55話

 ウェルギリウスが屋敷を去って、早1時間余り。


 自室へと戻ったアルギスは、腕を組みながら、落ち着かない様子で室内を歩き回っていた。



(……ソフィアのシナリオが終われば、ゲームも中盤に入る。なのに、謎は深まるばかりだ) 



 しばらくして、はたと足を止めたアルギスの表情には、暗い陰が落ちる。


 テレサから聞いた話とウェルギリウスの報告に、アルギスが頭を悩ませていると、勢いよく部屋の扉が開かれた。



「悪い、大将!今戻った!」



「いいから服を着替えなさい!」 



 壁へ打ちつける程開け放たれた扉からは、ドロドロに汚れたブラッドと、顔を真っ赤にしたマリーが姿を現す。


 騒がしく部屋へ駆け込んでくる2人に、アルギスはげんなりした表情で向き直った。



「……ブラッド、今日中に戻れとは言ったが、そこまで急げとは言っていないぞ」



「申し訳ございません……!どうにか止めようとしたのですが……」



 アルギスがため息交じりに口を開くと、マリーは腰を直角に曲げて動きを止める。


 一方、慌てた様子のブラッドは、なりふり構わず、アルギスへ駆け寄った。



「大将、もう一度ギルドへ戻っても大丈夫か?」



「なに?また問題でも起きたか?」



 ソワソワと返事を待つブラッドに、アルギスは額を押さえながら、ため息をつく。


 しかし、アルギスの反応を見たブラッドは、ありありと不満を滲ませながら顔を寄せた。



「問題……は起きてるかもしれねぇが、俺のせいじゃねぇぞ!?」



「わかった、わかった。とりあえず、話を聞かせろ」



 不機嫌そうに怒鳴るブラッドを宥めると、アルギスは振り返って、ソファーへと歩き出す。


 スタスタと前を歩くアルギスに、ブラッドもまた、釣られてソファーへ足を向けた。



「おう」



「っ!待ちなさい!」



 ややあって、2人が腰を下ろそうとした瞬間。


 アルギスの後ろへ付き従っていたマリーは、目を剥いて、ブラッドへ詰め寄る。


 そして、影の中から巨大な布を取り出すと、ブラッドの座ろうとしていたソファーへバサリと広げた。


 

「……本当は床に座って欲しいのですが」



「……相変わらず、厳しいなぁ」



 冷たい目で睨むマリーに、ブラッドは苦笑いを浮かべながら、布の敷かれたソファーへ腰を下ろす。


 ヘラヘラと笑うブラッドへ怒りを滲ませつつも、マリーは再びアルギスの後ろへ立ち戻った。

 


「大変、失礼いたしました」 



(やはり、コイツらは食い合わせが悪いか……)



 2人のやり取りを黙って眺めていたアルギスは、半ば予想通りの状況に頭を痛める。


 ややあって、大きなため息をつくと、目の前で身を乗り出すブラッドに真剣な表情で向き合った。



「それで、ギルドに戻りたい理由はなんだ?」



「えっと、そうだな。簡単に言うと……魔物の群れがいるのに、冒険者がいなくて――」



 腕を組んで黙り込むアルギスに、ブラッドは目線を左右に揺らしながら、しどろもどろに話し出す。


 しばらくブラッドの話を聞いていたアルギスは、いつまでも要領を得ない報告に眉を顰めた。



「簡単に言わなくていい。一から説明しろ」



「お、おう。じゃあ、まずは朝からだな――」



 アルギスの言葉に目を丸くしたブラッドは、即座に考えることを止め、淡々と話し出す。


 そして、時たま恥ずかし気に頬を搔きながらも、テレサから聞いた話までを一息に伝えきった。



「それで、どうにかならねぇかと急いできたんだ」 



(村を襲撃された男に、冒険者ギルドの人手不足か……) 



 一層前のめりになるブラッドをよそに、アルギスは口元に手を当てて思案に耽る。


 しかし、それからしばし考え込んだ後、腑に落ちない表情で首を傾げた。


 

