64話

 年が明け、王都全体が明るい雰囲気に包まれる頃。


 英雄派の盟主を務めるファルクネス邸の一室には、王都と対照的に、鬱屈とした空気が流れていた。

 


 巨大なテーブルを中心にズラリと椅子の並べられた会議室には、僅かに2人の男が腰を下ろしてる。


 息の詰まるような静寂の中、豪奢な刺繍入りのローブを纏う老人が、隣に座る男へ声を掛けた。



「……もう一度、言ってもらえるかな?」


 

「ああ、何度でも言おう。――我らの戦線は早々に崩壊、国王派は日和見。……功績の大半は貴族派に」



 深い皺の刻まれた顔を怒りで歪ませる老人に、飾りのない服をきっちりと着こなした男は、仏頂面で腕を組んだまま、淡々と言葉を返す。


 バンとテーブルへ両手をついた老人――ギルバート・ファルクネスは、悔し気に奥歯を噛みしめた。

 


「くそっ!どういうことだ?フリードリヒ」



「どうもこうもない。主力を欠いた我々と国王派に対して、貴族派は総力戦だ」



 目を瞑って首を振ると、フリードリヒは疲労を滲ませながら息をつく。


 あくまで冷静な態度を崩さないフリードリヒを、ギルバートは真っ赤な顔で睨みつけた。



「だとしてもだ。はっきり言って、王都の貴族派など風前の灯火だっただろうが」



「……エンドワース家が出た」



 ゆっくりと瞼を開けたフリードリヒは、頬をひくつかせながら唸り声を上げる。


 すると、ギルバートは驚きに目を見開くと共に、グツグツと怒りを煮えたぎらせ始めた。



「いつ、公都から出た?」



「そっちじゃない、息子の方だ。……結果は、そう変わらんようだがな」



 ドスの効いた声で問いかけるギルバートに、フリードリヒは苦々しい表情で肩を落とす。


 一方、フリードリヒの返事を聞いたギルバートは、ワナワナと震えながら、肩を怒らせた。



「おのれ、三代揃ってこの儂を愚弄しおって……」


 

「それに弱体化していたのも過去の話だ。今や王都の趨勢は、すっかり移り変わっている」



 組んでいた腕を下ろすと、フリードリヒはテーブルに両肘をついて、額を押さえる。


 長いため息をつくフリードリヒに、ギルバートは怒気を抑え込みながら顔を向けた。


 

「王都で、何があった?」



「……大侵攻の最中、ウィンダム家の秘密裏に飼育していた魔物が王都へ逃げ出したようだ」



 未だこめかみを揉み解すように額を覆いつつも、フリードリヒは小さな声で、事の顛末を語り出す。


 躊躇いがちに話すフリードリヒによれば、侵攻の裏側でウィンダム家の家人が惨殺されていた。


 そして、屋敷の痕跡を見るに、魔物が暴れたことは疑いようがないというのだ。


 

「なに……?しかし、奴らの属性では……」



「ああ、使役系統は扱えん。その上、ウィンダム家の当主が見つからないとあって宰相は火消しに大忙しだ」



 額から手を下ろしたフリードリヒは、絶句するギルバートを見て、同意するように肩を竦める。


 嫌悪感を滲ませるフリードリヒに対し、ギルバートは相好を崩しながら、嬉し気に顎を撫でた。


 

「なるほど。国王派も災難な」



「それを受けてか、先日貴族派がジェフリー……第二王子に接触したという話もある」



 表情と裏腹な呟きを漏らすギルバートをよそに、フリードリヒは声のトーンを落として話を続ける。


 すると、これまで上機嫌に顎を撫でていたギルバートの手が、はたと止まった。


 

「遂にか……王太子殿下の病状は?」



「流石にそこまではわからん。まあ、どのみち、お部屋から出てはいらっしゃらないだろう……」



 相も変わらず仏頂面で首を振りつつも、フリードリヒは顔に僅かな影を落とす。


 しかし、隣に座るギルバートは、ホッと安堵の息をついて、頬を緩めた。


 

「では、ここで王女殿下の提案を呑んだのは僥倖だったのかもしれんな」



「……勝手な方だ。あれだけ、”勇者を残しておくべきだった”と嘆いていたというのに」



 手の平を返すギルバートを半目で睨むと、フリードリヒはやれやれとばかりに首を振る。


 呆れ顔を浮かべるフリードリヒをよそに、ギルバートは悪びれもせず、口をへの字に曲げた。


 

「何事も、物には見方があるというだけだ。……トゥエラメジアと顔が繋がったのは、勇者の功績だからな」


 

「……”同行していた少女が生き返った”という与太話か。今となっては、否定できないのが恐ろしいな」



 遠征の報告書を思い起こしたフリードリヒは、背筋へ走った悪寒に、ぶるりと体を震わせる。


 というのも、トゥエラメジアから届けられた感謝状には、はっきりと”復活”の文字が明記されていたのだ。


 

「また教会のクセが出たと思っておったが……」



「まあ、”赤い目の魔物”とやらは死体も残らなかったからな。真実は闇の中だ」 



 難しい顔で考え込むギルバートに対し、フリードリヒは努めて明るい声を上げる。


 そして、気を引くように数回テーブルを叩くと、椅子へ深く座り直した。


 

