35話

 長いようで短かった学院の休暇が終わる3日前。


 王都へと戻ってきたアルギスは、目を瞑りながら自室のソファーに寄りかかっていた。



(……ゲームの通りなら、後4年で反乱だ。しかし、本当に起こす気なのか?動きを見ていると、むしろ――)



 アルギスがあれこれ可能性を考えていると、部屋にガチャリと扉の開く音が響く。


 徐々に近づいてくる足音に、アルギスは思考を止め、薄っすらと目を開けた。



「どうした?」



「失礼いたします、アルギス様。お客様がお見えになっております」



 首を傾げるアルギスに、使用人は両手を前に合わせて丁寧なお辞儀を見せる。


 しかし、来客の報せを聞いたアルギスは、片眉を上げながら不満げに足を組んだ。



「客だと?そんな予定はないぞ?」



「ですが、アルギス様。お相手は王都魔術師協会のクロフォード様ですので、お断りになるのは難しいかと……」



 咄嗟に腰を屈めた使用人は、遠慮がちに言葉を続ける。


 揃って口を閉じると、対照的な表情で見つめ合う2人の間には、気まずい静寂が広がった。



(王都魔術師協会……?ああ、マリオン・クロフォードか)



 チラチラと様子を窺う使用人をよそに、アルギスは手紙を渡した相手の名を思い出す。


 そして、組んでいた足を下ろすと、膝に手をついて立ち上がった。



「分かった、向かおう。どこにいる?」



「応接室でお待ちいただいております」



 色よい返事にホッと胸を撫でおろした使用人は、そそくさと歩き出す。


 不思議そうな顔で後を追いかけるアルギスを背に、素早く扉を押し開けた。



「どうぞ」 


 

「ああ」



 使用人が扉を押さえると、アルギス重たい足取りで前を通り過ぎる。


 未だ表情に疑念を浮かべつつも、マリオン・クロフォードの待つ応接室へと向かっていった。

 


(……王都魔術師協会の幹部か。厄介ごとでなければいいがな) 


 

 やがて、使用人が応接室の扉を開くと、ローブを羽織った20代半ばほどの女性がアルギスの目に入る。


 長い黒髪をソファーに広げた女性は、金と赤という左右非対称の瞳に好奇心の光を宿していた。



「どうもアルギス君、私がマリオン・クロフォードだ。こうして会うのは初めてだね?」



「……ああ、初めましてだな。それで、何の用だ?」



 朗らかな挨拶と共に片手を挙げるマリオンに、アルギスは警戒心を露にしながら向かいのソファーへ足を進める。


 アルギスがソファーへ腰を下ろそうとすると、マリオンは勢いよく立ち上がって、顔を覗き込んだ。



「はっはっはっ、流石エンドワース家だ。近くで見ると余計にソウェイルドそっくりじゃないか!」



(本当に何をしに来たんだ……)



 お茶を淹れた使用人が部屋の隅に控える中、アルギスは応接室に響くマリオンの笑い声に困惑する。


 次の瞬間、アルギスをじっと見つめていたマリオンは、金色の瞳をキラリと輝かせた。



「おや?君のステータスは隠蔽されているね?」



(今、鑑定されたのか!?)


 

 小さく零れたマリオンの呟きに、アルギスは血相を変えてソファーの後ろに飛びのく。


 一方、ポリポリと頬を搔いたマリオンは、苦笑いを浮かべながら、再び腰を下ろした。


 

「あぁ、悪かった。だから、そんなに警戒しないでくれ」



「……はぁ。一体、何の用なんだ?」



 大きなため息をついたアルギスは、疲れた表情でソファーの前に戻っていく。


 程なく、アルギスがソファーへ腰を下ろすと、マリオンは確信めいた表情で前のめりになった。


 

「そうだな、そろそろ本題に入ろうか。……王都付近でダンジョンを見つけたのは君だろ?」



「いや?知らないな、何の話だ?」



 小さく囁きかけるような問いかけに、アルギスはキョトンとした顔で白を切る。


 きっぱりと否定されながらも、マリオンは薄笑いを絶やすことなく、ゆったりと両指を組んだ。



「私は君が王都を東に向かった日付も、公都の冒険者ギルドが国へ申請を出した日付も知っている。さて、意見は変わらないかな?」 



「……何が言いたい?」



 声のトーンを落としたアルギスは、言葉の端々から感じる自信に目を細める。


 しかし、マリオンはどこ吹く風とばかりに、気楽な調子で肩を竦めた。


 

「素直に賞賛を送りたいだけだよ。どういうわけか、君はこの功績を伏せているようだからね」 



「なんだと?狙いはなんだ?」 


 

