49話

 年の終わりまで1ヶ月を切り、学院が年明けまでしばしの休暇に入る頃。


 鮮やかな青空が広がるソラリア王国の王城では、護衛を伴う貴族たちの馬車が続々と城壁をくぐっていく。


 貴族たちが王城へ向けて列を為す中、アルギスを乗せたエンドワース家の馬車は、既に数多くの馬車が停められた玄関先に到着しようとしていた。


 

(はぁ、なぜこんなことに……)



 豪奢な衣装に身を包んだアルギスは、憂鬱な表情で窓際に頬杖をつく。


 そして、外の景色を眺めると、王城へと向かう羽目になった経緯へ思いを馳せた。


 

 ――――時は、アルギスがソウェイルドへ手紙を送った頃へ遡る。


 レイチェルの件について頭を悩ませたアルギスは、カモフラージュのため、王都における貴族派の窮状として連絡していた。


 それ故、後はソウェイルドが勝手に処理するだろうと高を括っていたのだ。


 

 しかし、数日と経たず送られてきたソウェイルドからの返事に、アルギスは顔を青ざめさせることとなる。


 

(……まさか丸投げされるとはな) 


 

 返ってきた手紙を要約すれば、そこには「エンドワース家の権力を好きに使っていいから問題を解決しろ」と書かれていた。


 その上、オマケのように追記された「パーティの名代も任せる」という指示に、思わず両手で顔を覆ったことは記憶に新しい。


 

(まあ、やってしまった事をいつまでも悩んでいても仕方がない)



 馬車が徐々に速度を落とし始める中、アルギスは大きなため息をついて、気持ちを切り替える。


 程なく馬車が動きを止めると、正面に座るマリーへ目線を移した。



「マリー、お前はこのまま馬車で待機していろ」


 

「かしこまりました。……いってらっしゃいませ、アルギス様」



 アルギスの静止に、マリーは椅子へ座り直しながら、どこか悔し気に頭を下げる。


 ややあって、扉がゆっくりと開かれた車内に、ペレアスが腰を折りながら顔を見せた。



「お待たせいたしました」



「ああ。……護衛は不要だ」



 扉を押さえるペレアスを横目に、アルギスは1人、薄い笑みを張りつけながら馬車を降りる。


 そして、身だしなみを整えると、並みいる貴族たちと共に、使用人の出迎える玄関口へと向かっていった。


 

(年が明けるまで毎日のようにパーティがあるというのに……どいつもこいつも嬉しそうな事だ)



 パーティホールへと向かう道中、同様に廊下を歩く貴族たちの得意げな表情が目に入る。


 内心で顔を顰めながらもアルギスが足を進めていると、突如背後に微かな気配が現れた。


 

「ご無沙汰しております。ご子息殿」



「……ヨアヒムか。それで、どうなった?」



 チラリと後ろを見やったアルギスは、辺りを警戒しながら口を開く。


 すると、ヨアヒムは僅かに腰を曲げて、アルギスの耳元へ顔を寄せた。



「ご安心ください。既に従者殿に渡るように手配してございます」



「そうか……」


 

 人のよさそうな笑みを浮かべるヨアヒムに、アルギスはこっそりとため息をつく。


 というのも、ソウェイルドからの手紙には、セルヴァン家がエンドワース家子飼いの諜報組織であると書かれていた。


 思わぬ事実に当惑しつつも、アルギスは仕方なしにソーンダイク家について調査を依頼していたのだ。



(昔見た時からおかしいと思っていたが、まさか諜報員だとは) 


 

「突然ご連絡を頂いた時は驚きましたが……これから王都では、ご子息殿が動かれるので?」



 未だ戸惑いを残すアルギスをよそに、ヨアヒムは囁くような声で問いかける。


 返事を待つヨアヒムの視線を背中に感じつつも、アルギスは振り返ることなく肩を竦めた。



「さあな。私はあくまで父上の指示に従うだけだ」



「……失礼いたしました」



 以降、口を閉ざすアルギスに、ヨアヒムは冷や汗を浮かべながら頭を下げる。


 やがて、2人が階段を上っていくと、両脇に騎士の控えるホールの扉は、既に開け放たれていた。


 

(さて、さっさと挨拶回りを済ませてしまおう) 


 

 遠目に見える貴族たちの様子に、アルギスは小さく息を吐きながら襟を正す。



 程なく、ホールへと足を踏み入れた2人は、貴族派の集まる一角へと足を向けた。



「……では、私はそろそろ失礼いたします」

 


