54話
ブラッドが冒険者ギルドへと急いでいた頃。
王都のエンドワース邸では、応接室のソファーで、アルギスとつばの広い帽子を目深に被る長身痩躯の男が向かい合っていた。
「随分と急な来訪だな、ウェルギリウス。それも、私のところへ」
チラリと時間を確認したアルギスは、ウェルギリウスへ向き直って、不満げに頬杖をつく。
警戒心を露にするアルギスをよそに、ウェルギリウスは大仰な身振りでマントの中から書類を取り出した。
「ええ、ええ。もちろん、御無礼かとは思いました。しかし、どうしてもこちらを、ご子息殿に見ていただきたく……」
「……おい。なぜ、これを私の所へ持ってきた?」
訝しみつつも書類の内容に目を通すと、アルギスは血相を変えて、顔を跳ね上げる。
一方、向かい合ったウェルギリウスは、口元に弧を描きながら、胸元へ手を当てた。
「それはもちろん、ご子息殿……いえ、アルギス様に、ご入用かと」
「チッ!」
慇懃に頭を下げるウェルギリウスに対し、アルギスは苛立ち交じりに書類へ視線を戻す。
皺が寄るほどに握りしめられた書類には、”王女アリアを含む勇者一行が、トゥエラメジア教国へ向けて発った”という旨が記されていたのだ。
(くそ、忘れていたな。もうソフィアが仲間になる時期か……)
苦々し気に顔を歪めながら書類を睨みつけるアルギスの脳裏には、頭から抜け落ちていたシナリオがよぎる。
『救世主の軌跡』における勇者ルカは、序盤、アリアの要請によってトゥエラメジア教国へと旅立つこととなっていた。
そして、シナリオにおけるボスを討伐することで、聖女ソフィアがパーティメンバーへ加入するのだ。
(そもそも、何故コイツが勇者について知っているんだ)
しばしシナリオを思い起こしていたアルギスは、目の前に座るウェルギリウスの正体について気になり始める。
訝しむアルギスをよそに、ウェルギリウスは微笑みを湛えながらソファーへ浅く腰を下ろしていた。
(昔は失敗したからな。――《傲慢の瞳》よ……)
じっとウェルギリウスを見つめると、アルギスは何も言わずスキルを使用する。
しかし、見慣れたカーソルは、目の前に座っていたはずのウェルギリウスと共に、突如姿を消した。
(なに!?)
アルギスが慌てて周囲を探そうとした瞬間、後ろからポンと肩に手が置かれる。
ゆっくりと後ろを振り向くと、背後には口元に楽し気な笑みを張り付けるウェルギリウスが立っていた。
「以前も、お伝えしたつもりでしたが……鑑定系スキルは、その性質上、使用までに多少時間がかかります」
(今、何をした……?)
揚々と語り出すウェルギリウスに対し、アルギスは目を見開いて顔を見上げる。
血が通っているのか不安になるほど白い顔に、ウェルギリウスは微笑みを湛えながら、静かに首を振った。
「小生を鑑定したければ、もう少し工夫すべきですね」
「お前は一体、何者だ?この情報を渡して、私にどうしろと言うんだ?」
肩に置かれた手を振り払うと、アルギスはしかめっ面で持っていた書類をヒラヒラと揺らす。
しかし、ウェルギリウスはどこ吹く風とばかりに、笑顔で腰を屈めた。
「小生は、ただの語り部。情報はアルギス様が如何様にでも」
「……そうか。ご苦労だったな」
はぐらかすようなウェルギリウスの回答に、アルギスは苦々しい顔で正面を向き直る。
すると、ウェルギリウスは再びアルギスの前までやってきて、胸元へ手を当てながら大仰な挨拶を見せた。
「では小生は、これにて失礼いたします。また、何かございましたら参じます故」
(この情報の意味は、なんだ?なぜ、父上ではなく俺の所に……?)
