37話
日付は変わり、晴天に恵まれた再臨祭当日の朝。
大判の手帳が広げられた寮の執務机には、複雑な表情で書類と睨めっこをするアルギスが腰かけていた。
「一先ず、禁忌の霊廟も1層、2層共に情報は予想通りか」
レオニードからの報告書を机に置いたアルギスは、安堵の息をつきながら目頭を押さえる。
しばらくして、目を開けたアルギスが壁際に置かれた魔道具を確認すると、針は10時を回ろうとしていた。
「……そろそろ、行くとするか」
誰にともなく呟いたアルギスは、手帳を机に仕舞い込むと、静かに椅子から立ち上がる。
そして、制服の上着を手に取ると、いつになく軽い足取りで部屋を出て行った。
(窓から様子は見えていたが……学院の警備はどうなっている?)
しばらくしてアルギスが寮を出た先には、既に再臨祭を楽しむ王都の市民の姿がある。
出店の商品を手にした市民たちは、キョロキョロと辺りを見回しながら、学院の内部を歩き回っていた。
「……中庭にいると言っていたな」
見慣れない景色に戸惑いつつも、アルギスは人ごみを抜けて、レイチェルの待つ中庭へと向かっていく。
いつの間にか多くの小屋が建てられた中庭のベンチには、微笑みを湛えたレイチェルが腰を下ろしていた。
「ごきげんよう。アルギス様」
「……来るのが早くないか?」
立ち上がって礼を取るレイチェルに、アルギスは訝し気な表情で首を傾げる。
しかし、レイチェルはアルギスの顔を見上げると、気にした様子もなく笑みを深めた。
「ふふ、ちょうど今来たところよ」
「……そうか」
しばらくレイチェルと見つめ合っていたアルギスは、腑に落ちない表情で頷きを返す。
口元に手を当てて考え込むアルギスをよそに、レイチェルは錬金工房のある方角へ顔を向けた。
「すぐに市場へ行くの?」
「いや、せっかくだ。中庭を一周してから向かおう」
覆っていた口元を僅かに吊り上げたアルギスは、手を下ろして多くの出店で賑わう中庭へ目線を向ける。
すると、レイチェルは目を白黒させながら、中庭とアルギスを見比べた。
「いいの?平民で混み合っているわよ?」
「だからなんだ?祝祭とは、そういうものだろう。さっさと行くぞ」
止めるようなレイチェルの口ぶりに、アルギスは呆れ顔で肩を竦める。
そして、中庭に設置された出店を見回すと、スタスタと前を歩き出した。
「……よくわからない人」
上機嫌に人ごみへ向かうアルギスに、レイチェルもまた足を進めながら、小さな呟きを漏らす。
どこか不満げなレイチェルの呟きは、再臨祭を楽しむ人々の喧騒に消えていった。
(知っている顔がチラホラ働いているな。あんな小屋をいつ建てたのかと思えば、出店も学院が用意しているのか)
あちこちを見回しながら中庭を歩いていたアルギスは、出店で働く店員の中に顔見知りの講師を見つける。
アルギスが1人納得顔で頷いていると、隣を歩いていたレイチェルが不意にカフェのような出店の前で足を止めた。
「あら、ニアじゃない。ここで働いていたの?」
(なに?)
明るいレイチェルの声に、アルギスは釣られてテーブルの間を行き来する店員の顔に目線を向ける。
テラスのような出店では、白いシンプルなブラウスと黒いパンツにエプロンをかけたニアが、あくせくと働いていた。
「わあ!レイチェル様にアルギス様まで。見に来ているなんて思わなかったよ」
「ええ、偶然ね。私も会えると思わなかったわ」
目を丸くしてテーブルを拭く手を止めるニアに、レイチェルは穏やかな微笑みを返す。
それからしばらくの間、レイチェルとニアが談笑していると、新たにテーブルへ着いた客が手を挙げた。
「あ……じゃあ、私は戻るね。また講義で」
「ええ、頑張ってね」
ぺこりと頭を下げて去っていくニアに、レイチェルは小さく手を振る。
2人の会話を黙って見ていたアルギスは、ため息交じりに錬金工房へ足を向けた。
「さて、そろそろ市場に向かってみるか」
「……そうね」
アルギスが声を掛けると、レイチェルはようやっとニアの働く姿から目線を外す。
再び中庭を歩き出した2人は、魔道具の市場が開かれる錬金工房へと向かっていった。
それから歩くこと数十分。
工房の近くまでやってきた2人の目線の先では、様々な魔道具の並べられたカウンターに人が集まっていた。
「ここも、随分と混み合っているわね……」
(《傲慢の瞳》よ――)
顔を顰めるレイチェルをよそに、アルギスは遠目に見える魔道具の鑑定を試みる。
しかし、鑑定していた魔道具が人ごみに覆い隠された瞬間、表示されていたカーソルまでもが消滅したのだ。
(詳細が表示される前に見えなくなると、カーソルは消えるのか……)
新たに気が付いたスキルの仕様に肩を落としつつも、アルギスは見え隠れする魔道具に目を奪われる。
ややあって、レイチェルの手を掴むと、真っすぐに人ごみへ歩き出した。
「おい、見える所まで行くぞ」
「ちょ……!」
突然手を握るアルギスに、レイチェルは口をぱくぱくさせながら、人ごみの中を引っ張られていく。
程なくカウンターの前までやってきた2人は、それぞれカウンターを眺め始めた。
