56話

 王都に振り続いていた雨が上がり、未だ厚い暗雲だけが空に残る中。


 自室の窓際に立ったアルギスは、怪訝な表情で外の景色を眺めていた。


 

(今のところ、王宮に動きはない。ただの思い過ごしだったのか?)


 

 ブラッドが屋敷へと戻って半日以上が経つにもかかわらず、未だ連絡が来たという報告はない。


 

 小さく息をついたアルギスが執務机に戻ろうとした時。


 音もなく開かれた扉の奥から、複雑な表情をしたマリーが近づいてきた。



「失礼いたします、アルギス様。お客様がお見えになりました」



「……今度は誰だ?」



 落ち着かない様子で近づいてくるマリーに、アルギスは呆れ顔で執務机に戻っていく。


 しかし、アルギス同様執務机の側までやってきたマリーは、表情を曇らせながら、ペコリと頭を下げた。



「それが、ハートレス家のオリヴァー様とレイチェル様のお二人でして……」



(なに?このタイミングでハートレス家だと?) 



 椅子に掛けていた手をピタリと止めると、アルギスの顔はみるみる内に焦りで歪んでいく。


 やがて、苛立たし気に椅子を戻したアルギスは、早足で部屋の出口へ足を向けた。



「……マリー、ブラッドを応接室まで連れて来い。私は先に向かう」



「か、かしこまりました」



 突如雰囲気の変わったアルギスに気圧されつつも、マリーは頭を下げて後ろに付き従う。


 程なく、揃って部屋を出た2人は、左右に分かれて廊下を歩き出した。



(……予想が外れていることを祈るばかりだな) 



 そそくさと去っていくマリーを背に、アルギスは苦々しい表情で足を進める。


 徐々に不快感を増す胸騒ぎを感じながらも、1人応接室へと向かっていった。


 

 そして、廊下を進むこと数十分。


 階段を降りた先にある応接室では、オリヴァーとレイチェルの2人が並んでソファーへ腰かけていた。


 

「まさか、これほど早い再会になるとはな。ハートレス卿」



「会いたくて来たわけではない」


 

 皮肉気な笑みを見せるアルギスに、オリヴァーは鼻を鳴らしながら顔を逸らす。


 一方、オリヴァーの隣に座るレイチェルは、不安げな表情で身を乗り出した。



「お久しぶりですわ、アルギス様。ご迷惑とは思うのだけれど、少しだけ話を聞いていただけないかしら?」 


 

「話なら手短に済ませてくれ。遥々来てもらって悪いが、私も少々忙しいんだ」



 ややあって、2人の向かいに腰を下ろすと、アルギスは難しい顔で背もたれへ寄りかかる。


 急かすようなアルギスの口ぶりに、オリヴァーは眉間に皺を寄せながら、レイチェルへ顔を寄せた。


 

「……見ろ、レイチェル。これがエンドワース家だ」



「シッ!聞こえてしまうわ……」 



 オリヴァーの耳打ちにぎょっとしたレイチェルは、慌てて顔を引き離す。


 悲し気にオリヴァーが前を向き直ると、アルギスは目頭を押さえながら、口を開いた。


 

「わざわざ、嫌がらせのために来たのか?」



「……現在、王都は未曽有の危機に瀕している。これについて、どう思うかね?」 



 ため息をつくアルギスを睨みつけつつも、オリヴァーは神妙な口調で問いかける。


 しかし、目頭から手を下ろしたアルギスは、苛立ちを隠すことなく、首を横に振った。



「不愉快だ。持って回ったような言い方は止めろ」



「っ!」



 心を見透かすようなアルギスの視線に、オリヴァーは歯を食いしばりながら、一層目つきを鋭くする。


 2人が無言で睨み合う中、オリヴァーの隣に座るレイチェルは、沈痛な面持ちで目を伏せた。


 

「アルギス様、お父様。やめて……」



「はぁ……」


 

「チッ!」



 アルギスとオリヴァーが互い違いに目を逸らすと、応接室は気まずい静寂に包まれる。


 唇を噛みしめるオリヴァーと体を震わせるレイチェルに、アルギスは嫌な予感が当たったことを悟った。


 

(……ソーンダイク家の事かとも思ったが、どうやら違うようだな) 


 

