42話

 階層主の扉から離れた4人が小部屋へとやってきて、数時間が過ぎる頃。


 テントの中で目を覚ましたレイチェルは、上半身を起こしながら、ぼーっとする頭で辺りを見回した。



「……寝すぎちゃった」



 レイチェルが隣を見れば、一緒に寝ていたはずのニアの姿は既にない。


 慌てて髪を整え、テントを出ようとした時、静かにテントの入り口が揺れた。



「あ。おはよう、レイチェル様」



「……ニア、ごめんなさい。遅くなってしまったわ」



「全然、そんなことないよ!……私が少し早く起きすぎちゃっただけで」



 申し訳なさそうに頭を下げるレイチェルに、ニアは慌てて手を振る。


 すぐにニアが苦笑いを浮かべると、レイチェルはホッと息をついて、安堵の表情を見せた。



「それなら良かったわ。アルギス様とジェイクはどうしているの?」



「あー。えーと……」


 

 レイチェルの質問に言葉を詰まらせたニアは、視線を彷徨わせて答えあぐねる。


 再び不安そうな表情に変わったレイチェルがテントの外を覗くと、岩に腰かけて本を読むアルギスと、横で丸くなって眠るジェイクの姿が目に入った。



(よかった、私が最後じゃなかったのね)



 半ば見慣れた光景に、レイチェルは何とも言えない表情でニアの顔を見上げる。


 すると、レイチェル同様2人の姿を見据えていたニアは、目線を逸らしながら頬を搔いた。



「あはは、だからレイチェル様は全然大丈夫だよ。……ジェイク君、私が起きた時には寝てたから」



「ふふ。どうやら、そのようね」



 なおも苦笑いを続けるニアの言葉に、レイチェルは口元を隠して笑い声を零す。


 微笑み合った2人がアルギス達へ近づいていくと、ジェイクは起き上がって伸びをした。


 

「うーし!やるぜ」



「頑張ろうね!」



 楽しそうに手甲をガチガチとぶつけるジェイクに、ニアはやる気に満ちた声を掛ける。


 一方、アルギスの姿を見つめたレイチェルは、普段と変わらない態度に、思わず眉を顰めた。



(本まで持ち込んで……拡張バックの中身が気になるわね) 



「さて、これから10階層の階層主の情報を話す。よく聞いておけ」



 訝しむレイチェルを尻目に、アルギスは本をバックへ仕舞いながら3人の顔を見回す。


 アルギスが3人の側へと腰を下ろす中、ジェイクとニアは目を丸くして顔を見合わせていた。



「そんなの、いつ調べたんだよ……」



「ほんとにダンジョンが好きなんだね」 



「……私とて、死にたくはないからな。挑むなら万全で挑む、それだけだ」



 呆れの混じった2人の視線を受け流しつつ、アルギスは階層主の情報について説明を始める。


 レイチェルを含む3人がじっと耳を傾けると、出現する魔物の種類と特徴について話していった。


 

「ただ近年は上位種の中でも、極まれにキングが出てくるようだからな。気をつけろ」



「気をつけろつったって……」



「……大丈夫かなぁ」



 アルギスの説明を聞き終えたジェイクとニアは、困ったように眉尻を下げる。


 再び2人が顔を見合わせる横で、レイチェルは1人俯いて、地面についた拳を握りしめた。


 

(少しでも結果を出さなくちゃ……)



 剥き出しの地面を見つめるレイチェルの表情は、得も言われぬ焦燥感に歪む。


 思いつめたレイチェルに、アルギスはため息をつきながら、首を横に振った。



「……繰り返しになるが、出現するのはゴブリンやコボルト程度だ。そう心配することはない」


 

「ねぇ。どうやって、そんなに詳しく調べたのかしら?」 



 ややあって、顔に笑顔を張り付けたレイチェルは、首を傾げながら、立ち上がったアルギスを見上げる。


 すると、アルギスはテントへ向かう足を止めて、レイチェルを見下ろした。



「ん?ああ、既に10階層を超えた上級生に聞いただけだぞ」


 

