58話

 翌日の早朝、闇の雲に覆われた空の下。


 冷たい風の吹きすさぶ防壁の上では、獅子と骸が棺を支える紋章をたなびかせたブラッドが、遠目に現れた魔物の軍勢を見下ろしていた。

 


「こいつはすげぇ。……大将たちの軍もぞろぞろ集まってるとは思ったが、魔物どもはそれ以上だ」



「ええ。知ってか知らずか、警鐘が鳴り響いて以降、王都は静まり返っていますね」 



 ブラッドと対照的に市民街を見下ろしたマリーは、人っ子一人出歩いていない通りに目を細める。


 しばし2人が防壁の上で様子を眺めていると、突如王宮から無数の光線が空へ伸び始めた。



「あれは、一体……?」



「おい。ありゃ、たぶん”連結詠唱”だぞ……しかし、なんて規模だ」



 マリーの声に後ろを振り向いたブラッドは、鳥籠のように空中へ寄り集まっていく光線に、茫然と呟きを漏らす。


 口をあんぐりと開けるブラッドに、マリーは不満げに唇を尖らせながら顔を向けた。



「……”連結詠唱”とはなんですか?」



「ああ?俺は術師じゃねぇから、詳しいわけじゃねぇぞ?」



 マリーをチラリと横目に見ると、ブラッドは再び王宮へ目線を留めて、困ったように頭を搔く。


 ポツポツと語り出すブラッドによれば、”連結詠唱”とは所有者が複数人集まることで、本来使用できない階梯の術式行使を可能とするスキルだというのだ。


 

「使える奴は限られてるって話だったけど……こりゃあ、どういうこった」



「なぜ?貴方がそんなことを知っているのですか?」



 訳知り顔で話すブラッドに、マリーは無意識に重たくなった口調で口を開く。


 たちまち結界に囲まれた王宮から目を逸らすと、ブラッドは居心地悪そうに戦場へ向き直った。


 

「……ガキの頃に一度だけ見たことがある。あんなデカいのじゃねぇがな」



「……子供の頃の話ですか」



 ブラッドと共に後ろを振り向いたマリーは、ピクリと眉を上げて黙り込む。


 防壁にそっと手を掛けるマリーに対し、ブラッドは立てかけていた大剣を手に取ると、肩に担いで身を低くした。


 

「そのあたりは暇なときにでも、また話そうぜ。んじゃ、お先」


 

「ちょっと……!」


 

 ブラッドがバキッと地面を砕いて飛び出すと、マリーは慌てて防壁の下を覗き込む。


 しかし、壁沿いに落下し始めたブラッドの口からは、楽し気な叫び声が漏れていた。

 


「ィィイヤッホー!」



「はぁ……。アルギス様は何故あんなのを従者に……」



 地面に大穴を開けて着地するブラッドに、マリーはため息をつきながら、影に沈んでいく。


 一方、大剣を片手に首を回したブラッドは、隊列を整える貴族の軍と、後方に控える冒険者達へ目を向けた。

 


「うし!行くか」



「――行くか、ではありません。ギルドとの交渉は貴方の仕事のはず、指示の内容を教えてください」



 ズブズブと影の中から浮かび上がると、マリーは歩き出すブラッドのコートを掴む。


 苛立ちに顔を歪ませるマリーに、ブラッドは片目を瞑りながら、指で丸を作って見せた。



「ああ、そっちはバッチリだ。俺達の役目は、他の冒険者の手助けってことになった」



「……つまり?」



 一層目じりを吊り上げつつも、マリーは声のトーンを落として質問を重ねる。


 すると、ブラッドは大剣の背で肩を叩きながら、どこか自慢げに胸を張った。


 

「なんでもありってことだぜ。最高だろう?」



「指揮系統から完全に外れたということですね?……最悪です」



 上機嫌なブラッドの返事に、マリーはうんざりとした表情で肩を落とす。


 しかし、ブラッドはマリーの不満など気にした様子もなく、遠ざけるように手を振った。


 

「あと言い忘れてたけど、あまり俺が戦っている時に近づくなよ?」



「はぁ?」



 こめかみに青筋を立てたマリーは、ヘラヘラと笑うブラッドを睨みつける。


 マリーが敵意の籠った視線を向ける中、ブラッドの足元からは、真紅の炎が立ち上がり出した。



「……今回は、遊んでる余裕もなさそうだしな」



「っ!」



 たちまちの内にブラッドが炎の渦に包まれると、マリーは迫る熱風に思わず腕で顔を覆う。


 程なく、炎の勢いを弱めたブラッドは、メラメラと裾の燃えるコートをはためかせながら、大剣を担ぎ直した。

 


「ま、お互い楽しくやろうや」 



「……問題を起こさずに、さっさとアルギス様の下へ帰還しますよ」



 ニッと口角を上げるブラッドに、マリーは顔を顰めながら、短剣を取り出す。


 揃って用意を整えると、2人は軍に先立って動き出す冒険者たちへと合流するのだった。





 魔物の軍勢と開戦して3時間が経った頃。


 陣幕の椅子に腰かけたアルギスは、目の前に置かれたテーブルを指で叩きながら声を上げた。


 

