幕間
ソラリア王国の北方、峻厳な山脈を挟んだ先、多種族国家――アルデンティア帝国。
広大な版図を所有する帝国の中央には、ねじれた様に螺旋を巻く尖塔が天を貫いている。
また、尖塔へ寄り添うように造られた帝都には、様々な種族が入り混じり、大変な賑わいを見せてた。
そんな帝都の一角を占める、贅の限りを尽くした帝城の一室では、円卓に腰を下ろした”4人”の男女による喧々諤々の話し合いが行われていたのだ。
「――駄目だ。進軍の許可は出せん」
ファーのついたマントを羽織る30代程の男――オズガン・セリヤス=アルデンティアは、彫りの深い顔を歪めながら首を横に振る。
しかし、オズガンが口を閉じるが早いか、対面に座る細身の男が、すぐさま不満げな声を上げた。
「なんだと?軍の責任者は俺だ、兄貴じゃねぇ」
机へ身を乗り出だすと、細身の男――レイアン・サライギリ=アルデンティアは、語調を荒げてオズガンへ食い下がる。
奥歯を噛んで悔しがるレイアンに、これまで様子を眺めていた女が、意地の悪い笑みを見せた。
「ウフフ、残念ね。今のオズガン兄様は皇帝陛下の代行よ」
クスクスと笑い声を上げた女――シーレン・トゥギュル=アルデンティアは、癖のある髪の毛先を弄びながら口を開く。
シーレンの笑い声が響く中、レイアンは青筋を浮かべながら、威圧するように机を叩いた。
「……口を挟むんじゃねえよ、シーレン」
「やめろ。シーレンの言っていることは事実だろう」
ギロリとシーレンを睨むレイアンに、オズガンは眉間に皺を寄せながら窘める。
シーレンから目線を外したレイアンは、不快感を露にするオズガンへ向き直った。
「チッ!んなことは知ってんだよ。俺が言いてぇのは、”デカブツ”どもの躾の話だ」
「……”巨人族”の里は自治領だ。こちらの要請に必ずしも答えるとは限らん」
レイアンの物言いに一層表情を険しくしつつも、オズガンは努めて冷静に言葉を返す。
しかし、オズガンの内心をよそに、レイアンはニィッと口元を吊り上げた。
「それは、平時の話だろう?」
「なに?」
意味深な返答に眉を顰めたオズガンは、じっとレイアンの目を見つめる。
すると、レイアンは再び机へ身を乗り出して、ここぞとばかりにオズガンへ詰め寄った。
「あちこちに同盟を申し込んでいる今なら、戦力の徴発も合同演習として押し通せる。尖兵にも使えるし、悪い話じゃねぇはずだ」
「俺が各国と同盟を組んでいるのは和平のためだ。そんなことに使うな」
鼻息の荒いレイアンの提案を、オズガンはしかめっ面で一蹴に伏す。
以降、むっつりと口を閉じるオズガンに、レイアンは息を呑んで、目を見開いた。
「冗談だろ。俺達は”アルデンティア”だぞ?」
「……何もしないとは言っていない。余計な不和を招くなと言っているんだ」
疲労を滲ませながら背もたれに寄りかかると、オズガンは唖然とするレイアンに指示を続ける。
駄目押しとばかりに釘を刺されたレイアンは、机に置いていた手を握りしめた。
「だが……」
「そんなに必死になって。そこまでして皇位が欲しいのかしら」
落ち着きなく体を揺らすレイアンに、シーレンは嘲り交じりの言葉を投げかける。
シーレンの挑発にピクリと肩を揺らしたレイアンは、顔を真っ赤に染め上げながら、ワナワナと震え出した。
「……テメェ」
「お前もだぞ、シーレン。……ソラリアにちょっかいを出しているのを、俺が知らないとでも思っているのか」
しかし、レイアンが振り向くのを待たず、オズガンは声のトーンを落として口を開く。
忠告じみたオズガンの言葉に、微笑みを湛えていたシーレンの表情は、ピシリと固まった。
「…………」
「……へぇ」
オズガンの声に遅れてシーレンへ顔を向けたレイアンは、目を細めながら舌なめずりをする。
レイアンが見据える先では、シーレンがぎこちない笑みと共に首を傾げていた。
「なにか?」
「とにかく、今はエーテルの増加に比例して魔物の数も増えている。外よりも内側に目を向けろ」
気を取り直すように息をついたオズガンは、2人の顔を見比べながら、拾い上げた資料を叩く。
誤魔化すように笑うシーレンに未だ苛立ちつつも、レイアンもまた、資料を拾い上げて内容に目を落とした。
「……これを知った上で、俺の意見を否定するのか?」
「巨人族などいなくても、我らには精強な兵がいるではないか」
