1話
パーティを終え、アルギスがすっかり日常へ戻った1月の半ば頃。
始まったばかりのアイワズ魔術学院では、校舎横のコロシアムで、早々に後期の実技試験が行われていた。
「ふむ」
コロシアムを包む半球状の障壁の中心で、アルギスは目の前に倒れ込んだレベッカを見下ろす。
悠々と剣先を突きつけるアルギスに対し、レベッカは体中から血を流して、蹲っていた。
「う”、うぅぅ……」
「――そこまでだ。勝者、アルギス・エンドワース!」
着ていたローブを真っ赤に染めたレベッカがうめき声を上げる中、脇で控えていたブランドンが声を張り上げる。
駆け足で近づいてくるブランドンを尻目に、アルギスは剣についた血を払いながら、ニヤリと口元を釣り上げた。
「……悪くない、結果だ」
上機嫌な呟きと共にアルギスが剣を納めた直後。
観客席とコロシアムを隔てていた半球状の障壁は、上空から溶けるように消えていく。
同時に青い顔で血を流していたレベッカの傷は、時間を巻き戻すように塞がっていった。
「がぁあ!なんで!術師のクセに!剣なのよ!」
程なく、血色を良くしたレベッカは、鬱陶しげに血を拭って、地面から勢いよく起き上がる。
ギリギリと歯噛みをして睨むレベッカに、アルギスはため息をつきながら肩を竦めた。
「使えるものを使っただけだが?」
「そんなのズルよ!ぜったい認めないんだから!」
取り落としていた杖を拾い上げると、レベッカは振り返ったアルギスの背中へ向けて叫びを上げる。
しかし、チラリとレベッカを一瞥したアルギスは、後ろ手に手を振りながら、観客席へと歩き出した。
「ルールは守っている。好きにしてくれ」
「あ”あ”あ”ぁ”ぁ”!」
スタスタと遠ざかっていくアルギスに、レベッカの口から言葉にならない怒りが漏れる。
数多くの生徒が見下ろす中、悔しげに顔を歪めたレベッカはアルギスを追い越して、逃げるようにコロシアムを去っていった。
(……相手をしてやると言ったのは、間違いだったかもしれん)
ゆったりとした足取りでコロシアムを出たアルギスは、観客席の出口へ姿を消すレベッカに再びため息をつく。
不用意な発言を後悔しつつも階段を登っていくと、観客席では純白のローブに身を包んだレイチェルがニコニコと微笑んでいた。
「お疲れ様。相変わらずのようね」
「全く、いい迷惑だ。まあ、結界の使用で大分やりやすくはなったがな」
クスクスと笑うレイチェルを尻目に、アルギスは疲労を滲ませながら隣へ腰を下ろす。
すると、薄い笑みを浮かべていたレイチェルは、一転して真意を探るように目を細めた。
「……だから、剣を持ち出したの?」
「ああ、”致命傷すら治癒するアーティファクト”。その効果、確かにこの眼で確認したぞ」
楽しげに口角を吊り上げると、アルギスはレイチェルへと流し目を向けながら、クツクツと笑い声を漏らす。
そのまま上機嫌にコロシアムへと目線を戻すアルギスに対し、レイチェルは呆れ顔で首を横に振った。
「貴方が剣を使うとは思わなかったけれど、そういう理由だったのね……」
「ん?使わないとは限らんだろう。講義にも出ていたんだぞ?」
レイチェルの呟きが耳に入ったアルギスは、訝しげな表情で体ごと横へ向き直る。
眉を顰めるアルギスに目を泳がせつつも、レイチェルは誤魔化すように苦笑いを浮かべた。
「そうだけれど……あまり楽しそうには見えなかったから」
「当たり前だ。あの程度の模擬戦なら早朝の鍛錬場で事足りる」
歯切れの悪いレイチェルの言葉に、剣術の講義を思い出したアルギスの表情は、一層険しいものになる。
しかし、アルギスの返事を聞いたレイチェルは、目を瞬かせながら、気にした様子もなく小首を傾げた。
「それほど入れ込んでいるのに、職業は替えないの?」
(職業を替える……教会か、随分と足が遠のいたものだ)
釈然としない様子のレイチェルに対し、アルギスの脳内には、ゲーム内で頻繁に訪れていた教会の記憶が蘇る。
しばし薄れ始めた記憶に思いを馳せると、アルギスは気持ちを切り替えるように、背もたれへ体を預けた。
「……考えたこともなかったな。今思えば、教会には祝福の儀以来立ち寄っていない」
「ふふ、貴方らしいわね。でも、偶には出向いてみても良いんじゃない?」
アルギスの返答に目を丸くしつつも、レイチェルはすぐにニコニコと微笑みながら言葉を返す。
思いがけないレイチェルの提案に、再び教会の記憶がよぎったアルギスは、思案顔で足を組んだ。
「時間があれば、向かってみよう」
「その時は一緒に行きましょうね」
