2話

 試験期間を終えたアイワズ魔術学院の校舎が再び静けさを取り戻す中。


 敷地の端に配置された工房の研究室では、白衣を着たエレンが1人、黙々と作業を進めていた。



「これも、違う」



 手に持った魔石を丁重に箱へ納めたエレンは、続けざまに反対側の箱へと手を伸ばす。


 しかし、箱に入れた手が宙を掴むと、不満げにため息をつきながら、目元に嵌めたルーペを外して目を瞑った。


 

「うーん……え?」



 ややあって、エレンが落胆の声と共に眼鏡を掛け直した時。


 疲れで霞んだ目に、くちばしで窓をつつく鷹の姿が飛び込んでくる。



 しばしポカンと口を開けていたエレンは、ハッと我に返ると、大慌てで窓際へと駆け寄っていった。


 

「ティファレト……?どうして、ここに……」 



 エレンが恐る恐る窓を開けると、窓をつついていた鷹――ティファレトはバサバサと羽を広げながら、足で掴んでいた手紙を工房へ放り込む。


 床へと落ちる手紙をよそに、エレンは再びサッシで羽を休めるティファレトへ、訝しげな顔を寄せた。


 

「これ、なに?」



『ウィルヘルムからの言伝だよ。……君には伝えておくべきだとね』



 エレンに問いかけられたティファレトは、喉の奥から唄うような独特の言葉を発する。


 奇妙な音節で綴られた返答に、エレンは眉尻を下げながら、不安げな表情で手紙を拾い上げた。



「父様が?急に、どうして?」



『……そこに全てが書かれている。私に聞くより、見たほうがずっと早い』



 ピタリとくちばしを閉じて首を振ると、ティファレトはエレンの手に握られた手紙をじっと見つめる。


 エレンが急き込むように封を切った手紙には、”叔父が攫われ、行方も分からない”という旨が記されていたのだ。


 目を疑うような内容に、エレンは血相を変えてティファレトへ詰め寄った。

 


「支払いまでの、猶予は?」



『わからない。そも、本国では既に”ルアハンニス”の名は抹消されているそうだ』



 消え入るような声で伝言を伝えたティファレトは、悲しみを湛えながら金色の瞳を隠すように瞼を閉じる。


 取り付く島もないティファレトに対し、エレンはグラつく視界で窓際へと掴まった。

 


「父様も、叔父様を見捨てる気なの……?」



『……少なくとも、ウィルヘルムにとっては本意でないよ。でなければ、わざわざ私を遣わすような真似はしない』



 今にも泣き出しそうなエレンの声に目を開けると、ティファレトは努めて穏やかな口調で語り出す。


 すると、ティファレトと見つめ合ったエレンは、自分へ言い聞かせるように何度も頷きを繰り返した。


 

「そ、そうだよね……」



『ひとまず、君も一旦こちらへ戻ってくると良い。必要なら、私が送ることも出来る』



 胸に手を当てて息を整えるエレンに対し、ティファレトは大きく翼を羽ばたかせて空へと舞い上がる。


 未だ内心に動揺を残しつつも、エレンは空中で羽ばたくティファレトへ小さく頷きを返した。


 

「うん、わかった……けど、帰るのもう少し先でもいい?」



『勿論、構わない。また明日、ここへ来るよ』



 バサリと身を翻したティファレトの姿は、傾いた太陽を背にして、あっという間に空の彼方へ消えていく。


 一方、ポツンと工房の窓際に残ったエレンは、再び握りしめていた手紙へ目を落として、立ちすくんだ。


 

「どうしよう」



 手紙へ記された内容によれば、対価の用意さえできれば身柄は開放するという。


 しかし、要求されている金額や物品の数々は、身一つで留学しているエレンに到底用意できるものではなかった。


 また後半部分には、”国やハミルトン家からの支援は難しい”とまで書かれていたのだ。


 

「そうだ……!」


 

 暫くの間呆然と立ち尽くしていたエレンは、何かを思いついたようにハッと顔を上げて、壁際の机へと走り出す。


 そして、ウィルヘルムからの手紙を放り投げると、すぐさま引き出しを引っ張り出して、一心不乱に中を漁り始めた。



「あれ?確か、このあたりに……」 


 

 引き出しの中身が次々と載せられた巨大な木製の天板は、たちまち書類や器具で埋め尽くされる。


 

 やがて、エレンがほとんどの引き出しをひっくり返した頃。


 ついに、探し求めていた小さな封筒が底から顔を覗かせた。


 

「……あった」



 震える手で封筒を掴んだエレンは、無造作に白衣のポケットに押し込んで、工房の出口へと駆けていく。


 

 それから、脇目も振らず走ること数十分。


 息を切らしたエレンの前には、夕暮れに照らされる男子寮が姿を現していた。

 


(……うん。大丈夫、大丈夫)

 