扉へ向かって歩き出すウェルギリウスを背に、アルギスは目の前の書類に考えを巡らせる。
やがて、1人きりになった応接室で、苛立ちを抑え込むように息を吐くと、書類を折りたたみながら立ち上がった。
「嫌な予感がするな。杞憂ならばいいが……」
アルギスが応接室を出ようとした時、ふと窓を打ちつける雨音が耳につく。
降り止む気配のない雨に顔を顰めつつも、アルギスは足早に自室へと戻っていくのだった。
◇
一方、時を同じくして。
冒険者ギルドへと駆け込んだブラッドは、入り口側の受付へ勢いよく手をついた。
「……ギルドマスターは部屋にいるよな?」
「は、はい」
びしょ濡れの体で身を乗り出すブラッドに怯えつつも、受付嬢は笑顔を繕いながら頷きを返す。
不安げに顔を覗き込む受付嬢を尻目に、ブラッドは2階へと繋がる螺旋階段へ顔を向けた。
「そうか。ありがとよ」
「お役に立てたようで幸いです」
ブラッドが軽く手を振って歩き出すと同時に、受付嬢は安堵の表情で頭を下げる。
ややあって、顔を上げると、既にブラッドの姿はホールから消えていた。
(さて、持ってきたオーガも途中で捨てちまったし、どうすっか……)
瞬く間に2階までやってきたブラッドは、調査依頼の報告に頭を悩ませる。
しかし、考え込んでいる内に、気づけばテレサの待つギルドマスター室へ辿り着いてしまった。
「……今帰ったぜ」
「やっとかい、全く。……それで、成果はどうだったんだい?」
ブラッドが片手を挙げながら部屋へ入ると、テレサはペンを走らせていた手を止め、机から顔を上げる。
焦れた様子で先を促すテレサに、ブラッドはポタポタと雫を垂らしながら近づいていった。
「魔物が集まっている場所は見つけたんだけどよ……」
「そいつは見れば分かるよ。でも、その割に随分と歯切れが悪いね」
血塗れになったブラッドの姿をまじまじと確認したテレサは、躊躇うような物言いに目を眇める。
一方、程なくテレサの座る机の前までやってきたブラッドは、困ったように眉尻を落とした。
「いろいろあってなぁ。何から報告したもんか」
「そんなもん、最初から説明すればいいだけだよ。いいから話してみな」
ウンウンと唸るブラッドに、テレサは呆れ顔で、部屋の隅に置いてあった椅子を指さす。
釣られて顔を向けたブラッドは、パッと表情を輝かせながら、部屋の隅へと足を向けた。
「森は言ってた通り静かだったな」
「ああ、ここ3ヶ月くらいは、ずっとこんな調子さ」
椅子を取りに向かったブラッドが声を上げると、テレサは打てば響くように言葉を返す。
程なくテレサの隣まで椅子を運んできたブラッドは、王都を出てからの行動を逐一報告し始めた。
「――それで、ゴーレムをぶっ壊したんだけど、周りに死体が転がってたんだ」
「……群れも作らず、逃げもしない魔物だって?そりゃ本当かい?」
ブラッドの口から飛び出した内容に、テレサは思わず話を止めて聞き返す。
すると、ブラッドは一度口を閉じて、ガシガシと頭を搔いた。
「本当はオーガの死体があったんだけどよ。途中で捨てちまったんだ」
「……もちろん、理由があるんだろうね?」
じっとブラッドを睨んだテレサは、声のトーンを落として質問を重ねる。
難しい顔で口を噤むテレサに対し、ブラッドはあっけらかんとした表情で口を開いた。
「ああ、森の中でへたり込んでる村人と会ってな。村を襲われてるってんで、急いで連れてくるために捨てたんだ」
「村を、襲われている……?そいつは、どこの村だい!?」
ブラッドの言葉に顔色を一変させると、テレサは勢いよく引き出しを引いて、地図を取り出す。
慌てた様子で地図を広げるテレサに、ブラッドは目を白黒させながら椅子を立った。
「おいおい、どうしたんだよ。確かに村は可哀そうだけど、聞かない話じゃないだろ?」
「……ちょっとばかし気になることがあってね。アタシを安心させるためにも、さっさと村の位置を教えとくれ」
地図へ目を落としたテレサは、両肘を机について、祈るように両手を組む。
不安げなテレサの態度に戸惑いつつも、ブラッドは地図を覗き込みながら、再び椅子へ腰を下ろした。
「すまん、位置まではわからねぇ。ただ、村の名前はボーダ村だって言ってたぞ」
「……ボーダ村だって!?王都から馬で1日もかからない場所じゃないか!」
ややあって、地図の中にボーダ村を見つけると、テレサは顔を青くして席を立ちあがる。
珍しく慌てた様子のテレサに、ブラッドの目つきは、途端に鋭いものへ変わった。
「そんなに近いのか……。さっさと討伐隊出した方がいいんじゃねぇか?」
「……無理だね。今の王都じゃ冒険者の数が足りないよ」
ため息をついたテレサは、小さく首を振りながら椅子へ座り直す。
そして、不快げに顔を歪めると、地図の置かれた机に拳をドンと叩きつけた。
「せめて闘技大会中なら良かったものを……!タイミングの悪い」
「おいおい。じゃあ、どうするんだ?」
唸るような声を漏らすテレサに、ブラッドは落ち着きをなくして顔を覗き込む。
しばしの逡巡の後、テレサは諦めたようにフッと表情を緩めた。
「王宮も動くだろうが……こっちでも、一先ず村に偵察を送るよ。あんたも行くだろう?」
「……悪い。その依頼は受けられない」
テレサの提案に首を振り返すと、ブラッドは躊躇いがちに席を立つ。
緩慢な動きで出口へと向かうブラッドに、テレサは慌てて声を張り上げた。
「待ちな!どこ行く気だい!?」
「大将の所へ戻るんだ。……何かあれば、すぐに助けに来る」
テレサに複雑な表情で言葉を返したブラッドは、逃げるようにギルドマスター室を出る。
そして、そのまま冒険者ギルドを後にすると、アルギスの待つエンドワース邸へと走り出すのだった。
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