3話
傾きかけていた日も落ち、寮内に明かりが灯り始める頃。
執務机の周りに立った3人は、煌々と光る照明の下、広げられた地図を囲みながら話し合っていた。
「……なるほど。では、少なくとも王国内で姿を消したんだな?」
「うん。先週届いた手紙にも、”もうすぐ戻れる”って書いてあった」
地図を持ち上げるアルギスに、エレンはぎゅっと口を結んで頷きを返す。
「方角はどっちだ?どこから戻った?」
王国領を中心に地図を畳んだアルギスは、小さくなった地図を机の上へ乗せて指先を落とした。
「んーと、最後に手紙が来たのは確か……」
地図へ触れるほど顔を近づけたエレンは、手書きで記された王国貴族の家名と都市を、端から指でなぞっていく。
やがて、王都の北東部でピタリと指を止めると、書かれていた地名をつついた。
「あった。ここ、”クスタマージョ”」
「なに……?」
「っ!」
エレンの口から飛び出した地名に、アルギスとレイチェルの2人は揃って目を見開く。
一方、地図から顔を上げたエレンは、表情の固まった2人の顔を、おどおどと怯えながら見比べた。
「ど、どうしたの?」
「……なんでもない。それで、まだクスタマージョの近辺にいる可能性があるのか?」
呼吸を浅くするレイチェルに眉を顰めつつも、アルギスは軽く手を振って地図へと目線を戻す。
ぐるぐるとソーンダイク領を指で囲むアルギスに対し、エレンは暗い顔で小さく首を振った。
「ううん。もう、いないと思う……」
「ほう?なぜだ?」
どこか確信めいたエレンの態度に、アルギスは目を細めながら、尋ねかける。
しばしの沈黙の後、じわりと涙を滲ませたエレンは、肩を震わせながら口を開いた。
「叔父様が手紙をくれるのは、いつも街を出る時だから。……最後に必ず、”次の街をお楽しみに!”って書いてあるやつ」
「……そうか」
必死で涙を堪えるエレンから目を逸らすと、アルギスは行き場のなくなった視線を再び地図へと向ける。
そして、エレンを宥めるレイチェルをよそに、ソーンダイク領を見つめながら、頭を捻り始めた。
(ソーンダイク領の南は、リドシカル領……国王派か。ソーンダイク領であれば、まだやりようもあるんだが……)
「ねぇ、やっぱりお金で解決してしまったほうが……」
しばらくの間エレンの背中を撫でていたレイチェルは、黙りこくるアルギスへ不安げな声を掛ける。
しかし、大きなため息をついたアルギスは、地図を眺めたまま、げんなりとした表情を浮かべた。
「言いたいことはよく分かる。だが、エリクサーの対価となる金額など、私は想像もしたくないぞ」
「……エレン、なにか他に代わりのなりそうな物はないのかしら?」
ボソリと呟いたアルギスがそれだけで口を閉ざすと、レイチェルは眉尻を下げながら、エレンへと顔を向ける。
願望じみたレイチェルの問いかけに、エレンは頭を抱えながら目を閉じた。
「んーと、んーと……」
「問題がなければ、国からの手紙とやらを直接見せてくれ」
眉根を寄せたエレンがウンウンと唸る中、頬杖をついたアルギスは、乱雑に片手を差し出す。
しかし、ゆっくりと目を開けたエレンは、アルギスの手を見て、悲しげに俯いた。
「……急いでて、忘れてきちゃった」
「はぁ……見せること自体に、問題は無いんだな?」
差し出していた腕を力なく机に落とすと、アルギスは呆れ顔で質問を重ねる。
すっかり勢いを失うアルギスをよそに、エレンはカッと目を剥いて、白衣のポケットへ手を差し込んだ。
「これ……!」
「ん?なんだ、これは?」
エレンから長方形の封筒を差し出されたアルギスは、脇に小さく記された見覚えのないサインに目を丸くする。
見下ろしたまま手を伸ばそうとしないアルギスへ、エレンは机に身を乗り出して封筒を無理矢理握らせた。
「叔父様から貰った封筒。困ったときは、”これをアルギスへ渡しなさい”って」
「なに?私の名を知っているだと?」
訝しげに眉を顰めたアルギスが封を切って覗き込むと、中には三つ折りにされた手紙だけが確認できる。
未だ警戒しつつもアルギスが中身を取り出すために封筒をひっくり返すと同時。
同封されていたポストカードのような紙が1枚、封筒から机へパラリと滑り落ちた。
(手紙と、これは写真か?)
折り畳まれた便箋を取り出したアルギスは、机に裏返った艶のある小さな紙が目に留まる。
気になったアルギスが拾い上げてみると、隠れていた表面には、商業区の工房前で学生服のエレンと肩を組む、ハンスの姿が映り込んでいた。
(姪とは、エレンのことだったのか……?)
