51話

 明くる日の午後、薄っすらと雲のかかる曇り空の下。


 魔術師然としたローブに身を包んだアルギスは、ブラッドと共に予定通り冒険者ギルドへとやってきていた。



(休暇前に来て以来か……) 



「大将、ほんとに行くのか?」



 ギルドの扉の前に立ったブラッドは、不安げな表情でアルギスへ声を掛ける。


 落ち着かない様子のブラッドに、アルギスはどこか意地の悪い笑みを浮かべた。



「なんだ?怖いのか?」



「……はっ、まさか」



 挑発するアルギスから目を逸らすと、ブラッドは顔を強張らせながら扉へ向き直る。


 強がるブラッドを鼻で笑ったアルギスは、上機嫌に扉の取っ手に手を掛けた。


 

「行くぞ」



「……あ、ああ」



 躊躇いつつも、ブラッドはアルギスに続いてギルドへと足を踏み入れる。

 


 そのまま2人が受付に足を向けた時。


 目を丸くした冒険者の男が息を切らして駆け寄って来た。


 

「おい、ブラッドじゃねーか!いつ帰って来たんだ!?」



「……へへ、つい最近な」



 バシバシと肩を叩く男の笑顔に、ブラッドもまた、硬くなっていた表情を柔らかくする。


 照れくさそうなブラッドと肩を組むと、男は後ろを振り返って、口元へ手を添えた。



「みんなー!ブラッドが帰って来たぞー!」



 嬉し気な男の声は、ガランとしたギルドのホールへと消えていく。


 直後、ギルドの2階に繋がる螺旋階段から、数人の冒険者が慌ただしく降りてきた。

 


「やっとか!おせーぞ!」



「おい!出てきたなら金返せ!」



 ぞろぞろと集まって来た冒険者たちは、顔を綻ばせながらブラッドを小突く。


 次々と飛ばされる汚い野次に、ブラッドは喜色を湛えて冒険者たちを小突き返した。



「やめろって。……相変わらず、バカばっかりだな」


 

「……感動の再会は、せめて冒険者に戻ってからにしろ」



 満面の笑みを浮かべるブラッドにため息をつくと、アルギスは1人、呆れ顔で受付に向かう。


 アルギスの声にハッと表情を引き締めたブラッドは、名残惜しそうに冒険者たちの輪を抜け出した。



「待ってくれよ、大将。……じゃ、また今度な」



「お、おう。今度は酒場で会おうぜ」 



 妙に聞き分けの良いブラッドに戸惑いつつも、冒険者たちは口々に声を掛けて去っていく。


 一方、2人の近づいていった受付嬢は、目の前のやり取りに頬を引きつらせていた。


 

「……いらっしゃいませ。本日はどういったご用件でしょうか?」



「冒険者証の再発行を頼みたい」



 ぎこちない笑みを浮かべる受付嬢に、アルギスはブラッドを指さしながら言葉を返す。


 すると、受付嬢はアルギスとブラッドの姿を見比べ、意を決したように口を開いた。



「……別室に移動して、少々お待ちいただけるでしょうか?」



「ああ」



 恐々と表情を窺う受付嬢に対し、アルギスは気楽な調子で頷きを返す。


 続いてブラッドが頷くと、受付嬢は小さく安堵の息をつきながら席を立った。



「では、ご案内いたします」



 笑顔でホールを歩き出す受付嬢に、2人は何も言わず、後を追いかけていく。


 やがて、螺旋階段の前までやってきたアルギスは、立ち止まって2階を見上げるブラッドに顔を向けた。



「なんだ。随分と嬉しそうだな」



「……もう二度と、ここに来ることはない。そう思っていたからな」



 勢いよく鼻をすすったブラッドは、辺りを見回して懐かし気に目を細める。


 茫然と立ち尽すブラッドに、アルギスもまた、足を止めたまま階段を上る受付嬢を見つめた。


 

「……そうか」



「止まって悪かった。行こうぜ」 


 

