50話

 パーティを抜け出して数時間、未だ日も沈み切らない頃。


 屋敷へと戻ったアルギスは、脇に木箱の置かれた執務机で、書類の束と睨み合っていた。


 

「改めて見ても、ひどい報告だ」



 目を落とした書類の内容に、アルギスの口から嫌悪感に満ちた呟きが漏れる。


 ヨアヒムに手配させていた報告書には、ヴィクター・ソーンダイクの情報が、びっしりと記載されていた。


 そこにはヴィクターが自領の貧民や犯罪者を、王国では認められていない奴隷としていることが書かれていたのだ。



「王国で最も治安のいい街か。皮肉だな」



 結果的にソーンダイク領の治安が改善されたという追記に、アルギスは顔を顰めながら独り言ちる。


 ややあって、不意に書類から顔を上げると、報告書の入れられた木箱に一層表情を険しくした。



(……しかし、これだけの情報を父上が知らないとは考えにくい)



 抱える程もある木箱には、どう見ても数日では調べられない量の報告書が詰め込まれている。


 そして、報告書の内容もまた、アルギスが指示を出してから調査したとは思えない内容だったのだ。



「知っていて無視しているとしたら……理由はなんだ?」



 裏でチラつくソウェイルドの影に、アルギスは報告書を机に置いて考え込む。


 しかし、それからいくら考えても、もっともらしい理由が思い浮ぶことはなかった。



(これでは迂闊に動けないな。せめて反乱のきっかけだけでもわかれば、だいぶ違うんだが……)



 難しい顔で腕を組んだアルギスは、身動きの取れない状況に頭を悩ませる。


 答えの出ない疑問にアルギスが苛立ちを募らせる中、時間は刻一刻と過ぎていった。



「……手紙はダメだ。これ以上余計な指示が増えては堪らん」



 再びソウェイルドへ連絡を取ろうとしていたアルギスは、今回の指示を思い出し、手に取ったペンを机に置く。


 諦めたように椅子から立ち上がると、憂鬱な表情でソファーへ向かっていった。



(そういえば、ブラッドは何をしているんだ?)


 

 ソファーへと向かうアルギスの脳裏に、屋敷へと連れ帰って以来、すっかり忘れていたブラッドの存在がよぎる。


 程なく、ソファーへ腰を下ろしたアルギスは、机に置かれたベルを手に取った。



(問題を起こしていなければいいが……) 



「いかがなさいましたか?」



 アルギスがベルを鳴らすと、部屋の奥にいた使用人は、静々とアルギスの側に歩み寄る。


 腰を屈めて言葉を待つ使用人を、アルギスは複雑な表情で見上げた。



「……ブラッドを連れてこい」



「かしこまりました。少々、お待ちください」



 重々しい口調で指示を出すアルギスに、使用人は恭しく腰を折って部屋を出ていく。


 扉から目線を外すと、アルギスは目を瞑り、ブラッドの到着を待ち始めた。


 

 そして、それから待つこと数十分。


 ブラッドを連れた使用人が、アルギスの下へと戻って来た。



「失礼いたします。ブラッド様をお連れしました」



「よう、大将。用事ってなんだ?」



 使用人の後ろからで手を挙げたブラッドは、初めて見た時と異なり、髭の剃られた顔に笑みを浮かべる。


 また、ぼさぼさになっていた赤銅色の髪も、すっかり綺麗に切りそろえられていた。



(コイツ、意外と若かったんだな)



 若返ったブラッドの外見に、アルギスは目をぱちくりさせる。


 程なく、突っ立ったままのブラッドに気が付くと、躊躇いがちに向かいのソファーを指さした。



「まあ、座れ。……お前は下がっていい」



「失礼いたします」 



「おう」



 部屋の奥へと去っていく使用人をよそに、ブラッドはドカリとソファーに腰を下ろす。


 犬歯を見せて笑うブラッドに眉を顰めつつも、アルギスは背もたれから身を起こして口を開いた。



「具体的な指示は出していなかったが、何をしていた?」



「ここに来てからか?……そうだな――」


 

