8話

 湾岸沿いへと戻って早1時間あまりが経つ頃。


 ビトに先導されたアルギスとマリーの2人は、海上に浮かぶロッジのような建物群の中へと足を踏み入れていた。


 

(どこまで連れて行かれるんだ?)



 ギシギシと軋みを上げる桟橋に眉を顰めつつも、アルギスは何も言わず小屋の間を抜けていく。


 しかし、網の投げ込まれた小型の帆船が目に入ると、躊躇いがちにビトの肩を叩いた。

 


「おい。本当に交易街まで行ける船があるのか?」



「もちろんだよ!まあ、着いてきなって」



 戸惑いを見せるアルギスに対し、ビトは満面の笑みを浮かべて、嬉しげに声を弾ませる。


 程なく、前を歩くビトが鼻歌を歌い出すと、マリーはアルギスの後ろへと回りながら、小さく口を開いた。

 


「大丈夫でしょうか……?」



「まあ、ここまで言うんだ。是が非でも見せたいものがあるんだろう」

 


 前で揺れる小さな背中に目を細めたアルギスは、優しげな口調でマリーへ言葉を返す。


 すると、表情を曇らせていたマリーもまた、目を細めて柔和な微笑みを湛えた。

 


「アルギス様が、そう仰るのであれば」



(……とは言ったものの、辺りは見事に漁船ばかりだな) 


 そそくさと隣へ戻るマリーをよそに、アルギスは大小様々な漁船を見回しながら、桟橋を進んでいく。


 やがて、カヌーのような小舟が停められた橋の先までやってくると、ビトはアルギス達を追い立てるように手を振った。



「ささ、こっちだよ!急いで!」



「ここは……」



 周囲を改めて見回したアルギスは、小屋すら無くなった橋の先に目を瞬かせる。

 


 そして、再び目的地を尋ねようとビトへ手を伸ばした時。


 怒りを孕んだ野太い声が、背後から駆け寄ってきた。



「――見つけたぞ、ビト!やっぱり、ここに来てたのか!」



「げ!父ちゃん。なんでここに……」



 目の前で腕を組みながら仁王立ちをする男に、ビトはギョッとした顔で体を仰け反らせる。


 一方、伸ばしかけていた手をはたと止めたアルギスは、良く日に焼けた男の顔を見上げた。



(父ちゃん……?船の持ち主か?)

 


「こっちの台詞だ、まったく。この霧じゃ船も出せねぇってのに、遊んでやがって」



 アルギスがじっと様子を眺める中、男は組んだ腕を持ち上げて肩を怒らせる。


 すると、何かを言いたげに口を開きつつも、ビトは睨むような父親の視線に目を逸して唇を尖らせた。


 

「……ごめんなさい」 



「帰ったら、リコにも謝るんだぞ」



 ビトが渋々ながらも謝罪を口にすると、男は口元を緩めて、ポンと頭を撫でる。



「少し、待ってくれ」



 そのままビトと肩を組んで立ち去ろうとする男を、アルギスはげんなりとした表情で引き留めた。



「おっと?兄ちゃんたちは……」


 顔だけを後ろへ振り向かせた男は、片眉を上げて、アルギスとマリーへ視線を行き来させる。


 しばしの後、体ごと向き直る男をよそに、アルギスは未だ橋の奥を見据えるビトを指さした。



「そこの、ビト少年に”良い船”があると聞いて、ここまでやって来たんだ。見せてもらえないのか?」



「……あー、コイツが何を言ったかは知らんが、俺は見ての通り漁師だ。船も、ただの漁船くらいしか持ってない」



 アルギスの問いかけにポリポリと額を掻くと、男は筋肉質な体を誇示するように両手を広げる。


 にべもなく提案を断られたアルギスは、ため息交じりに霧のかかった空を見上げた。


 

(随分と話が違うな……次は、どうするか) 



「違うよ、父ちゃん。この人たちは、じいちゃんのお客なんだ……!」



 アルギスがボンヤリと次の予定を考え始める中。


 立ち去ろうとする男にしがみついたビトは、グイグイと腕を引っ張りながら、絞り出すように声を上げる。


 

