59話

 交戦の開始から既に4時間以上が経ち、徐々に魔物の軍勢が有利になりつつある中。


 戦場と陣幕の間に設置されたテントへとやってきたアルギスは、簡易的なベットに横たわる騎士を見下ろしていた。



(……王宮の狙い通り、教会も引きずり出されたようだな) 



 アルギスの目線の先では、法衣に身を包んだ司祭が、額に汗を浮かべながら騎士の胸へ手を当てている。


 程なく、白い顔で目を開けた騎士は、アルギスの姿を見ると、慌てつつも緩慢な動きで身を起こした。



「申し訳ございません……不覚を取りました」



「起きなくていい。それよりも、詳細な報告をよこせ」



 ベットへ手をつく騎士に、アルギスは首を振りながら、先を急ぐように言葉を続ける。


 アルギスの指示に騎士がゆっくりとベットへ寝転がると、司祭はホッとした様子で呪文を唱え始めた。

 


「はっ!……では、失礼ながらご報告いたします」


 

 一方、ぼんやりとした金色の光に包まれた騎士は、憂鬱な表情で、静かに語り出す。


 騎士が言うには、首を落とす前にも致命傷を与えていたが、魔物が倒れることは無かった。


 そして、首を落としてもなお復活したことで、異常を察知し、情報の共有を優先したというのだ。



「その後も腕を斬り飛ばしたのですが、力及ばず……」


 

(傷ついても止まらない魔物だと?……本当に魔族がいるのか?)



 尻すぼみに口を閉じる騎士に、アルギスもまた、言葉なく考えを巡らせる。


 ややあって、小さく息をつくと、確かめるような口調で口を開いた。


 

「……それは一体だけか?」



「不明でございます。自分が確認できたのは、一体です……」



 絞り出すような声を上げた騎士は、目を瞑って、悔し気に唇を引き結ぶ。


 慌ただしいテントの中にあって、2人の間には、痛ましい沈黙が広がった。



「……そうか」



 程なく、諦めたように肩を落とすと、アルギスは報告を終えた騎士に背を向ける。

 


 そのままアルギスがテントを出ようと歩き出した直後。


 簡素なテントの出入り口が勢いよく揺れ、肩で息をする男が顔を出した。



「こちらの治癒師に余裕はないか!?」



「何者だ、名を名乗れ」


 

 テント内を見回す男に、アルギスは不快げに顔を顰めながら声を上げる。


 声に釣られてアルギスへ目線を移した男は、サッと顔を青ざめさせて、素早く頭を下げた。



「っ!失礼いたしました!自分は”英雄派”リューゼン・グンター伯爵が配下、マイロ・ランドルと申します!」 



「……英雄派が何の用だ?」


 

 警戒心を露にしつつも、アルギスは返事を待つマイロへと歩みを進める。


 ズカズカと近づいてくるアルギスに、マイロは体を震わせながら、折れ曲がる程深く腰を折った。



「ご無礼を承知で申し上げます!我が部隊の人員を治療して頂けないでしょうか!?」

 


「なに?どういうことだ?」


 

 懇願するようなマイロに目をパチクリさせたアルギスは、無意識に疑問が口を衝いて出る。


 すると、マイロはビクリと肩を揺らして、真っ青な顔を上げた。


 

「現在、奇妙な魔物の出現により前線の一部が崩壊しております。それに伴い、英雄派の救護テントは機能不全に……」



(どうやら、一体だけでは済まなそうだ……) 



 悪化していくばかりの戦況に、アルギスは目を伏せながら舌打ちを零す。


 そして、ゴクリと唾を呑み込むマイロを一瞥すると、急き込むようにテントの出口へ手を掛けた。



「……私は何も見聞きしていない、好きにしてくれ」



「か、感謝いたします……!」



 カッと目を見開いたマイロは、嬉し気に顔を上気させながら、頭を下げる。


 一方、1人テントを出たアルギスは、テントの側でへたり込む英雄派の騎士たちに顔を顰めた。



(……慰問として連れ出している以上、死者を出すのはマズイな)


 