(ほう、あれは遠見筒か……)
所狭しと並べられた魔道具に、アルギスは両手をすり合わせて、端から鑑定していく。
一方、デザインや色の違うネックレスを一瞥したレイチェルは、カウンターに立つ女子生徒の顔を見上げた。
「……綺麗ね。錬金術で、こんなものまで作れるの?」
「そちらは空になった魔石の加工品ですね。幸運のお守りのようなものですよ、おひとついかがでしょうか?」
レイチェルがカウンターへ目線を落とすと、女子生徒はここぞとばかりにネックレスを売り込む。
じっと目を凝らすレイチェルは、カウンターから顔を上げることなく頷いた。
「貰うわ」
「ありがとうございます!」
即答するレイチェルに、女子生徒は頬を緩めながら頭を下げる。
しばらくネックレスを眺めていたレイチェルは、小さく息をついて、隣にいたアルギスの肩を叩いた。
「ねえ、この中で私に似合うものを選んでくれないかしら?」
「ん?そうだな……」
レイチェルが冗談めかした声を掛けると、アルギスは事も無さげにカウンターへ目線を落とす。
すんなりとネックレスを選び始めるアルギスに、レイチェルは目を見開いて固まった。
「え……」
「これだな」
困惑するレイチェルをよそに、アルギスはすぐに1つを指さして魔道具の鑑定に戻る。
すると、レイチェルは表情を一転させて、つまらなそうに唇を尖らせた。
「もう少しぐらい、真剣に選んでくれてもいいんじゃなくて?」
「なにを言ってるんだ。真剣に選んだだろうが」
険のある声で話すレイチェルに、アルギスは魔道具を見回しながら言葉を返す。
アルギスの背中を恨みがましい目で見つめたレイチェルは、一層トーンを落として口を開いた。
「それにしては、随分あっさり決まるのね」
「ふむ……」
棘のあるレイチェルの声色に顔を顰めつつも、アルギスは再度ネックレスを鑑定していく。
しかし、次々と開かれるカーソルに、アルギスが望む結果はなかった。
――――――
『低級魔石のネックレス』:《傲慢の瞳》により、この低級魔石のネックレスは装飾品であると判明。
使用されている魔石は加工により、込められる魔力量が低下している。
――――――
(……やはり、どれも変わらないな。かといって、デザインで選ぶのは無理がある)
何度見ても変わらない鑑定結果とズラリと並んだネックレスに、アルギスはどうしたものかと頭を捻る。
言い訳を考える間、ぼんやりと鑑定を続けていると、中に紛れた中級魔石を見つけたのだ。
「っ!これをもらおう。いくらだ?」
「は、はい。そちらは5万Fになります」
アルギスの勢いに、女子生徒はびくりと肩を揺らして、ぎこちない笑みを浮かべる。
2人のやり取りを見ていたレイチェルは、なおも不満げに口を開いた。
「買ってほしいとは、言ってないのだけれど?」
「どうせ、これ以上お前に合う魔石はここにはない」
不貞腐れるレイチェルをよそに、アルギスは女子生徒へ半金貨を渡す。
そして、代わりにネックレスと受け取ると、そのままレイチェルへ差し出した。
「選んでほしかったんだろう?受け取れ」
「……そこまで言うなら、頂くわ」
ネックレスを受け取ったレイチェルは、頬を赤らめながら、チェーンを制服の詰襟へ掛ける。
ばさりと髪を広げると、胸元には幾何学模様の刻まれた赤い魔石のネックレスが輝いた。
「どうかしら?」
(……魔石の等級で選んだが、レイチェルには似合わないな)
レイチェルとネックレスを見比べたアルギスは、難しい顔で黙り込む。
間もなく、不安げに目を伏せるレイチェルを横目に見つつ、工房の防壁奥をじっと見据えた。
「少し、こっちに来い」
「え?ちょっと、なに?」
アルギスが人ごみを掻き分けて歩き出すと、レイチェルは慌てて後を追いかけていく。
やがて、人気のない防壁の裏までやってきたアルギスは、くるりと振り返ってレイチェルへ向き直った。
「……じっとしていればいい」
「!」
息遣いが分かるほどの距離まで近づいたアルギスに、レイチェルは顔を赤くして目を瞑る。
一方、レイチェルの態度に首を傾げたアルギスは、ネックレスにそっと触れ、呪文を唱え始めた。
「――偽りの魂よ、我が意志に従い、その身を宿さん。死霊封印」
魔石に触れていたアルギスの指から魔力が流れ込み、契約してた死霊の1体が封じられる。
同時に魔石の黒く染まったネックレスは、輝く星空のようなデザインとなった。
「こちらの方が、お前には似合う。……術式の行使については触れるな」
「っ!もう!知らない!」
こそこそと耳打ちをするアルギスに対し、レイチェルはプルプルと震えながら、声を張り上げる。
そして、顔を真っ赤にしたまま、中庭の方向へと走り去っていった。
「え……?」
1人ポツンと残されたアルギスは、遠ざかっていくレイチェルの背中に目が点になる。
ややあって、大きなため息をつくと、気を取り直して人ごみへ消えたレイチェルを探し始めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます