52話

 冒険者証の再発行を終えた翌日の朝。


 ボロボロのテーブルで寝息を立てていたブラッドは、頭を押さえながら薄く目を開いた。

 


「……いてぇ」



 ブラッドがムクリと体を起こすと、酒場のテーブルにはエールの零れたジョッキや食べかけのパンが転がっている。


 また、床に目線を落とせば、冒険者が倒れて寝ており、側には店主の姿まであった。

 


「……まずいな。大将の金、使いすぎちまった」



 慌ててポケットをまさぐったブラッドは、残っていた数枚の金貨に苦々しい表情を浮かべる。


 ややあって、金貨をポケットに仕舞い込むと、同じテーブルで涎を垂らしている冒険者を叩き起こした。



「おい!起きろ!」


 

「いてぇ!なにしやがる!」 


 

 突然頭を叩かれた冒険者は、びくりと体を揺らして、テーブルから跳び上がる。


 恨みがましい目で睨む冒険者をよそに、ブラッドはテーブルに転がっていた食べかけのパンを手に取った。


 

「昨日、何があったんだ?」



「なんだ、覚えてねえのか?俺もお前に誘われたんだぜ?」



 硬くなったパンをかじるブラッドに、冒険者は目をぱちくりさせながら話し出す。

 


 冒険者が言うには、酒場にやってきたブラッドと数人の冒険者が、その場にいた者を巻き込んで宴会を始めた。


 そして、その後酒場にやって来た冒険者や、近くの店の店主たちも勝手に宴会に混ざっていったというのだ。



(やたら人数が増えてる原因はそれか……)



 再び酒場をぐるりと見渡したブラッドは、そこら中に転がる酒樽と冒険者の数に顔を顰める。


 やがて、全ての支払いを引き受けたことを冒険者から聞くと、頭を抱えて額をテーブルに打ちつけた。



「……ちくしょう。またやっちまった」



「おい、大丈夫かよ」



 唸り声を漏らすブラッドに、冒険者は心配そうな表情で背中をさする。


 しかし、すぐにテーブルへ手をついたブラッドは、快活な笑みと共に勢いよく身を起こした。


 

「仕方ねえ。依頼の1つでも受けるか!」


 

「うお!?いきなり立つな、びっくりするだろ!」



 咄嗟に体をのけ反らせると、冒険者はブラッドの変わりように目を白黒させる。


 椅子へ座り直す冒険者に対し、ブラッドは苦笑いを浮かべながら立ち上がった。



「はは、悪いな。悩むの苦手なんだ」



「……お前、変わってんな」



 呆れ交じりに呟いた冒険者は、じっとりとした目でブラッドを見上げる。


 冒険者の視線を正面から受け止めると、ブラッドは歯を見せて破顔した。



「よく言われるぜ。俺はブラッドだ、次の宴会も参加しろよ」


 

「あ、おい!」


 

 くるりと踵を返して歩き出すブラッドへ、冒険者は引き留めるように手を伸ばす。


 しかし、冒険者の手をするりと抜けたブラッドは、未だあちこちで聞こえるいびきに顔を顰めながら酒場を出て行った。



 そして、酒場が軒を連ねる通りを抜け、数分が経った頃。


 ギルドの前までやって来ると、ブラッドは不意に足を止めて後ろを振り返った。


 

「……また冒険者になれるとはなぁ。人生、何が起こるかわからねぇもんだ」



 ブラッドの感慨深げな呟きは、通りを行き来する人々の雑踏へ消えていく。


 ややあって、前を向き直ったブラッドが足を踏み入れると、ギルドのカウンターには、いつも通り受付嬢が腰を下ろしていた。



「いらっしゃいませ。本日は……」



「頼む。報酬額が高くて、早く済む依頼を教えてくれ!」



 受付嬢の挨拶も待たず、ブラッドはカウンターへ身を乗り出す。


 睨むように顔を寄せるブラッドに、受付嬢は頬を引きつらせながら立ち上がった。



「しょ、少々お待ちください……!」


 

「あ?なんだ?」 

 


 そそくさと立ち去る受付嬢に目を丸くしつつも、ブラッドは1人ポツンとカウンターの前で待ち始める。


 それからしばらくの間、ブラッドがガランとしたホールを眺めていると、職員を連れたテレサが近づいてきた。



「やっぱりあんたか。昨日の今日で何してんだい、まったく……」



「なんだよ、俺は依頼を受けに来ただけだぜ?」



 疲れたように首を振るテレサに、ブラッドは不満げな表情で食い下がる。


 すると、口をへの字に曲げたテレサは、持っていた杖でブラッドの腹を小突いた。


 

