39話
2人がコロシアムへとやってきて1時間が経った頃。
審判が試合の終了を伝えると、アルギスは不満げな表情で背もたれへ体を預けた。
「今の試合は、然程見ごたえがなかったな」
「今のは3年と2年の試合だもの。そう言っては可哀そうよ」
退屈そうに腕を組むアルギスに、レイチェルは苦笑しながら、手に持っていたトーナメント表を差し出す。
トーナメント表を受け取ったアルギスは、ふと目が留まった名前に眉を顰めた。
「……1年で参加しているのはファルクネスだけか」
「そうみたいね」
横から表を覗き込むと、レイチェルはアルギスと対照的に気楽な調子で頷き返す。
10名程の名前と学年が並ぶトーナメント表には、はっきりとレベッカの名前と学年が記載されていた。
(アイツを見ていると、どうしてもシナリオを思い出してしまうな……)
ゲームを思い起こさせるレベッカの行動に、アルギスは疲れた表情で目頭を押さえる。
『救世主の軌跡』においても、レベッカはシナリオの中盤で魔術大祭典に参加していたのだ。
(しかし、イベントは2年だったはずなんだが……)
「……噂をすれば、ね」
アルギスが首を傾げていると、レイチェルは小さな呟きを零しながらコロシアムへ目線を移す。
半球状の光に囲われ始めたコロシアムの中心では、右手には長い杖を携えたレベッカが2年の男子生徒と向かい合っていた。
「随分と自信があるようだったからな。楽しませてもらうとしよう」
レイチェルに釣られてコロシアムへ顔を向けたアルギスは、楽し気に両手をすり合わせる。
程なく、2人の見下ろすコロシアムには、試合開始の宣言が響き渡った。
「……どうやら、口だけじゃないみたいね」
「ああ、有意義な休暇を過ごせたようだ」
上級生と互角の戦いを繰り広げるレベッカに、2人は対照的な表情を浮かべる。
男子生徒のゴーレムをレベッカの魔術が攻撃し続けるコロシアムでは、次々と爆炎が舞い上がっていた。
(第三階梯の無詠唱か。豪語するのも頷ける)
口元を吊り上げたアルギスは、身を乗り出してレベッカの試合を観戦する。
やがて、男子生徒が炎の檻に囲われると、コロシアムにはレベッカの勝利を伝える審判の声が響いた。
「……ご感想は?」
「魔術のみの戦いとはいえ、悪くなかったな」
「そう……」
アルギスがクツクツと笑い声を漏らす横で、レイチェルは悔し気に下唇を噛みしめながらコロシアムへ目線を戻す。
半球状の光が消えたコロシアムでは、汗だくになったレベッカが退場するのだった。
◇
試合は進み、コロシアムの生徒が入れ替わる中。
ぼんやりと様子を眺めていたアルギスは、突如奇妙な胸騒ぎと共に、背筋に冷たいものを感じた。
「…………」
「ねぇ、どうかしたの?」
背筋をピンと伸ばしたアルギスに、レイチェルは不思議そうな顔で首を傾げる。
しかし、再び背もたれに寄りかかると、アルギスは諦めたように軽く手を振った。
「……いや、何でもない」
「そう……なら、いいのだけど」
難しい顔で俯くアルギスを訝しみつつも、レイチェルは試合の観戦へと戻る。
一方、地面を見つめたアルギスは、得も言われぬ不快感の正体に、グルグルと思考を巡らせていた。
(なんだ、この胸騒ぎは?)
