57話
応接室を出て、3時間が経った頃。
中庭へとやってきたアルギスの前には、光り輝く鎧を纏った騎士たちが、一糸乱れず並び立っていた。
(これだけいれば、どうにかなるだろう)
数百人はいるだろう騎士に、アルギスはこっそりと安堵の息をつく。
アルギスが騎士たちの様子を満足げに眺めていると、頭髪を綺麗に剃り上げた巨体がのしのしと近づいてきた。
「アルギス様。ご要望の通り、可能な限りの騎士を集めましたが、これは一体?」
「ご苦労、ガーランド。理由は既にわかっているだろう?」
ガーランドをチラリと横目に見たアルギスは、声を低くして質問を返す。
しかし、ガーランドは薄い眉を歪ませながら、大きく首を振った。
「なりません。旦那様からも、団長からも出陣の許可は下りていません」
「形だけでいい、私が兵を率いてさえいればいいんだ。……公都からはなんと?」
目を瞑って、むっつりと口を閉じるガーランドに、アルギスは顔を寄せて、小声で言葉を続ける。
ややあって、躊躇いがちに瞼を開けたガーランドは、眉を顰めたまま、再び首を横に振った。
「……現在、連絡を取っております。旦那様からのご指示が無ければ、我々は動けません」
「チッ!」
取り付く島もない返事に、アルギスは苦々しい表情でガーランドから顔を逸らす。
そして、無言で腰を折るガーランドに背を向けると、キョロキョロと辺りを見回し始めた。
(間に合う訳がないだろうが……何か、良い言い訳は……)
アルギスがグルグルと頭を悩ませる中、突如、並び立つ騎士の前列から手が上がる。
直後、額に汗を浮かべたペレアスが、騒然とする騎士たちの中から前に進み出た。
「――失礼ながら、意見を。慰問として戦場へ向かわれては如何でしょう?護衛としての同行なら命令には反しないのでは?」
「貴様!いつ言葉を発していいと……!」
「いや。いい案だ、ペレアス。ガーランド、何人か騎士を貸せ」
顔を真っ赤にして怒鳴りつけるガーランドに対し、アルギスは後ろを振り返って、上機嫌に口を開く。
すると、ガーランドは一転してしょんぼりと肩を落としながら、アルギスに顔を向けた。
「しかし……」
「父上やバルドフに何か言われたら”問題解決の一環”、とでも伝えておけ」
腕を組みながら口ごもるガーランドに、アルギスは感情の抜け落ちた顔で言葉を返す。
抑揚のない声にビクリと肩を揺らすと、ガーランドはこれまでの態度が嘘のように、淡々と腰を折った。
「かしこまりました……」
(……さて、いよいよ失敗できなくなってきたな)
退路を断たれながらも、アルギスは真顔のまま、整然と並び立つ騎士たちへ向き直る。
遠慮がちに顔を上げたガーランドは、素早くアルギスの隣へ駆け寄った。
「ですが、屋敷を守護せねばならぬ関係上、騎士団の全てを送ることは出来かねます。お許しください」
「ああ、そもそも強制の意図はない。顔を上げろ」
深々と頭を下げるガーランドに、アルギスは振り向くことなく、ヒラヒラと手を振る。
そして、目つきを鋭くして最前列に立つ騎士たちを見渡すと、大きく息を吸い込んだ。
「これより、戦場へ慰問に向かう。誰か、私に付き合いたいものはいるか!?」
アルギスの声が中庭に響き渡ると同時、列の中から年若い騎士がパラパラと前に進み始める。
やがて、アルギスとガーランドの横には、帰省時に編成された護衛の騎士たちが、隊を為すのだった。
「……十分過ぎるほどだな」
100人を超える有志の騎士たちに、アルギスの口からは、思わず嬉し気な呟きが漏れる。
一方、アルギスの隣で様子を見ていたガーランドは、ぽっかりと口を開けて言葉を失った。
「これは……」
(どうにか、オリヴァーとの約束は守れそうだ……)
感情を隠すように口を引き結びつつも、アルギスは内心でホッと胸を撫でおろす。
程なく、アルギスが指示を出そうと騎士たちへ顔を向けると、中庭にブラッドとマリーが揃って姿を現した。
「お待たせして、大変申し訳ございません。ブラッドを連れて参りました」
バルドフと共にアルギスへ駆け寄ったマリーは、息を整えながら丁寧なお辞儀を見せる。
ややあって、背後へ向かっていくマリーを尻目に、アルギスはギリギリと奥歯を食いしばるブラッドへと顔を向けた。
「いや、いい頃合いだ。ブラッド、ギルドは何と言っていた?」
「……俺も信じたくねぇが斥候の奴らが言うには、進行速度こそ遅いものの、既に1000を超える魔物が王都に迫っているって話だ」
噛みしめていた奥歯をフッと緩めると、ブラッドは背中を丸めながら、ギルドでの話を報告し始める。
続くブラッドの話によれば、偵察の冒険者が戻る間にも、みるみるうちに侵攻の規模は大きくなっていたというのだ。
(1000匹以上の魔物だと……?これは、本当にテキストに書かれていた大侵攻なのか……?)
