63話

 すっかり日常の戻った王都に、年の終わりが迫る頃。


 応接室へとやってきたアルギスは、眉を顰めながら、オリヴァーとレイチェルの座るソファーの向かいに腰を下ろした。



「もう、厄介事は引き受けないぞ」



「そう警戒しなくても大丈夫だ。……今日は、感謝を伝えたくて来た」



 アルギスの態度に苦笑いを浮かべつつも、オリヴァーは穏やかな口調で話し出す。


 そして、一度話を区切ると、レイチェルと共にゆっくりと頭を下げた。



(なんだ?随分と雰囲気が違うぞ?)



 一転して棘の無くなったオリヴァーに、アルギスは内心で目を丸くする。


 一方、頭を上げたオリヴァーは、嬉し気な微笑みを湛えながら、言葉を続けた。



「今回の件で王都における貴族派の状況が一変してね」



「私はすべきことをしただけだ。それを伝えるために、わざわざ連れ立ってきたのか?」



 事も無さげに手を振ると、アルギスは訝し気にオリヴァーとレイチェルの表情を見比べる。


 不信感を滲ませるアルギスに対し、オリヴァーは頬を緩めたまま、静かに首を振った。


 

「ソーンダイク家のことだ。おかげで奴の手を取る必要が無くなった……これも君のおかげだ、ありがとう」



「……そうか。まあ結果論だが、よかったな」



 腰の低いオリヴァーに面食らいつつも、アルギスは繕うように肩を竦める。


 つれない返事を最後にアルギスが口を閉じると、これまで黙り込んでいたレイチェルが、入れ替わるように口を開いた。



「私からも、改めて感謝を。……本当にありがとうございましたわ」



「ああ。……約束は守ったぞ」



 深々と頭を下げるレイチェルに、アルギスは不敵な笑みを浮かべながら、言葉を返す。


 跳ねるように顔を上げたレイチェルは、頬を赤らめて、花の咲くような笑顔を見せた。



「ええ、疑ってなんかいなかったわ」



「ならいい」



 レイチェルの返事に鼻を鳴らすと、アルギスはテーブルに置かれていたカップを手に取る。


 しかし、アルギスがカップに口をつけるよりも早く、焦った様子のマリーが、応接室に姿を現した。



「ご歓談中、大変失礼いたします」



「なんだ?来客中だぞ?」


 

 息を切らして駆け寄ってくるマリーを、アルギスは訝し気な表情で、まじまじと見つめる。


 驚くアルギスをよそにソファーの背後へ控えると、マリーは腰を屈めて、耳元へそっと顔を寄せた。



「……アルギス様、玄関に旦那様がいらっしゃっております」



「父上が、王都に……?」



 耳打ちされた内容に、アルギスは冷や汗を流しながら、忙しなく目線を動かし始める。


 それというのも、ソウェイルドが王都へと来訪するのは、実に7年ぶりの事なのだ。



(まさか、反乱の予兆か?) 



「アルギス様……?」 


 

 目まぐるしく表情を変化させるアルギスに対し、レイチェルはキョトンとした顔で首を傾げる。


 パンと膝に手をついたアルギスは、困惑するオリヴァーとレイチェルを交互に見やった。



「悪いな、用事が出来た。話は……」



 顔を顰めたアルギスが席を立とうとした時。


 話を遮るように、勢いよく応接室の扉が開かれる。



 直後、満面の笑みを浮かべたソウェイルドが、ズカズカと部屋へ入ってきた。



「よくやったぞ、アルギス!」



「これは父上、お久しぶりです。……ご連絡を頂ければ、歓待の用意もできたのですが」



 ギラギラと目を輝かせながら近づいてくるソウェイルドに、アルギスは引きつった笑みを浮かべる。


 一方、3人の座るソファーへとやってきたソウェイルドは、上機嫌にアルギスの隣へ腰を下ろした。



「ククク、そんなものはお前に会うことと比べれば些事だ」



「……感謝いたします」 

 


 がっしりと肩を掴むソウェイルドに戸惑いつつも、アルギスは誤魔化すようにニコニコと笑う。


 しばし2人が話し込んでいると、言葉を失っていたオリヴァーの口から、不意に呟きが零れた。



「そ、ソウェイルド……」


 