写真と見紛うほど精巧な彩色画に、アルギスの脳裏には、半年前の取引の記憶がよぎる。
躊躇いながらもアルギスが広げた手紙には、流麗な文字でハンスからのメッセージが記されていた。
「――やあ、アルギス君!びっくりしたかい?この封筒は、エレンが困った時に渡すよう伝えておいたんだ」
「…………」
頭に浮かんだハンスの笑顔を振り払うと、アルギスは無言で書かれている内容を追いかけていく。
滑るように手紙を読み進めていく内に、内容はつらつらと書き連ねられたエレンに対する心配へと入れ替わっていった。
「君なら約束を忘れるようなことは無いと思うけれど、いつになるかはわからないからね。僕も陰ながら応援しているよ!――働き者のハンスより」
(……すっかり忘れていた)
一通り内容を読み終えたアルギスは、ハンスとの約束を思い出して、ヒクヒクと頬を引きつらせる。
既に退路を絶たれつつある中、諦めたように手紙の最後に書かれた一文へと目線を下ろした。
「追伸 僕がエルフだってことは、みんなにはナイショだからね!」
(他意がないのは分かっているが、腹が立つな……)
楽しげに走らされたペンの文字に、アルギスは持っていた手紙を握り潰しそうになる。
しかし、目の前で不安げに待つエレンを一瞥すると、手の力を緩めて丁重にたたみ直した。
「……いや、浅慮を恥じるべきか」
「……それ、何が書いてあった?」
含みのある呟きに困惑しつつも、エレンは僅かな期待を寄せて、机に手をつく。
すると、手紙と写真を封筒へ仕舞い込んだアルギスは、片手で顔を覆いながら口を開いた。
「脅迫の類だ。これのせいで、お前の要求を飲まざるを得ない」
「え!?そんな……」
アルギスの憂鬱な嘆きに、エレンはサッと顔色を青くして机から後ずさる。
表情を曇らせるエレンに失敗を悟ると、アルギスは誤魔化すように、大きく体を伸ばした。
「……ちょっとした冗談だ。まあ、なんにせよ話は受ける」
「でも……」
軽い調子で引き出しを開けるアルギスに対し、エレンは未だ躊躇いがちに言い淀む。
落ち着きなく目線を揺れ動かすエレンをよそに、封筒を引き出しへ仕舞ったアルギスは、首を捻りながら、入れ替えるように手帳を取り出した。
「とにかく、今日はここまでにしよう。明日、国からの手紙を持って屋敷へ来い」
「お屋敷?アルギスの?」
唐突なアルギスの指示に目を瞬かせると、エレンは小さく首を倒して聞き返す。
不思議そうな顔を見せるエレンに、アルギスは手帳を開きながら、はっきりと頷いた。
「ああ、ここへ頻繁に出入りされては外聞が悪い。来客の予定は入れておくから安心しろ」
「……わかった。またね」
絞り出すように声を上げたエレンは、ペンを取るアルギスへ背を向けて去っていく。
ややあって、手帳へ走らせていたペンを止めると、アルギスはじっと地図の一点を見つめるレイチェルへと目線を移した。
「……おい。お前は、大丈夫なのか?」
「え、ええ。少し、考え事をしていただけよ」
冷めた目で問いかけるアルギスに、レイチェルは間を置かず、笑顔で切り返す。
しかし、パタリと手帳を閉じたアルギスは、苦々しい顔で首を振った。
「やはり、お前をクスタマージョへ向かわせることはできん」
「あら?どうして?」
背筋に嫌な汗をかきつつも、レイチェルは二の腕を握り締めながら震えそうになる体を押さえつける。
感情をひた隠しにするレイチェルに対し、アルギスは怒りを露にして詰め寄った。
「こんな状態で、送り出せるわけがないだろう」
「っ!……そうしたら、エレンは?」
唐突に両肩を掴まれたレイチェルは、固くなった表情で恐る恐るアルギスの顔を覗き込む。
すると、ため息をついたアルギスは、レイチェルの肩から手を下ろして、目頭を押さえた。
「私は、恩を仇で返すような真似はしない。……仮に視察まで手が回らなくとも、甘んじて父上の小言を受け入れれば済む」
「どうして、貴方が罰を受けることになるの?……私では、お役に立てない?」
すっかり気を落としたアルギスに、レイチェルは手を取りながら必死で食い下がる。
しばし気まずい沈黙が2人を支配する中。
舌打ちを零したアルギスは、レイチェルの手を引き離して、椅子へと腰を下ろした。
「……3つほど、条件がある。どうしてもというなら、これを飲め」
「……わかったわ」
一度大きく息を飲み込むと、レイチェルは真剣な表情でアルギスの話へ耳を傾ける。
覚悟を決めた様子のレイチェルに、アルギスは先程まで見ていた地図をなぞって見せた。
「まず、西を迂回して公領と貴族派の領地のみを通れ。そして、ソーンダイク領にはなるべく留まるな」
「え、ええ。……3つ目は?」
ルートを説明し始めるアルギスに面食らいつつも、レイチェルは身を乗り出して、じっと次の条件を待つ。
折れる気配のないレイチェルに説得を諦めたアルギスは、背もたれへ寄りかかりながら両指を組んだ。
「……私の出す護衛を受け入れることだ。出来るのか?」
「大丈夫よ。必ず、やり遂げて見せるわ」
猜疑の目を向けるアルギスに、レイチェルは鼻息を荒くして、大きく首を振り返す。
迷いのないレイチェルの宣言に口元を緩めると、アルギスは組んでいた指を解いて、遠ざけるように手を払った。
「なら、もう言うことはない。……少々扱いづらいのもいるが、上手く使え」
気遣わしげな言葉にクスリと笑みを零したレイチェルは、すぐに澄まし顔で背筋を伸ばす。
そして、そっとスカートの裾を摘むと、優雅な淑女の礼を取った。
「では、また公都で逢いましょう」
(はぁ……まったく、なんて休暇の始まり方だ……)
弾むような足取りで去っていくレイチェルに対し、アルギスは何度目になるかわからないため息をつく。
始まったばかりの休暇に薄ら寒いものを感じつつも、再び開いた手帳へ予定を書き込み出すのだった。
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