資料を握りつぶすレイアンに対し、オズガンは両手を広げて、穏やかな問い返す。
しかし、即座に首を振ったレイアンは、真剣な表情でオズガンの目を見つめた。
「だが奴らがいれば、その分傷つく兵が減る。動くなら今だ」
「……そう言って、これまでに一体いくつの街を滅ぼした」
しばしの沈黙の後、オズガンは一転して怒気を振りまきながら、レイアンを睨み返す。
オズガンの視線から咄嗟に顔を逸らすと、レイアンは我関せずといった様子のシーレンに目線を移した。
「チィッ!……シーレン、お前はどう思う」
「あら、私はオズガン兄様に賛成よ。動くとしても、慎重に動くべきだわ」
助けを求めるようなレイアンをよそに、シーレンは笑顔で突き放すような言葉を口にする。
そのままシーレンが口を閉じると、室内にはレイアンが椅子を揺らす音だけが響き始めた。
「……相変わらず、お前は何も言わねぇな」
しばらくして、肘掛けに肘をついたレイアンは、机の端に腰を下ろす少年へと声を掛ける。
険の籠ったレイアンの声音に、俯いていた少年――フェリオン・イシュトル=アルデンティアは、真っ青になった顔を跳ね上げた。
「えっ!あっ」
「椅子に座るのが、第三皇子の仕事か?えぇ?」
動揺するフェリオンを睨みつけると、レイアンは肘掛けを叩きながら声を荒げる。
一方、レイアンに射すくめられたフェリオンは、辺りを見回しながら、モゴモゴと口を動かす。
「いぇ、その……」
「なんだ。はっきり喋れよ」
歯切れの悪いフェリオンに、レイアンは顎をしゃくり上げて、先を促す。
長いため息を漏らしたオズガンは、憂さ晴らしのようにフェリオンを問い詰めるレイアンへ鋭い目線を送った。
「いい加減やめないか、レイアン」
「ケッ、兄貴はいっつもフェリオンの味方ばっかだぜ。つまんねー」
興覚めとばかりに体を反らすと、レイアンは勢いよく椅子を引いて、席を立ちあがる。
ツカツカと部屋を去っていくレイアンを尻目に、オズガンは安堵の表情を浮かべるフェリオンへ呆れ顔を向けた。
「……お前も、少しは言い返したらどうなんだ?」
「も、申し訳ありません……」
すっかり気を抜いていたフェリオンは、処置無しとばかりに首を振るオズガンに、慌てて頭を下げる。
室内に沈黙が満ちる中、シーレンは難しい顔で腕を組むオズガンへ微笑みかけた。
「オズガン兄様、そんなことを言ってはダメよ。この子に出来るはずがないもの」
「…………」
冷ややかなシーレンの言葉に、フェリオンは何も言えず、机を見つめ続ける。
再び静寂に包まれる室内を見回すと、シーレンはゆっくりと椅子を引いて、腰を浮かせた。
「ウフフフ。では私も予定がありますので、これで失礼いたします」
「はぁ……」
出口へと歩き出すシーレンに頭を痛めつつも、オズガンは何も言わず背中を見送る。
そして、俯いたまま黙り込むフェリオンを一瞥すると、げんなりした表情で手を振った。
「もういい。お前も、さっさと行きなさい」
「は、はい。失礼いたします……」
ビクリと肩を揺らしたフェリオンは、椅子から立ち上がって、恐る恐るオズガンに背を向ける。
そのままトボトボと出口へ歩き出すフェリオンの背中を、オズガンは憐みの目線で見送った。
「せめて陛下がご壮健であれば、あの子の状況も違っただろうに……」
程なく、フェリオンが部屋を後にすると、オズガンの口から同情ともとれる呟きが零れる。
しかし、悲し気なオズガンの呟きは、誰も答える者のいない部屋の空気へ溶けていった。
「……とにかく、今は母君たちの専横を止めなければ」
やがて、自らへと言い聞かせるように独り言ちたオズガンは、肘掛けへ手をついて、重たくなった体を持ち上げる。
そのまま緩慢な足取りで部屋を出ると、頭を下げる貴族たちの間を抜けて、帝城の廊下を進んでいった。
ややあって、オズガンの姿が廊下の奥へと消えた頃。
頭を下げていた貴族たちは、ホッと胸を撫でおろして、パラパラと顔を上げ始めた。
「――さて、交渉は決裂っと」
次々と貴族たちが立ち去る中、瞳に狡賢い光を湛えた男もまた、上機嫌な呟きと共に廊下を後にする。
数刻の後、陰謀の渦巻く帝城の上空には、骨だけで出来た鳥の死霊が羽ばたくのだった。
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