四章

序文

 冷たい風が吹き抜け、降りしきる雨が窓を濡らす中。


 すっかり明かりの消えた屋敷の一室に、揺らめくような人影が浮かび上がる。


 次第にはっきりとした輪郭を持ち始めた人影――ラゼンは、机に額をぶつけてうずくまるヴィクターの側で、小さく咳払いをした。


 

「ただいま戻りましたが……大丈夫ですか?」



 1人机で頭を抱えていたヴィクターは、声に嫌悪感を滲ませながら、包帯で隠れたラゼンの顔を見上げる。



「大丈夫なわけがないだろう……仕事の方はどうだ?」 



 憔悴しきった様子のヴィクターに対し、ラゼンはフードで顔を隠して、事もなさげに肩を竦めた。



「今のとこ、問題ありません。ただ交易街の方は、少々動きだしているようで」 



「……それで?」


 

 思わせぶりな口調で話を止めるラゼンに、ヴィクターはでっぷりとした顎をしゃくって先を促す。


 祈るような表情でヴィクターが返事を待つ一方、ラゼンはため息交じりに口を開いた。



「これじゃ、そのうち”ロルク”の連中が出張ってくる。どうします?」



「ぐぐ……もういい、次は隊商を襲え」


 

 くぐもった怒りを口から吐き出したヴィクターは、真っ赤な顔で膝についていた手を握りしめる。


 苛立ちに塗れたヴィクターの態度に、ラゼンもまた、不快感を覗かせながら、机の端へ手をついた。



「それでは、目撃者が出ますが?」


 じっと睨むように見つめるラゼンを一瞥もせず、ヴィクターは苦虫を噛み潰したような表情で顔を俯かせる。


そして、不安げに目を泳がせながらも、震える声で口を開いた。


「例の、試作を出す。目撃者無く戻せば大丈夫なはずだ……」



「いや、流石にそれは……」 


 自分へ言い聞かせるようなヴィクターの呟きに、ラゼンは頬を引き攣らせながら言い募る。


しかし、ラゼンの反対意見に、ヴィクターの表情はみるみるうちに怒りへ染まっていった。


「ならば!他にどうしろというんだ!言ってみろ!」


 バンと拳を机を叩きつけたヴィクターは、声を荒げながら、勢いよく立ち上がる。


 そして、血走った目でギロリとラゼンを睨みつけると、苦しげに顔を歪めて、胸の辺りを押さえた。


 

「尽くせる手は尽くした……だが、金はまるで足りていない……!」 

 


 怒鳴り声が響き渡る室内で、ラゼンは何も言わず、ゼェゼェと息を切らすヴィクターを静かに眺め続ける一方。


 荒くなった呼吸を整えたヴィクターは、一転して怯えたように、忙しなく目線を彷徨わせ始めた。


 

「その上、商人どもの動きも妙だぞ……街で、なにか起きているのではないか!?」 



「……今のとこ、なにも起きちゃいませんよ」



 掴みかからんばかりに詰め寄るヴィクターへ、ラゼンは殊更ゆっくりと首を振って見せる。


 すると、これまで取り乱していたヴィクターは、ホッと息をついて、椅子へ倒れ込んだ。



「そ、そうか……」



「それよりも、騎士の奴らをどうにかしちゃ貰えませんかね?」



 乱れた服装を整えるヴィクターをよそに、ラゼンは包帯で包まれた顔を不満げに歪ませる。


 冷たい口調で続けられた言葉に、ピタリと動きを止めたヴィクターは、再び表情を険しいものへと変えた。


 

「なに?どういうことだ?」



「一部熱心なのがいるでしょう?あれのせいで、最近”商品”が持ち運びづらいんですよ」


 