 怪訝な表情を浮かべるアルギスに対し、ブラッドは記憶を思い起こすように目線を上向ける。


 

 軽い調子で話し出すブラッドが言うには、まず屋敷にやって来た日の夜に全身を洗われ、身なりを整えられた。


 そして、次の日の午前中には仕立て屋に体を測られ、午後になると何故か王都に残っていたバルドフから模擬戦に誘われたというのだ。 

 


「騎士団長だったか?あの人強いな、素手で気絶させられたのは初めてだ」


 

「……それで、それからはどうした?」



 満足げな様子のブラッドに、アルギスは目頭を押さえて先を促す。


 すると、ブラッドはアルギスへ目線を下ろし、なおも楽し気に言葉を続けた。



「王都の近くで魔物と戦っていたな」



「……なるほど」



 ブラッドの返答に眩暈を覚えたアルギスは、半ば諦めながら話に耳を傾ける。


 続くブラッドの話は、やはりというべきか、毎日王都の外で魔物を狩っているだけだった。



「狩って来た魔物の調理もしてくれるし、いいとこだな。ここは!」



「……楽しそうで何よりだ」


 

 思いの外好き勝手しているブラッドに呆れつつも、アルギスは問題が起きていないことに安堵の息をつく。


 しばらく屋敷での生活について話していたブラッドは、途中、思い出したように声を上げた。



「あ!そうだ、そうだ」



「今度はなんだ」


 

 ブラッドが身を乗り出すと、アルギスは途端に目つきを胡乱なものへ変える。


 アルギスが警戒心を露にする中、ブラッドは気にした様子もなくニカリと笑った。



「騎士団から武器借りてもいいか?」



「多少なら問題ないだろうが、わざわざ聞くことか?」


 

 ブラッドの要求に拍子抜けしたアルギスは、思わず疑問が口を衝いて出る。


 目を丸くするアルギスに対し、ブラッドは口をへの字に曲げながら肩を竦めた。



「貸し出すには大将の許可が要るんだとよ」 


 

「……そうか。なら許可したと、ガーランドに言っておけ」

 


 ため息交じりに頷くと、アルギスは疲労を滲ませながら背もたれへ寄りかかる。


 一方アルギスの返事を聞いたブラッドは、一転して上機嫌に手を打った。


 

「おお、ありがとう!約束の方も、楽しみにしてるぜ」



(……それもあったな。コイツが満足するほどの相手がいるか?)


 

 顔を綻ばせるブラッドを尻目に、アルギスは目線を下向けて考え込む。


 しかし、すぐにハッと顔を上げると、薄笑いと共に口を開いた。



「……ダンジョンに興味はあるか?」



「あー、この辺りは殆ど行ったことあるぞ?」



 アルギスの返事を聞き流したブラッドは、だらしなくソファーへもたれかかる。


 つまらなそうに首を捻るブラッドに、アルギスはニヤリと挑戦的な笑みを見せた。

 


「ここから東に3日ばかり進むと、ダンジョンがある。これはお前の捕まっている間に見つかったものだ」



「なに!?どこまで攻略された?」



 予想外の内容にカッと目を見開くと、ブラッドはソファーから腰を浮かせてアルギスへ詰め寄る。


 しかし、うんざりした表情で頬杖をついたアルギスは、ブラッドを遠ざけるようにヒラヒラと手を振った。

 


「まだ調査が始まったばかりだ。見つかったのは、ついこの間だぞ」



「おお!」



 目を輝かせたブラッドは、獰猛な笑みを浮かべながら拳を握りしめる。


 闘志を漲らせるブラッドに、アルギスはホッと胸を撫でおろした。


 

(これで調査隊の攻略も、多少状況が変わるだろう。一石二鳥だな)



「あ……」


 

 しばし2人の間に穏やかな空気が流れる中、ブラッドは突如動きを止め、アルギスから顔を逸らす。


 異変に気が付いたアルギスは、冷や汗を流すブラッドの横顔にため息をついた。


 

