38話
アルギスが中庭をうろついていた頃。
落ち着きを取り戻したレイチェルは、途方に暮れながら人気のない鍛錬場の近くにしゃがみ込んでいた。
「……どうしましょう」
頭を抱えるレイチェルの周囲は、すっかり再臨祭の賑やかさから遠ざかり、静寂に包まれている。
少しの間、思い悩んでいたレイチェルは、両手を頬を叩くと、勢いよく立ち上がった。
「アルギス様を探して謝らなくちゃ」
レイチェルが独り言ちながら歩き出そうとした時、男子寮から1人姿を現したエドワードが目に入る。
キョロキョロと辺りを見回したエドワードは、中庭にわき目も振らず、寮の裏手へと向かっていった。
(あれは……ウィンダム伯爵家の。……私が言えたことではないけれど、あんなところに何の用なのかしら?)
普段護衛騎士よろしくアリアの側についているエドワードの奇妙な姿に、レイチェルは思わず女子寮の壁に身を隠す。
ややあって、レイチェルが陰から様子を覗き込むと、エドワードはポケットから取り出した魔道具で時間を確認しているようだった。
(こんなところで待ち合わせ……?)
訝し気に眉を顰めたレイチェルは、エドワードの待ち人が来るのを今か今かと待ち始める。
しかし、いつまで経っても合流する気配の無いエドワードに、がっくりと肩を落とした。
(はぁ……なにやってるんだろ、私)
木々の綺麗に植えられた寮の裏手では、相も変わらずエドワードが魔道具へ目を落としている。
自己嫌悪に陥ったレイチェルが憂鬱な表情を浮かべていると、突如後ろから肩を叩かれた。
「きゃあ!」
「やっと見つけぞ、まったく」
叫び声を上げて振り返るレイチェルに、アルギスは呆れ顔で大きなため息をつく。
そして、人気のない辺りを見回すと、不思議そうに首を傾げた。
「それにしても、こんなところで何をしていたんだ?」
「ごめんなさい。でも、あそこに……」
アルギスへ慌てて頭を下げたレイチェルは、すぐに後ろを振り返る。
しかし、先ほどまで魔道具を見ていたはずのエドワードは消え去り、寮の裏手にあるのは綺麗に植えられた木々だけだった。
「……ウィンダム家の令息がいたのだけれど」
「ウィンダム家……?おい、大丈夫か?」
茫然と呟くレイチェルに、アルギスは眉を顰めながら再度肩を軽く叩く。
未だ戸惑いを残しつつも、レイチェルは伏し目がちに小さく首を横に振った。
「いえ、何でもないわ……」
「なにか、あったのか?」
レイチェルの態度に違和感を感じたアルギスは、腕を組みながら、眉間の皺を一層深くする。
無言で返事を待つアルギスに、レイチェルは両手を前に合わせて深々と腰を折った。
「さっきはごめんなさい。失礼なことをしてしまったわ」
「ああ、気にするな。それよりも、少し遅くなったが昼食にしよう」
眉間に寄っていた皺を緩めたアルギスは、あっけらかんとした返事と共に踵を返す。
すると、レイチェルもまた憂鬱な雰囲気を一転させ、喜色を湛えながら顔を上げた。
「ええ、そうね。そうしましょう」
「……流石に中庭で食事を摂るわけにはいかないからな。食堂へ行くぞ」
上機嫌に隣へ並ぶレイチェルに、アルギスは腑に落ちない表情で声を掛ける。
寮の裏手を後にした2人は、足並みを揃えて食堂へと向かっていった。
◇
程なく、2人がやってきた食堂では。
整然と並べられたテーブルで生徒たちが優雅に食事を楽しみ、再臨祭の賑わいが嘘のように静かな空間が広がっていた。
(貴族の生徒は相変わらず、か)
見慣れた光景に肩を竦めたアルギスは、生徒たちの座るテーブルの間を抜けて、食堂奥の通路へ足を進める。
そのまま2人が通路を進んでいくと、突き当りの扉の前にもまた、いつもと変わらぬ職員の姿があった。
「いらっしゃいませ」
「同席は不要だ。用があれば呼ぶ」
扉を開ける職員を尻目に、アルギスはレイチェルを伴って個室へと足を踏み入れる。
アルギスに続いて個室へ入ったレイチェルは、部屋の中を見回して表情を明るくした。
「また内装が変わっているわ。いつ来ても素敵ね」
(この部屋の管理まで学院がしているのか?)