悪化の一途を辿る状況に、アルギスは一瞬思考が停止する。
胸中で首をもたげる疑問に眉を顰めつつも、平静を装って首を傾げた。
「それで、ギルドはどう動く?」
「今は冒険者を探して職員が王都を駆け回ってるぜ。まあ、集まっても50人がいいとこだろうけどな……」
チラリと商業区の方向を一瞥すると、ブラッドは話し声を尻すぼみに小さくしていく。
すると、黙ってブラッドの話を聞いていたアルギスは、入れ替わるように口を開いた。
「そうか……なら、お前はギルドへ戻って良いぞ」
「っ!いいのか!?」
事も無さげな様子のアルギスに、ブラッドは慌てて膝を折りながら目線を合わせる。
目を輝かせるブラッドを遠ざけるように手をつき出すと、アルギスはため息交じりに肩を竦めた。
「ああ。指示に従わないお前がいては、指揮が乱れるからな」
「ありがとうっ!大将!」
笑顔で身を翻したブラッドは、すぐにでも走り出そうと身を低くする。
しかし、アルギスはブラッドが動き出すよりも早く、襟首を掴んで引き留めた。
「少し待て」
「な、なんだよ……」
出足を挫くアルギスに戸惑いつつも、ブラッドは背筋を伸ばして指示を待つ。
キョトンとした顔で立ち竦むブラッドをよそに、アルギスは後ろに立つマリーへ目線を移した。
「マリー、ブラッドへコートを渡してやれ」
「…………」
アルギスの声が宙に消えていく中、マリーはぼんやりとしたまま、動き出そうとしない。
目の焦点が合わないマリーに、アルギスは顔の前で手を振って見せた。
「……マリー?」
「し、失礼いたしました……!」
アルギスの声で我に返ったマリーは、冷や汗を流しながら慌てて頭を下げる。
ややあって、顔を上げると、冷たい目でブラッドを睨みながら、黒いコートを取り出した。
「死んでも汚さずに返しなさい」
「なんだ、これ?」
目をパチクリさせたブラッドは、手渡されたコートをバサリと広げる。
ブラッドが両手で持ったロングコートの背中には、堂々とエンドワース家の意匠が刺繍されていた。
「おいおい!いいのかよ!」
「仮にも私の従者だからな。……刺繍を入れただけの間に合わせだが、これがあれば捕まることもないだろう」
浮かれながらコートを羽織るブラッドの様子に、アルギスは消え入るほど小さな声でボソリと呟く。
一方、すぐに袖へ手を通したブラッドは、体中を動かしてサイズを確認し始めた。
「ピッタリじゃねぇか。じゃ、ありがたく貰ってくぜ!」
「貸すだけです!」
嬉し気に手を振るブラッドに対し、マリーはキッと目を鋭くして声を張り上げる。
ソワソワと落ち着きをなくすマリーと共に、アルギスは遠ざかっていくブラッドの背中を見据えた。
「……マリー、一緒に行って大事になりそうなら連れ帰ってこい」
「かしこまりました、そのように……」
ホッと落ち着きを取り戻したマリーは、アルギスへ頭を下げた後、影の中へズブズブと沈んでいく。
程なく、マリーが姿を消すと、アルギスは隊列を組んで並ぶ騎士たちへ体を向けた。
「待たせたな。私に付き従う者は、これよりハートレス邸へ向かう。準備を整えろ!」
――はっ!――
アルギスの号令に、騎士たちは屋敷の右手にある騎士館へ向かって、一斉に移動を開始する。
ガチャガチャと金属のぶつかる音だけが響く中、アルギスは騎士たちへ混じろうとするペレアスに目を細めた。
「待て、ペレアス」
「如何いたしましたか?」
はたと足を止めたペレアスは、去っていく騎士たちに背を向ける。
神妙に腰を屈めて指示を待つペレアスを、アルギスは無表情で指さした。
「現場の指揮はお前が執れ。……二度目は無いぞ」
「既に覚悟は出来ております……身命を賭して、任務の遂行を」
底冷えするようなアルギスの声色に汗を垂らしつつも、ペレアスは穏やかな笑みを浮かべて腰を折る。
