65話
冷たい風の吹き抜ける王都が、新たな年を迎えて数日が経つ頃。
護衛を伴うエンドワース家の馬車は、一路、パーティの開かれる王城を目指していた。
(……どうして、こうなったんだ?)
正装に身を包んだアルギスは、車内をぐるりと見回して、遠い目をする。
というのも、ゆったりとした速度で貴族街を進む馬車の中には、アルギスとソウェイルドに加えて、オリヴァーとレイチェルの姿があったのだ。
(王城と逆の方向へ向かったから、嫌な予感はしたんだ……)
屋敷を出た時の記憶を思い返すと、アルギスは歪みそうになる表情を隠すように、窓の外へ顔を向ける。
しばし車内に石畳を進む音だけが響く中、隣に座るソウェイルドがアルギスの肩へ手を置いた。
「少し話がある。こちらを向きなさい」
「……どうされました?」
横を振り向いたアルギスは、平坦な口調で話すソウェイルドに、恐る恐る声を掛ける。
不信感を露にするアルギスをよそに、ソウェイルドは正面に座るオリヴァーとレイチェルへ目線を移した。
「レイチェル嬢も聞いていてくれ。……この後のパーティについてだ」
ソウェイルドが囁くように声を落とすと、2人は無言で指示に耳を傾ける。
やがて、小さく息をついたソウェイルドは、アルギスとレイチェルの顔を見比べた。
「今日は出来る限り一緒に行動していろ。ただ、婚約について聞かれても明言はするな、いいな?」
(……何が狙いだ?)
語気を強めて釘を刺すソウェイルドに、アルギスは内心でグルグルと考えを巡らせる。
一方、ニコリと微笑んだレイチェルは、両手を前に合わせ、ゆっくりと頭を下げた。
「かしこまりましたわ。そのように」
「……承知しました」
胸騒ぎを覚えつつも、アルギスはレイチェルに続いて、頭を下げる。
2人の返事を確認すると、ソウェイルドは鷹揚に頷きながら、ゆったりと背もたれに体を預けた。
「うむ。途中から私とオリヴァーは少し離れることになる、2人で好きに過ごしなさい」
「ただ、俺達が戻るまで会場で見かけても声を掛けるのは止せ」
腕を組んで瞼を閉じるソウェイルドに対し、オリヴァーは指示を引き継ぐように口を開く。
すると、パチリと目を開けたソウェイルドは、一度車内を見回して、悪びれもせず肩を竦めた。
「それを言い忘れていたな。まあ、そういうことだ」
(どういうことだ……)
再び目を閉じるソウェイルドを尻目に、アルギスはキリキリと痛む胃をそっと押さえる。
こみ上げる不快感にアルギスが内心で顔を顰めている間にも、馬車は止まることなく、王宮の庭園を進んでいった。
(……まあ、悩んでどうこうなるものでも無いか)
しばらくの間考え込んでいたアルギスは、突如波が引くように胸中から不安が消え去る。
ややあって、馬車が王城の玄関口で停車すると、ソウェイルドは静かに開かれた扉の外を見据えた。
「さて、着いたようだな。行くとするか」
「ああ」
早々に馬車から身を乗り出すソウェイルドに続いて、オリヴァーもまた、いそいそと馬車を降りる。
程なく、アルギスとレイチェルが馬車を降りた玄関先には、既に数多くの貴族が集まり出していた。
(……これだから嫌なんだ)
集中する視線の数に眉を顰めつつも、アルギスは黙ってレイチェルと共に、ソウェイルドとオリヴァーの後を追いかける。
連れ立って王城の中へと足を踏み入れた4人は、玄関ホールを抜け、真っすぐにパーティ会場へと向かっていった。
そして、それから歩くこと、数十分
先頭を進むソウェイルドが、廊下の中心で、はたと足を止めた。
「む?あれは……」
(ん?……グリューネ家か)
アルギスが釣られて奥へ目線を向けると、前方には、派手な衣装に身を包んだ親子の姿が目に入る。
一転して表情を曇らせたソウェイルドは、すぐさま後ろを振り返ってアルギスへ顔を向けた。
「少し、ここで待っていろ」
「レイチェルも、ここに居なさい」
ソウェイルドが苛立ち交じりに歩き出すと、オリヴァーもまた、前を歩くグリューネ家の下へ足を向ける。
突如雰囲気の変わった2人に、レイチェルは不安げな表情で首を傾げた。
「……どうしたのかしら?」
「知らん。だが、関わっても碌なことが無いのだけは確かだ」
呆れ顔で首を振ったアルギスは、そそくさと2人に背を向けて、廊下の端へ足を進める。
肩を怒らせて歩く2人の姿を一瞥すると、レイチェルはすぐにアルギスの後を追いかけた。
「……そのようね」
「私達の方が、離れているぶん奴よりマシだ」
ボソリと呟く2人の目線の先では、ランディへ詰めよるソウェイルドとオリヴァーの側で、壁際を向いたメイソンがブルブルと震えている。
また、一見穏やかに見える話し合うソウェイルド達3人に目をやれば、微笑みを湛えるランディの額には、玉のような汗が浮かんでいた。
(随分と話し込んでいるが、なんだ?)