両手を組んで目を輝かせるレイチェルに対し、アルギスは華美に装飾された室内を訝し気に眺める。
煌めくシャンデリアに照らされた個室は、中心に豪奢なテーブルが配置され、壁には休暇前と異なる絵画が掛けられていた。
「ああ。おかげで、静かに食事ができるな……さっさと座れ」
「あら、ありがとう」
未だ内装に気を取られつつも、レイチェルは嬉し気にアルギスの引いた椅子へ腰を下ろす。
一方、対面に腰かけたアルギスは、疲れを滲ませながら目を瞑った。
「はぁ……」
「また、市場に戻るかしら?」
ため息をつくアルギスに、レイチェルは不安げな表情で恐々と声を掛ける。
レイチェルの声で目を開けると、アルギスは満足げに口角を上げて、首を振った。
「いや、粗方は確認した。もう十分だ」
「そう……」
アルギスの笑顔を確認したレイチェルは、強張っていた表情を緩め、ホッと胸を撫でおろす。
室内が穏やかな雰囲気に包まれる中、コンコンとドアをノックする音と共に、食堂の職員が姿を現した。
「大変お待たせ致しました」
銀のトレイを手に部屋へ入ってきた職員たちは、テーブルへ次々に料理を並べていく。
たちまち、2人の座るテーブルは綺麗な盛り付けのされた皿で埋め尽くされた。
「では、失礼いたします」
料理を並べ終えた職員たちは、頭を下げて、そそくさと部屋を去っていく。
やがて、全ての職員が退室すると、アルギスは目の前に並べられた料理へ目を落とした。
「さて、食べるとしよう」
「ええ」
アルギスが料理へ手をつけ始めると、レイチェルは、少し遅れてカトラリーを手に取る。
無言で料理を食べ進める2人の間には、ゆったりとした時間が流れていった。
そして、それから数十分が経ち、2人がすっかり料理を食べ終えた頃。
食後のお茶を楽しんでいたアルギスは、カップを置いて静かに席を立った。
「……そろそろ行くか」
「そうね」
個室を後にした2人は、元来た通路を通って食堂の出口へと戻っていく。
しかし、通路の終わりまでやってきた時、アルギスは顔を顰めながらピタリと足を止めた。
「……おっと」
「なにかあったの?……ああ、英雄派ね」
釣られて足を止めたレイチェルは、アルギスの視線の先に食堂を出ようとしているルカとレベッカの姿を見つける。
すると、突如後ろを振り返ったレベッカが、通路の境目で立ち止まる2人の下へ近づいてきた。
「いいところであったわね!」
「……今日は、何の用だ?」
声を張り上げるレベッカに、アルギスはうんざりとした表情で口を開く。
いつになく意気込んだ様子のレベッカは、薄い胸を張りながら得意げな笑みを浮かべた。
「この後は魔術大祭典での決着が待っているのよ?言っておくけど、この前と同じだと思わないことね!」
「ふむ、お前は何の話をしてるんだ?……ファウエル、なにか知っているか?」
レベッカの宣言に目を丸くしたアルギスは、遅れて近づいてくるルカへと顔を向ける。
苛立ち交じりのアルギスに、ルカは頬を搔きながら、目線を忙しなく彷徨わせた。
「え、えっと、レベッカはこの後開催される魔術大祭典でエンドワース君と戦うのを楽しみにしてるんだ」
「楽しみにするのは勝手だが、私は参加しないぞ」
ルカがしどろもどろに理由を伝えると、アルギスは真顔でレベッカへ向き直る。
アルギスの返答を聞いたレベッカは、口をぽっかりと開けて固まった。
「……な!?どういうつもり!?」
「どうもこうもない。参加の申請をしていないだけだ」