 すると、腕を振り回された男は、必死な様子のビトに、しゃがみ込んで目線を合わせた。



「オヤジの……?」



「じいちゃん、最近元気ないだろ?だから、あの船に乗れれば、また元気になるかなって……」



 大きく鼻をすすると、ビトは声を震わせながら、悲しげに目を伏せる。


 そのまま奥歯を噛み締めて涙を堪えるビトを、男は優しく抱きしめた。


 

「……ビト。ごめんな」



「うん……」 


 

 そっと背中を撫でる男に、ビトもまた、目元を袖で拭って抱きつく。


 アルギスと共に2人のやり取りを眺めていたマリーは、鼻を頭を赤くして、そっと目元の涙を拭った。



「うぅ、良かったですね……」

 


(……なぜ、この状況で感動できるんだ) 

 


 マリーがズビズビと鼻をすする一方で、アルギスは喜劇じみた状況に、片手で顔を覆う。


 ややあって、ゆっくりと立ち上がった男は、赤くなった目を誤魔化すように苦笑いを浮かべた。


 

「話は済んだよ。待たせてごめんな」



「いや、いい。それで、結局どうなった?」



 すぐさま手を振り返すと、アルギスは前のめりになって男へ詰め寄る。


 訝しげな表情で顔を見上げるアルギスに、男は目を合わせることなく頷いた。

 


「言っちまえば船自体はある。……だが、オヤジが首を縦に振るかはわからねぇ」



「どういうことだ?」



 男の返答に頬を緩ませつつも、アルギスは後へ続いた不穏な内容に、疑問が口を衝いて出る。


 訝しむアルギスに対し、自嘲気味な笑みを浮かべた男は、肩を竦めながら首を振った。


 

「船を借りられても、オヤジにしか操縦できねぇんだよ。それじゃ、一緒だろ?」



「それは一体……」



 はぐらかすような男の態度に、アルギスはグルグと思考を巡らせながら口を開く。


 しかし、不意に肩の力を抜いた男は、まっすぐ橋の奥を指さして、アルギスの声を遮った。

 


「悪りぃが、俺が話せんのはここまでだ。詳しいことは、直接オヤジに聞いた方がいい」


 

「――ほら!兄ちゃんたち、こっちだよ!」


 

 男が口を閉じるが早いか、入れ替わるように上機嫌なビトの声が響く。


 小舟の上で大きく腕を振り上げるビトに対し、男はぎこちない動きで、唖然するアルギスの肩へ手を置いた。



「……つい案内を任せちまった。頼む、もう少しだけ付き合ってやってくれ」



「はぁ……」



 断れない提案に肩を落としたアルギスは、男の顔を見上げて、何も言わず頷く。


 しばしの後、アルギスとマリーが橋の先へ向う頃には、オールを抱えたビトが笑顔で手招きをしていた。


 

「早く!早く!」

 


(これで、借りられるのが船1艘とは……割りに合わんな)



 既に傾きかかった太陽に顔を顰めつつも、アルギスは諦めたようにビトの前に腰を下ろす。


 アルギスへ続いてマリーが乗り込むと、ビトの漕ぎだした船は、少しづつ湾岸沿いを進んでいくのだった。


 

 ◇


 

 波に揺られながらも岩礁の突き出す湾岸沿いを、ひた進むこと数十分。


 崖へ走った罅のような洞窟の入り江へ小船を乗り入れたビトは、金属板で補強された錆色の船首に目を輝かせた。


 

「これだよ!見てくれ、すっげぇだろ!」



「船、なんですか……?これ?」



 ビトの漕ぐ小舟が船の横を通り過ぎる中、マリーはリベットで金属板を張り合わせたような船体に眉を顰める。


 不安げなマリーの呟きに頬を膨らませつつも、ビトはせっせとオールを漕ぎながら、陸地へ小船を寄せた。



「そうだよ!他の船なんか目じゃないくらい速いんだぞ!」 


 

「ん?あれは……」

 


 声を張り上げるビトに先立って船を降りたアルギスは、切り落とされたような船尾に、思わず視線を引き付けられる。



 戸惑うマリーとビトを尻目に地面へ膝をつくと、奇妙な違和感の正体を探るため、水面へ沈んでいる船底を覗き込んだ。

 