小さなアルギスの独り言にすかさず言葉を重ねたレイチェルは、満面の笑みで体を寄せる。
一方、期待に満ちたレイチェルの目を見たアルギスは、気まずそうに顔を逸した。
「……いつになるか、わからないぞ」
「来週から、また休暇だもの。時間ならたくさんあるわ」
曖昧なアルギスの返答を、レイチェルはどこ吹く風とばかりに受け流す。
しかし、上機嫌なレイチェルと対照的に、アルギスは難しい顔で口元へ手を添えた。
「まぁ……そうだな」
「なにか、心配事でもあるの?」
うわの空で呟くアルギスに対し、レイチェルは不安げな表情で顔を覗き込む。
しばしの沈黙の後、不意に口元から手を離すと、アルギスは眉間に皺を寄せながら、小さく首を振った。
「いや?だが、雑用と公都への帰省を終えて、どの程度休みが残るか考えていたんだ」
「それは……」
不満げなアルギスの表情に、レイチェルは目を伏せながら、歯切れ悪く言い淀む。
そのままレイチェルが口を閉じると、アルギスは軽く手を振って、足を組み直した。
「わざわざ、口に出すことでもなかったな。許せ」
「っ!そんなこと無いわ。私も、公都へは伺わせて頂くのだし……」
弾かれるように顔を上げたレイチェルの声は、アルギスの顔を見た直後、尻すぼみに小さくなっていく。
もじもじと体を揺らすレイチェルをよそに、アルギスは生徒の入れ替わるコロシアムへと目線を落とした。
「……一応言っておくが、あれは強制ではないぞ」
「ええ。でもソウェイルド様から”ぜひ一緒に”と言われれば、お断りすることは出来ないでしょう?」
補足とばかりにアルギスが声をかけると、レイチェルは頬の赤くなった顔でぎゅっと両手を握り締める。
嬉しげに目を輝かせるレイチェルに、アルギスの顔には僅かな戸惑いの色が滲んだ。
「……ハートレス家にも、連絡は行っていたか」
「すぐにでも出立できるように用意は整えてあるわ」
小さく頷いたレイチェルは、試験そっちのけで自慢気に胸を張る。
すると、これまでじっとコロシアムを眺めていたアルギスは、フッと表情を緩めて、レイチェルへ笑いかけた。
「そう、急ぐこともないだろう。お前の言う通り、休暇は長い」
「ふふふ、そうね」
珍しく穏やかな笑みを浮かべるアルギスに、レイチェルもまた、花の咲くような笑みを見せる。
程なく揃って前を向き直ると、2人の目線は着々と進む試験の様子に注がれ始めた。
(何しろ、休暇は3ヶ月近くもあるからな。……実に良いことだ)
生徒たちの動きを目で追いかけつつも、アルギスは1人、頭の中で休暇の予定を考え出す。
やがて、コロシアムで繰り広げられる戦いが佳境に迫る中。
あれこれ考え込むアルギスのローブを、レイチェルが躊躇いがちに掴んだ。
「ねぇ、その、視察についてなのだけれど……」
「それについてまで、書かれていたのか?」
ローブの裾を引かれたアルギスは、思考を切り上げて、レイチェルへ顔を向け直す。
苛立ち交じりに膝を指で叩くアルギスに対し、レイチェルは身を縮こまらせながら頭を下げた。
「ええ。でも、お父様が”同行は認めない”、と……」
「無論、私もハートレス卿と同意見だ。お前は直接公都へ向かえばいい」
膝を叩く指をはたと止めると、アルギスは弱々しいレイチェルの声を遮るように口を開く。
すると、途端に肩の力が抜けたレイチェルは、ほぅと安堵の息を吐きつつも、どこかぎこちない笑みを浮かべた。
「ありがとう……」
「……気にするな。この話は、これで終わりだ」
未だ不安げな様子のレイチェルに、アルギスはわざとらしくコロシアムを指さして見せる。
釣られてレイチェルが目を向けようとした瞬間、コロシアムでの試合が終わり、観客席からは万雷の拍手がまき起こった。
「まあ!見逃してしまったわ」
「はぁ……」
普段の調子を取り戻したレイチェルにため息を零しつつも、アルギスはじっと試験が進む様子を眺め続ける。
しかし、レイチェルとのやり取りを終えた時から、アルギスの脳内では新たに鎌首をもたげた疑問へ、かかりきりになっていた。
(そもそも、なぜ”クスタマージョ”などに向かう必要がある?……父上は本当に何を考えているんだ)
不可解なソウェイルドからの指示に、アルギスは頭を悩ませながら、あれこれこじつけを考える。
延々とアルギスが思考を巡らせる中、コロシアムで行われる試験は、滞り無く進んでいくのだった。
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