わさった音が響き始める。


 

 満面の笑みでガラス窓の奥を見据えたゼマは、大振りな金属製のハンドルを握りながら、勢いよくレバーを押し倒した。



「いやぁ、快調快調!」


 

「あの!もう少し!速度を落としては!?」



 船首を跳ね上げて洞窟を飛び出す船に足を取られつつも、マリーは大慌てでゼマの肩を掴む。


 しかし、岩場を急旋回したゼマは、高笑いを上げながら、更にレバーを前へ倒した。

 


「ハッハッハッ、バカ言うな!久々に出したのに、そんな勿体ないこと出来るか!」

 


「前!前!」 


 

 フラリと横を振り向くゼマに対し、マリーは目の前に迫る岩礁を必死で指さす。


 マリーの声にゼマがハンドルを回すと、ぶつかりかけていた船は、倒れ込むほど傾きながら、岩礁の横を通り過ぎていった。


 

「おお……イカン、イカン」

 


(……見つかる前に、沈まなきゃいいがな)


 

 冷や汗を拭うゼマを見たアルギスは、悩みへ蓋をするように、そっと目を瞑る。


 マリーの叫びが響く中、3人を乗せた魔導船は、沈みかけた夕日を背に沖へと突き進んでいくのだった。



 ◇ 



 日付もとうに変わり、じらじらと朝日が昇り始める頃。


 空を覗き込んだゼマは、沖合にぽつぽつと浮かぶ、小島の一つへと船を寄せていた。



「よーし。一旦、ここで停まるぞー。船が出始める時間だ」



(予想以上の、速度だった……) 


 

 足元から容器を引き抜くゼマをよそに、アルギスは未だ揺れの残る体で、よろけながら立ち上がる。


 ややあって、感覚の戻った体で船室を出ると、岸辺から生え揃った木々を舐めるように見上げた。



「ここは、なんだ?」 



「おっと、坊主。もうエルドリアには入ってんだ、不用意な動きすんなよ」

 


 先立って船室を出ていたゼマは、気楽な調子で、船から身を乗り出すアルギスの肩を掴む。


 しかし、ゼマの言葉が耳に入ったマリーは、血相を変えて、アルギスと入れ替わるように身を乗り出した。


 

「なんですって!?」 



「だから、動くなってぇのに……」 



 忙しなく辺りを見回すマリーに、ゼマは呆れ顔でぼやきを漏らす。


 そして、アルギス同様肩を掴んで引き戻すと、髪で隠れていたマリーの耳を見て、スッと目を細めた。



「……それに、”世界樹様”にゃもうバレてるかもしれん。嬢ちゃんも、そう思ってんだろ?」



「っ!」


 

 何食わぬ顔で首を傾げるゼマに対し、マリーは掴まれていた腕を払って、甲板の後方へと駆け出す。


 一方、2人のやり取りを側で聞いてたアルギスは、苛立ち交じりにゼマへ掴みかかった。

 


「おい。何の話だ、詳しく教えろ」



「儂より、あの嬢ちゃんの方が詳しそうなんだがなぁ……」



 後方で立ち竦むマリーを横目に見つつも、ゼマは重々しい口調で語り出す。


 なんでも、昔から船乗りの間では、”エルドリア近海で無法を働くと世界樹に呑み込まれる”という言い伝えがあるというのだ。


 唖然とするアルギスをよそに、数百年前までこの”イルミ湾”が巨大な湖であったことまで話が及ぶと、ゼマの表情はフッと柔らかいものになった。


 

「ま、儂もガキの頃オヤジにそう聞いただけだ。本当かどうかなんて、確かめようもねぇ」



(”世界樹”とは一体なんだ?エルフの管理する、ただの巨木ではないのか?)  


 

 学院の講義を思い出しつつも、胸中には、世界樹に対して得体の知れない不安が渦巻く。


 やがて、大きな舌打ちを零したアルギスは、内心を覆い隠すように顔を歪めた。

 


「……それは大丈夫なのか?」



「ああ。大人しくしてる分には問題ねぇよ」



 船室へ向き直ると、ゼマは振り向くことなく、ヒラヒラと手を振って歩き出す。


 平然と言ってのけるゼマの背中を、アルギスは腑に落ちな表情で追いかけた。



「なぜ、そう言い切れる?」



「坊主は、目についた虫をいちいち潰して回るかい?」



 入り口で立ち止まるアルギスに対し、ゼマは足元に転がった酒瓶を拾い上げながら、操舵席に腰掛ける。


 グリグリとゼマがコルクを引き抜く中、アルギスは何も言えず、口の中で舌を転がした。



「それは……」 


 

「儂にも想像でしかねぇが、多分そんな感じなんだろうなぁ……」



 アルギスに語りかけつつも、ゼマはどこか遠い目をしながら、瓶に口をつける。


 しかし、ゴクリと酒を飲み込むと、満足げな顔で背もたれに寄りかかった。



「それに、長いこと遊びに来てる儂がこうして生きてんだ。大丈夫だろ、ハッハッハッ」



「……それを先に言え」



 すっかり気を良くしたゼマに、アルギスはため息をつきながら目頭を押さえる。


 一方、瓶の酒を飲み干したゼマは、真剣な表情で椅子ごと後ろを振り返った。



「交易街で何するにしても、用心しろってこった。幸運がいつまで続くかなんて、誰にもわかんねぇんだからよ」



「ふむ。妙に説得力のある言葉だ、実体験か?」 



 しみじみと呟くゼマに鼻を鳴らすと、アルギスは意趣返しとばかりに口元を吊り上げる。


 ニヤニヤと茶化すアルギスに、ゼマはぶすっと唇を尖らせて、操舵席から立ち上がった。


「……ったく、嫌なガキだ。年寄りの知恵は、素直に聞こうって気にならんもんかね」



「おい。どこへ行く」



 通り抜けざまに肩を叩かれたアルギスは、ストンと真顔に戻ってゼマの後を追いかける。


 すると、空になった瓶を軽く振ったゼマは、ズボンの裾を捲って、浜辺にヒョイと飛び降りた。


 

「腹が減ったろ?ここには酒しかねぇからな。樹の実と水くらいは取ってきてやる……が、船は汚すなよ?」



「有り難く、休ませてもらうよ」 



 下品な笑顔で指をさすゼマに、アルギスは微笑みを湛えながら手を振り返す。


 程なく、アルギスが口元を覆って小さく欠伸を漏らすと、ゼマはつまらなそうに船体から手を離した。



「……可愛げの無いヤツ」 



(はぁ……これでは、完全に密入国者だ。さっさと交易街に入らなくては) 



 トボトボと森へ向かっていくゼマを尻目に、アルギスはため息をつきながら、船室へ戻っていく。


 程なく、ドカリと椅子へ腰を下ろすと、エレンへの言い訳に頭を悩ませるのだった。

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