目つきを鋭くしたレベッカに睨まれつつも、アルギスは気楽な調子で言葉を返す。
にべもないアルギスの返事に、レベッカは顔を赤くして地団駄を踏んだ。
「なんで、してないのよ!」
「まあ、まあ。レベッカ落ち着いて」
2人の間に割り込んだルカは、呆れるアルギスを背にレベッカを必死で宥める。
直後、アルギスの背後から怒気を含んだ声が上がった。
「ねぇ。ここは食事の場よ?少し、失礼じゃないかしら?」
静かな怒りを湛えたレイチェルは、ルカに宥められていたレベッカを見下ろす。
レイチェルが不快げに腕を組むと、レベッカは勢いをなくして唇を尖らせた。
「な、なによ。エンドワースが約束を破るから……」
「おい、レイチェル……?」
不貞腐れるレベッカをよそに、アルギスは憤慨するレイチェルの姿に目を白黒させる。
4人の間に険悪な雰囲気が流れる中、レイチェルは睨みあっていたレベッカを、嘲笑うかのように口元を歪めた。
「私がしているのは礼儀の話なの。時と場合くらい考えたらいかが?」
「……ふ、ふんだ!行こう、ルカ!」
「2人共、ごめんね……」
涙目になったレベッカが出口へと歩き出すと、ルカもまた、2人へ頭を下げて去っていく。
怒涛の展開に、アルギスは食堂を出て行く2人を見つめながら、茫然と立ち尽くしていた。
「なんだったんだ、一体」
「……ごめんなさい」
再びアルギスと2人きりになると、レイチェルは途端にしゅんとして後ろを振り返る。
落ち込んだ様子を見せるレイチェルに、アルギスは顔を顰めながら詰め寄った。
「お前まで何だ。さっきの謝罪は、もう受け取ったぞ?」
「それだけじゃないわ。……参加の申請、邪魔してしまったでしょう?」
ふるふると首を振ったレイチェルは、不安げにアルギスの顔を覗き込む。
すると、アルギスは不満げに鼻を鳴らしながら、逃げるように顔を背けた。
「……お前程度で、私の予定は変わらない。あまり自惚れるな」
「ふふふ、そうね。少し浮かれてしまったみたい」
突き放すようなアルギスの返事に、レイチェルはクスクスと楽し気な笑い声を零す。
上機嫌なレイチェルに困惑しつつも、アルギスは努めて冷静に食堂の出口へと歩き出した。
「以後、気をつけろ」
「でも、本当に参加しなくてよかったの?」
いつもの調子を取り戻したレイチェルは、前を歩くアルギスへ声を掛ける。
程なく、出口の前までやってくると、アルギスは不意の思い付きが口を衝いて出た。
「そこまで気になるなら観戦にでも行くか?」
「え?」
唐突なアルギスの提案に、レイチェルはキョトンとした顔で目をぱちくりさせる。
一方、出口の扉を押し開けたアルギスは、ふらりと外に出ると、魔術大祭典の開催されるコロシアムを見据えた。
「別に参加していなくても見物は出来るからな。……来年に向けて作戦でも立てようじゃないか」
「っ!ええ、それがいいわ。行きましょう」
不敵な笑みを浮かべたアルギスが後ろを振り返ると、レイチェルは弾むように食堂を飛び出す。
そして、アルギスの腕をしっかりと抱えながら、足早に前を歩き出した。
「おい、別に場所はわかるぞ」
グイグイと腕を引かれたアルギスは、歩く速度を上げてレイチェルの横に並ぶ。
未だ中庭の出店が盛り上がりを見せる中、横を通り過ぎた2人は、揃って笑顔を浮かべながらコロシアムへと向かっていくのだった
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