4話

 エレンが寮の部屋を訪ねてきた翌日、ようやっと日も昇りきった頃。


 朝日の差し込み始めたアルギスの自室には、使用人と共に、鮮やかな織り模様の衣装を身に纏うエレンがやってきていた。

 


「――アルギス様、ハミルトン様がお見えになりました」

 


(……もう、来たのか)

 


 側で頭を下げる使用人の声に、アルギスは読んでいた本を閉じて、ソファーから身を起こす。


 一方、使用人の後ろに立っていたエレンは、ヒラヒラと揺れるスカートに足を取られつつも、手に持った手紙をアルギスへ差し出した。


 

「手紙、持ってきた」 



「まあ、とりあえず座れ。……マリーとブラッドはいつ来る?」



 エレンから手紙を受け取ったアルギスは、向かいのソファーを指さしながら、紅茶の用意を整える使用人へ顔を向ける。


 手持ち無沙汰に手紙を弄ぶアルギスに、使用人は作業の手を止めて、再度深々と腰を折った。



「ハミルトン様がいらっしゃった際にマリーが呼び出しに向かいましたので、もう間もなくかと……」



「ふむ……」 


 

 要領を得ない返答に首を捻ると、アルギスは顎を撫でながら、壁際に置かれた魔道具へと目線を向ける。


 

 ややあって、アルギスとマリーの前にカップが置かれる頃。


 静寂を保っていた室内に扉の引き開けられる音が響くと同時に、奥から笑顔のブラッドが姿を現した。



(……マリーは何をしている?)


 

 頭を下げる様子もなく、ニカリと歯を見せるブラッドに、アルギスは思わず周囲にマリーの姿を探す。


 一方、あんぐりと口を開けたエレンは、目を白黒させながらアルギスの顔を見やった。



「あれは……?」


 

「はぁ……」 



 エレンの視線を遮るように額を押さえたアルギスは、ブラッドの説明に頭を悩ませる。


 しかし、程なくアルギスが腕を下ろした直後、部屋へ入ろうとしていたブラッドは、叩きつけるようなマリーの手に肩を掴まれた。


 

「よ――」 



「大変、申し訳ございません!もう少々、お待ち下さいっ……!」



 手を挙げようとするブラッドを鬼の形相で引きずり出すと、マリーもまた、ペコペコと頭を下げて部屋の外へ消えていく。


 相変わらずの2人に呆れつつも、アルギスは正面を向き直って、エレンから渡されていた手紙を開いた。



「……一先ず、話は始められそうだな。エレン、少し待っていてくれ」



「うん」



 アルギスの声で扉から顔を逸らすと、エレンは両膝を揃えて、ピンと背筋を伸ばす。


 ソワソワと返事を待つエレンを尻目に、アルギスは音符のような見慣れない文字で綴られた手紙を読み始めた。



(エリクサー以外にも、世界樹の枝とエルフの秘術を要求するだと?馬鹿げた身代金の額といい、一体、どこの誰がこんなことを……) 



 マリーとブラッドがソファーの背後へと控える傍ら、手紙を読み進めるアルギスの表情は、段々と苛立ちに歪んでいく。


 というのも、誘拐犯の要求したリストには、アルギスですら見たことのないアイテムの数々が名を連ねていたのだ。


 現実味のない要求に顔を顰めながらも、内容を確認し終えたアルギスは、不快げに手紙をたたみ直して、テーブルへと放り投げた。


 

「チッ……エルドリアへ、向かう必要があるな」



「アルギス……?」



 怒りを抑え込むような唸り声に、エレンは思わず腰を浮かせて、前のめりになる。


 一方、流れるように動き出したマリーは、険しい表情で腕を組むアルギスの足元へ膝を着いた。



「アルギス様?いかがされましたか?」 


 

「明朝、王都を発つ」



 未だ眉間に皺を寄せつつも、アルギスはマリーの顔を見下ろして、きっぱりと言い切る。


 すると、これまで不安げに2人の姿を見比べていたエレンは、突拍子もないアルギスの宣言にソファーから飛び上がった。


 

「えっ!」


 

「かしこまりました。では、騎士団にもそのように」



 ぐるぐると目を回すエレンに対し、静かに立ち上がると、マリーは前に両手を揃えて頭を下げる。


 しかし、組んでいた腕を解いたアルギスは、扉へ向き直ろうとするマリーを、引き留めるように指さした。



「待て。騎士団への連絡は……今は不要だ」



「しかし、そうなりますと、ご用意に遅れが……」



 背後へと指を向けるアルギスに、マリーは腰を折り曲げて、不安げな顔を向ける。


 しばしの逡巡の後、静かに目を閉じたアルギスは、再び腕を組みながら首を振った。

 


「……不要だ。今回、私は単独で行動する」



「は?な!なりません!何を仰っているのですか!」


 

 アルギスの返答にポカンと口を開けつつも、マリーはすぐさま血相を変えて、髪を振り乱す。


 調子の外れたマリーの声に目を開けたアルギスは、ため息をつきながら、テーブルへ置かれた手紙をじっと見つめた。


 