 男子生徒たちの視線に晒されながらも一直線にホールを抜けたエレンは、魔道昇降機へと飛び乗って、レバーを押し上げる。



 しばらくして、擦過音と共に魔道昇降機が動きを止めると、一目散にアルギスの部屋へと足を向けた。



「……お願い。開いて」



 人通りのない廊下で両開きの扉を叩いた瞬間、エレンの口から無意識に悲痛な呟きが溢れる。



 すると、まるで祈りが通じたかように、ゆっくりと扉が動き出した。



「――あら、エレンじゃない。遊びに来たの?」


 

「アルギスいる?少し聞いてほしい話がある……」



 隙間から顔を出したレイチェルへ、エレンは忙しなく目線を揺らしながら体を寄せる。


 必死な様子でエレンが部屋の中を覗き込む傍ら、レイチェルはすぐさま取手を握っていた扉を開け放った。

 


「……とりあえず、中へ入ってはいかがかしら?」 



「うん。ありがと……」 



 アルギスの部屋へ足を踏み入れたエレンは、寄りかかるようにドレス姿のレイチェルへ抱きつく。


 突然のことに目を丸くしつつも、レイチェルはエレンを宥めながら、アルギスの待つリビングへと戻っていった。


 



 エレンが部屋を訪ねてきてから、数分が経った頃。


 ソファーに腰を下ろしたアルギスは、隣でカップを手にするレイチェルと、向かいで黙り込むエレンを不満げに見比べていた。


 

「おい。誰が連れてこいと言った?」



「なんでも、エレンに聞いてほしい話があるそうなの」



 耳元へ顔を寄せて囁くアルギスへ、レイチェルもまた、声のトーンを落として言葉を返す。


 思いがけないレイチェルの返答に、これまで顰めっ面を浮かべていたアルギスの表情は、一転してキョトンとしたものへ変わった。


(エレンから?魔道具の関係か?)


 身に覚えのない訪問に内心で首を傾げつつも、アルギスはレイチェルから身を離して、前を向き直る。


1人訝しむアルギスの向かいでは、エレンが肩身を狭くしながら黙り込んでいた。



「急に来て、ごめんなさい」

 


 探るような視線を向けるアルギスに、エレンはか細い声と共に頭を下げる。


 鬱々としたエレンの表情に片眉を上げると、アルギスは腕を組みながら、背もたれに体を預けた。


 

「お前からとは珍しいな。一体、何の用だ?」



 じっと耳を傾けるアルギスに対し、エレンは顔を上げるが早いか、堪えきれなくなったように涙を零す。



「叔父様が、いなくなっちゃった。どうしよぅ……」

 


 目元を拭いながらエレンが嗚咽をあげる中。

 

 目を白黒させたアルギスは油が切れたように、ゆっくりと横を振り向いた。



「……お前は、何か知っているのか?」



「いえ、私も必死な様子だったから招いただけで……」



 泣きじゃくるエレンを目に留めたレイチェルは、前を向いたままフルフルと首を振って見せる。


 そのままレイチェルが唇と固く結ぶと、アルギスは諦めたように顔を逸した。

 


(正直、嫌な予感しかしないな)


 

「ねぇ、エレン?少しだけ、落ち着いて話をしてみない?」

 


 ため息交じりに天井を見上げるアルギスに対し、レイチェルは向かいのソファーへと座り直して、エレンの肩へと手を添える。


 そっと肩を撫でられたエレンは、白衣の袖で涙を拭いながら、少しずつ息を整え始めた。


 

「……うん。実はね――」

 


 時折涙ぐみながら言葉を詰まらせるエレンの話を、アルギスとレイチェルは無言で聞き続ける。


 徐々に表情を強張らせる2人をよそに、話の内容は連れ去られたエレンの叔父を解放する対価へと移っていった。


 

(誘拐、か。妙な親近感は湧くが……)



 しどろもどろに伝えられた内容に過去を重ねつつも、アルギスは険しい表情で目線を下げる。


 そして、訝しむように片眉を上げると、赤くなったエレンの目をじっと見つめた。



「おおよその事情は理解した。だが、なぜ私のところへ来る?」



 アルギスに射竦められたエレンは、何も言わず、目を伏せて黙り込む。


 一方、口元へ手を当てたアルギスは、エレンの表情を見逃すまいと眉間へ力を入れた。



「金を払えば解決する問題だろう?”シェラー”の身内なら、訳はないはずだ」



「……叔父様を助けるために対価を支払うことは国が認めない」


 

 矢継ぎ早に重なるアルギスの問いかけに、エレンはがっくりと肩を落として首を振る。


 すると、アルギスは、目線を上向けながら、釈然としない様子で顎を撫でた。

 


「ん?私は、エルフというのは相当に義理堅い種族だと記憶しているが?」



「叔父様は、エルフとしては既に存在していないから」



 ズビズビと鼻をすすると、エレンは消え入りそうな声で言葉を返す。


 悲壮感を漂わせるエレンに二の足を踏みつつも、アルギスは意を決して口を開いた。


 