 やがて、アルギスが痺れを切らして口を開こうとした時。


 静まり返った室内に、突如バンと勢いよく扉の開く音が響き渡った。



「悪い!大将、遅くなった!」



「皆様方、大変申し訳ございません……!」



 開け放たれた扉の奥からは、息を切らしたブラッドと、後ろでペコペコと頭を下げるマリーが姿を現す。


 揃って応接室へ足を踏み入れると、2人は対照的な態度でアルギスへと近づいていった。



「あの”烈火”を……本当に従者としたのか」 



「お、あんた随分と懐かしい呼び名で呼ぶなぁ」



 茫然と呟くオリヴァーに、ブラッドは恥ずかし気に頭を搔きながら、ニカリと笑顔を見せる。


 一方、ブラッドの返事を聞いたオリヴァーとレイチェルは、ポカンと口を開けて固まった。


 

「は……?」



「え……?」 


 

「コイツについては無視してくれ。礼儀の矯正は、おそらく不可能だ」



 明け透けなブラッドの態度に頭を痛めつつも、アルギスは努めて冷静に2人へ声を掛ける。


 そして、一度大きなため息をつくと、側で指示を待つブラッドを見上げた。


 

「ブラッド、お前はマリーと後ろへ立っていろ」



「おう」



 アルギスへ頷き返したブラッドは、悠々とソファーの後ろへ向かっていく。


 やがて、マリーとブラッドが背後に並び立つと、アルギスは膝に肘をついて、身を乗り出した。



「さて、役者は揃った。話を聞かせてもらおうか」



「……話を聞けば、後には戻れないぞ?」

 


 静かに言葉を待ち始めるアルギスに、オリヴァーは忠告じみた口調で口を開く。


 しかし、小さく首を振ったアルギスは、オリヴァーを射抜くような目で睨みつけた。


 

「私には後などない。さっさと話せ」



「……ああ。まずは、昨日の夜、王宮へ届いた報せの話からだ――」 



 アルギスの物言いに目を見開いたオリヴァーは、諦めたように淡々と話し出す。


 ややあって、侵攻の規模について話し終えると、話題は貴族派の現状へと移っていった。


 

「知っての通り、既に王都を地盤としている者は少ない。貴族派の編成できる軍の規模には限界があるだろう」 


 

(やはり、侵攻は確定か……しかし、時間だけでなく、兵力まで足りないとは……) 


 

 落ち着いているとばかり思っていた王都の現状に、アルギスは口元に手を当てながら、じっとテーブルへ目を落とす。


 しばしの逡巡の後、口元から手を離して顔を上げると、焦りを誤魔化すように数回頷いた。


 

「なるほどな。概要は理解した」



「……いや、事態は思っている以上に深刻だ。……顔を寄せてくれ」



 疲れ果てた様子のオリヴァーは、レイチェルへ話を内容を隠すように腰を浮かせる。


 警戒交じりにオリヴァーへ顔を寄せたアルギスは、耳打ちされた内容に、忙しなく目線を動かし始めた。


 

(王宮の一部では魔族の嫌疑まで浮上している、だと?)



 オリヴァーが言うには、宰相を含む高位貴族の間で、まことしやかに魔族の存在がささやかれている。


 それ故に、魔物の討伐へ向かわせる軍の規模について、王宮ではいつまでも結論が出ないままでいるというのだ。


 

「加えて国王派、英雄派は共に王女アリアの遠征にも護衛の人員を割いている。……後は王宮の守護にどの程度数を残すかにもよるがな」



(勇者の行動が、こんな形で足かせになるか……) 


 

 オリヴァーの話を黙って聞き終えたアルギスは、ドサリとソファーへ腰を落とす。


 そして、背もたれへ寄りかかると、腕を組みながら、天井を見上げた。


 

「……今すぐにでも協力したいのは山々だが、騎士団全体の指揮権は私の権限が及ぶ範囲に無い」 



「そう、か……」



 呟くようなアルギスの返事に、オリヴァーは俯きながら、ソファーへ座り直す。


 しかし、ゆっくりと目線を下ろしたアルギスは、気持ちを切り替えるように、パンと膝を打って立ち上がった。


 

「おかげで騎士館へ出向かねばならん。時間もかかるだろうからな、一度帰ってもらって構わないぞ」



「なに……?」


 