 ニコニコと微笑みながら値踏みするマリオンに、アルギスの表情は一層不快げに歪む。


 睨みつけるような視線を受け流したマリオンは、相も変わらず笑顔で背もたれへ体を預けた。



「狙いなんてないさ、当然口外する気もない。なぜなら君たち一族の悪巧みに首を突っ込むと、いつも碌なことがないからな」



「……では、1つ聞こう。なぜ、私の行動を調べた?」



 じっと考え込んでいたアルギスは、口元に当てていた手を降ろし、マリオンの顔を見つめる。


 質問を重ねるアルギスに、マリオンはポンと手のひらを叩いて納得顔を浮かべた。



「ああ、難しい顔をしていると思ったら、それが気になっていたのか。私が君の行動を知っていたのは、ソウェイルドから頼まれたからだ」



 マリオンの話を聞けば、アルギスが魔術師協会へ届けた手紙は、ソウェイルドからの依頼だったという。


 そして、手紙を受け取ったマリオンは、依頼の通り、アルギスが王都にやってきてからの行動を監視していたのだ。


 

「まあ依頼されたのは、”王都内”での君の行動を監視することだ。王都を一歩出れば、私の与り知る所ではないよ」 



(……王都内での行動は把握済みか。全く、手回しのいいことだ)



 ソウェイルドの監視を知ったアルギスは、歪みそうになる口元を必死で抑える。


 ややあって、小さく息をつくと、疲れたように首を回した。


 

「それは、ご苦労だったな」



「おかげで君の奇行に気が付けたんだ。なかなかの仕事ぶりだろ?」



 無表情でソファーへ寄りかかるアルギスに、マリオンは皮肉気な笑みを見せる。


 肘掛けに頬杖をついたアルギスは、上機嫌なマリオンをじっとりとした目で睨んだ。



「……鑑定をする必要はないだろ」



「すまない。それは完全に出来心だ」

 


 アルギスがボソリと呟くと、マリオンは間髪入れずに真顔で言い放つ。


 悪びれる様子の無いマリオンに、アルギスは目をぱちくりさせて言葉を失った。



「…………」



「それにしても、なぜステータスを隠蔽しているんだい?」


 

 1人気持ちを切り替えたマリオンは、興味深そうに目を輝かせて、アルギスへグイと顔を近づける。


 身を乗り出すマリオンに眉を顰めつつも、アルギスは右腕に嵌めた虚偽の腕輪へ目線を落とした。



(……懐かしいな。元はガラクタだったか)



 アルギスの目線の先では、精緻な彫刻をされた腕輪が、光を反射して黒く輝いている。


 ややあって、顔を上げたアルギスは、腕輪のついた右腕をマリオンへ差し出した。



「ああ、昔この腕輪を魔道具屋で見つけてな。それ以来、気に入ってつけていたんだ」


 

「ほう……どれどれ」



 アルギスの右腕に顔を近づけたマリオンは、口元に弧を描きながら金色の瞳を輝かせる。


 しかし、瞳の輝きが薄れると、訝し気な表情でアルギスの顔を見上げた。


 

「……君も鑑定スキルを持っているのか?」



「そんなところだ。お前の目は魔眼か?」


 

 未だ淡い光を残すマリオンの左目に、アルギスは一転して薄い笑みを浮かべる。


 アルギスと見つめ合ったマリオンは、確かめるように目を覗き込んだ。



「ああ。しかし、君の目は魔眼には見えないが……」



「似たようなスキルというだけだからな」



 興味深そうに目を細めるマリオンに、アルギスは肩を竦めながら曖昧な言葉を返す。


 はぐらかすような返事に肩を落とすと、マリオンは静かに席を立った。



「……それじゃあ、そろそろ失礼するよ。まあ私は約束を守る方だ、安心してくれ」



「ああ、またな」



 マリオンの顔を見上げたアルギスは、ソファーへ腰かけたまま、ヒラヒラと手を振る。


 不遜な態度に苦笑を浮かべつつも、マリオンはローブの中から小さな金色のコインを取り出した。



「……そうだ。君にこれを渡しておこう」



「これは?」



 机に置かれたコインを取り上げると、アルギスはじろじろと表裏を観察する。


 薄い金色の金属で作られた直径5㎝ほどのコインには、精緻な紋様の刻まれていた。



「これは協会にある私の研究室に入るための許可証だ。と言っても入れるのは私がいる時に限るがね」


 

「まあ、行くことはないかもしれんがな」



 得意げに胸を張るマリオンに、アルギスはコインを弄びながら、意地の悪い笑みを見せる。


 すると、マリオンは悲し気に眉尻を下げ、すっかり勢いをなくした。



「そんなことを言うなよ……。私も闇属性の魔導師だから魔術書もあるぞ?」



「……今週中には向かうかもしれん」



 小さく呟きを零すと、アルギスは不満げに顔を逸らして黙り込む。


 一方、アルギスの返事を聞いたマリオンは、表情を元に戻して鷹揚に頷いた。



「そうか、そうか。じゃあ、お茶でも淹れて待っているぞ!」



(……ダンジョンにも興味はなかったようだし、結局何をしに来たんだ?)