 訝るヴィクターに目を細めつつも、ラゼンはあっけらかんとした返事と共に肩を竦める。


 一方、カッと目を剥いたヴィクターは、肘掛けに体重を預け、椅子から身を乗り出した。



「姿は、見られていないだろうな?」



「ええ。ですが……アレを出すなら、遠ざけといて貰わないと」



 なおも軽い調子で頷きを返すと、ラゼンは腕を組みながら明後日の方向を見据える。


 含みのあるラゼンの態度に、ヴィクターは苦々しい表情で背もたれへ寄りかかった。


 

「……チッ、どいつもこいつも。わかった、それは俺がどうにか処理しておく」 



「ありがとうございます。それで、次の仕事はいつなんです?」



 小さく会釈をしたラゼンは、下げた頭を上げるが早いか、声のトーンを落として話し出す。


 しかし、対するヴィクターは、引き結んだ口を閉じたまま開こうとしない。

 


 しばし2人の間に沈黙が満ちる中。


 ぐったりと椅子へ寄りかかったヴィクターは、大きなため息をつきながら、天井を見上げた。

 


「……明日、いつもの商談がある。相手はわかるな?」



「まさか……」



 顔を上向けたまま伝えられたヴィクターの指示に、ラゼンは口を開けて言葉を失う。


 ラゼンがごくりと唾を飲み込むと同時、ヴィクターは額に脂汗を浮かべながら、ゆっくりと顔を下ろした。


 

「これで、取引は最後になる。……奴らが領地を出たら、モノを回収して戻ってこい」



「そこまで、しますか……」



 ヴィクターの真意を悟ったラゼンは、悲壮感を湛え、呻くように声を振り絞る。


 しかし、当のヴィクターは、肘掛けに震える手をついて、青く染まった顔をラゼンへと寄せた。



「とにかく、絶対に傷だけはつけるな!わかったか!?」



「……ええ、勿論です。任せておいてくださいよ――」



 投げやりな返事を零すと共に、ラゼンの姿は室内へ溶け、徐々に薄くなっていく。


 やがて、ラゼンが跡形もなく輪郭を消すと、薄ぼんやりとした明かりの照らす部屋には、打ちひしがれるヴィクターだけが残るのだった。





 日はすっかり落ち、月明かりだけが空に輝く頃。


 ソラリア王国の国境沿いでは、マントに身を包んだ男たちが3人、パチパチと音を立てる焚き火を囲んでいた。


 

「――ほう。錬金術の素材を求めて遥々、ですか」



「ああ、そうなんだよ。……と言っても、師匠の使い走りなんだけどね」



 隣で感嘆の声を上げる壮年の男に対し、金髪に緑色の瞳をした青年――ハンスは、恥ずかしげに頬を掻きながらはにかむ。


 すると、これまで側でニコニコと話を聞いていた老人が、皺だらけの顔をくしゃりと歪め、苦笑いを浮かべた。


 

「なるほど。師は中々、厳しい方のようだ」 


 

「わかるかい?今回も急な指示で困っていたんだよ……」 



 老人へ顔を向け直すと、ハンスは肩を落としながら、やれやれとばかりに首を振る。


 げんなりとした表情を見せるハンスに、壮年の男もまた、困ったような笑みを浮かべた。


 

「わかります、わかります。私達も、似たようなものですから」



「違うのは、我々はこれから国許へ戻らねばならない、ということですかな」 

 


 しきりに頷く男を尻目に、老人は再び笑顔を見せながら、穏やかな口調で言葉を引き継ぐ。


 しかし、2人の話を聞いたハンスは、目をパチクリさせながら、皮鎧を纏った兵士の囲む馬車と見比べた。


 

「おや?君たちは商人のようだけど……」



「どこにでも、上役はおりますので」


 

 ハンスが不思議そうな顔で首を傾げると、壮年の男は目を細めて、早々に切り返す。


 口角を上げて薄く微笑む男の返答に、ハンスはパンと手を打って表情を明るくした。



「ははは、間違いないね」



「どの道も、険しいものです」 


 

「……さて、明日も早い。そろそろ火を落としてもよろしいですかな?」



 ハンスと壮年の男が楽しげに語り合う中、しばし2人のやり取りを眺めていた老人が、小さく声を上げる。


 老人の声に釣られて2人が目線を下ろすと、側に重ねていた枯れ枝は、既に残りが少なくなっていた。


 

「ああ、そう……」 


 

「――悪いが、お前らに明日は来ないぜ」


 

 名残惜しそうにしつつも、ハンスが膝に手をついて立ち上がろうとした時。


 焚き火を囲んでいた3人の耳に、底冷えするような声が飛び込んでくる。



 直後、小さくなった火にボンヤリとした人影が照らされると、3人は跳ねるように立ち上がった。



「っ!何者だ!」


 

「やめてくれ。お互い、自己紹介ってガラじゃないだろ」

 


 男が目つきを鋭くして誰何するも、ラゼンはヒラヒラと手を振りながら、歩みを進める。


 

「どうやって、ここへ……!見張りは、何をしている!?」

 


 冷や汗を流した壮年の男が周囲を見回しても、馬車を囲んでいた兵士たちの姿は、ぼんやりとした薄墨色の膜で遮られていたのだ。


 程なく3人の目の前に立ったラゼンは、おどけた素振りで、胸に手を置いて見せた。

 


「俺だけでも、先にご挨拶をと思ってね。見張りには別のモンが当たる」



「別の、だと?」 


 

 まるで空間が切り離されたような異様な光景の中、男は包帯で隠されたラゼンの横顔を睨む。


 すると、嘲るようなラゼンの態度に、じっと沈黙を保っていた老人が、青筋をたてながら口を開いた。


 

「……我々を誰だと思っている。相手を間違えるなよ」



「悪く思わねぇでくれや、”西”の方々。こっちも、色々と危ない橋渡ってんだ」

 


 老人の刺すような視線に晒されつつも、ラゼンは悪びれもせず、不満げに鼻を鳴らす。


 しかし、ラゼンの言葉を聞いた男と老人の表情は、一瞬にして驚愕と憎悪に染まった。



「っ!貴様!」



「フッ」

 


 慌てふためく2人をよそに、ラゼンはバサリと跳ね除けたローブの中から、”灰色に輝く魔導書”を浮かび上がらせる。


 そして、宙に浮いた魔導書のページがひとりでに開かれると、次の瞬間、地響きのような足音が拠点に近づき始めたのだ。



 ――ゴガァアアアアアア!――



「な、なんだ!?」



 突如として騒がしくなった拠点に、顔を金属製のヘルムで覆い隠した異形の人型が、けたたましい叫び声を上げて護衛の兵士たちへと迫る。


 

 身の丈3メートルを超える巨体がドスドスと音をたてて兵士たちを薙ぎ払う中。


 立ちすくんでいた男と老人の2人は、真っ青な顔で腰を抜かして地面へ崩れ落ちた。



「あんなものが、どこに隠れて……」

 


「なんと、悍ましい……」



 体中から岩を突き出した醜悪な姿に、老人の口から嫌悪の籠もった声が吐き捨てられる。


 一方、逃げ出そうと1人構えていたハンスは、体の周りへ薄く魔力を漂わせる異形の人型をはっきりと捉えると、真っ青な顔で動きを止めた。


 

「な……アレは、まさか……」

 


――アアアアアア!―― 



 苦しげな叫び声と共に腕を振り回す巨体は、それぞれが数人の兵士によって押し止められる。


 しかし、兵士の1人が荒々しい攻撃の波に倒れると、次々と立ち塞がる兵士たちを肉塊へと変えていった。


 

「隊長!聖騎士様が……!」



「――じゃあな」



 兵士の1人が血相を変えて飛び込んできた瞬間。


 背後に姿を現したラゼンは、話し切るのも待たず逆手に構えた短剣で首を切り裂く。


 

「おぉ……なんということだ」



「大神よ、どうか我らをお赦しください……」

 


 兵士の死体を殴り続ける異形と、目の前で血を吹き出して倒れ伏す兵士の姿に、男と老人の2人はヨロヨロと地面に膝をついて両手を組んだ。


 