「いつの間に……」



 あっけらかんと答えるアルギスに、レイチェルは目を瞬かせて口をぽかんと開ける。


 3人の視線が揃って目を丸くする中、アルギスはどこか懐かし気に目を細めた。


 

「入学したての頃、鍛錬場で会ってな。それ以来、たまに話すんだ」



「あら?意外と社交的なのね」


 

 アルギスが伏し目がちに微笑むと、レイチェルもまた、いたずらっぽい笑みを見せる。


 ニコニコと返事を待つレイチェルに、アルギスは一転して不満げな表情で流し目を送った。


 

「意外は余計だ」


 

「ふふ、ごめんなさい」


 

 アルギスにじろりと睨まれつつも、レイチェルはクスクスと笑い声を漏らす。


 ややあって、レイチェルから目線を外したアルギスは、ため息をつきながら再びテントへ足を向けた。



「……まあいい。それよりも、そろそろここを出るぞ」


 

「今日、階層主を討伐したら、俺たちが一番乗りだろ?燃えるよな!」



 アルギスを追いかけるように立ち上がると、ジェイクは隣に並びながら、満面の笑みで腕を振り回す。


 落ち着かない様子のジェイクに、アルギスは真剣な表情で背中を叩いた。



「これでも遅れが出ているんだ、気を引き締めろ」


 

「はい、はい。わかったよ」 



 つまらなそうに唇を尖らせつつも、ジェイクはアルギスと共に拡張バックへテントを仕舞う。


 やがて、テントを仕舞い終えたバックをニアへ渡すと、アルギスは小部屋の出口を見据えた。


 

「……では、準備はいいな?」



「おう!いつでもいいぜ」



「ええ、問題ないわ」



「うん、平気だよ」



 チラリと後ろを振り返るアルギスに、3人は気合の入った表情で口々に言葉を返す。


 3人の表情に口元を吊り上げたアルギスは、直後、体から黒い霧を揺らめかせた。


 

「――軍勢召喚。……行くぞ」



(……絶対に諦めないわ。少しでも抗う力を手に入れてみせる)



 スケルトンを先頭に歩き出す3人をよそに、レイチェルは最後尾で剣の柄を握りしめる。


 そして、決心を新たに後を追いかけると、緊張した面持ちで階層主のいる部屋へと向かっていった。


 



 4人が小部屋を出て1時間が経つ頃。


 階層主の部屋へ辿り着いた4人は、奇妙な意匠の彫刻された、巨大な金属製の扉を見上げていた。


 縄のような装飾の円の中に、瞳の刻まれた両開きの扉は、鈍く銀色に光り、押しつぶすような威圧感を放っている。



 これから階層主と戦うという実感に、レイチェルは恐怖と好奇心がない交ぜになった複雑な表情を浮かべた。


 

(上位種……どんな魔物が出るのかしら)



「レイチェル、場所の交代だ。……本当に大丈夫か?」



 後ろを振り返ったアルギスは、じっと扉を見つめるレイチェルの表情に戸惑いを見せる。


 しかし、レイチェルは鞘から剣を抜くと、薄い笑みを浮かべながらアルギスの前に進み出た。



「心配してくれるなんて嬉しいわ。でも、私は何も問題ないわよ」


 

「……ジェイク、扉を開けろ」



 余裕のないレイチェルに不安を残しつつも、アルギスは既に扉の前へ立つジェイクへと目線を移す。


 ゆっくりと近づいていく3人を背に、ジェイクは巨大な2枚扉の取っ手に手をかけた。


 

「おう!」



 ジェイクが取っ手を引くと、巨大な扉は音もなく、独りでに開いていく。


 程なく扉の開ききった階層主の部屋は、100メートル四方はあろう、所々に岩の突き出した空間が広がっていた。



「……ただの、コボルト?」


 

 扉の目の前に立つコボルトの姿に、レイチェルはキョトンとした顔で首を傾げる。


 しかし、レイチェルと共に部屋に入ったジェイクは、奥を見据えて震える声を上げた。


 

「どうなってんだ!階層主って1体じゃないのか!?」



(嘘でしょ……?下位種を従えているの?)