 血を流し、息も絶え絶えな様子の騎士たちに、アルギスの脳裏には、エンドワース騎士団の面々が思い浮かぶ。


 考えを振り払うように頭を振ると、アルギスは体から黒い魔力を揺らめかせた。


 

「――闇夜陣幕」



 術式の完成と同時に、溢れ出た黒い霧は、ベールのように空中に広がる。


 やがて、霧に包み込まれたアルギスの気配は、不穏な戦場の空気に溶けていった。



「……行くか」



 程近くまで迫った魔物の軍勢へ顔を向けると、アルギスは誰にともなく呟く。


 ゾワリとした胸騒ぎを感じつつも、騎士団の戦う戦場へと足を向けた。



 そして、それから走ること数十分余り。


 小高くなった丘の上までやってきたアルギスの眼下には、既に混戦を極める戦場が姿を現していた。



(……あの先頭にいるのが例の魔物とやらだな)



 戦場の左右で魔術がチカチカと光る中、アルギスは騎士の防衛線を食い破るように進む隻腕のオークが目に留まる。


 騎士の報告通り、弓矢はおろか剣すら頭に刺ささりながらも、オークは事も無さげに片腕を振り回していた。



(あの辺り一帯が同様の魔物らしいな……っ!)



 しばし戦場を見下ろしていたアルギスは、赤い目をした魔物たちの進行方向に、エンドワース騎士団の姿を見つける。


 長いため息の後、膨大な魔力を噴き上がらせながら、纏っていた術式を解除した。

 


「来い――幽闇百足」



「ギギチチチィィ!」



 黒い霧から這い出ると、幽闇百足は節々にある金色の目をギョロつかせながら、アルギスを守るようにとぐろを巻く。


 程なく身を伏せる幽闇百足に、アルギスは躊躇うことなく飛び乗った。



「……私も、随分と変わってしまったものだ」



 アルギスの自嘲気味な呟きと共に、幽闇百足は丘を駆け下りて、一直線に戦場へと向かっていく。


 瞬く間に、軍勢の横までやってくると、慌てふためく冒険者たちを尻目に、中へと飛び込んでいった。



「させん――砕顎」



 幽闇百足が魔物を弾き飛ばしながら進む中、アルギスは籠手を装備した左手を握りしめる。


 すると次の瞬間、騎士へ襲い掛かっていたオーガの頭が、ぐにゃりと左右から押しつぶされた。

 


「ギュプッ!?」



「っ!アルギス様!なぜこちらに!?」


 

 オーガと押し合っていた騎士は、突如現れたアルギスと幽闇百足に声を張り上げる。


 焦りを見せる騎士たちをよそに、アルギスはなおも魔力を揺らめかせて、幽闇百足から飛び降りた。



「――獄門羅刹……お前らが不甲斐ないから様子を見に来たんだ」



「大変!申し訳ございません!」



 首のない鎧が周囲の魔物を斬り飛ばすと、騎士の1人が危険も顧みず、剣を下ろして腰を折る。


 慌てて幽闇百足に騎士の背後を守らせつつも、アルギスは不満げに辺りを見回した。


 

「……ペレアスは、どこだ?指揮は奴に執らせたはずだ」



「そ、それが――」 



 声を震わせる騎士の話を聞けば、異変を察したペレアスは、情報収集のため前線へと赴いている。


 しかし、先程英雄派の前線が崩壊して以降、一向に戻ってこないというのだ。


 話を聞き終えたアルギスは、何も言わず、前線へ顔を向けた。


 

「……獄門羅刹」



「…………!」 



 アルギスの呟きと共に、獄門羅刹は巨大な湾刀を振り払う。


 上半身の無くなった魔物の奥を見据えると、アルギスは再び幽闇百足へ飛び乗った。



「私はペレアスの下へ向かう。……お前らは指示を守れ」



――はっ!―― 



 アルギスの指示に、騎士たちは闘志を漲らせ、迫りくる魔物に一歩も引かず応戦する。


 一方、苛立つアルギスを乗せた幽闇百足は、残像を残して前線へと動き出した。

 