「マトモな依頼の探し方なら、アタシのとこに報告は来ないよ。このアホンダラ」



「ぐっ!それは……」 



 テレサの説教に言葉を詰まらせたブラッドは、顔を顰めながら、じりじりと後ずさる。


 時折出口を確認するブラッドに、テレサは悲し気な表情で、がっくりと肩を落とした。



「エンドワースの小僧のとこで、少しは変わるかと思ったんだがねぇ……」



「…………」


 

 テレサの呟きが耳に入ったブラッドは、逃げようとしていた足をピタリと止める。


 そして、膝を折ってテレサに目線を合わせると、意を決したように口を開いた。



「すまねぇ、実は大将の金を少し借りるだけのつもりが、殆ど使っちまったんだ。……それで、どうにか少しでも返せねぇかなと思ってよ」



「……ほんとに何をしてるんだい。まあ、一応の理由は分かったよ」



 ブラッドの口から出た理由に呆れつつも、テレサはどこか嬉し気に頬を緩める。


 二つ返事で言葉を返すテレサに、ブラッドは気まずそうに俯いていた顔を跳ね上げた。



「信じてくれるのか?」



「ふん、あんたは細かい嘘をつける男じゃないだろ」



 茫然と呟くブラッドに、テレサはニヤリと皮肉気な笑みを見せる。


 しかし、チラリとホールを一瞥すると、難しい顔でブラッドに目線を戻した。



「ただ、あんたが言うような都合のいい依頼は中々ないよ」


 

「おいおい、最近の王都の周りは魔物も多いだろ?それなりに依頼もあるんじゃないか?」



 懐かし気に目を細めていたブラッドは、キョトンとした顔で肩を竦める。


 確信じみたブラッドの口調に、テレサは一転して目つきを鋭くした。



「……そんなに数がいたのかい?」



「あ、ああ。この1週間で何回か群れを狩ったぞ」



 テレサの真剣な表情に面食らいつつも、ブラッドは指を折りながら簡単に説明する。


 程なく、ブラッドが口を閉じると、テレサは不快げに顎をしゃくり上げた。



「上で詳しい話を聞かせな。……あんたはここで聞いたことをよそで話すんじゃないよ、いいね?」



「は、はい!」



 杖で顔を指すテレサに、受付嬢は真っ青な顔でコクコクと頷く。


 一方、受付嬢に釘をさしたテレサは、ブラッドに背を向けて、階段へと足を向けた。



「行くよ」 



「……相変わらず、勝手な婆さんだ」


 

 1人でスタスタと足を進めるテレサに、ブラッドは頭を搔きながら、小さくぼやく。


 ややあって、頬をぴしゃりと叩くと、駆け足で後を追いかけていった。


 



 ホールを抜けて数分後。


 ギルドマスター室へとやってきた2人は、地図を広げたテーブルを挟んでソファーに腰を下ろしていた。



「それじゃあ、詳しい話をしてもらおうかね」



「詳しい話って、さっき話した以上の事なんて、ほとんどないぜ?」



 思案顔で地図へ目を落とすテレサに対し、ブラッドは腕を組みながら視線を上向ける。


 考え込むブラッドに表情を険しくしたテレサは、痺れを切らして指で地図を叩いた。



「……いいから、とりあえず詳しい位置を教えな」



「そんなに睨むなよ……。えーと、確か――」 


 

 テレサに狼狽えつつも、ブラッドはウンウンと唸りながら、1週間の行動を思い出す。


 しばらくして、ブラッドがいくつかの場所を指さしていくと、その度にテレサの表情は、険しいものになっていった。


 

