7話

 気忙しく王都を飛び出して早5日。


 簡素なローブに身を包んだ2人は、王国の東端に位置する小さな港町、”ムルストン”へと辿り着いていた。

 


(……海か。久しく、見ていなかったな)

 


 亀裂のような湾岸沿いから目を逸らすと、アルギスは霧の中にボンヤリと浮かぶ帆船の姿に目を細める。


 一方、遥か遠くの水平線を見据えたマリーは、不安げな表情で胸元に手を組んだ。

 


「……本当に、エルドリアへ向かわれるのですね」



「ああ。依頼の関係上、一度は森都に向かう必要があるからな」

 


 しばし感慨にふけっていたアルギスは、マリーへの返答と共に丘を下り始める。


 なおも霧の奥を横目に見つつも、マリーはスタスタと前を歩くアルギスを、重たい足取りで追いかけた。



「はい……」

 


「お前の名は既に”マリー”のはずだ。……過去のことは、一旦忘れろ」

 


 マリーの消え入るような声に歩く速度を落とすと、アルギスは横に並んで背中をポンと叩く。


 すると、これまで顔を強張らせていたマリーは、表情を柔らかいものへ変えて腰を折った。



「お恥ずかしいところを、お見せ致しました」


 

「気にするな。先を急ぐぞ」


 

 どこか嬉しげな様子のマリーを背に、アルギスは立ち止まること無く、眼下に立ち並ぶ木製の柵へと足を進める。


 しかし、先日聞いたマリーの過去は、平静を装うアルギスの胸中にも薄ら寒い予感を伝えていた。


 

(まったく、ただの私生児くらいに思っていれば……) 



 不意に先日の話が脳裏をよぎったアルギスの表情は、苦虫を噛み潰したように歪む。


 話を聞けば、マリーが曰く、出自は”エルドリア戎二位――ハルディン”の妾腹であったというのだ。


 しかし、後に続く”ある日突然、実の父に交易街から追い立てられた”という話を聞いたことで、アルギスの思考は完全に泥沼へと嵌まり込んでいた。



(結局、ゲームとの関係は分からず終い……やはり、”ハルディン”の名を知った時に聞いておくべきだったか) 


 

「――おい、冒険者は一般用の南門だ。さっさと失せろ」



 ややあって、2人が簡素な防壁の目前へと近づいた時。


 俯きながら前を歩いていたアルギスへ、柵へ嵌め込まれた鉄格子の前から無遠慮な声が投げかけられる。



 耳慣れない物言いに顔を上げたアルギスの前には、素知らぬ顔をする中年の守衛と、鬱陶しげに手を振る若い守衛が立っていた。



「……ふむ。実に新鮮な気分だ」



「申し訳ございません。こちらにも、少々事情がございまして」



 足を止めて呟くアルギスに対し、マリーはすかさず取り出した短剣を手に、若い守衛の前へと進み出る。


 そのままマリーが短剣を差し出すと、若い守衛は鞘へ刻まれたエンドワース家の紋章に、サッと顔を青くした。


 

「なぁ!?なな、な!」



「お前!なんということを!」



 若い守衛が口をパクパクさせながら後ずさると同時に、これまで無言を貫いていた中年の守衛が、声を荒らげて掴みかかる。


 程なく、顔を寄せた2人がボソボソと言い合いを始める中、アルギスは穏やかな笑顔を浮かべながら、手のひらを合わせた。



「それで、責任は、どちらが取ってくれるのかな?」



「…………」


 

「それは……」



 揃って顔を見合わせた守衛たちは、目があった瞬間、気まずそうに反対へ顔を逸す。


 冷や汗を流して黙り込む2人に、アルギスは眉尻を下げながら、わざとらしいため息をついた。



「そう、か。私も、あまり事は大きくしたくないんだがな」



「申し訳ございません!お、お許しを……!」


 

「私からも、どうか!何卒!」



 すっかり血の気の引いた2人は、腰を直角に折り曲げて、ブルブルと体を震わせる。


 時たま鼻先から汗を落とす守衛たちを、マリーは不快げに冷たい目で見下ろした。

 