「……この件は本来、既に国で解決済みだそうだ。それを今さらエンドワース家として混ぜ返すのは、非常に具合が悪い」



「ですが……」



 淡々と説明を続けるアルギスに対し、マリーは悲痛な表情で開きかけた口を閉じる。


 室内がしんと静まり返る中、頬杖をついたアルギスは、トントンと指で頬を叩きながら目線を彷徨わせた。


 

(エレンの親が交渉を繋いでいる内に向いたいんだが……どうしたものか)

 


「せめて、少しでも護衛をお連れになった方が……」

 


 一層深く腰を折り曲げると、マリーは目を伏せながら、必死で食い下がる。

 

 チラチラと顔色を伺うマリーに、アルギスは頬を叩く手を止めて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。



「ならば、お前だけは同行を許そう。それならどうだ?」


 

「え!?し、しかし……」 



 アルギスの提案に目を輝かせつつも、マリーは言い募ろうと、しどろもどろに口を開く。


 一方、ソファーへ寄りかかったアルギスは、すっかり上機嫌な表情でマリーの声を遮った。


 

「国から姿を隠す以上、冒険者としての身分を使わざるを得ないからな。お前の力も、役に立つだろう?」



 試すようなアルギスの口ぶりに、マリーはカッと目に力を入れて拳を握り締める。



「……お役に、立って見せます!」



 程なく、姿勢を正して丁寧なお辞儀をすると、アルギスの背後へと向かっていった。


 

(なんとか、なったな……) 



 しばしマリーを目で追いかけていたアルギスは、内心でこっそりと安堵の息をつく。


 しかし、今度はこれまで素知らぬ顔をしていたブラッドが、ドカリとアルギスの座るソファーの背もたれへ肘をついた。


 

「おいおい。俺も連れてってくれんだよな?」



「ぇ?」 



「っ!あれ程、黙っていなさいと……!」


 

 馴れ馴れしい態度に目を丸くするエレンに対し、マリーは大慌てでブラッドの口元を押さえ込む。


 戸惑ったエレンが何言で固まる中、アルギスは背後を振り返って、ブラッドを押さえるマリーへ顔を向けた。

 


「マリー?」



「……失礼、致しました」



 感情の抜け落ちたアルギスの笑みに、マリーはブラッドから手を離して後ろへ引き下がる。


 ややあって、マリーから目線を外したアルギスは、再び背もたれへと肘をかけたブラッドを睨みつけた。


 

「お前には別の仕事をくれてやる」



「うーん。それ、大将といるより楽しいか?」



 アルギスの視線をどこ吹く風とばかりに受け流すと、ブラッドは悩む素振りもなく質問を重ねる。


 どこか不満げな様子を見せるブラッドに、アルギスは苛立ちを露にして胸ぐらへ手を伸ばした。


 

「楽しいかどうかなど知らん。だが、命令は聞いてもらう」



「わかったよ。何すりゃいい?」



 無理矢理顔を引き寄せられたブラッドは、つんのめるように身を乗り出して、アルギスの座る席の隣へと手のひらをつく。


 気楽な態度でブラッドが返事を待つ中、アルギスは意を決したように口を開いた。

 


「……騎士団へ同行して、レイチェルを護衛しろ」


「騎士団と一緒に護衛、ねぇ……」



 重々しい口調で伝えられたアルギスの指示に、ブラッドは口をへの字に折り曲げながら顎を撫でる。


 しかし、スッと目を細めたアルギスは、後ろへ控えるマリーを一瞥して、すかさずブラッドの耳元へ顔を寄せた。



「ああ。だが、お前は個人の判断で動け。話は私から通す」



「ほほぉ……?」 


 

 アルギスが声のトーンを落として耳打ちをすると、ブラッドはピクピクと眉を上げて、耳をそばだてる。


 色めき立つブラッドに対し、アルギスは冷たい口調のまま、淡々と指示を続けた。



「貴族も魔物も、何をしても構わん。少しでも害意を見せた者は、躊躇なく叩き潰せ」



「くぅう!やっぱわかってるねぇ、大将。任せときなって、前に立ったヤツから順にブチのめしてやるよ」



 ぱちんと指を弾いたブラッドは、満面の笑みを浮かべてアルギスの肩を叩く。


 一転して嬉しげな様子を見せるブラッドに、アルギスはげんなりとした表情で肩を落とした。

 


「……誰も、そこまでしろとは言っていない。詳しいことは後で話してやるから、大人しく後ろで待っていろ」



「おう!」


 

 アルギスがマリーの隣を指さすと、ブラッドは親指を立てて意気揚々と去っていく。


 ややあって、ため息交じりに正面を向いたアルギスの目線の先では、エレンが死んだ魚のような目で虚空を見つめていた。



「……遅い」 



「……失礼、見苦しい所を見せたな。では話を進めるとしよう」



 ムッとした表情で頬を膨らませるエレンに対し、アルギスは軽く肩を竦めて足を組む。


 ようやく目線を合わせた2人は、遅れながらもエルドリアでの動きについて話し合いを始めるのだった。

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