60話
黒い柱が天へと立ち昇って数分が経つ頃。
間もなく、防壁へ辿り着こうとしていた魔物の軍勢は、視界を覆う黒い霧に埋め尽くされていた。
「一体、何が、どうなってやがる!?」
魔物の軍勢と相対する黒い甲冑が姿を現す中、シェリーは戦場を見下ろしながら、苛立たし気に頭を掻きむしる。
戦場の遥か上空を飛ぶシェリーの目線の先では、黒い甲冑と残像が尾を引いて駆け回る炎の塊が、これまで滞りなく進んでいた軍勢を次々に討伐していたのだ。
「本当に何が起きてんだ!?私の”指”が、こんな早さで殺されるワケがねーんだぞ!?」
真っ赤な翼を羽ばたかせたシェリーは、みるみるうちに数を減らす”従者”に血相を変える。
しかし、シェリーの怒りをよそに、戦場は落ち着きを取り戻し、剣を下ろす騎士すら現れだしていた。
「どっかのバカのせいで隠しておいた予備もねーのに……!このクソが!」
思い通りにいかない状況へ罵声を吐き捨てると、シェリーは体を液体のように波立たせ出す。
そして、波が全身へ伝わった瞬間、空気が入ったようにシェリーの腕が膨れ上がった。
「とっとと蘇りやがれ。このクソゴミども!」
バチンと音を立てて弾けた腕は、血の雨となって、上空から倒れ伏した魔物たちへ降り注ぐ。
程なく、血の雨が降り止むと、魔物たちは肉体に損傷の少ない者から、続々と立ちあがり始めた。
「チッ!このままじゃ体がもたねー」
復活した傍から討伐されていく魔物たちを、シェリーは苦々しい表情で見下ろす。
やがて、再度血の雨を降らせると、半分ほどになった翼で戦場の前線へと降りていった。
「……やっぱ、私が直接ブッ殺しに行くしかねーな」
「なっ!?何も……」
突如上空から降り立ったシェリーに、周囲の騎士たちは目を見開いて、剣を差し向ける。
しかし、次の瞬間、シェリーの腕から伸びた無数の棘に貫かれると、穴の開いた体で崩れ落ちた。
「囀んじゃねーよ。人族如きが」
不快げに舌打ちを零たシェリーは、魔物たちと戦っている死霊へ、続け様に棘を伸ばす。
戦場にポッカリと空間が空くと、あちこちを動き回る炎と霧を広げる黒い柱を見比べた。
「……このクソ甲冑を見るに、柱の方が優先だなァ」
青筋を立てるシェリーの目の前では、今も甲冑を纏う死霊が復活する魔物たちを切り裂き続けている。
騎士たちの断末魔を尻目に、シェリーは砕ける程奥歯を噛みしめて、霧の深い中央へと飛んでいった。
そして、並み居る死霊や騎士を貫きながら飛ぶこと数分。
黒い霧の中央では、悍ましい死霊を従える少年の側で、メイド服を着た少女と地面に倒れ込んだ騎士が影の中へと沈み込んでいた。
(っ!……間違いねー。あの野郎だ)
3人の姿を見たシェリーは、広げていた翼を消して、滑り込むように着地する。
同時にブクブクと泡立たせた腕を血で出来た剣へ変えると、死霊と共に残った少年――アルギスの背に差し向けた。
「クソガキィ!よくも私の計画を滅茶苦茶にしてくれたなァ!」
「……貴様が、この騒動の首魁か」
怒鳴り散らすシェリーに対し、アルギスは黒い魔力を揺らめかせながら、静かに後ろを振り返る。
虹彩の紅い目を眼球まで真っ赤に染め上げたシェリーは、ギラリと光る牙を剥いて、剣となった腕を振り回した。
「生きて帰れると思うなよ!」
「……魔族が出てくるとばかり思っていたが、まあどちらでも一緒だな」
僅かに目を丸くしつつも、アルギスは嘲るように口元を吊り上げながら肩を竦める。
不敵な笑みを崩そうとしないアルギスに、シェリーは腕を後ろへ引きながら駆け出した。
「調子に乗りやがって……!」
「……やれ。殉難王骸」
真っすぐにシェリーの貫手迫る中、アルギスは腕を組みながら、軽い調子で顎をしゃくる。
すると、隣に立っていた殉難王骸は、だらりと下げていた手を、素早くシェリーへ翳した。
「――ギギィ」
耳障りな呟きの直後、殉難王骸の翳した5本全ての指へ、周囲の空間を歪ませるほどの瘴気が集まり出す。
程なく、灰黒い光線となって飛来する瘴気に、シェリーはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。
「そんなもんなァ、効かねーんだよ!」
「ギィッ……」
穴だらけの体でシェリーが腕を振り払うと、殉難王骸は首を落とされ、甲冑の死霊と共に黒い霧へ戻っていく。
瞬く間に穴が塞がる様子を見たアルギスは、目を細めながら、組んでいた腕を下ろした。
「……ほう」
「進軍しやがれ!ゴミども!」
交戦していた死霊の消え去った魔物たちに、シェリーは鬼の形相で腕を振り上げる。
すぐさま軍勢が王都へ進み出すと、1人残されたアルギスに口が裂けるような笑みを見せた。
「さあ、どうするよ?クソガキ」