「ああ」


 

 程なく、揃って階段へ足を掛けた2人は、駆け足で2階へ上がっていく。


 そして、遠ざかっていた受付嬢に追いつくと、そのまま待合所を抜けていった。



(王都のギルドは2階も意外と広いな) 



「こちらでお待ち下さい」 



 2階奥の廊下を見渡すアルギスをよそに、受付嬢はそそくさと別室の扉へ手を掛ける。


 ゆっくりと開かれた扉の奥には、テーブルと椅子だけが並べられた、会議室のような空間が広がっていた。



(……これはまた、殺風景な部屋だな)



 去っていく受付嬢から目線を外したアルギスは、窓すらない室内に眉を顰めながら、椅子の1つに腰かける。


 やや遅れてブラッドがアルギスの隣に腰を下ろすと、2人は静かにギルドからの連絡を待ち始めた。



 そして、それから数分が経った頃。


 勢いよく開かれた扉から、紙の束を脇に抱えた小柄な老婆が、大きな杖を手にズカズカと部屋に入って来た。


 

「アンタがブラッドを再登録させようって小僧かい?」



「……その通りだ。保証金も持って来させたぞ」



 ピクリと眉を上げたアルギスは、苛立ち交じりに、対面へ向かう老婆を目線で追う。


 しかし、どこ吹く風とばかりに持っていた紙の束をテーブルに置くと、老婆はニヤニヤと笑いながら腰を下ろした。



「へぇ、そうかい」



(……何者だ?) 



 含みのある態度をとる老婆に、アルギスは目を細めて、正体について考え込む。


 一方、アルギスの隣に座るブラッドは、顔を青くして震えていた。


 

「ど、どうしてババァが出てくるんだ……」



「お黙り!」



 持っていた杖で床を叩いた老婆は、歯を剥きながら、ブラッドをキッと睨みつける。


 そして、身を縮ませるブラッドから目線を外すと、一転してアルギスへ不敵な笑みを見せた。

 


「アタシは王都冒険者ギルドのギルドマスター、テレサ・フォルトゥナだ。会うのは初めまして、になるかね」



「……私はアルギスだ。それで?いつになったら冒険者証の再発行は終わる?」



 テーブルに身を乗り出したアルギスは、テレサに先を促す。


 焦れた様子のアルギスに鼻を鳴らすと、テレサはテーブルに置いていた紙の束を手に取った。



「そう慌てなくてもいいじゃないか。まずは内訳から説明するよ」



(内訳?一体、何のことだ?)



 テレサの物言いに疑問を覚えたアルギスは、腕を組んで話に耳を傾ける。


 口を閉ざすアルギスをよそに、テレサは意地の悪い笑みと共に、紙の束をパラパラとめくり始めた。


 

「さーて、じゃあまずは金額が大きいところからだねぇ。――依頼の違約金が白金貨2枚」



「おい、一旦待て。……どういうことだ、ブラッド?」



 既に聞いていた金額を超えていることに、アルギスは唸るような声を上げながら、ゆっくりと横を振り向く。


 しかし、アルギスから顔を逸らしたブラッドは、ダラダラと冷や汗を流して黙り込んだ。



「…………」



「やっぱり聞いてなかったのかい?……そこのバカは依頼を受けてる時に捕まったもんだから、ギルドが違約金を肩代わりしてるんだよ。これ以外にも――」



 呆れ顔で首を振ると、テレサは次々にブラッドがギルドにしている借金を読み上げていく。


 金額を言われるたびにブラッドの背中は丸くなり、明るかった表情も、みるみる内に萎れていった。



「――酔っぱらって揉めた相手の治療費が銀貨10枚。後は……」



「わかった、もういい。もう十分だ」



 淡々と金額を読み上げていくテレサに、アルギスは目頭を押さえながら手を振る。


 アルギスがため息をつくと、テレサは満足げな表情で、持っていた紙の束をテーブルへ置いた。



「そうかい、そうかい。……それで、冒険者証がなんだったかね?」



(何という婆さんだ。……だが、このままと言うもの癪だな)



