5話

 アルギスとマリーがエルドリアへ向けて王都を経った頃。


 公都の執務室では、椅子へ腰を下ろしたソウェイルドが、手に持った手紙を難しい顔で読み進めていた。



「ジャック。これは、なんだ?」



 手紙を机へ放り投げたソウェイルドは、後ろを振り返って、紙面をトントンと叩く。


 不快感を滲ませるソウェイルドに対し、ジャックは眉尻を下げながら腰をかがめた。


 

「大旦那様からのご連絡でしたので、早急にお渡しした方がよろしいかと思ったのですが……」 



「違う、問題は内容だ。この状況で、”ヴォルニグラッド”まで手を出す気だぞ」 

 


 再び取り上げた手紙を封筒へ仕舞い込むと、ソウェイルドはため息交じりに愚痴を漏らす。


 

 机に封筒を放り投げたソウェイルドが背もたれに寄りかかる傍ら。


 ソウェイルドの脇へ足を進めたジャックは、神妙な面持ちで頭を下げた。



「恐れながら、何かお考えがあるものかと」



「ああ。大方、”ミデドル山脈”を防波堤とでもするつもりだろう」



 緊張を湛えたジャックに対し、ソウェイルドは中空を眺めながら、こともなげに手紙の意図を見透かす。


 当然とばかりの口ぶりに目を丸くすると、ジャックは隠しきれない困惑と共に、ゆっくりと顔を上げた。


 

「では……」 


 

「ソーンダイクのことだ。信用の置けない者を間に挟むことはできん」



 目線をジャックへと下ろしたソウェイルドは、苛立たしげに顔を歪めながら、小さく首を横へ振る。


 机に手をついたソウェイルドが忙しなく指を叩く中、ジャックは顔色を伺いながら、おずおずと口を開いた。


 

「いっそ、他家へ委託しては如何でしょう……?」



「そうなると、今度は交渉材料が無い。足元を見られるのは御免だ」 



 机を叩いていた手を止めると、ソウェイルドは首を捻りながら頬杖をつく。


 ありありと不満を見せるソウェイルドに、ジャックは両脇へ手を揃えて、深々と腰を折り曲げた。

 


「失礼致しました」 



「いい。だが、やはりソーンダイクは近く潰しておく必要があるな」



 ヒラヒラと手を払ったソウェイルドは、頬杖をついたまま、机の引き出しに手をかける。

 


 しかし、続けざまにソウェイルドが便箋を取り出そうとした時。


 不意に顔を上げたジャックが、 どこか慌てた様子で机に歩み寄った。


 

「ですが、既にアルギス様が向かっていらっしゃるやもしれません」



「そうか、それもあったか……先を急ぎすぎたな」


 

 ジャックの焦り声にピタリと手を止めると、ソウェイルドはげんなりとした表情で、引き出しを閉め直す。


 そのまま額を押さえて考え込むソウェイルドに対し、ジャックは伏し目がちに机へ放置された封筒を見やった。


 

「大旦那様へのご返事は、如何されますか?」 

 


「それを、これから考えるんだ」



 ジャックが口を閉じるが早いか、ソウェイルドは重々しい口調で、被せるように言葉を返す。


 しかし、程なく額から手を離すと、照明の灯る天井をぼんやりと仰ぎ見た。

 


「……まあ、いざとなれば私がソーンダイク領まで出向く」



「しかし、それでは……」 



 投げやりな呟きを零すソウェイルドに、ジャックは一層眉尻を下げながら、目線を滑らせる。


 

 しばし室内に沈黙が満ちる中。


 机に手をつき直したソウェイルドは、不安げな表情で見つめるジャックに肩を竦めた。

 


「このままでは埒が明かん。一先ず、ベルナルトの奴を呼んでこい」 



「かしこまりました」



 指示を出したソウェイルドが左右へ首を捻る一方、ジャックは背筋を伸ばして、出口の扉へと向かっていく。


 やがて、ジャックが部屋を後にすると、室内にはソウェイルドの大きなため息が響き渡った。



「……エルドリアの件も宙に浮いているというのに。父上は何を考えているんだ」



 凝り固まった肩へ手を伸ばしたソウェイルドは、誰にともなく独りごちる。


 そして、それから暫くの間、険しい表情で、机に置かれたままの封筒を睨みつけているのだった。





 アルギスたちの出立から丸一日が経った朝。


 使用人に扉を開けられたレイチェルは、ハートレス家の馬車から冷たい風の吹く王都外周の舗道へ足を下ろしていた。


 

「お呼びかしら?」


 