続々と貴族たちが前を通り抜けていく中、アルギスは廊下の隅で3人の様子をじっと眺め続ける。
やがて、ランディが数回頷くと、笑顔のソウェイルドと無表情のオリヴァーが2人の下へ戻ってきた。
「では、改めて向かうとしよう」
(やっとか……)
謝罪もなく前を歩きだすソウェイルドに、アルギスは隠れてため息をつきながら、オリヴァーの後ろへ並ぶ。
再び連れ立った4人は、驚く貴族たちの間を抜けて、会場のホールへと向かうのだった。
◇
開始から5時間近くが過ぎ、パーティも半ばを過ぎる頃。
レイチェルとアルギスの姿は、優雅な音楽の響くダンスホールにあった。
(……夢みたい)
キラキラと輝くホールの照明を見上げていたレイチェルは、ややあって、隣に立つアルギスへ目線を落とす。
横顔を見つめるレイチェルに、アルギスは警戒交じりの流し目を送った。
「なんだ?」
「ふふふ、なんでもないわ」
噛みしめるように首を振ると、レイチェルはクスクスと笑い声を零しながら正面を向き直る。
上機嫌なレイチェルに戸惑いつつも、アルギスは小さく息をついて、ホールを歩き出した。
「……行くぞ」
「ええ」
背中越しに声を掛けるアルギスに、レイチェルは満面の笑みで寄り添う。
しばし2人がホールを歩いていると、目を輝かせた若い貴族がすり寄ってきた。
「――これは、ご子息殿。先程はご挨拶へ向かえませんで……」
「気にすることは無い、父上はお忙しい方だ。話があれば、私から伝えておこう」
人の好い笑みを浮かべたアルギスは、穏やかな口調で言葉を返す。
そして、弾むような声で話し出す貴族の話を、ニコニコと笑いながら、じっと聞き始めた。
(……そんな顔も、出来るのね)
貴族と向かい合うアルギスの表情に、レイチェルは内心で唇を噛みしめる。
程なく、若い貴族と別れると、2人は再びホールの中を見回り始めた。
それからしばらくの間、時折アルギスが貴族の対応をしながら歩いていた時。
ひと際豪奢なドレスを纏ったアリアが、並みいる貴族を掻き分けながら、2人の下へ近づいてきた。
「ごきげんよう。エンドワース様、ハートレス様」
程なく、2人の前までやってくると、アリアは微笑みを湛えて、優雅な淑女の礼を取る。
周囲の貴族たちの視線が集まる中、アルギスは穏やかな笑みを張り付けて、胸に手を当てた。
「これは、王女アリア。謹んで、新年の慶事をお祝い申し上げる」
「お声がけ感謝いたします。王女アリア」
腰を折るアルギスに続いて、レイチェルもまた、流れるような動作で淑女の礼を取る。
あくまで他人行儀な2人に、アリアは目を伏せながら、寂し気な笑みを浮かべた。
「そう、畏まらないでください。……本日、お二人はご一緒に?」
「ああ、奇妙な縁でね」
チラリとレイチェルを横目に見たアルギスは、事も無さげに肩を竦める。
すると、アリアは微笑みを湛えたまま、スッと目を細めた。
「……なるほど。仲睦まじいようで羨ましく思います」
(な、なに……?)
真意を探るようなアリアの視線に、レイチェルは思わずアルギスの腕を掴む。
一瞬の沈黙の後、ますます笑みを深めたアルギスは、レイチェルをアリアから遠ざけるように足を進めた。
「さて、私達はそろそろ失礼するよ」
「はい。それでは、また学院で」
アルギスへ挨拶を返すと、アリアは横を通り過ぎていく2人を目線で追いかける。
アリアの視線を背に、アルギスはレイチェルを連れて、人気のないバルコニーへと向かっていった。
「はぁ……」
「あら?もう終わり?」
疲れを滲ませながらアルギスが中庭を見下ろすと、レイチェルは誰もいないバルコニーを見渡して目を丸くする。
レイチェルの声に後ろを振り返ったアルギスは、冷たい空気に包まれるバルコニーで、腕を組みながら手すりに寄りかかった。
「ああ、後は待っていれば終わる。……快適とは言えないが、少しここに居よう」
「そう、ね……」
肩を落としつつも腰を据えるアルギスに、レイチェルはうわの空で頷きを返す。
しかし、ややあってキッと口元を引き締めると、遠慮がちにアルギスへ声を掛けた。
「……ねぇ。どうして助けてくれたの?」
「言ったはずだぞ、私は貴族派の助力をしたに過ぎない。お前が助かったのは、あくまで結果論だ」
ヒラヒラと手を振ったアルギスは、うんざりした表情で、すぐに腕を組みなおす。
半ば予想通りの返答に、レイチェルは苦笑しながら、前を向き直った。
「そう、よね……」
悲し気なレイチェルの呟きを最後に、2人きりのバルコニーには、ホールの音楽だけが聞こえ始める。
やがて、ひゅうと冷たい風が吹き抜けると、アルギスはぶるりと体を震わせて、手すりから腰を浮かした。
「……寒いな。ダンスでも踊りに行くか?」
「えっ?」
ぼんやりとホールの様子を眺めていたレイチェルは、唐突なアルギスの提案に、ハッと我に返る。
目をパチクリさせるレイチェルに、アルギスは口元を歪めながら、再度手すりへ寄りかかった。
「じっと見ていたから聞いただけだ。……気のせいならいい」
「いいえ、行きましょう。今すぐに」
しかし、ブンブンと首を振ったレイチェルは、アルギスの体を起こすように、がっしりと腕を掴む。
グイグイと引っ張るレイチェルに、アルギスは眉を顰めながら、歩く速度を上げて隣に並んだ。
「おい。みっともないから急ぐな」
「ふふ、ごめんなさい」
アルギスに小声で咎められつつ、レイチェルは立ち止まることなく、笑顔で足を進める。
対照的な表情でバルコニーを後にした2人は、煌めくシャンデリアの下、優美な音楽の奏でられるホールの中心で手と手を取り合うのだった。
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