(何が”覚悟”だ、履き違えやがって……)


 

 煙のように幽闇百足が戦場を移動する中、アルギスはペレアスの行動に怒りを募らせる。


 程なく、目の赤いオークと相対するペレアスの姿が目に入ると、一層幽闇百足に速度を上げさせた。



「斬れ、獄門羅刹」


 

「な、なぜ……!」



 後方からオークを斬り裂いた獄門羅刹に、ペレアスはアルギスへ顔を向けることなく、苦々しい表情で呟きを漏らす。


 一方、動揺するペレアスを見下ろしたアルギスは、獄門羅刹を後方のオーガへ差し向けながら声を上げた。



「……二度目は無いと、言ったはずだが?」 



「とにかく、お逃げください!こいつらは、恐らく魔物ですらありません!」



 しかし、傷だらけの鎧に身を包んだペレアスは、アルギスを見上げて、必死の形相で後方を指さす。


 喚きたてるペレアスに鼻を鳴らすと、アルギスはひらりと幽闇百足から飛び降りた。



「それを確かめるために来たんだ。……《傲慢の瞳》よ、ステータスを表示しろ」



 ――――――――


 

【種族】

 オーガ

【状態異常】

・同一化

【スキル】

・怪力

・重撃

・狂化

・修復 

【属性】

  ――

【魔術】

 ――



――――――――

 


(なんだ、このステータスは……。それに……”狂化”だと?)



 目の前に表示されたステータスの内容に、アルギスはフラリと眩暈を起こす。

 


 ぐらつく視界でステータスから顔を上げた時。


 体を左右に切り裂かれたオークの半身が、倒れ伏している状態からピクリと動いた。



「っ!アルギス様!」



「な……!?」



 ペレアスに突き飛ばされつつも、アルギスは血の一滴すら零さない半身に目を見開く。


 直後、地面を勢いよく叩いたオークの半身は、反動で飛び上がるようにペレアスへ襲い掛かった。



「ぐぁっ!」



「くそ……!細切れにしろ、獄門羅刹!」



 鈍い音と共に崩れ落ちるペレアスに、アルギスは焦りを滲ませながら、獄門羅刹を呼び戻す。


 一瞬の内に霧となって戻った獄門羅刹が、ウネウネと蠢く半身を肉片に変えると、ペレアスの側へしゃがみ込んだ。



「ポーションはどこだ!?」



「既に使い切っております。お逃げください、囮くらいにはまだ……」



 ゴホゴホと咳き込んだペレアスは、口元の血を拭って、震える体で立ち上がろうとする。


 しかし、幽闇百足に周囲を守らせたアルギスは、へこんだ鎧に目を落として、ペレアスの体を抱えた。



「黙れ!ならば一度拠点に戻るぞ!この程度なら治る!」



「……申し訳ございません、既に足もろくに動かないようです。……ですが、申し上げた通り、覚悟は出来ておりますので」



 魔力を纏うことも忘れて抱き上げようとするアルギスに、ペレアスは穏やかな笑顔で首を振る。


 目を閉じるペレアスの体を無理矢理起こすと、アルギスは湧き上がる感情に任せて口を開いた。


 

「……駄目だ。私の命令は、絶対だ!」



 張り裂けるような叫びと同時に、アルギスの体の中には、聞き覚えのある”カチャリ”と鍵の開くような音が響く。


 すると突如、そっとペレアスを地面に寝かせたアルギスは、感情の抜け落ちた顔で、すっくと立ち上がった。


 

「――目障りな、虫ケラどもが……」



 ポツリと漏れた呟きと対照的に、アルギスの体からは、膨大な量の霧が噴き出す。


 一瞬にして戦場の中心で膨れ上がった黒い霧は、柱のように空へと伸び、暗雲を貫くのだった。


 

 