 軽い口調で話すアルギスに、オリヴァーは目を白黒させて顔を跳ね上げる。


 訝しむようなオリヴァーの視線に背を向けると、アルギスは後ろへ立っていたブラッドへ顔を向けた。



「ブラッド。今すぐにギルドで話を聞いてこい」



「おう!」



 嬉し気に歯を見せたブラッドは、弾むような足取りで扉へ駆け出していく。


 遠ざかっていくブラッドを尻目に、アルギスは残ったマリーへと目線を移した。



「マリー、お前はハートレス家の方々をお送りしろ」


 

「かしこまりました」



 両手を前に合わせて頭を下げると、マリーは静々とオリヴァー達の元へ歩き出す。


 しばし唖然としていたオリヴァーは、1人部屋の出口へ足を向けるアルギスに、堪らず声を上げた。



「待て!どういうことだ」



「察しの悪い奴だ。……エンドワース家の名を使って貴族派に連絡しろ、多少は違うだろう」



 困惑した様子を見せるオリヴァーに、アルギスは足を止め、呆れ顔で言葉を返す。


 しかし、アルギスの物言いにピクリと眉を上げると、オリヴァーは怒気を滲ませながら立ち上がった。

 


「……俺に、嘘をつけと?」



「いいや、この後、騎士団に話をつけたら私もそちらへ向かう。それなら問題ないはずだ」



 再びオリヴァーと睨み合ったアルギスは、ニヤリと口角を上げて、不敵な笑みを浮かべる。


 すると直後、オリヴァーが口を開くよりも早く、これまで黙り込んでいたレイチェルが席を立ち上がった。



「――だめ!」



「……ふむ」 


 

 必死の形相で身を乗り出すレイチェルに、アルギスはオリヴァーの前を通り抜けて近づいていく。


 一方、ハッと我に返ったレイチェルは、崩れるようにソファーへ腰を下ろした。



「あ……ごめんなさい……」



「言いたいことがあるなら、はっきりと言え」



 憂鬱な表情で俯くレイチェルを見下ろすと、アルギスはしかめっ面で腕を組む。


 しばしの沈黙の後、レイチェルは声を震わせつつも、堰を切ったように話し出した。

 


「余計なお世話なのはわかっているわ。でも、危険な所へ行ってほしくないの、話を聞いてくれるだけ良かったの……」 



「……私の面子を潰してくれるな。お前は帰りを待つだけでいい、何も危険なことなどない」


 

 レイチェルの不安を鼻で笑ったアルギスは、気楽な調子で肩を竦める。


 ややあって、顔を覗き込むレイチェルの肩へ手を置くと、そっと背もたれへ倒した。



「それとも、私の言葉は信じられないか?」



「……いいえ、信じるわ。その代わり、約束よ?」 



 いつもと変わらないアルギスの不敵な笑みに、レイチェルは目元を擦りながら笑顔を浮かべる。


 じっとレイチェルの目を見つめたアルギスは、表情を引き締め直して、コクリと頷いた。

 


「ああ。約束だ」 



「ふふ」



 未だ涙の跡が残る頬を僅かに赤らめると、レイチェルは嬉し気にアルギスと見つめ合う。


 しかし、レイチェルの表情を見たオリヴァーは、耐え切れなくなったように、2人の間へ割り込んだ。


 

「そこまでだ!そう言う事なら一度帰るぞ、レイチェル!」



「あっ……」



 グイグイと手を引くオリヴァーに、レイチェルは持ち上げられるようにソファーから立ち上がる。


 レイチェルをアルギスから隠すように立つと、オリヴァーは目をぱちくりさせるマリーを睨みつけた。



「案内を、頼めるかな?」


 

「……かしこまりました」 



 レイチェルへ憐憫の視線を送りつつも、マリーは粛々とオリヴァーへ頭を下げる。


 程なく、マリーを先頭に歩き出した3人は、アルギスを残し、応接室を去っていった。


 

(はぁ……まったく。こういうのは勇者の仕事だろう) 



 予想だにしていなかった状況に、アルギスは大きなため息をつきながら、出口へと向かっていく。


 廊下へ出て再度ため息をつくと、足早に騎士館へと歩き出すのだった。

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