「……戦況は?」



「何度聞いてもそう変わらん。前線に英雄派、我々は中央、ギルドは側面で交戦中だ」 



 苛立ちを募らせるアルギスに、オリヴァーはガチャガチャと鎧をぶつけながら、首を横に振る。


 テーブルを叩いていた指を止めると、アルギスは伝達の騎士が姿を消す、陣幕の出入口を見据えた。


 

「それ以降、何の変化もないのか?」 



「魔物の数は布陣した騎士の3倍だぞ?……何とか持ちこたえているのが現状だ」



 強い語調で言葉を返しつつも、オリヴァーは悲痛な表情で目を伏せる。


 以降、パタリと黙り込むオリヴァーに、アルギスは口元に手を当てながら言葉を続けた。



「国王派は何をしている。奴らが王都を捨てることは無いはずだ」



「……奴らは俺達を囮に”首魁”を炙り出す気でいる。今出ている騎士も威力偵察の意味合いが強い」 



 ギリッと奥歯を噛みしめたオリヴァーは、悔し気に顔を歪めながら口を開く。


 なんでもオリヴァーの話によれば、迫りくる魔物の様子を見た王宮は、魔族の存在を確信していたというのだ。


 

(魔族か……。道理で拠点の配置がデタラメなわけだ……) 



 王宮の出した結論に、アルギスは外に設置された複数の陣幕が脳裏をよぎる。


 ややあって、ギュッと目頭を押さえると、気持ちを切り替えるように背もたれへ寄りかかった。


 

「……しかし、王都を食い荒らされては元も子もないだろう」



「防壁が超えられれば、流石に魔術師協会や学院が動き出す。それに第一師団を加えて、どうにかする気のようだ」 



 訝し気な目線を送るアルギスに、オリヴァーは吐き捨てるような口調で言葉を返す。


 しかし、王宮の策略を耳にしたアルギスの表情は、ますます怪訝なものへと変わっていった。


 

(どういうことだ?シナリオに防壁が破壊された描写は無かったが……)



「幸い、予め分かっていたからな。こちらの損傷も抑えられる……そう易々と手柄はくれてやらん」



 目まぐるしく考えを巡らせるアルギスをよそに、オリヴァーは苦々しい顔で話し続ける。


 気色ばむオリヴァーを横目に見つつも、アルギスは辻褄の合わない状況に首を捻った。



(……やはり、ゲームとこの世界には何か違いがあるのか?)


 

 アルギスが外の様子を見ようと席を立った時。


 バサリと開かれた陣幕の入り口から、息を切らした騎士が勢いよく駆け込んできた。


 

「――伝令!部隊中央より、異常個体の発生を確認しました!」



「そいつの見た目は!?」



 騎士の報告が陣内に響くと同時に、オリヴァーは血相を変えて、後ろを振り返る。


 オリヴァーに睨みつけられた騎士は、息を整えながら、ピンと背筋を伸ばした。



「はっ!……赤い目をした魔物であります!討伐後、”復活”したとのことです!」



「……なに?」 


 

「それは、即座に死霊化したということか?」


 

 目を剥いて絶句するオリヴァーに対し、アルギスは眉一つ動かすことなく、声を上げる。


 慌ててアルギスへ向き直ると、騎士は所在なさげに目線を動かしながら首を振った。


 

「い、いえ。首を落とした本人が曰く、”頭を首へ乗せると、瞬く間に傷が治癒した”と……」



(おかしい……。この世界には、蘇生などないはず) 



 釈然としない様子で話す騎士の報告に、アルギスは奇妙な胸騒ぎを感じる。


 陣幕に鎧の擦れる音だけが響く中、オリヴァーは額を押さえて天井を見上げた。



「一体、何が起きているんだ……」



「……確かめる方法など1つだ。直接、聞きに行くしかあるまい」



 テーブルに手をついたアルギスは、ため息をつきながら、ゆっくりと席を立つ。


 そのままアルギスが出口へ足を向けると、オリヴァーは血の気の引いた顔で目線を下ろした。


 

「やめろ!ここでお前が傷つかれては、もうソウェイルドに合わせる顔がないんだ……」



「残念だが、既に私も後戻り出来る状況にない。……大丈夫だ、万事任せておけ」



 テーブルへ拳を打ちつけるオリヴァーに、アルギスは振り返ってニヤリと不敵な笑みを見せる。


 再び歩き出すアルギスの姿を見たオリヴァーは、記憶にあるソウェイルドと重ね合わせて、目を見開いた。

 


「っ!……もう、好きにしていい」 



「ああ。無論、そうさせてもらうつもりだ」



 背中越しに手を振ったアルギスは、ローブのフードを被りながら、陣幕の出口へ向かっていく。


 徐々に強くなる胸騒ぎに顔を顰めつつも、出口に立つ騎士の前で顎をしゃくり上げた。



「……接敵した奴の所まで案内しろ」



「はっ!」 


 

 真顔で見上げるアルギスに、騎士は目を合わせることなく頭を下げる。


 間髪を入れず、陣幕を後にしたアルギスと騎士の2人は、赤い目の魔物を討伐した者の下へと足を向けるのだった。 

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