「む?オリヴァーではないか、我が家で何をしている?」



 ソファーへ腰掛けてから初めて正面を向いたソウェイルドは、並んで座るオリヴァーとレイチェルの姿を二度見する。


 これまで気が付いていなかったと言わんばかりのソウェイルドに、オリヴァーはしかめっ面で目を逸らした。



「……お前の息子に、世話になってな。礼を言いに来ていたんだ」



「そうか。……アルギス、聞いたぞ。今回の防衛戦で功を立てたようだな」



 眉一つ動かさず頷くと、ソウェイルドは相好を崩して、早々にアルギスへ向き直る。


 ソウェイルドと見つめったアルギスは、平静を装って口を開いた。



「はい。慰問に向かった際、戦闘に巻き込まれまして……」



「理由など何でもいい。重要なのは、お前が結果を出したというただ一点のみだ」



 つらつらと話し始めるアルギスに、ソウェイルドはヒラヒラと手を振って、重々しい声で話を遮る。


 そして、思案顔で目線を上向けると、どこか楽し気に目を細めた。


 

「……私も、少しは王都に腰を据えてもいいかもしれんな」



(っ!来たか……?)



 ソウェイルドの呟きが耳に入ったアルギスは、内心で反乱の予兆に身構える。


 しかし、すぐさま微笑みを湛えると、ソウェイルドにフルフルと首を振って見せた。



「いえ、私が王都にいるのです。父上の手を煩わせることはありませんよ」


 

「む……まあ、お前のやる気を削ぐことも無いか」



 きっぱりとしたアルギスの返事に、ソウェイルドは表情を曇らせながら肩を丸める。


 それからしばしの間、応接室が静まり返る中、ドサリと背もたれに寄りかかって声を上げた。

 


「して、オリヴァー。それがお前の娘か?」



「っ!」



「大変失礼いたしましたわ。オリヴァー・ハートレス侯爵が長女、レイチェル・ハートレスと申します」



 顔を青くするオリヴァーを尻目に席を立ったレイチェルは、震えそうになる声を抑えて、淑女の礼を取る。


 小刻みに肩を揺らすレイチェルに、ソウェイルドは張り付けたような笑みを浮かべた。



「初めまして、ハートレス嬢。オリヴァーはわかるが、何故君もここへ?」



「……私もアルギス様にご迷惑をおかけしましたので」



「レイチェル……!」



 顔から血の気が引いたオリヴァーは、口を滑らせるレイチェルを止めようと肩を掴む。


 しかし、一瞬で表情を失くしたソウェイルドは、クイクイと人差し指を折り曲げて、先を促した。


 

「詳しく話せ」



「っ!……はい」



 急激にソウェイルドの雰囲気が冷え込む中、レイチェルは毅然とした態度で、学院での出来事を話し出す。


 やがて、レイチェルが口を閉じると、ソウェイルドは顎を撫でながら、隣に座るアルギスへ流し目を向けた。



「アルギス」



「……なんでしょうか」



 抑揚のない声で話すソウェイルドに、アルギスは疲労を滲ませながら、言葉を返す。


 すると、体を横向けたソウェイルドは、真剣な表情でアルギスの目を見つめた。



「ハートレス嬢のために、お前が動いていたというのは事実か?」



「え、ええ。一応は、そうなります」



 顔を寄せるソウェイルドから身を引きつつも、アルギスはコクコクと数回頷く。


 ややあって、アルギスとレイチェルの顔を見比べると、ソウェイルドはニヤリと口角を上げた。


 

「ふむ……。そう言う事ならば、都合もいいか」



(どういう事だ?)