(……間違いない。やはり、この船はエンジンのような機関を積んでいる) 



 アルギスの目線の先、平たく成形された船底には、舵とスクリューを合わせたような推進機がひっそりと佇んでいたのだ。

 


 終ぞ忘れていた科学の気配に、アルギスが表情を強張らせる中。


 背後で落ち着きなく様子を眺めていたマリーが、突如中空を見上げて、目を見開いた。



「っ!危ない!」



「なんだ!?」 



 しばしスクリューに目を奪われていたアルギスは、マリーの叫びに、慌てて地面から飛び上がる。


 すると直後、壁にぶつかったガラス瓶の割れる音と共に、顔を赤くした老人が、フラフラと甲板から起き上がってきた。

 


「誰だぁ!儂の船に近づくボケナスはぁ!」

 


「あ!じいちゃん!おいらだよ、ビトだよ!」



 顰めっ面で周囲を見回す老人に対し、ビトは満面の笑みで両手を振り上げる。


 そのままビトが跳ねるように接岸したタラップを駆け上がると、老人は一転して相好を崩しながら、両手を伸ばした。


 

「おお、ビト!遊びに来たのか!」



「うん!」 



 飛び跳ねるように両手に収まったビトは、老人が立ち上がるに任せて、抱き上げられる。


 そのまま上機嫌にビトを振り回す老人の姿に、アルギスはげんなりとした表情で目頭を押さえた。



(……アイツと交渉しなくちゃならんのか)

 


 それからしばらくの間、ビトと老人の笑い声が響いた後。


 ビトを甲板に下ろした老人は、後ろで三つ編みにした白髪を掻きながら、アルギス達へと近づいてきた。

 


「スマンスマン、孫の連れとは知らなんだ。儂はこの町で船大工をやっとるゼマっちゅうもんだ」 



「私はアルギスだ。怪我もない、気にしないでくれ」



 酒精の臭いがする吐息に目を細めつつも、アルギスは小さく首を振って、手を差し出す。


 薄い笑みを浮かべるアルギスに、ゼマもまた、ニヤリと口元を釣り上げて、手を握り返した。



「うむ、思ったより見る目がある。それで、船を借りたいそうだな?」

 


「……いや、まずはこの船について教えてくれないか?」



 程なく、ゼマの手を離したアルギスは、躊躇いがちに錆色の船体へ体を向ける。


 アルギスに釣られて船体を横目に見ると、ゼマは、上機嫌に腕を組みながら顔を近づけた。



「ほお?ますます見る目があるな。良いぞ、何を知りたい?」



「見た所、この船は一般の商船とも、魔道具船とも違う。これは一体なんだ?」



 ゼマが嬉しそうに顎を撫でると同時、神妙な顔で船底を見つめたアルギスの口からは、独り言のように疑問が溢れる。


 胡乱げな表情を見せるアルギスに対し、ゼマはがっくりと項垂れながら、船体へ顔を向けた。


 

「そこからか……まあ、”魔導機械”なんぞ今じゃガラクタも同然。無理ないわな」



「”魔導機械”……?」



 ゼマのぼやきに顔を上げたアルギスは、訝しげな表情で船全体を隅々まで見回す。


 一方、ギラギラと目を輝かせたゼマは、掠れきった船体のマークだけを見据えながら、誇らしげに胸を張った。


 

「おうとも、コイツは儂がその昔手に入れた”魔導船”。本来、大陸じゃあ、一生かかっても拝めん代物よ」



(大陸では見られないだと?――《傲慢の瞳》よ、詳細を表示しろ)



 意味深なゼマの言葉に、アルギスは浮足立つ気持ちを押さえ込んで、スキルを使用する。


 船体の前に現れたカーソルへ目を合わせると、たちまち文字の羅列された表示が浮かび上がった。


 

 ――――――

 


 『巡回艇 ラウンド・ケプト』:


 《傲慢の瞳》により、この巡回艇 ラウンド・ケプトは魔導船であると判明。


 この魔導船はノイアベルン式魔導工学に基づき作成されており、総重量:35M(ミノス)、全長:21R(ルモト)、最大積載量:500K、主要搭載機関……

 