徐々に強くなる不快感にアルギスが席を立とうとした時、王都にけたたましい鐘の音が鳴り響く。
これまで楽し気に試合を見ていた観客席は、突然の出来事に、一瞬にして騒がしくなった。
「何かしら……?」
「……緊急事態なことは確かなようだ」
不安げに辺りを見回すレイチェルに、アルギスもまた、周囲を警戒しながら言葉を返す。
観客席が未だざわめきに包まれる中、コロシアムで審判を務めていた講師が声を張り上げた。
「皆さん落ち着いてください!現在、王都に魔物が迫っているようです、避難誘導に従って行動してください!」
審判の声が観客席に聞こえるが早いか、階段を駆け上がってきた講師たちが、あちこちで手を挙げる。
しかし、観客席を立ち上がった市民たちは、顔に恐怖を張りつけて、我先にと出口を目指し始めた。
(再臨祭で魔物の襲撃だと?……まさか、ワイバーンか?)
混乱する観客席をよそに、アルギスはシナリオを思い出しながら、複雑な表情で空を見上げる
しばらくして市民の殆どが逃げ出すと、苛立ち交じりに席を立った。
「おい、行くぞ」
「え、ええ、そうね」
アルギスに声を掛けられたレイチェルは、ハッと我に返って椅子から立ち上がる。
人気のなくなった観客席を後にすると、2人はコロシアムの外へと向かっていった。
「こちらから校舎の中に入ってください!」
「いいから門の外に出してくれ!」
(酷い有様だ。たかがワイバーンに、ここまで取り乱すとは……)
コロシアムの出口から外の様子を窺ったアルギスは、必死で誘導する講師と逃げ惑う市民に顔を顰める。
しかし、口々に騒いでいた市民たちの声は、間もなくピタリと止んだ。
高い音で鳴き声をあげるワイバーンが、空気を切り裂くような速度で飛来したのだ。
「ギャオォォォォー!」
「う、うわぁぁぁぁ!」
ワイバーンの影に覆われた市民たちは、列を乱しながら這う這うの体で逃げ出す。
程なく、人ごみの付近へ降り立つワイバーンに、レイチェルは不安げな表情でアルギスへ顔を向けた。
「大丈夫かしら……」
「恐らくは問題ないだろう」
事も無さげに頷いたアルギスは、怯えるレイチェルを尻目にキョロキョロと辺りを見回す。
直後、ワイバーンが大きく口を開きながら、逃げ惑う市民へ顔を向けたのだ。
「ギャァァ!」
荒々しい鳴き声と同時に吐き出された火の玉は、真っすぐ人ごみへと向かう。
メラメラと燃える火炎が市民の目前へと迫った時、人ごみから人影が2つ飛び出した。
「――大地よ、その土を我が盾として守らん。土塊の盾」
土で出来た盾を手にしたシモンは、すかさず市民と火の玉の間に割り込む。
火の玉を正面から受け、後ろへ吹き飛ぶシモンをよそに、ルカは聖剣を中段に構えた。
「《回帰の御旗》……シモン、そのまま引きつけておいて」
「任せろ。――大地よ、その土を我が盾として守らん。土塊の盾」
砕けた盾を再度作成すると、シモンは背後に紋章旗をはためかせるルカを守るように立つ。
揃って淡い燐光に包まれた2人は、一歩も引かずワイバーンと向き合った。
(……来たな、勇者ども)
「あれは……!」
無言で様子を眺めるアルギスに対し、レイチェルは目を見開いて後ずさる。
近くにいた市民たちが校舎へと駆けだす中、ルカとシモンはシナリオの通り、ワイバーンと戦い始めた。
(これも、シナリオの通りか。作為的な流れすら感じさせるな)
拭いきれない違和感を感じつつも、アルギスは勇者パーティがワイバーンと戦う様子に目を細める。
そして、戦闘の開始から数分が経つ頃。
互いに満身創痍となったルカ達とワイバーンには、決着がつこうとしていた。
「行け、ルカ!」
「ハァッ!」
聖剣を地面と平行に構えたルカは、傷だらけになったワイバーンの胴体目がけて突き出す。
吸い込まれるように聖剣が胴体へ突き刺さると、ワイバーンはのたうち回りながら地面へ倒れ伏した。