 言外に再発行を断るような態度に、アルギスは困惑と怒りをない交ぜにする。


 ややあって、再び身を乗り出すと、不快げにテーブルを指で叩いた。



「……それで、いくらだ?」



「なんだって?」



 すっかり帰り支度を整えていたテレサは、アルギスの問いかけに目を丸くする。


 椅子へ座り直すテレサをよそに、アルギスは目つきを鋭くしながら言葉を続けた。



「聞こえなかったのか?保証金の合計金額はいくらだ、と聞いたんだ」



「なっ!?」 



 アルギスが語調を強めて言い切ると、テレサは目を見開いて言葉を失う。


 唖然とするテレサに、アルギスは口元を吊り上げながらクツクツと笑い声を漏らした。



「なんだ?偉そうに読み上げたわりに、合計も把握していないのか?」



「……1億2000万F、白金貨にして12枚だ。びた一文、まけやしないよ」



 小馬鹿したアルギスの口調に青筋を立てつつも、テレサは努めて冷静に言葉を返す。


 アルギスとテレサが視線をぶつけ合う横で、ブラッドはバタリと倒れ込むようにテーブルへ伏せた。



「た、大将ぉ……」



(まったく、何が”金貨100枚”だ。10倍以上じゃないか)



 涙声を上げるブラッドを尻目に、アルギスはしかめっ面でローブの中を漁る。


 そして、すぐに革袋を取り出すと、テレサへ向かって放り投げた。



「情けない顔をするな、ブラッド。……私が肩代わりしよう」



「あんた……」


 

 目の前にポトリと落ちた革袋に、テレサは何か言いたげな様子で口ごもる。


 しかし、テレサが話し出すのを待たず、アルギスは革袋を指さして、口を開いた。


 

「金は欲しいだけくれてやる。さっさと冒険者証をよこせ」



「……チッ!ちょっと待ってな!」



 アルギスの革袋へ手を突っ込むと、テレサは白金貨を取り出して部屋を出て行く。


 2人きりになった室内が静けさを取り戻す中、ブラッドは席を立つアルギスへ気まずそうな顔を向けた。


 

「……なあ、良かったのか?」



「何がだ?」



 落ち込んだ様子のブラッドに、アルギスは革袋をローブへ仕舞いながら聞き返す。


 すると、ブラッドは一層表情を暗くして、不安げに首を傾げた。


 

「保証金だよ。俺には金なんかないぜ?」



「そんなことは知っている。……どうせ、お前は死ぬまで私の下働きだ。いずれ元は取れる」



 元の席へ戻ったアルギスは、ブラッドから目線を逸らしてボソリと呟く。


 以降、黙りこくるアルギスに、ブラッドは表情を一変させ、歯を見せながら笑った。



「ああ、任せてくれ!」



「ふん。現金なヤツだ」



 途端に機嫌をよくするブラッドに呆れつつも、アルギスもまた、上機嫌に笑い声を漏らす。


 それからしばらくの間、2人が話し込んでいると、難しい顔をしたテレサが扉を開いた。



「待たせたね。……ブラッド、あんたは受付で冒険者証を受け取って帰んな」



「ああ、わかった」



(やっとか。ブラッドと一緒に依頼の1つでも受けようかと思ったが、無理だな)



 再び部屋へと入ってくるテレサをよそに、アルギスは席を立とうとテーブルに手をつく。


 しかし、腰を浮かせた瞬間、後ろに立ったテレサの杖頭が肩に乗せられた。



「小僧は、ちょっと待ちな。……伝えることがある」



「……ブラッド先に行っていいぞ。私は私で帰る」


 