 顔を上げたレイチェルの目線には、ぞろぞろと上位種の混じったコボルトを従える、巨大なコボルトの姿がある。


 2メートルを超える体躯は固そうな毛で覆われ、ギラギラと光る牙や爪は、そのものが武器だということを誇示していた。



「どうするの!アルギス様!?」



 囲むようにゆっくりと移動し始めるコボルトの群れに、レイチェルは慌てて後ろを振り返る。


 一方、黒い霧を揺らめかせるアルギスは、口元に手を当てながら、クツクツと笑い声を漏らしていた。


 

「慌てるな。どうやらコボルトキングのようだが……大当たりじゃないか」



(少しも、負けるとは思っていないのね……)



 相変わらずの態度に唖然としつつも、レイチェルは不思議と肩の力が抜けていることに気が付く。


 そして、険しかった顔にわずかに微笑みを浮かべると、握っていた剣をコボルトキングへと向けた。



「いつでも行けるわ!」



「フッ、そうか。……ジェイク、レイチェル、ニア、お前らはコボルトキングに集中しろ。雑魚は私が抑えてやる」

 


 指示を出し終えるが早いか、アルギスの体からは黒い霧が噴き出す。


 耳障りな声を上げる死霊を背に、レイチェルは魔力を纏わせた剣を振り上げながら、コボルトキングへと駆けだした。



「はぁぁぁ!」 



「グルルウゥゥゥ!」



 分厚い毛皮に包まれたコボルトキングは、レイチェルの剣を滑るように受け流す。


 反撃とばかりに鋭い爪を振り上げて迫るコボルトキングとレイチェルの間に、ジェイクはすかさず飛び込んだ。


 

「敵は1人じゃないぞ!」



「グルウゥル!」



 ジェイクに腹部を殴りつけられたコボルトキングは、苛立ち交じりに後ろへ飛びのく。


 様子を窺うコボルトキングを睨みつけると、レイチェルは周囲にキラキラと輝く細かな氷を出現させた。



「――冷徹なる氷よ、凍てつく力を解き放ち、舞い乱れよ。氷華凍結」



 たちまち辺りへ広がった氷は、コボルトキングを囲むように集まっていく。


 そして、コボルトキングの体へと触れた瞬間、次々に結晶となって動きを拘束し始めた。


 

「グルルルウゥ!?」



「……やった!」



「いいぞ!」

 


 白い結晶に包まれて動きを鈍らせるコボルトキングに、レイチェルとジェイクは揃って明るい声を上げる。


 すると、無理矢理に地面へ手を着いたコボルトキングは、息を吸い込んで、白く染まった胴体を大きく膨らませた。



「グルルルァァァァ!」



「ぐぅっ!」



「きゃ!」



 追撃を仕掛けようとしていた2人は、コボルトキングの咆哮に顔を覆って足を止める。


 慌てて2人が顔を上げると、コボルトキングは既に爪を振り上げながら、レイチェルの目前へと迫っていた。



「グルルァ!」



「きゃああ!」



 コボルトキングの一撃を剣の腹で受け止めつつも、レイチェルは勢い余って後ろへ弾き飛ばされる。


 ゴロゴロと転がっていくレイチェルを横目に見ると、ジェイクは追撃を仕掛けようとするコボルトキングの足を止めた。



「レイチェル!くそっ!」 



「グルァァァ!」

 


 周囲を動き回るジェイクに逆上したコボルトキングは、爪を振り回しながら後を追いかける。


 ジェイクがコボルトキングから逃げ回る中、ニアは苦し気にしゃがみ込むレイチェルへと駆け寄った。

 


「レイチェル様!――清らかな水よ、癒しの雨を降らせたまえ。慈愛の雨」



「っ!……ありがとう、ニア!」



 瞬く間に体の痛みが消えたレイチェルは、ニアに笑顔を見せながら、剣を杖のようにして立ち上がる。


 そして、ジェイクが1人相手取るコボルトキングへ駆け寄ると、大振りに剣を振り上げた。


 

「はぁぁぁ!」



「グルルアァァ!」



 背後から迫るレイチェルに気が付いたコボルトキングは、振り返り様に鋭い爪を突き出す。


 淡く輝くレイチェルの剣とコボルトキングの爪は、甲高い音をたててぶつかり合うのだった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る