 貴族派のテーブルが目前に迫ると、ヨアヒムは空気へ溶けるように気配を薄くしていく。


 そのまま立ち去ろうとするヨアヒムに、アルギスは足を止めて向き直った。



「ああ。世話になったな」



「とんでもございません。……今後、私共に連絡を取りたい場合は、三男のグルトスを窓口にしてください」



 深々と腰を折ったヨアヒムは、すれ違い様にアルギスの耳元でボソリと呟いて去っていく。


 一方、ヨアヒムと別れたアルギスは、涼しい顔で、会話に花を咲かせる貴族たちの下へと向かっていった。



 やがて、アルギスの挨拶回りも半ばを過ぎた頃。


 ファンファーレが鳴り響くと同時に、ホールへ近衛騎士が姿を現した。



「国王陛下、並びに第二王子殿下のご入場です!」



「ほう、第二王子……」


 

 値踏みするようなアルギスの目線の先では、ライナースと共に10代後半程の細身な男が、ホール奥の椅子へと向かっていく。


 穏やかな笑みを浮かべるライナースに対し、細身の男は不満げに顔を顰めながら周囲を睨んでいた。



(あいつが”ジェフリー・ソラリア”か。あまり、いい噂は聞いたことがないな)


 

 アルギスがジェフリーを眺めていると、貴族たちはぞろぞろと王族の下へ向かい出す。


 

 しばらくして、挨拶へ向かう貴族の列が途切れる頃。


 ライナース達の座る椅子の下へとやってきたアルギスは、胸に手を当てて頭を下げた。


 

「陛下。この度はお招きいただき、感謝いたします」


 

「おお、アルギス・エンドワースではないか。ソウェイルドはいないのか?」



 アルギスの姿を見たライナースは、不思議そうな顔でキョロキョロと辺りを見回す。


 目を丸くするライナースに、アルギスは苦笑いを浮かべながら口を開いた。



「はい。及ばずながら、本日は私が名代を務めております」



「そうか、そうか」



 アルギスが再び頭を下げると、ライナースは合点がいったとばかりに微笑みを湛える。


 直後、これまで黙り込んでいたジェフリーが、はたと口を開いた。


 

「エンドワース、お前は俺に忠誠を誓えるか?」



(なんだと?……コイツ、どういうつもりだ?)



 試すようなジェフリーの問いかけを訝しみつつも、アルギスは無表情でジェフリーに向き直る。


 唖然とするライナースをよそに、2人は無言でじっと見つめ合った。


 

「なんだ?返事はどうした?」



「エンドワース家は、常にソラリア王国の繁栄を第一に考えております」


 

 ジェフリーが顎をしゃくり上げると、アルギスは胸に手を当てて、ニコリと微笑む。


 気の良い笑顔を見せるアルギスに、ジェフリーは眉間の皺を深めながら、背もたれに寄りかかった。



「ふん……。どうだかな」


 

「やめないか、ジェフリー。……エンドワース、すまない」



 ジェフリーを諫めたライナースは、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


 頭まで下げかねない様子のライナースに、アルギスは頬を引きつならせながら、先んじて頭を下げた。



「いえ、こちらこそ陛下に謝罪させるなど……」



「気にしなくていい。それよりも、今宵は楽しんで帰ってくれ」



 気まずそうに首を振ると、ライナースは疲れたようにアルギスへ笑いかける。


 小さく安堵の息をついたアルギスは、再度胸に手を当て、静かに頭を下げた。



「重ねて、感謝いたします」


 

「うむ」



 慇懃な礼を見せるアルギスに、ライナースは頬を緩ませて鷹揚に頷く。


 一方、2人のやり取りを眺めるジェフリーの眉間には、深い皺が刻まれていた。



「…………」 


 

「……では、失礼いたします」


 

 睨むような視線を受け流したアルギスは、顔を上げて、そそくさと2人の前を立ち去る。


 しばらくして、アルギスが貴族派のテーブルへと戻ってきても、ジェフリーは未だ不満げな様子で椅子にもたれかかっていた。


 

(……流石、父上が名指しで警告する男だ)



 不快げに目を細めたアルギスは、不意に手紙に書かれていた指示を思い返す。


 ソウェイルドからの手紙には、パーティに関する指示として、警戒すべき数名の名前が記されていた。


 そして中でもジェフリーの名前は、筆頭に挙げられている程だったのだ。

 


(ややこしい相手だろうとは思ったが、あれは酷いな……)



 挨拶すらしないジェフリーに、アルギスは内心でうんざりした表情を浮かべる。


 予想外の出来事にため息をつきつつも、再び貴族派の挨拶回りに戻っていった。



 


 パーティの開始から4時間近くが経ち、食事を終えた貴族たちがダンスを楽しむ中。


 ホールの端で様子を眺めていたアルギスの横に、難しい顔をした銀髪の男が並んだ。


 

「君は、エンドワース家の嫡男だな?」



「……ああ、アルギス・エンドワースだ。授与式以来だな、ハートレス卿」



「っ!」 



 不敵な笑みを見せるアルギスに、銀髪の男――オリヴァーは、目を見開いて息を呑む。


 しかし、すぐに気を取り直すと、落ち着かない様子でアルギスの周囲を見回した。



「そうだな。それで、ソウェイルドは一緒じゃないのか?」 


 