 意味深なソウェイルドの呟きに、アルギスは腑に落ちない顔で言葉を待つ。


 しばらくして、生暖かい目をしたソウェイルドは、困惑するアルギスの肩にそっと手を乗せた。


 

「まあ、これも良い機会だ。貴族派の新たな旗頭となろう」


 

「父上……?」


 

 1人納得した様子のソウェイルドに対し、アルギスは戸惑いを覚えながら声を上げる。


 しかし、ソウェイルドはアルギスの疑問に答えることなく、オリヴァーに顔を向けた。 


 

「エンドワース家からハートレス家へ婚約を申し込む」



「は……?」



 ソウェイルドの口から出た宣言に、アルギスはポカンと口を開けて固まる。


 一方、オリヴァーの隣で話を聞いていたレイチェルは、頬を紅潮させて身を乗り出した。



「まあ……!」



「な!?どういうことだ!ソウェイルド!」



 2人が対照的な姿を見せる中、オリヴァーは声を荒げて、ソファーから立ち上がる。


 肩を怒らせるオリヴァーに、ソウェイルドはため息をつきながら、ソファーを指さした。


 

「落ち着け、ただの提案だ。正式な書状は追って渡す」



「事情を話せと言っているんだ」



 ソファーへドカリと腰を落とすと、オリヴァーは腕を組みながら、眉間に皺を寄せる。


 しかし、オリヴァーの返事にピクリと眉を上げたソウェイルドは、アルギスとレイチェルを一瞥して、首を横に振った。


 

「事情は、後で話そう。とにかく、その気があるか無いかだけ教えろ」



「…………」 


 

 有無を言わせぬソウェイルドの対応に、オリヴァーは眉間の皺をますます深くする。


 気まずい沈黙の流れる応接室で、レイチェルはソウェイルドと睨み合うオリヴァーの顔を見上げた。


 

「お父様……」



「はぁ、即座に断る気は無い。……今、これ以上の答えは出せん」



 レイチェルの表情を横目に見たオリヴァーは、がっくりと肩を落として口を開く。


 曖昧な答えを返すオリヴァーに目を細めつつも、ソウェイルドはすぐに口角を吊り上げた。


 

「いいだろう。続きは、この後王宮へ向かう馬車ででも話そう」



「わかった。……内容によっては断るぞ」


 

 相も変わらず楽し気なソウェイルドを、オリヴァーは訝しむようにまじまじと眺める。


 不審がるオリヴァーにソウェイルドが何も言わず肩を竦めると、応接室には再び痛いほどの沈黙が降りた。



(これは夢か?)



 2人のやり取りを黙って聞いていたアルギスは、焦点の定まらない目で天井を見上げる。


 現実逃避を始めるアルギスをよそに、ソウェイルドはソファーから立ち上がって、身だしなみを整えた。



「私達は少し出てくる。ハートレス嬢も、好きに過ごしていてくれ」



「はい!ありがとうございますわ」



 ソウェイルドがニコリと微笑みかけると、レイチェルもまた、席から立ち上がって淑女の礼を取る。


 ややあって、レイチェルから目線を外したソウェイルドは、未だ難しい顔でソファーへ腰掛けるオリヴァーを見下ろした。



「では行こうか」



「ああ」



 ソウェイルドの呼びかけに、オリヴァーは重たい腰を上げて、ソファーから立ち上がる。


 やがて、並び立った2人が応接室を後にすると、室内は時が止まったかのように静まり返った。


 

(……一先ず、聞かなかったことにしよう)



 問題を先送りにしたアルギスは、額を押さえながら天井を見上げる。


 げんなりとした表情で目を瞑るアルギスに対し、レイチェルは心配そうな表情で隣の席に座り直した。



「あら?アルギス様、顔色がよろしくないようだけれど……」


 

「……ああ。まだ、少し疲れが残っていたようだ」



 フラフラとレイチェルへ目線を下ろすと、アルギスは気を取り直すように頭を振る。


 しかし、依然として嫌な予感は、なおも胸の中に残り続けるのだった。


 



 アルギスとレイチェルが応接室で会話に花を咲かせていた頃。


 王宮へと向かったソウェイルドとオリヴァーは、エンドワース家の馬車に乗り込んでいた。


 

「……さて、事情を教えてもらおうか」



「そう慌てるな。まあ簡単に言えば、お前に王都におけるアルギスの後見をして欲しいわけだ」

 


 腰を下ろすや否や身を乗り出すオリヴァーに呆れつつも、ソウェイルドは淡々と要望を伝える。


 すると、オリヴァーは一度目線を上向けて、苦々しい表情を浮かべた。



「……俺に、どうこうできるとは思わんがな」



「別に動きを逐一監督して欲しいわけではない」


 