「だが、それだけなら、そう慌てることもないだろう?」



「ああ、でもババァは気になることがあると言っていた。……そういう時は、大体何か起こるんだ」



 事も無さげに話すアルギスに対し、ブラッドは目を伏せながら、重々しい口調で言葉を続ける。


 部屋に重苦しい沈黙が広がる中、アルギスは難しい顔でソファーから腰を浮かせた。



「……ギルドへ戻るのは少し待て。王宮の動きを確かめてからでも遅くない」



「で、でもよ……!」



 アルギスがマリーを伴って執務机へ歩き出すと、ブラッドは諦めきれないとばかりに席を立つ。


 しかし、食い下がるブラッドへ顔を向けたアルギスは、ゆっくりと首を横に振った。



「待つのは、数日でいい。それ以降は好きにして構わん」 

 


「……ああ。わかった」



 有無を言わさぬアルギスの態度に奥歯を噛みしめつつも、ブラッドは小さく頷いて身を翻す。


 そのまま早足で扉へ向かうブラッドに、アルギスは呆れ顔で片手を挙げた。


 

「……マリー」



「はい」



 アルギスがポツリと名前を呼ぶと、マリーはすかさず腰を屈めて指示を待つ。


 一方、ブラッドの背中を見つめたアルギスは、ため息交じりに、挙げていた手を下ろした。



「ブラッドが妙な動きをしないように見張っておけ」



「……かしこまりました」



 そそくさと執務机へ向かうアルギスに、マリーは頬を引きつらせながら頭を下げる。


 そして、既にブラッドが出て行った扉へ向き直ると、消えるような速度で部屋を後にした。

 


(勇者がいない間に、王都で何が起きていた……?)

 


 程なく、執務机へ腰を下ろしたアルギスは、急き込むように机から手帳を取り出す。


 慌ただしくアルギスがページを捲っていくと、序盤のシナリオの最後には、小さく”エーテル量の増加、大侵攻?”と走り書きがされていたのだ。


 

 (くそ……まさか、こんな落書きが現実味を帯びてくるとはな……)



 ついでのように丸で囲まれた内容に、アルギスは苦々しい顔で手帳を閉じる。


 舌打ち交じりにアルギスが立ち去った部屋には、不安を煽り立てるような雨音だけが響き続けるのだった。





 ブラッドと村人が王都へと駆け込んだ翌日の早朝。


 同じく王都のハートレス邸では、寝息を立てるレイチェルの下へ、顔に焦りを滲ませたアンダーソンがやってきていた。



「お嬢様……!起きてください!」



「……そんなに寝過ごしてしまったかしら?」



 揺り起こされたレイチェルは、寝ぼけ眼でベットから上半身を起こす。


 キョロキョロと時間を確認するレイチェルに、アンダーソンは普段ぴっしりと整えられた髪を振り乱して首を振った。



「違います!ご無礼とは思いましたが、旦那様が”至急、部屋に来るように”と仰せです!」



「っ!わかったわ、着替えを済ませたら……」



 ハッと目を覚ましてベットから降りると、レイチェルは慌てて衣裳部屋へ足を向ける。


 しかし、申し訳なさそうに眉尻を下げたアンダーソンは、歩き出そうとするレイチェルに頭を下げた。



「いえ、着替えすらも結構だと……なにぶん、取り乱していらっしゃいますので、急がれた方がよろしいかもしれません」



「そう……なら、すぐに行くわ」



 悲し気にため息をついたレイチェルは、着の身着のままで寝室を出て行く。


 

 そして、不安を湛えながら歩くこと数十分。


 オリヴァーの部屋までやってくると、意を決してアンダーソンの開けた扉をくぐっていった。


 