「……どういうことだ」



「叔父様は一度エルフとしての掟に背いてる。……掟を守らない者を国はエルフと認めない」



 目の端を濡らしたエレンは、ポタポタと太ももに涙を零しながら、次第に声を震わせ始める。


 無慈悲なエルフの掟に、アルギスは鼻を鳴らして、皮肉げな笑みを浮かべた。

 


「それはまた、厳格なことだな」



「でも、私にとっては大事な人。アルギス、どうにかできない?」



 前に揃えていた手を固く組むと、エレンは体を倒してアルギスの顔を上目遣いに覗き込む。


 しかし、一瞬エレンと目を合わせたアルギスは、首を捻りながら、おざなりに手を振った。

 


「無理だな。必要な情報が全く足りていない」



「……そっか」

 


 にべもないアルギスの返答に、エレンが悲痛な表情で再び目を伏せる一方。


 優しくエレンの背中を撫でたレイチェルは、唇を尖らせて、席を立ち上がった



「ねぇ、もう少し真剣に聞いてあげたら?」



「私は最初から真剣だ。だが、場所も相手も伝えられていないのに、安請け合いなどできるわけがないだろう」



 隣へ座り直すレイチェルに対し、アルギスは横を振り向いて、口元を隠しながら囁きを返す。


 諭すようなアルギスの指摘に身を引きつつも、レイチェルは何か言いたげに口の中で舌を転がした。


 

「それは、そうだけれど……」



「それにだ。時間がかかるようなら、私が請け負うのは難しい……こちらにも、予定というものがあるからな」



 言い淀むレイチェルへ、アルギスはダメ押しとばかりに、一層声のトーンを落として釘を刺す。


 しかし、塞ぎ込むエレンを見つめていたレイチェルは、短く息をついて、薄い笑みを浮かべた。


 

「……なら、私が貴方の用事を済ませれば、話は変わるかしら?」



「なに?」



 予期せぬ返答に顔を顰めると、アルギスはドレスの裾を握りしめるレイチェルへ、胡乱な目を向ける。

 


 しばしアルギスとレイチェルがじっと見つめ合う中。


 顔を上げたエレンは、キョロキョロと2人の顔へ視線を行き来させた。



「どうしたの?」



「こちらの話だ。少々、待っていてくれ」



 落ち着かない様子で困惑するエレンへ、アルギスは目もくれず、手のひらを突き出す。


じっとレイチェルを見つめる横顔には、強い嫌悪感が滲んでいた。


 

「……ごめん」



 近づくなと言わんばかりのアルギスに、エレンはゴクリと唾を飲み込んで目を伏せる。



 気まずそうに肩をすぼめるエレンを尻目に、アルギスは隣で微笑むレイチェルを睨みつけた。

 



「……今のは、どういう意味だ」



「そのままの意味よ。私が視察へ向かうなら、貴方は時間に余裕ができるでしょう?」


 

 俯くエレンを一瞥したレイチェルは、笑顔を崩すことなく、小首を傾げる。 

 

 さも当たり前のように語るレイチェルに、アルギスは頭を悩ませながら、首を横へ振った。



「……クスタマージョは、ソーンダイク領最大の都市だぞ?当然、”ヤツ”もいる」

 


「ええ。もちろん理解しているわ」



 言外に断るよう勧めるアルギスに対し、レイチェルはエレンへ流し目を向けながら、頷きを返す。


 一方、体ごと横を向き直ったアルギスは、神妙な面持ちでレイチェルの肩を掴んだ。


「私の目を見ろ。本気で、言っているのか?」


 息遣いが聞こえる程の距離で見つめ合った2人の間には痛いほどの沈黙が広がる。


 しかし、程なくアルギスから目を逸らしたレイチェルは、瞳を潤ませつつも、伏し目がちにニッコリと微笑んだ。

 


「……ええ。頼る人がいないことの辛さは、私にも痛いほど分かるもの」



(はぁ……聞かなければよかった)

 


 決意を秘めたレイチェルの表情に、アルギスは目頭を押さえて、後悔を滲ませる。


 しかし、ややあって大きく息を吸い込むと、正面を向き直った。


 

「……待たせたな。こちらの話は終わった」



「っ!それで……」



 咄嗟に顔を跳ね上げたエレンは、ピンと伸びた背筋を不安げに傾ける。


 こわごわと言葉を待つエレンに、アルギスは不敵な笑みを浮かべて、執務室の扉を指さして見せた。


 

「一先ず、今分かる限りの情報を聞かせてもらおう。話は、それからだ」



「うん!」 


 

 アルギスの返答にパッと表情を明るくすると、エレンは勢いをつけてソファーから立ち上がる。


 真っ先に扉へ向かうエレンに対し、アルギスとレイチェルの2人は、ゆったりとした足取りで後を追うのだった。

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