 ――――――

 


「……これを、どこで手に入れた?」


 

 ぎっちりと詰め込まれた情報から目を逸すと、アルギスは眉間に皺を寄せ、問い詰めるようにゼマの顔を見上げる。


 しかし、アルギスと目のあったゼマは、くしゃりと顔を歪めて、口の前に人差し指を立てた。

 


「おっと、それ以上はイカン。深く聞かないことも船を出す条件の一つにしよう」 

 


「……なんだと?」 


 

 片目を瞑って指を振るゼマに、アルギスは不満げな表情で頭をひねる。


 一方、口元を釣り上げたゼマは、左右に振っていた人差し指に中指を付け足しながら、アルギスの前に突き出した。


 

「出元を聞かないことと、コイツを動かすための魔石を渡すこと。儂の出す条件は、この2つだ。飲めないなら帰れ」


 

「チッ……まあいい。魔石は、どの程度必要だ?」


 

 有無を言わせないゼマの態度に舌打ちを零しつつも、アルギスは気持ちを押し殺して交渉に入る。


 あけすけなアルギスの問いかけに鼻を鳴らすと、ゼマはどこか含みのある笑みと共に船体を見やった。

 


「ありゃあるだけ欲しいさ。コイツは速度が出る分、大飯食らいでいけねぇ」

 


「量はわかった。質の方はどうなんだ?魔物の種に制限は?」



 小さく愚痴を零すゼマに対し、アルギスは目線を彷徨わせながら、矢継ぎ早に質問を重ねる。


 すると、アルギスへ顔を向けたゼマは、気の抜けた表情で肩を竦めた。

 


「そりゃ別になんでもいい。ゴブリンでも竜種でも、違うのは魔石一個が保つ時間だけだからな」



「……マリー。ジャイアント・ラットの死骸は、どうなっている?」



 しばしの沈黙の後、アルギスは振り返ること無く、背後のマリーへ声を投げかける。


 ややあって、ゆっくりと後ろを振り向くアルギスに、マリーはぐっとお辞儀を堪えて歩み寄った。



「は、はい!魔石のみであれば保管して、ます」



「あるだけ、出してやれ」



 マリーの返事にホッと胸を撫で下ろしつつも、アルギスは平静を装って顎をしゃくり上げる。


 そのままアルギスが前を向き直ると、マリーはニコリと微笑んで、足元へ影を生み出した。


 

「――こちらを」 


 

「こ、こいつぁ……」



 影から浮かび上がった木樽と中へ詰め込まれた魔石の数に、ゼマは口を開けて言葉を失う。


 一方、樽を見下ろしたアルギスは、クツクツと笑いを零しながら、上機嫌に言葉を続けた。


 

「数える気にはならないが、今ある分はこの程度だ。足りないか?」



「いやぁ!充分だ!これだけあれば、しばらくは動かせるぞ……」



 かじりつくように樽を抱え込むと、ゼマはうっとりとした顔で中の魔石を覗き込む。


 大切そうに樽の側面をさするゼマに対し、アルギスはスッと真顔に戻って、パチパチと手を鳴らした。

 


「では、取引は成立でいいな?」 


 

「……ここまでされちゃあ、断れん。ちと待っとけ」


 

 小さく首を縦に振ったゼマは、樽を抱えながらも、吹っ切れたように勢いよく立ち上がる。


 そして、アルギスとマリーの顔を確認すると、1人スタスタとタラップへ向かって歩き出した。

 


(やっとか……まったく)

 


 ようやく前へ進んだ状況に、アルギスは左右に首を倒しながら、大きなため息をつく。


 

 程なく、甲板から手招きをするゼマにアルギス達が近づこうとした時。


 2人の下へ目元を赤くしたビトが駆け寄ってきた。


 

「ありがとう!兄ちゃんたち!」


 

「……ああ。こっちも、お前のおかげで助かったよ」 



 飾り気のない感謝に、すっかり毒気を抜かれたアルギスは、思わずビトの頭へ手を乗せる。


 しかし、マリーの生暖かい視線に気がつくと、きまりが悪そうにビトから手を離して、タラップへと足を向けるのだった。

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