「捕らえますか?」



「……いや、最後に一つだけ聞いておこう。その答えによっては、私の気も変わるかもしれない」



 魔力を纏うマリーを尻目に、アルギスは両手をすり合わせながら、2人の姿を見比べる


 すると、アルギスの言葉に顔を跳ね上げた若い守衛は、大慌てで片膝を着いてしゃがみ込んだ。 



「な、なんなりと!」



「――私達がここを通ったことは内密に処理しろ。後ろで見ている奴らにもだ、いいな?」



 若い守衛を無表情で見下ろすと、アルギスは逸る気持ちを押さえながら口を開く。


 脅しつけるような命令に耳を疑いつつも、若い守衛は涙目になりながら、幾度も小刻みに頷いた。



「はい!言いません!誰にも!」



「……君の方は、どうかな?」



 若い守衛の返事を確認したアルギスは、続けざまに中年の守衛へと目線をずらす。


 そのままゆっくりと首を傾げるアルギスに、中年の守衛もまた、膝をついて頭を下げた。



「無論、口外いたしません!」



「いや、君たちが善い人で助かった」



 揃って頭を下げる守衛たちに、アルギスは拍手を送りながら、満足げな笑みを浮かべる。


 しかし、不意に拍手を止めると、安堵の息を吐く2人をギロリと睨みつけた。



「……だが、この件が少しでも外部へ漏れてみろ。お前らの命は無いぞ」



「っ!」



「勿論で、ございます!」



 アルギスに射竦められた守衛たちは、冷たい目線から顔を逸らすように頭を下げる。


 なおも頭を下げ続ける守衛たちをよそに、アルギスはローブのフードを被って、再び鉄格子へと顔を向けた。


 

「さて、ここから先は冒険者として動く。注意しろ」



「……はい」



 遠慮がちに言葉を返すと、マリーもまた、フードで顔を隠しながら守衛たちの横を抜けていく。


 程なく、足並みを揃えた2人は押し開けられた鉄格子を抜け、ムルストンへと入っていくのだった。


 



 ムルストンへと足を踏み入れて数時間が過ぎた昼下がり。


 ちらほらと設置された桟橋へやってきたアルギスは、甲板から木箱を運び出す船員の横で、船主との交渉を繰り返していた。



「どうだろう?多少、礼も出来るんだがエルドリアの交易街まで……」 


 

「交易街ぃ?ムリムリ。この船は、荷下ろしが済んだら”ヴァーレンハイト”へ戻るんだ」



 浅黒い顔をバツが悪そうに歪めると、男は首の動きと合わせながら、ブンブンと手を振る。


 取り付く島もない男の態度に、アルギスはため息をついて、帆が畳まれた船と船員たちの列を見やった。



「……さっきも、そう言われたな。この辺りで交易街まで船を出せるやつはいないのか?」



「うーん。この町に来るのは、基本ヴァーレンハイトの商船だからなぁ……」


 

 港へ停泊する帆船を眺めた男は、腕を組みながら、険しい表情で無精髭を撫で回す。


 ややあって、はたと顔の向きを変えると、沿岸に浮かぶ楼閣のような外輪船へと顎をしゃくった。



「あそこの”魔道具船”なら行けるだろうけど、奴らの移動は気まぐれだぜ?」



(また、さっきのヤツと同じ意見……計算外だな。まさか、船探しで躓くとは)



 聞き覚えのある忠告に、アルギスは落胆した表情で、がっくりと項垂れる。


 一方、ポンと手のひらを打った男は、表情を明るくして、親指で背後の船を指さした。


 

「なんなら、ヴァーレンハイトまで乗ってったらどうだ?直通の船が出てるぞ?」



「ヴァーレンハイト、か……」 



 気っぷの良い男の提案を、アルギスは難しい顔で、噛みしめるように繰り返す。


 というのも、男の口から出た”ヴァーレンハイト”とは、エルドリアとの交易を一手に引き受ける、国王派最大の港湾都市なのだ。


 父ソウェイルドが毛嫌いする、国王派の要衝だという事実は、アルギスの決断を鈍らせるのに充分だった。


 

(宰相パトリック・ヴァレンティナの膝元。お世辞にも近づきたいとは思わないな) 