しばらくしてペレアスが顔を上げると、アルギスは不快感を呑み込むように頷いた。
「……ならばいい。行け」
「はっ!」
再度小さく腰を折ったペレアスは、駆け足で騎士たちの隊列へと向かっていく。
たちまち小さくなるペレアスの姿を横目に、アルギスは側に1人残ったガーランドを見つめた。
「世話を掛けたな、ガーランド」
「っ!とんでもございません。……共に戦場へ出られぬこと、お赦しください」
アルギスが声を掛けると、ガーランドは悔し気に拳を握りしめて頭を下げる。
しかし、ガーランドの頭を見下ろすアルギスの口元は、どこか楽し気に歪んでいた。
「構わん。……戦果に期待しておけ」
毅然と首を振ったアルギスは、意味深な呟きと共に、ガーランドへ背を向ける。
そして、クツクツと笑い声を漏らすと、軽い足取りで屋敷へと戻っていった。
◇
アルギスが中庭を去って数時間が経った夕暮れ時。
僅かに7人の貴族が円卓に腰を下ろしたハートレス邸の一室は、水を打ったように静まり返っていた。
(……レイチェルの事もあって早々に屋敷を去ってしまったが、奴は本当にくるのか?)
未だ先触れすら寄こさないアルギスに、オリヴァーの疑念は徐々に膨らみ始める。
しばらくの間、オリヴァーがしかめっ面で円卓を睨んでいると、右隣に座る老齢の貴族が声を上げた。
「ハートレス様。そろそろ、陣幕の用意をした方が……」
「……わかっている。皆まで言うな、ランベール卿」
苛立ち交じりに髪をかき上げたオリヴァーは、老齢の貴族――マルグリット・ランベール子爵に頷きを返す。
すると、今度は左隣に座る長身の貴族が、しびれを切らしたように、円卓へ身を乗り出した。
「しかし、国王派、英雄派は共に布陣を完了しています。このままでは、我らが臆病者の誹りを受けかねません」
「シュトラウス卿の言う通りでございます。……そも、盟主たるエンドワース家の兵は何処へ?」
長身の男――クリストフ ・シュトラウス伯爵へ追従した中年の貴族は、怯えた様子で辺りを見回す。
貴族たちの間に動揺の広がり出す中、オリヴァーは怒りを抑え込むように、長い息をついた。
「……奴は、エンドワース家は未だ到着していない」
「な……!?話が違いますぞ、我らの多くは無理を押してきているというのに……」
「本当にいらっしゃるのですか?」
忌々し気なオリヴァーの返答に、貴族たちからは口々に疑惑の声が飛び出す。
しかし、オリヴァーが思い切り円卓を叩くと、室内には再び痛いほどの沈黙が流れた。
「……君たちの言いたいことも、重々承知している」
「第二師団への要請は、どうなりましたか?」
周囲を睥睨するオリヴァーに、クリストフはすかさず質問を重ねる。
思い出したように顔を顰めたオリヴァーは、額を押さえながら、円卓に両肘をついた。
「グリューネに問い合わせたが、こちらへの援助は不可能だ。……分隊すら作れず、全て王宮に奪われた」
「……では、我々の総戦力は400名の騎士のみ、ということですかな?」
オリヴァーが静かに首を振ると、これまで様子を眺めていたマルグリットが声を上げる。
あくまで冷静な呟きを漏らすマルグリットに、オリヴァーは額から手を下ろして、流し目を向けた。
「だが、国王派や英雄派とて、そう変わらない状況だ。王宮は、防壁が破られることすら考慮に入れている」
「しかし、それでは王都は……」
オリヴァーの返答に目を剥いたマルグリットは、茫然と背もたれに寄りかかる。
一方、円卓についた拳を握りしめたオリヴァーは、重々しい口調で声を絞り出した。
「恐らく、教会や冒険者ギルドの動きに期待しているのだろう。……愚かなことだ」
オリヴァーが口を閉じると同時に、マルグリットとクリストフを除く貴族たちは、コソコソと話し合いを始める。