 唸るような声を上げるオリヴァーに対し、ソウェイルドは真顔のまま言葉を続ける。


 はたと表情を元に戻したオリヴァーは、要領を得ないソウェイルドの物言いに首を傾げた。



「どういうことだ?」



「……今回の件でアルギスへ渡す権限の拡充が必要だと気が付いた」



 しばしの間、言葉を選ぶと、ソウェイルドは膝に肘をついて、神妙な口調で語り出す。


 落ち込んだ様子のソウェイルドに動揺しつつも、オリヴァーは努めて怒りを滲ませながら腕を組んだ。


 

「それが、どう俺の娘との婚約に関わる?」



「何かあった時に、”他家だから手を出せない”では困る。形だけでも口実がいるだろう」


 

 語気を強めるオリヴァーに、ソウェイルドは顔を顰めながら、壁際に頬杖をつく。


 しかし、ソウェイルドの返事にピクリと眉を上げたオリヴァーは、再び険しい表情を浮かべた。



「そんなことなら、お前自身が監督すればいいだろう」 



「私が頻繁に王都へ出入りすれば、余計な横やりが入る……今の王都で信頼がおけるのは、お前くらいのものだ」



 苛立たし気に大きなため息をつくと、ソウェイルドは窓の外を眺めながら、ボソリと呟く。


 以降、むっつりと口を閉じるソウェイルドに、オリヴァーは腕を下ろして、諦めたように首を縦に振って見せた。



「はぁ……わかった。ただ、ソーンダイク家に返事を出すまでは待ってくれ」



「ソーンダイク?何の話か知らんが、あんなもの捨て置け」


 

 オリヴァーの返事を聞いたソウェイルドは、嘲るように鼻を鳴らして、ヒラヒラと手を振る。


 相変わらずの態度に苦笑いを零しつつも、オリヴァーは困ったように頭を掻いた。



「しかしだな……」



「なに、すぐに私の言っている意味が分かる。……さて、そろそろだな」


 

 不敵な笑みをオリヴァーへ見せると、ソウェイルドは目線を窓の外へ戻して、王城を見据える。


 しばらくして、玄関口へと辿り着いた馬車が動きを停める中、オリヴァーは思い出したように、ソウェイルドへ顔を向けた。


 

「聞きそびれていたが、お前が王宮に何の用があるんだ?」



「第二王子に会う」



 簡潔な返事と共に馬車を降りると、ソウェイルドはスタスタと王城へ向かっていく。


 一方、続いて馬車を降りたオリヴァーは、顔に嫌悪を湛えながら、ソウェイルドの後を追いかけた。


 

「第二王子?あんなのに用があるのか?」



「まあ、ちょっとした手回しだ。何事も使いようだからな……ん?」



 オリヴァーへ返答もそこそこにソウェイルドが廊下へ目を向けると、奥から細身の男が急ぎ足で姿を現す。


 焦った様子で廊下を歩く男に、ソウェイルドは口元をひくつかせながら近づいていった。



「これは、これはヴァンレンティナ公。なにやら随分と忙しそうじゃないか」



「……ワイズリィ。王宮に何の用です?」



 ソウェイルドをじろりと睨んだパトリックは、真意を探るように、眼鏡のブリッジを押し上げる。


 すると、ソウェイルドは待ってましたと言わんばかりに、ニヤリと口角を吊り上げた。


 

「親愛なる第二王子殿下の所に、ご挨拶差し上げようと思ったんだ。そんなに不思議なことでもないだろう」



「っ!……そうですか。用事がありますので、私はこれで」



 嘆息交じりに首を振るソウェイルドに、パトリックは目を見開いて2人の横を通り過ぎていく。


 パトリックの足音を背に再び歩き出したソウェイルドは、堪えきれなくなったように笑い声を漏らした。


 

「クク、もちろん構わんよ。私達も先を急ぐのでね」 



「……はぁ」



 満足げなソウェイルドにため息を零しつつも、オリヴァーは黙って後を追いかける。


 7年ぶりに足を並べた2人は、王城の廊下を悠々と進んでいくのだった。

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