「ギャァァァ……」
ややあって、大人しくなるワイバーンに、遠巻きに見ていた市民は歓声を上げる。
すると、ルカは嬉し気に口元を歪ませて、握りしめた聖剣へ目線を落とした。
「……やったぞ」
「特訓の成果が出たな、ルカ」
持っていた盾を消滅させたシモンは、珍しく満面の笑みを浮かべながらルカの肩を叩く。
しかし、これで一件落着かに思われた時、戦いを見ていた市民の1人が空を指さした。
「お、おい!あれ見ろ!」
皆が一斉に顔を向けた空には、遥か遠くに数え切れないほどのワイバーンが姿を現している。
真っすぐに王都へと向かってくるワイバーンの群れに、市民たちは再びパニックを起こし始めた。
「まだ、戦えるかい?シモン」
「……当たり前だ」
徐々に大きさを増すワイバーンの群れに、2人は表情を引き締め直す。
一方、同様にワイバーンの群れを見つめたアルギスもまた、シナリオにおいては1体だったワイバーンが複数体いることに驚きを隠せなかった。
(シナリオでも複数体なんてなかったぞ?最近の王都周辺は落ち着いたと聞いていたが……)
アルギスが考え込んでいる間にも、ワイバーンは速度を上げて王都へ迫る。
そして、いよいよワイバーンが王都へ防壁を超えようとした瞬間、街中から雷撃を纏った矢が飛び出した。
(っ!また、この悪寒だ……!)
アルギスが弾かれたように空を見上げると、紫電を発した矢は、バチバチと音を鳴らしてワイバーンの群れへと向かう。
そのまま先頭のワイバーンへ突き刺さると、眩い稲光とと共に轟音を響かせて、後方のワイバーン諸共群れを焼き尽くした。
(なんだ今のは!?俺が知らないだけで、王都にはまだバケモノがいるのか?)
ワイバーンの群れを一撃で灰へ変えた魔術に、アルギスは頬を引きつらせて冷や汗を流す。
しかし、ルカとシモンを含むその場にいた者は皆、脅威が撃退されたことに喜びを分かち合っていた。
(……ゲームに登場していない強者。調べなければならないだろうな)
笑顔で立ち去っていく市民たちをよそに、アルギスは立ち止まって考え込む。
やがて、これまでの騒ぎが嘘のように辺りが静まり返ると、レイチェルは動こうとしないアルギスの肩を軽く叩いた。
「ねえ、そろそろ行きましょう?」
「……ああ、そうだな」
レイチェルに声をかけられたアルギスは、思案を切り上げてコロシアムの出口を後にする。
そのまま寮へ戻っていく道中、レイチェルは上目遣いでアルギスの顔を覗き込んだ。
「魔術大祭典も中断みたいだし、どうしようかしら?」
「もう終わりの時間も近いからな。それに客もだいぶ減っている」
校舎の前で再び足を止めたアルギスは、ガランとした出店の並ぶ中庭へ目を向ける。
死傷者こそ出なかったものの、ワイバーンの襲撃によって、再臨祭の華々しさはすっかり霧散してしまっていた。
「ねえ……」
「なんだ?」
名残惜しそうに中庭を見つめていたアルギスは、レイチェルの声に後ろを振り返る。
キョトンとした顔で言葉を待つアルギスに、レイチェルは俯きながら口を開いた。
「……この後、ダンスパーティーがあるみたいなのだけれど、少しだけ参加しない?」
「ああ、いいぞ。どこで開催されるんだ?」
レイチェルがチラリと表情を窺うと、アルギスは事も無さげに肩を竦める。
今日一番の笑みを浮かべたレイチェルは、アルギスの腕を掴んで、そそくさと歩き出した。
「校舎のホールよ。急ぎましょう」
(……なぜ、毎回引っ張るんだ)
鼻歌交じりのレイチェルに、アルギスは腕を掴まれたまま校舎へと引きずられていく。
グイグイと腕を引く力に呆れつつも、何も言わずホールへと向かっていくのだった。
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