「やることは変わらん……正面から叩き潰す。――顕現せよ、”屍剣:僭軀”」
静かに首を振ったアルギスは、一転してワナワナと震えながら、右腕に大量の霧を集め始める。
2人が一歩も退かず睨み合う中、赤い目をした魔物の軍勢は、防壁へと再び進み出すのだった。
◇
アルギスの死霊が消えたことで、戦場に再び混乱が巻き起こる中。
軍勢の迫る王都の貴族街では、”国王派”ローレン・ウィンダム伯爵が、白い仮面とローブに身を包んだ男と、屋敷の一室で向き合っていた。
「同志よ。何故、貴方が?」
「実はシェリーに少々用事が出来ましてね。私が代わりにやってきたわけです」
ローレンが訝し気な声をあげると同時、白い仮面とローブに身を包んだ男――フィリップは、やれやれとばかりに肩を竦める。
気安くシェリーの名を呼ぶフィリップに、ローレンはピクリと眉を上げて、目線だけを左右に動かした。
「なに……?それに、首領もいらっしゃらないようだが?」
「フフフ、その件ですか。取引は無しとなりましたので、悪しからず」
楽し気に首を振ったフィリップは、悪びれもせず、笑い声を上げながら頭を下げる。
しかし、フィリップの返事に顔を真っ赤にすると、ローレンはテーブルへ身を乗り出して詰め寄った。
「なんだと!?約束が違うぞ!」
「そもそも、我々と貴方如きで対等な取引が成り立つとでも?」
掴みかかろうとするローレンの手を、フィリップはあしらうように叩き落とす。
叩かれた手をじっと見つめたローレンは、ややあって、茫然とした表情で顔を上げた。
「気でも触れたか……?」
「はぁ……鈍い人だ」
嘲るような呟きと共にフィリップが仮面とローブを外すと、照明の下には紅い目と白い髪が晒される。
呆れた表情を見せるフィリップの姿に、赤くなっていたローレンの顔は、血の気が引いていった。
「あ、ああぁ……」
「期待通りの反応をどうも。では、貴方は最後の仕事にかかってください」
静かに席を立ったフィリップは、腕を蛇のように変えて、ほうぼうの体で逃げ出そうとするローレンへスルスルと伸ばす。
程なく、ローレンを締め上げると、口のように開いた腕の先端から、正十二面体の結晶を取り出した。
「な、なにをする気だ!や、やめろ!やめて……」
目の前へ突き付けられた灰黒く明滅する結晶に、ローレンはフィリップの締め上げから逃げ出そうと必死で藻掻く。
しかし、ローレンの抵抗も虚しく、結晶はフィリップの腕ごと、口の中へと押し込まれた。
「ごぼあ”あ”あ”あ”あ”!」
「どうです?ご希望の通り、不死が手に入りましたよ?……と言っても、もう聞こえていませんね」
のたうち回るローレンを冷たい目で見下ろしたフィリップは、伸ばしていた腕を元へ戻す。
やがて、血を吐いては体で吸収することを繰り返すと、ローレンは目を真っ赤にして四つん這いになった。
「ギギァ、ア”ア”ア”……!」
「さて、これで――」
トントンと肩を叩いたフィリップが、部屋を立ち去ろうと振り返った瞬間。
部屋の奥にあった扉が勢いよく開かれ、中から小さな人影が飛び出した。
「父上、ちちうえ……!貴様!父上に何をした!?」
ローレンに駆け寄ったエドワードは、涙を流しながら、フィリップを睨みつける。
エドワードの姿に瞬かせると、フィリップは口を開くよりも早く、腕を蛇へと変えた。
「おや?知られてしまいましたか……では、君にもこれを」
「ぐ!?ぐ”ヴ”あ”ア”……!」
ローレンと同様に口へ結晶を押し込まれたエドワードもまた、血を吐き出して倒れ込む。
しばし血に塗れて藻掻き苦むと、床へ手を叩きつけながら、真っ赤な目でフィリップを睨みつけた。
「ア”ア”ァ……ハァハァ……い、言え。何を、した?」
「おお!まさか自我が残るとは!今日から君は私の”腕”です、いいですね?」
言葉を話すエドワードに、フィリップは興奮した様子でしゃがみ込む。
そのままフィリップに頭を触られたエドワードの体からは、水が抜けるように魔力が無くなり始めたのだ。
「な!?僕の体が、魔力が……」
「じきに馴染みますよ。では、父君が仕事をしている間に失礼しましょうか」
膝へ手をついて立ち上がると、フィリップはパチリと指を鳴らす。
もはや言葉もなく部屋を飛び出していくローレンを、エドワードは勝手に立ち上がる体で、寂し気に見送った。
「あぁ……父上……」
「フフフ。雑用だとばかり思っていましたが、これはこれでいい拾いものをしましたねぇ」
上機嫌に独り言ちたフィリップは、エドワードを引っ張るように、前を歩き出す。
屋敷に使用人たちの悲鳴が響き渡る中、2人の姿は廊下の奥へと消えていくのだった。
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