「……なるほどね」



「どうしたんだ?そんな怖い顔して」



 怒りを滲ませながら腕を組むテレサに、ブラッドは不思議そうな顔で声を掛ける。


 訝し気なブラッドの問いかけに、テレサは地図から顔を上げて、ため息をついた。



「あんたは塀の中にいたから知らないだろうけどね。この辺りの魔物は、少し前に落ち着いたはずなんだよ」



「なあ、王都周辺の調査依頼を俺に出さないか?」



 テレサが話し終えるが早いか、ブラッドは目を輝かせて前のめりになる。


 しばしの間、あちこちに目線を彷徨わせたテレサは、諦めたようにソファーから立ち上がった。



「……ふぅ、仕方ない。現状、それが最善だね」



「さすが、話の分かるババァだ!」



 執務机へと向かうテレサに、ブラッドは思わず上機嫌な声を張り上げる。


 ブラッドの憎まれ口に後ろを振り向くと、テレサは不満げに顔を顰めて見せた。



「あんたは素直に感謝できないのかい?」



「ははは……。ありがとな、婆さん」



 照れくさそうに笑ったブラッドは、テレサから目を逸らして、ゆっくりとソファーから腰を浮かす。


 すると、テレサは椅子にかけていた手を放して、部屋の隅へと足を向けた。



「……ちょっと待ってな」 



「お、おう」



 有無を言わさぬテレサの雰囲気に、ブラッドは再びソファーへ腰を下ろす。


 落ち着かない様子のブラッドをよそに壁際へ向かうと、テレサは巨大な縦長の箱を倒すように台車へ載せた。



「持ってきな。ずっと邪魔だったんだ」 



「これは……!」



 警戒交じりに箱を開けたブラッドは、中身を確認して言葉を失う。


 箱の中に入っていたのは、3年前、拘束された時に失ったはずの武器――鈍く輝く、無骨な片刃の大剣だったのだ。



「取っておいて、くれたのか?」



「そんな取り回しの悪いもんを欲しがる物好きは、そういないからね。売れなかっただけだよ」


 

 茫然と呟くブラッドに、テレサは顔を逸らしながら、すかさず悪態を返す。


 そして、ソファーへ立てかけていた杖を手に取ると、黙り込むブラッドへ活を入れるようにガツンと床を叩いた。



「とにかく!調査結果は、今日中に持ってきな。いいね!?」



「ああ、任せとけ」



 力強く頷いたブラッドは、大剣を背負いながらギルドマスター室を後にする。


 やがて、1階まで降りてきた時、突如後ろから肩を叩く者が現れた。


 

「よ、ブラッド。昨日はごちそうさん」



「んあ?……ジャンゴか。昨日、いつの間に帰ったんだ?」



「そう睨むなって。お前に最後まで付き合ってたら、俺はパーティを追い出されちまう」



 半目で睨むブラッドに、ジャンゴは悪びれた様子もなく、両手を挙げながら笑う。


 気楽なジャンゴの態度にむくれつつも、ブラッドは怒りを呑み込むように肩を竦めた。


 

「……別にいいけどよ。それにしても、随分戻って来るのが早いんだな」



「いやー実は恥ずかしい話なんだけどな。昨日と今日は魔物を見つけられなくてよ」



 ヘラりと表情を崩したジャンゴは、僅かに紅くなった頬を搔きながら話し出す。


 やがて、滔々と苦労話を語り終えると、人気のないホールを見渡して、ため息をついた。



「俺たちも、そろそろ拠点のかえどきかねぇ。……って聞いてんのか?ブラッド」



「……ん?ああ、悪い。ちょっと考え事をしてる」



 ジャンゴの声にハッと我に返ったブラッドは、腕を組んで、ぼんやりと天井を見上げる。


 予想外の返事に目を丸くすると、ジャンゴは茶化すようにブラッドを叩いた。



「ブラッドが考え事か。珍しいこともあるもんだな」



(おかしいな、俺が見つけた洞窟にはワラワラ魔物がいたんだけど……)


 

 軽口を続けるジャンゴをよそに、ブラッドは牢を出てすぐに見つけた洞窟へ思いを馳せる。


 というも、毎日のように向かってたにもかかわらず、洞窟内の魔物が数を減らす様子は一向になかったのだ。


 食い違う王都の状況に、ブラッドは考えることを止めて目線を下ろした。


 

「よし、俺もさっさと様子見てくるわ。また今度な」



「そっか。それじゃあ、また酒場で会おうぜ」



 ニカリと笑うブラッドに呆れつつも、ジャンゴもまた、笑みを返して階段を上り始める。


 トントンとジャンゴが階段を上る音を背に、ブラッドは軽い足取りで出口へと歩き出した。


 

「おいおい。こりゃ、急いだほうが良さそうだな……」



 程なくギルドを出たブラッドが空を見上げると、太陽には今にも雨の降り出しそうな雲がかかっている。


 鼻をひくつかせたブラッドは、小走りで通りを進んでいくのだった。

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