 一方、同じ頃。


 マリーと共にはぐれた魔物を討伐していたブラッドは、空まで届く黒い柱に、叫び声を上げながら炎をまき散らした。



「おいおいおい!また大物は内側かよ!」 



「……いえ、あれは確実にアルギス様です。向かいますよ、ブラッド」



 顔を顰めつつも大剣を振る手を止めないブラッドに、マリーは半透明の防壁の中から声を掛ける。


 しかし、ぎょっと目を剥いたブラッドは、手を止めて、マリーの隠れる影に顔を向けた。



「向かうって……冒険者ギルドの配置は側面だぜ?それに、中には騎士がうじゃうじゃしてるし」 



「だから何ですか?指示などあって無いようなものでしょう」



 躊躇いを見せるブラッドに対し、マリーは今すぐにでも移動しようと魔力を足元へ集める。


 マリーの気迫に圧されつつも、ブラッドは周囲で戦う冒険者たちをぐるりと見渡した。



「でもよー……」



「……貴方の背中の紋章は、誰の物ですか?」



 しばしブラッドが口ごもっていると、マリーは痺れを切らしたように低い声で問いかける。


 影の奥からでもわかるマリーの苛立ちに頬を引きつらせたブラッドは、叫び声を上げながら目の前の魔物を斬り飛ばした。



「わーかったって。行くよ、行く!」 



「暑苦しいので、アルギス様の前ではその炎を控えてくださいね。……では、お先に」



 吹っ切れた様子のブラッドを尻目に、マリーは半透明の防壁が消えると共に、足元の影へと沈んでいく。


 程なく、マリーが頭まで影に沈み切ると、ブラッドは側で剣を振っていた冒険者たちへ顔を向けた。


 

「わりぃけど、ここは任せた!」



「おい!任せたって、お前の代わりなんか……」



 ブラッドの声が耳に入った冒険者たちは、慌てて飛び出していくブラッドの穴を埋める。


 一方、黒い霧の柱を見上げたブラッドは、混乱を極める戦場へ、1人飛び込んでいった。


 

(あれが本当に大将だとしたら、あんだけ本気になれる敵がいるってのか……?) 



 次々と魔物を斬り飛ばしながら進むブラッドの目線の先には、今も立ち昇る黒い霧が映り込む。


 ギラギラと目を輝かせたブラッドは、不安げに剣を振る騎士をよそに、数体の魔物を纏めて刺し貫いた。



「今、俺は最高に生きてる……!」 



「なっ!?何者だ!」



 貫いた魔物たちを一瞬で炭化させるブラッドに、騎士の1人が、手を止めて大声で誰何する。


 困惑する騎士にくるりと背を向けると、ブラッドは襲い掛かる魔物を即座に斬り飛ばした。



「背中の紋章を見な。マヌケ野郎」



「え、エンドワース家……私も同じ貴族派の者だ!助けてくれ!」



 コートに刺繍されたエンドワース家の紋章に、騎士はなりふり構わず声を張り上げる。


 そのまま歩き出そうとしていたブラッドは、予想と異なる騎士の対応に、思わず目の前の魔物を斬り損じた。


 

「いてっ……ちょ、え?」



「だ、大丈夫か……!?」


 

 魔物の反撃を受けるブラッドに、騎士は不安げな表情で駆け寄る。


 しかし、当のブラッドは、事も無さげに倒し損ねた魔物を炭に変えた。



「ああ。……で、なんだっけ?」 


 

「そ、そうだ!前方に一体、”倒れない”魔物がいるんだ!」



 ハッと我に返った騎士は、口から唾を飛ばして、中央を指さす。


 すると、ブラッドは途端に嬉し気な表情を浮かべながら、ゆっくりと膝を折った。


 

「へぇ……倒れない、ねぇ。いいぜ、見てきてやるよ」



「待て!まだ場所を……!」



 既に前しか見据えていないブラッドに、騎士は慌てて声を掛ける。


 騎士の静止も無視して、ブラッドは矢のように空中へと飛び出していった。


 

(本気の大将に、倒れない魔物まで……。俺は、今日この日のために牢獄を出たんだ)



 フワリとした滞空時間の最中、ブラッドの胸には言葉にできないほどの歓喜が湧き上がる。


 やがて、轟音を立てて着地したブラッドは、哄笑を上げながら、縦横無尽に戦場を駆け始めるのだった。

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