「準備は、出来たみたいだな」



 ブツブツと祈りを捧げる2人に対し、ラゼンは手に持った短剣を握り直す。


 そして、既に抵抗を諦めた2人の首を躊躇いなく切り裂くと、続けざまに、浮かんだままの魔導書を手に取った。



――ギア”ァ”ァ”!――



 ラゼンが魔導書を閉じると同時、暴れ続けていた異形は、揃って頭を押さえながらうずくまる。


 

 叫びがうめき声へと変わる中。


 魔導書を体に吸い込ませたラゼンは、苦しげに体を丸める異形へ、大慌てで駆け寄った。


 

「聖騎士の一撃を受けても無傷、か。流石だ……」

 


「…………」 



 背を向けて異形たちの間を歩くラゼンを尻目に、ハンスはそろそろと後ずさるように距離を取る。


 しかし、くるりと振り返ったラゼンは、フードで顔を隠しながら、ハンスに短剣を差し向けた。


 

「おっと兄ちゃん、動かないでくれ。アンタは関係なさそうだが、運が悪かった」

 


「……見逃してくれたりしないかな?渡せるものは、全て渡すんだけど」

 


 目を細めながら詰め寄るラゼンに対し、ハンスはすかさず両手を上げて、足元へ置かれたリュックへと目線を落とす。


 すると、しばしハンスと見つめ合っていたラゼンは、顔を逸しながら懐へ短剣を仕舞いこんだ。

 


「……チッ、さっさと荷物と装備を置いてどっか行きな」



「え?あ、ああ……」



 明後日の方向を向くラゼンに目を丸くしつつも、ハンスは恐る恐る足元のリュックを拾い上げる。


 そして、ラゼンの前に放り投げると、続けざまに付けていた指輪やネックレスを外して差し出した。

 


「これで、良いかい?」



「おい。コイツも、魔道具だろう?」



 いくつもの装飾品を受け取ったラゼンは、苛立ち交じりにハンスの耳で揺れる耳飾りへと手を伸ばす。


 そのままラゼンが耳飾りを乱雑に奪い取ると同時。


 留め具に引き裂かれたハンスの耳は、上部へ長く伸びた特徴的な形へと姿を変えた。


 

「っ!」



「なに……!?」


 

 耳を押さえながらしゃがみ込むハンスに、ラゼンは目を見開いて唖然とする。


 しかし、すぐさま短剣を引き抜いて膝を折ると、ハンスの顔を掴んで引き寄せた。


 

「お前は、”純血”だな?」



「……その呼び方は、あまり適当じゃないかな」



 再び剣先を突きつけられつつも、ハンスは口元を歪ませながら、苛立ち交じりに言葉を返す。


 ややあって、ハンスの顔から手を離すと、ラゼンは大きなため息をついて、胴体へそっと短剣を添えた。

 


「悪いが、さっきの話は無しだ。事情が変わっちまった」


 

「僕を、どうする気だい?」


 

 そのまま立ち上がろうとするラゼンに、ハンスは逆らうこと無く腰を上げる。


 すると、すばやくハンスと肩を組んだラゼンは、未だうずくまる異形と、ポツンと拠点に残された荷馬車へ目線を向けた。

 


「なに、屋敷にご招待するだけだよ。……幸い、お仲間もいる」



「は?それは、どういう……」


 

 意味深な呟きにピクリと眉を上げたハンスが思わず聞き返そうとした時。


 肩に置かれていたラゼンの腕がスルリと伸びて口元へ回される。


 

 無理矢理ハンスの声を押し留めたラゼンは、一層手に力を込めて耳元へ顔を近づけた。



「――要は、一緒に来てもらうってことだ」 


 重苦しい囁きを最後に、首を掴まれたハンスの意識は闇の中へと溶けていく。


 程なく、その場に残っていたラゼンたちの姿は、馬車と共に夜の暗闇へと消え去るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る