 肩の杖を振り払ったアルギスは、眉間に皺を寄せながら、しぶしぶ椅子へ座り直す。


 そして、思い出したようにブラッドへ顔を向けると、ヒラヒラと手を振った。



「それと、渡していた金もくれてやる。冒険者どもと酒でも飲んでこい」



「いいのか!?」



 オマケのように付け足された言葉に、ブラッドははち切れんばかりの笑顔を見せる。


 ブラッドに頷きを返すと、アルギスは再び対面へ向かうテレサへと目線を移した。



「明日中には戻れ」



「わかった!じゃあ少しだけ借りるぜ!」



 アルギスに親指を立てたブラッドは、鼻歌交じりに部屋を出て行く。


 程なく、テレサが元の席へ腰を下ろすと、アルギスは不快感を露に足を組んだ。


 

「さて、私を引き留めたんだ。さぞかし、重要な話なんだろうな?」



「……アレはあんたみたいな子供に扱える男じゃないよ。ブラッドは――」



 首を捻りながら返事を待つアルギスに、テレサは目を伏せながら語り出す。


 しかし、不敵な笑みを浮かべたアルギスは、テレサの言葉を遮るように口を開いた。



「――【大罪スキル】を持っている、か?」


 

「あんた、それを知っていて……」



 口をあんぐりと開けたテレサは、信じられないものを見るような目でアルギスを見つめる。


 しかし、当のアルギスは肩を竦めながら、やれやれとばかりに首を振った。



「当たり前だ。何の情報もない奴を、この私が受け入れるわけないだろう」



「……ったく、これだからエンドワースは」



 鬱陶しそうにそう言い放つアルギスに、テレサはぶすっとした表情で呟きを漏らす。


 すると、これまで余裕の笑みを保っていたアルギスの顔から、ストンと感情が無くなった。



「……私は、家名を名乗った覚えはないが?」



「一目見ただけでわかったよ。あんたらは親子三世代でそっくりだ」



 脳裏に浮かんだ記憶を消すように頭を振ったテレサは、皺くちゃの顔に一層皺を寄せる。


 そのままテレサがむっつりと黙り込むと、室内には気まずい沈黙が広がった。



(そんなに似ているか?……待て、三世代だと?)


 

 しばしキョトンとしていたアルギスは、テレサの返事の違和感を覚える。


 そして、思わず組んでいた足を下ろすと、テーブルに肘をついて前のめりになった。


 

「私の祖父を知っているのか?」



「何言ってんだい。ある程度歳いってる連中は、皆あの爺様を知ってるよ」



 神妙に言葉を待つアルギスに、テレサは顔を歪めたまま、はっきりとした口調で言い切る。


 しかし、グルグルと目線を彷徨わせるアルギスの姿に、表情を怪訝なものへ変えた。


 

「ひょっとして、あんたは知らないのかい?」 



「屋敷で肖像画を見たことはあるが……」



 屋敷に飾られた絵画の数々を思い起こしつつも、アルギスは腑に落ちない表情で俯く。


 静まり返る室内に、テレサはため息をつきながら呆れ顔で首を振った。


 

「……とんと名前を聞かないと思ったけど、代替わりしても相変わらずのようだねぇ。まあ、どうせどっかでまた、悪巧みでもしてるだろうさ」



(父上は、そんなこと一言も……いや、今これ以上考えるのはやめよう)

 


 新たに浮かび上がった疑問を、アルギスはどうにか胸中に抑え込む。


 そして、ゆっくりと顔を上げると、椅子を後ろへ引いた。


 

「もう、話は終わりでいいな?」



「そうさね。ブラッドのことを知ってるなら、アタシからこれ以上言うことはないよ」



 席を立とうとするアルギスに、テレサは両手を挙げて、自嘲気味な笑みを見せる。


 小さく息をついたアルギスは、改めてテーブルへ手をつき、椅子から立ち上がった。



「そうか。では失礼する」 



「……頼んだよ」



 アルギスがくるりと背を向けると同時、テレサはポツリと消え入るような声を漏らす。


 テレサの呟きに一度足を止めたアルギスは、何も言わず部屋を出て行くのだった。

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