「非常に残念ながら、今日は私だけだ。……伝言があれば聞くが?」



 ため息交じりに肩を竦めたアルギスは、眉間に皺を寄せながら、オリヴァーの顔を見上げる。


 訝しむようなアルギスの問いかけに、オリヴァーは落胆した表情で静かに首を振った。



「伝言は結構だ。……失礼する」



「待て、少し話したいことがある。……あちらのバルコニーで話そう」



 立ち去ろうとするオリヴァーを引き留めると、アルギスは人気のない窓の外を顎で指す。


 しばし無言でバルコニーを見つめていたオリヴァーは、意を決したように頷いた。


 

「……いいだろう」



「理解して貰えて何よりだ。行くぞ」



 周囲で会話を楽しむ貴族たちを尻目に、アルギスはオリヴァーを伴ってホールを進んでいく。


 やがて、ベルコニーに出た2人は、対照的な表情で、優美な彫刻が点在する中庭を見下ろした。


 

「それで?話とは、なんだ?」



「……王都における、貴族派の惨状についてだ」



 焦れたように先を促すオリヴァーに対し、アルギスは声のトーンを落として、ゆっくりと口を開く。


 アルギスの返事に血相を変えたオリヴァーは、弾かれたように横を振り向いた。



「な!?」


 

「随分と、ひどい有様だそうだな」



 慌てるオリヴァーをジロリと横目に睨むと、アルギスは苛立たし気に腕を組む。


 口を閉じて返事を待つアルギスに、オリヴァーは忙しなく目線を彷徨わせながら後ずさった。



「っ!……なぜ、お前がそんなことを知っている?」



「私がこうして動いているのは、貴様の娘のおかげだ。理解したか?」



 オリヴァーに詰め寄ったアルギスは、嘲るように口元を歪める。


 しかし、オリヴァーはアルギスの表情に目もくれず、肩を掴んで揺すり始めた。



「おい、お前!あの娘と、レイチェルとどういう関係だ!」



(な、な、なんだ?)



 態度を急変させるオリヴァーに、アルギスは目を白黒させながら、ガクガクと首を揺らす。


 ややあって、揺らす手を止めると、オリヴァーは鬼の形相でアルギスに顔を寄せた。



「おい!答えろ!」

 


「放せ、鬱陶しい。……ただの、クラスメイトだ」



 オリヴァーの手を振り払ったアルギスは、呆れ交じりに顔を逸らす。


 アルギスがそのまま口を閉ざすと、オリヴァーは目を血走らせながら睨みつけた。

 


「本当だろうな!?」



「嘘をつく理由がないだろ……」



 すっかり緊張感の無くなったバルコニーに、アルギスはがっくりと肩を落とす。


 半ば真剣な話し合いを諦めつつも、しぶしぶオリヴァーへ目線を戻した。


 

「……まあ、要するに私がこの問題の解決を指示されたわけだ」



「できるものか……」



 元通りドス黒い怒りを露にしたオリヴァーは、唸るような呟きと共に目を伏せる。


 悔し気に奥歯を噛みしめるオリヴァーに、アルギスは嫌悪感を湛えて口を開いた。


 

「それを決めるのは、私だ」



「なぜ、今なんだ……?どうして今まで……」



 握っていた拳を力なく緩めると、オリヴァーは感情を抑え込むように両手で顔を覆い隠す。


 オリヴァーの悲痛な呟きに、アルギスは青筋を立てながら、不快げに鼻を鳴らした。



「なぜ、だと?言っただろうが、レイチェルを救うためだ。逆になぜ、貴様は何もしない?」



「……やったさ、精一杯な。誰が好き好んで自分の娘を犠牲にしたい思う」



 顔から手を下ろしたオリヴァーは、目を潤ませながら自嘲気味な笑みを浮かべる。


 しかし、すぐに表情を引き締め直すと、目の端を拭って重々しい口調で言葉を続けた。



「だが、貴族派自体が力を失えば我が家のみでは収拾がつかなくなる。それだけは、なんとしても避けなければならない」



「…………」



 きっぱりと言い切るオリヴァーの気迫に、アルギスは言葉を失くして押し黙る。


 しばし、息苦しい沈黙が広がる中、神妙な面持ちで姿勢を正した。


 

「オリヴァー・ハートレス。貴方はこれ以上、この件に関わるな」



「待て!それはどういう意味だ!?」



 言い終えるが早いか、バルコニーの出口へと歩き出すアルギスに、オリヴァーは思わず声を張り上げる。


 オリヴァーの叫びに足を止めたアルギスは、表情を殺して後ろを振り返った。



「……私の邪魔をするな、と言う意味だ」



 突き放すようなアルギスの返答は、冷たい風が吹き抜けるバルコニーに消えていく。


 茫然とするオリヴァーを背にバルコニーを出たアルギスは、そのまま足早に王城を後にするのだった。

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