やがて、先ほどまで怯えていた中年の貴族は、一層顔を青くして、手を挙げた。
「や、やはり、もう少し屋敷に守護を残しても?」
「……好きにしてくれ。事前に伝えた通り、ここで退けば王都の貴族派は消滅するがね」
嘲るように口角を上げると、オリヴァーは腕を組んで黙り込む。
脅しともとれるようなオリヴァーの物言いに、話し合っていた貴族たちもまた、俯きながら黙り込んだ。
(……早く来い。アルギス)
静まり返る室内に胸を痛ませつつも、オリヴァーは無言でアルギスの到着を待つ。
ややあって、貴族たちの士気も下がり切るかに思えた時。
勢いよく開かれた扉から、アンダーソンが部屋に飛び込んできた。
「アルギス・エンドワース様、並びにエンドワース騎士団の皆様がご到着いたしました!」
喜色にあふれたアンダーソンの声に、青くなっていた貴族たちの顔には、徐々に血色が戻り出す。
一方、勢いよく円卓に手をついたオリヴァーは、思わず席を立ち上がって、身を乗り出した。
「今すぐにここへ……!」
「――なんだ?全員、随分と浮かない顔をしているな」
しかし、オリヴァーが指示を出すのを待たず、アンダーソンの後ろから、おどけたような声が上がる。
黒いローブ姿でフラリと現れたアルギスを、オリヴァーは射殺さんばかりに睨みつけた。
「今まで、何をしていた!」
「言わなかったか?騎士団に話をつけていたんだ」
気楽な調子で肩を竦めたアルギスは、期待と困惑をない交ぜにする貴族たちの横を抜け、オリヴァーに近づいていく。
程なく、アルギスが目の前までやってくると、オリヴァーは椅子へ座り直して、祈るように顔を見上げた。
「……それで、どうなった?」
「エンドワース騎士団総勢117名と……この私が向かう」
囁くようなオリヴァーの問いかけに、アルギスは獰猛な笑みを浮かべながら、黒い魔力を揺らめかせる。
楽し気なアルギスの姿を見たオリヴァーは、張り付けられたように目線を固定した。
「お前も、その眼をするのか……」
「なんだ?じろじろ見るな、鬱陶しい」
纏っていた黒い魔力を霧散させると、アルギスはオリヴァーの視線を遮るように、軽く手を振る。
しかし、なおも視線を感じながら、円卓に座る貴族たちの顔をぐるりと見渡した。
「……さて、戦いたくない者は、ここで騎士を連れて帰ってくれて結構」
アルギスの口から飛び出した言葉に、オリヴァーを含む、その場の全員が表情を凍り付かせる。
ややあって、キョロキョロと辺りを見回した中年の貴族が、小さく手を挙げた。
「そ、それは、どういう……?」
「ふむ、失態を報告する気は無いからな。報告するなら武勇だろう?」
中年の貴族にニコリと笑顔を見せたアルギスは、確信じみた口調で話を続ける。
そして、円卓に手をつくと、再度椅子に座る貴族たちの顔を見回した。
「それでは、さっさと決めて貰おう。その気がある者のみ、席を立ってくれ」
アルギスが話し終えるが早いか、室内にはガタガタと椅子を引く音が響き渡る。
未だ怯えを残しつつも、貴族たちの目には、強い野心の光が輝いていた。
「素晴らしい。諸君らの忠誠と心意気に、拍手を送ろう」
すぐに微笑みを湛えたアルギスは、貴族たちの1人1人と目を合わせながら、パチパチと手を鳴らす。
やがて、叩いていた手を下ろすと、ニヤリと笑みの種類を変えて、オリヴァーに向き直った。
「さあ、用意は整えたぞ。出陣だ、ハートレス卿」
「……ああ。俺も待ちわびていた所だ」
不敵な笑みを浮かべるアルギスに、オリヴァーは舌打ちを零しながら席を立つ。
これまで沈黙を守っていた貴族派は、アルギスの到着を皮切りに、戦場へと進軍を開始するのだった。
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