「ど、どうします?」



 船を見上げて黙りこくるアルギスに、マリーは恐る恐る気安い声を掛ける。


 しばしの逡巡の後、船から目線を下ろしたアルギスは、微笑を湛えて小さく首を振った。



「大変ありがたい申し出だが、もう少し辺りを見てから決める。悪いな」



「なに、良いってことよ。あと2日はここに停めてるから、気が向いたら来な」



 歯切れのいい返事と共に手刀を切ると、男はアルギスたちへ背を向けて、颯爽と船員たちの下へ去っていく。


 程なく、船員たちへ指示を飛ばし始める男を尻目に、マリーは足を止めたままのアルギスへ、真剣な顔を向けた。



「ヴァーレンハイトへ、向かわれるのですか?」



「それは最後の手段だ。出来れば、あそこへは行きたくない」



 眉間に深い皺を寄せたアルギスは、口元へ手を当てながら、未だ薄ぼんやりと霧がかかる海の奥を見据える。


 しかし、それから数分の時間が流れても、妙案を思いつくことはなかった。

 


(……肝心の船が無くては、どうしようもないな)



「ちょっと、ちょっと。そこの兄ちゃん達!もしかして、船を探してんじゃないかい?」


 八方塞がりの状況にアルギスが諦めかけていた時。


 人懐っこい声と共に、浅黒く日焼けした笑顔の少年が、ワタワタと手を動かしながら2人の前へ飛び出す。


 

 突如現れて顔を見上げる9歳程の少年を、アルギスは値踏みするように見下ろした。


 

「ああ。だが、お前は誰だ?」



「おっとっと、そんなに警戒すんなよ。おいらは”ぞうせん技師”のビトってんだ」 



 低い声で問い正すアルギスに、ビトは反らした胸を叩きながら、名乗りを上げる。


 すると、これまでしかめっ面を浮かべていたアルギスは、ビトの自己紹介にピクリと眉を上げた。



「ほう?それで、造船技師とやらが私に何の用だ?」



「兄ちゃん達、ワケありだろ?おいらに着いてくれば、いい船を紹介するぜ?」



 アルギスとマリーの顔に目線を行き来させると、ビトはおどけた表情で親指を立てる。


 しかし、ビトの提案を聞いたアルギスの表情は、対照的に影のあるものへと戻っていった。


 

(俺たちの事を、ずっと見ていたのか……?)



「ま、まあ無理にとは言わないけどさ……」



 不快げにアルギスが辺りを見回す中、ビトはこれまでの勢いが嘘のように、しょんぼりと腕を下ろす。


 すっかり不貞腐れた様子のビトに、アルギスはため息をつきながら、頷きを返した。

 


「……せっかくだ。案内してもらおう」



「へへ!そうこなくっちゃ!」



 一転して笑顔を取り戻したビトは、2人を残して桟橋を駆けていく。


 程なく、ビトの姿が巨大な帆船の陰に隠れると、マリーは真意を探るようにアルギスの顔を見つめた。


 

「……よろしいのですか?」



「ここにいても、どうせ時間の無駄だ。見るだけ見てみようじゃないか」



 警戒心を露にするマリーを横目に見たアルギスは、フッと表情を緩めながら肩を竦める。


 ビトの消えた先を見据えるアルギスに、マリーは体ごと向き直って、しずしずと両手を前へ揃えた。



「かしこまりました」



「……態度に、気をつけろよ」



 不意に頭を下げようとするマリーの動きを、アルギスは肩を掴んで無理やり止める。


 すると直後、アルギスの目線の先には、船体の陰に消えていたビトがひょっこりと姿を覗かせた。



「――おーい!来ないのかー!?」 



「……行くぞ」


 

 両手を振り上げるビトへ手を振り返したアルギスは、軽い足取りでマリーの横を通り抜ける。


 一方、小さく会釈だけを済ませたマリーは、悲痛な表情でアルギスの後ろへと並んだ。



「はい……」



(……先が思いやられるな) 



 背中を丸めて落ち込むマリーに頭を悩ませつつも、アルギスは何も言わず桟橋を進んでいく。


 やがて、陸地へと戻った2人は、慌ただしいビトの案内で港を移動し始めるのだった。

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