「それで、これからどう動く」



「しばらく儂も王都に腰を据える。……エンドワース家の跡継ぎも確認しておきたい」



 真っすぐに正面を見据えたギルバートは、隠しきれない苛立ちと共に口を開く。


 気色ばむギルバートに、フリードリヒは眉を顰めながら肩へ手を置いた。


 

「隠居の身なんだ。くれぐれも無理はするな」



「……ふん。貴重な忠告をありがとうよ」



 不安げなフリードリヒを横目に見ると、ギルバートは面白くなさそうに顔を逸らす。


 それからしばらくの間、フリードリヒの視線をよそに、1人思案に耽るのだった。





 同じ頃、ソーンダイク領東方の都市”クスタマージョ”では。


 ひと際豪奢な屋敷の一室で、主人――ヴィクター・ソーンダイク伯爵が、重たい脂肪に包まれた体をブルブルと震わせていた。

 


「なんだ、これは……!」



 顔を真っ赤にして怒るヴィクターの手には、流麗な文字で書かれた一通の手紙が握りしめられている。


 たちまちヴィクターが息を荒くする中、マスクで口元を隠した女が、向かいから重々しい声を上げた。



「……それで、ハートレス卿は何と?」


 

「……丁寧な言葉で装飾されてるが、端的に言えば”お断り”だ。散々待たせたくせに、ふざけやがって!」



 オリヴァーからの手紙を引き裂いたヴィクターは、肩を揺らしながら息を整える。


 取り乱すヴィクターに、女は眉尻を落とし、あからさまに落胆の表情を見せた。


 

「では、計画は失敗ですね」


 

「ま、待ってくれ。まだだ、まだなんとかなる」



 立ち上がろうとする女を引き留めると、ヴィクターは慌てて言い訳を考え始める。


 しかし、一瞬で目つきを鋭くした女は、食い下がるヴィクターを指さしながら、睨みつけた。

 


「へえ、状況は変わりましたが、どうされるおつもりですか?”今の王都なら貴族派を落とせる”、あなたが言い出したことですよね?」

 


「し、しかしまだ婚約の段階だ。ここからでも……」



 女の視線に狼狽えつつも、ヴィクターは机に手をついて身を乗り出す。


 必死で縋りつくヴィクターに、女はありありと嘲りの表情を浮かべた。



「こちらがなにも知らないとでも?……婚約相手がどこの誰だかくらいは知っていますよね?」

 


「ぐっ、エンドワースの嫡男だが……」



 射すくめられたヴィクターは、口をモゴモゴと動かしながら声を小さくする。


 たちまちヴィクターが黙り込むと、女はニッコリと微笑んで、満足げに頷いた。


 

「そういうことです。お分かりですか?」



「…………」 

 


 諭すような女の口調に、ヴィクターは言葉を失って、茫然と椅子へ腰を落とす。


 一方、すっくと席を立った女は、ヴィクターに見向きもせず、出口へと足を向けた。


 

「では、これでお会いするのも最後ですね。今までお疲れさまでした」



「そんな!俺はこれからどうすれば!?」



 早々に背を向けた女が出口へと歩き出すと、ヴィクターは顔を真っ青にして後を追いかける。


 扉の前でくるりと後ろを振り返った女は、腰を屈めるヴィクターに、優雅な淑女の礼を取った。



「ふふ、我々は陰ながらソーンダイク卿を応援しております。――では、ごきげんよう」



「なんということだ……どこで、どこで間違えてしまったんだ……」



 颯爽と部屋を出て行く女の姿に、ヴィクターはその場で膝から崩れ落ちる。


 そして、そのまま四つん這いになると、床を見つめながらブツブツと呟き始めた。


「最初は間違っていなかったはずだ。おかげで帝国にも販路を広げることが出来た。なのに……」



 放心状態のヴィクターの口からは、止めどなく後悔の言葉が溢れ出る。


 やがて、しばし言葉が途切れると、真っ青な顔で床から立ち上がった。



「……このままではマズイ。もし裏切りがバレれば命が危ない」



 フラフラと元居た椅子へ戻ったヴィクターは、力なく背もたれへ寄りかかる。


 やがて、あり得るかもしれない未来に身震いしつつも、目を血走らせて辺りを見回した。



「ラゼン!どこだ!今すぐに出てこい!」



「はい、はい。それで、俺はなにをすれば?」



 ヴィクターが声を張り上げると、ローブの中に包帯を見え隠れさせる男が、突如ぼんやりと部屋の隅に姿を現す。


 気楽な態度で近づいてくる男――ラゼンに、ヴィクターは不快感を露にして顔を背けた。



「……次の”仕事”からは、標的をエルフに変えろ」



「それは、ちっと。いや、かなりマズイのでは?」



 ヴィクターの指示にギョッと目を剥いたラゼンは、顔色を窺うように下から覗き込む。


 しかし、ヴィクターは顔を流れる大量の汗を拭いながら、ラゼンを睨みつけた。



「うるさい、口答えするな。ミダスに亡命するには、いくら金があっても足らん……」



「……なるほど、では行ってきますね」



 諦めたように首を縦に振ると、ラゼンの姿は、再び部屋の空気へ溶けていく。


 たちまちラゼンが姿を消した部屋には、項垂れたヴィクターだけが1人残されるのだった。

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