「おい、何を隠している」



「……な、何がだ?」



 顔を真っ青にしつつも、ブラッドは引きつった笑いを浮かべて白を切る。


 明らかに様子のおかしいブラッドに、アルギスは呆れ顔で額を押さえた。


 

「……せめて隠す努力をしろ。いいから、さっさと話せ」



「いや、その、実は冒険者証を剥奪されたままで……」



 アルギスが問い詰めると、ブラッドは頭を搔きながら口重そうに切り出す。


 すると、これまで頬杖をついていたアルギスは、ピクリと眉を上げ、ソファーから身を起こした。



「なんだと?」



「ほら、俺って捕まってただろ?」



 がっくりと肩を落としたブラッドは、未だ冷やせを流しながら気まずそうに話し出す。


 聞けば、囚人として捕らえられた際に冒険者証を剥奪され、屋敷に来てからもギルドには赴いていないのいうのだ。



(冒険者証がなければ公都の調査隊には入れないな。……そもそも、なぜ作り直していない?)



 各地域の冒険者ギルドの管理下にあるダンジョンは、冒険者証がなければ入ることができない。


 早速、計画が失敗したことを悟ったアルギスは、虚脱感を漂わせながら、ひと際大きなため息をついた。


 

「はぁ、明日ギルドに行って、さっさと作り直してこい」



「あー……そうだな」



 忙しなく視線を彷徨わせたブラッドは、アルギスと目を合わせることなく言葉を返す。


 ブラッドの気のない返事に、アルギスは眉を顰めながら足を組みなおした。



「まだ、なにかあるのか?今なら聞いてやるぞ」



「……剥奪された冒険者証の再発行には、保証金がいるんだよ」



 小さな声で話し出すブラッドによれば、冒険者活動の再開には、一定の保証金を納める必要がある。 


 そして、等級に応じて変わる保証金を、ブラッドには支払うことが出来ないというのだ。


 全ての説明を聞き終えたアルギスは、不快感を露にして、ブラッドを睨みつけた。



「これ以上、私に隠していることはないだろうな?」



「あ、ああ。他にはない……はずだ」



 底冷えするようなアルギスの声色に、ブラッドは頬を引きつらせて頷く。


 ブラッドの返事に不安を残しつつも、アルギスは組んでいた足を下ろして顔を寄せた。



「……保証金の額はいくらだ?」



「ああ……六星級は金貨100枚だ」



 絞り出すように声を上げたブラッドは、腕を組みながら黙り込む。


 ぼんやりと床の絨毯を見つめる表情には、苛立ちと共に強い無力感が浮かんでいた。



(ふむ、活動再開に1000万とは。冒険者ギルドもなかなかやるな)



 一方、金額を聞いたアルギスは、冒険者ギルドのシステムに皮肉気な笑みを浮べる。


 ややあって、興味を失ったようにソファーへ寄りかかると、再度足を組みなおした。


 

「金なら貸してやる。明日ギルドに行くぞ」



「っ!いいのか……?」



 アルギスの提案が耳に入ったブラッドは、表情を一変させて顔を跳ね上げる。


 声を震わせるブラッドに、アルギスはげんなりとした表情で首を振った。


 

「冒険者証がなければダンジョンにも入れん。それでは私の計画に差し障りが出るからな」



「……いろいろと、ありがとな。大将」



 しばらくの間茫然としていたブラッドは、感謝の言葉と共に穏やかな笑みを見せる。


 しかし、ブラッドの感謝を鼻で笑うと、アルギスは不快げに顔を歪めた。



「感謝は言葉ではなく、行動で示せ。……話は以上だ。下がれ」



「おう!じゃ、また明日!」



 満面の笑みを浮かべたブラッドは、跳ねるようにソファーから立ち上がる。


 そして、くるりと身を翻すと、足取りを弾ませながら去っていった。


 

「……六星級、か」



 勢いよく閉まる扉をよそに、アルギスはブラッドの等級に口元を吊り上げる。


 アルギスの1人残った部屋には、しばしクツクツと忍び笑いが響くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る