「お父様、いかがされましたか……?」 



「……レイチェル、今すぐに王宮へ向かう用意をしなさい」



 レイチェルが立ち止まるのも待たず、オリヴァーは険しい表情で口を開く。


 予想と異なるオリヴァーの指示に、レイチェルは足を止めて、目をぱちくりさせた。



「え?ソーンダイク卿のことでは……?」



「今あんなものの事は、どうでもいい。とにかく、急ぐんだ」



 僅かに顔を顰めつつも、オリヴァーは急かすような言葉を続ける。


 すぐに異変を感じ取ったレイチェルは、額に汗を浮かべながら、オリヴァーに駆け寄った。



「ま、待ってください。一体、何があったのですか?」



「……現在、王都へ無数の魔物が迫っていることが分かった」



 レイチェルが心配そうに顔を覗き込むと、オリヴァーは吐き捨てるような口調で話し出す。


 オリヴァーによれば、どこからか現れた魔物の大群が、その数を増しながら王都へ向かっているというのだ。



「王宮でも未だ議論は紛糾しているが……一先ず、抜け出してきたんだ」



 疲労を滲ませたオリヴァーは、悲痛な表情で、組んだ両手を握りしめる。


 耳を疑うようなオリヴァーの話に、レイチェルは言葉を失って茫然と立ち竦んだ。



「どう、するのです?」



「お前とメアリーは今すぐ王宮へ向かうんだ。今なら、まだ通りも安全なはずだ……」 



 やっとの思いでレイチェルが声を絞り出すと、オリヴァーは待ち構えていたかのように指示を出す。


 しかし、オリヴァーの顔色を見たレイチェルは、縋るような表情で足を踏み出した。


 

「お父様は、いかがされるおつもりで……?」


 

「……俺は、屋敷に残って貴族派の騎士たちを受け入れなければならない。ソウェイルドがいない以上、これは俺の役目だ」



 今にも泣き出しそうなレイチェルに、オリヴァーはきっぱりとした口調で言葉を返す。


 そのままオリヴァーが固く口を閉じると、レイチェルは肩を落として床を見つめた。



「貴族派は、騎士の供出に応じるでしょうか?」



「……期待は出来ないだろうな。王都に残っている貴族派で、それ程余裕のある者は既に数少ない」 


 

 軽い調子で肩を竦めたオリヴァーは、どこか諦めたように背もたれへ寄りかかる。


 まるで危険を顧みる気のないオリヴァーの口ぶりに、レイチェルは歯を食いしばって顔を上げた。


 

「しかし、それでは……!」 



「それでもだ。……ただでさえ力を失いかけている時に、弱腰の姿勢は見せられん」



 レイチェルの言葉を遮ると、オリヴァーは重々しい返事と共に首を振る。


 揃って唇をかみしめた2人の間には、しばらくの間、息の詰まるような静寂が広がった。

 


(どうして、こんなことに……貴方ならどうするの?アルギス……) 


 

 選択肢すらない状況に涙ぐみつつも、レイチェルは必死で心を奮い立たせる。


 やがて、オリヴァーが静かに椅子から立ち上がると、引き留めるように机に手をついた。


 

「待って!……エンドワース家にも、声を掛けてみてはいかがでしょう?」



「無駄だ!エンドワースは、どうせ動かん!」



 遠慮がちに提案するレイチェルに対し、オリヴァーは苛立ちを露にして語気を荒げる。


 しかし、キッと目を鋭くしたレイチェルは、負けじとオリヴァーを睨み返した。

 


「そんなことない!あの人なら絶対に話を聞いてくれるわ!」



「っ!」

 


 震える声で叫ぶレイチェルの気迫に、オリヴァーは思わず息を呑んで黙り込む。


 再び2人の間に静寂が満ちる中、レイチェルは鼻をすすりながら口を開いた。


 

「……傷ついて欲しくないの。お願いよ、パパ」 


 

「……わかった。お前がそこまで言うなら、一度だけ出向いてみよう」



 しばしレイチェルと見つめ合ったオリヴァーは、躊躇いつつも首を縦に振る。


 すると、レイチェルは一転して頬を緩めながら、オリヴァーに微笑みを見せた。


 

「では、私も同行させて頂きますわ。お父様だけじゃ、喧嘩になってしまいそうだもの」



「おい、レイチェル!お前は、王宮に……!」 



 颯爽と背を向けるレイチェルに、オリヴァーは目を見開いて手を伸ばす。


 一方、足早に出口へと歩き出したレイチェルは、背後で叫ぶオリヴァーの静止を無視して、部屋を出て行った。

 


(ソーンダイク家のこともあったけど……きっと、これで嫌われてしまうでしょうね。最後まで迷惑をかけてしまったわ) 

 


 廊下を駆け抜ける道中、レイチェルの頬には、無意識に一筋の涙が伝う。


 時折肩を揺らしてしゃくり上げつつも、レイチェルは振り返ることなく、衣装室へと向かっていくのだった。

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