「ハートレス様。お呼び立てして、大変申し訳ございません」



 長いドレスの裾を気にするレイチェルに、ペレアスは両手を脇へ揃えて腰を折る。


 一方、ぞろぞろと移動するエンドワース家の騎士団を横目に見たレイチェルは、満足げな表情でペレアスへ手を振った。



「ええ、良いわ。それで、私に何か?」



「アルギス様より、いくつか言伝がございます」


 

 小さく頷きを返しつつも、ペレアスは腰を折ったまま、神妙な面持ちで口を開く。


 すると、ペレアスの返答を聞いたレイチェルは、隊列を成すエンドワース家の騎士団へ無意識に目線をずらした。



「そういえば、あの人は……」


 

「……アルギス様は、昨日の朝、王都をお発ちになっております」



 ポツリと呟くレイチェルへ言葉を返すと、ペレアスは気まずそうに口を閉ざす。


 しかし、小さく息をついたレイチェルは、騎士団から目を逸らして、薄い笑みを浮かべた。



「そう……続きをどうぞ?」



「失礼致しました。……今回の同行に限り、我々エンドワース騎士団はハートレス家の指揮下となります」



 小首を傾げるレイチェルに対し、顔を上げたペレアスは、胸を張って宣言を口にする。


 しばしの後、再びペレアスが頭を下げると、レイチェルは訝しげな表情で腕を組んだ。



「……それを、私に言う必要があるかしら?」



「はい。シグナ殿には既にお伝えしてあるのですが……少々、例外がおりまして」



 レイチェルの問いかけを返す刀で首肯したペレアスは、不安げに騎士団の姿を見回す。


 途端に顔から自信を失くすペレアスに、レイチェルは目をパチクリさせた。



「例外?」

 


「――よう。会うのは、これで二度目だな」


 

 レイチェルが思わずペレアスの返答を反芻した瞬間、背後から気さくな声が掛けられる。


 すぐさま後ろを振り返ったレイチェルは、馬車の屋根越しに顔を見せるブラッドの姿に絶句した。


 

「貴方は……」 



「申し訳ございません……この者には、アルギス様より”行動に一切の制限をしない”という指示が降りております」 


 

 膝へつくほど深く腰を折ると、ペレアスは申し訳無さそうにブラッドの処遇を伝える。


 真意の見えないアルギスの指示に、レイチェルは腑に落ちない表情でブラッドの顔を見上げた。


 

(この人が同行を?どうしてかしら……)


 

「知ってるかはわからねぇが、俺はブラッドってんだ。よろしくな」



 気安い態度で手を振ったブラッドは、上機嫌な自己紹介と共に呵々と笑う。


 ややあって、ブラッドが馬車の周囲を回り込む最中、レイチェルは慌ててペレアスに向き直った。



「あの人からは、なんと?」



「ハートレス様ご本人から指示を出すように、と」



 未だ苦々しい表情を浮かべつつも、ペレアスは小さな声でレイチェルへアルギスからの伝言を伝える。


 そして、少しの間を開けると、諦めたように肩を落として言葉を続けた。

 


「……また、”何かあれば、途中で捨てて帰っていい”とも仰せつかっております」



「捨て……まあ、大体わかったわ」



 乱雑な扱いの指示から、レイチェルはブラッドの立ち位置にあたりを付ける。


 一方、レイチェルのすぐ目の前までやってきたブラッドは、キョトンとした顔で首を傾げた。



「何の話だ?」



「何でも無いわ。そんなことより、急ぎましょう」



 ブラッドの問いかけに笑顔で首を振ると、レイチェルは隊列の組み直された護衛の奥、エンドワース家の馬車へと足を向ける。


 左右へ割れるように道を開ける騎士たちに対し、ブラッドは手をすり合わせて、レイチェルの後を追いかけた。

 


「いやぁ、まさか、こんなに早くあれに乗れる日が来るとはなぁ」



 ブラッドの呟きが耳に入ったレイチェルは、ピタリと足を止めて、後ろを振り返る。


 

「貴方も、馬車に乗る気なの?」


 

「はぁ。まーた、歩きか……」



 言外に不服を唱えるレイチェルに、ブラッドは肩を落としながら、くるりと踵を返した。


 

「……いいわ。着いていらっしゃい」


 しばしの逡巡の後、レイチェルはトボトボと隊列の最後尾へ歩きだすブラッドの背中へ声を掛ける。


 すると、これまでしょげ返っていたブラッドは、瞬く間に身を翻して、レイチェルの後ろへと付き従った。


 

「アンタも、話がわかる人だなぁ!」



(ここで価値を示せれば、あの人だって、きっと……) 



 肩で風を切るブラッドを背に、レイチェルは決意を湛えて前だけを見据える。


 やがて、騎士たちが切れ目なく周囲を囲むと、レイチェルを乗せた馬車は、一路西を目指して進み始めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る