 スタスタと去っていくマリオンの後ろ姿に、アルギスは怪訝な顔で首を傾げる。


 それからしばらくの間、応接室で答えの出ない疑問に頭を悩ませるのだった。



◇ 

 


 マリオンの来訪から1日が過ぎた、翌日の昼下がり。


 顔に疲れを滲ませたアルギスは、相も変わらず自室のソファーで本を読んでいた。



(休暇明けとは思えない疲れ方だ……)



 忙しかった休暇に思いを馳せるアルギスがふと窓の外を見上げると、空はすっかり高くなっている。


 ジリジリとした日差しも和らぎ、外は幾分過ごしやすくなっているようだった。



「……学院に戻るか」



 無性に外へ出たくなったアルギスは、パタリと本を閉じて立ち上がる。


 そして、公都から持ち帰った拡張バックを肩に担ぐと、足早に部屋を出て行った。


 

(思った以上にいい天気だな)



 アルギスが屋敷を出た玄関先は、柔らかくなった日に照らされ、時折穏やかな風が吹いている。


 庭園の草花がそよそよと揺れる中、アルギスは晴れやかな気持ちで学院へと戻っていった。


 

 それから歩くこと2時間余り。


 学院の正門を抜けたアルギスが中庭までやってくると、ベンチに1人腰かけるレイチェルの姿が目に入った。

 


(あんなところで何してるんだ?)



 ぼんやりと中庭の景色を眺めるレイチェルに、アルギスは立ち止まって目を丸くする。


 ピクリとも動かない居住まいに違和感を感じつつも、手を挙げながら近づいていった。


 

「レイチェル、久しいな」



「あら、アルギス様。お久しぶりですわ」



 アルギスが声を掛けると、レイチェルはベンチから立ち上がって微笑みを返す。


 ややあって、レイチェルの目の前までやってきたアルギスは、不思議そうな顔で首を傾げた。



「休みの間に、なにかあったか?」



「……ふふ、実は私も冒険者登録をしたのよ」



 雰囲気をがらりと変えたレイチェルは、楽しそうにポケットから冒険者証を取り出す。


 誇らしげに冒険者を見せるレイチェルの姿に、アルギスはホッと息をつきながら、穏やかな笑みを浮かべた。



「そうか。それは良かったな」



「……ええ。冒険者の方から色々なお話も聞けたし、楽しかったわ」 



 一瞬悲し気に目を伏せたレイチェルは、すぐに口角を上げて張り付けたような笑みを見せる。


 少しの間が空いて、レイチェルが冒険者証を仕舞うと、アルギスは寮をチラリと一瞥した。


 

「私は寮へ戻るが、お前はどうする?」



「私は……もう少し、ここにいるわ。まだ空も明るいもの」



 しばしの逡巡の後、レイチェルは一度空を仰ぎ見て、小さく首を横に振る。


 レイチェルの返事を確認したアルギスは、呆れ顔で再び寮へ足を向けた。


 

「なんでもいいが、暗くなる前には帰れよ。夜は冷える」

 


「……ふふふ、そうね」



 アルギスの忠告のような言葉に、レイチェルは伏し目がちに笑い声を漏らす。


 美しく整えられた中庭を見つめだすレイチェルを尻目に、アルギスは1人寮へと戻っていった。



(随分と騒がしいな。なんだ?)



 アルギスが玄関口を抜けると、ホールは荷物を抱えた生徒たちで騒然としている。


 ぐるりとホールを見回したアルギスは、試験前を思い出させる荷物の山を抜けて、寮長室へと向かった。



「おや、アルギス君。おかえりなさい」


 

「ああ、今帰った。……何か寮の雰囲気が違わないか」 


 

「それは週末の”再臨祭”に向けて準備をする生徒たちだろうな」



 帰って早々、眉を顰めるアルギスに、グレイは苦笑いを零して、ペンを動かしていた手を止める。


 グレイによれば、学院で開催される”再臨祭”では、アルケミストの生徒が作成した魔道具の市場すら開かれるというのだ。



「”再臨祭”は、平民の生徒にとって貴重な資金源の1つだからな」 


 

(そういえば、この時期か……シナリオによっては途中で魔物に襲われたりもしたな)

 


 淡々と説明を続けるグレイをよそに、アルギスは『救世主の軌跡』においても重要なイベントだった”再臨祭”を懐かしむ。


 やがて、アルギスが感傷に浸り終える頃、ちょうどグレイの説明は終わりを迎えた。

 


「まあ、そういうわけだから、もうしばらくはこんな感じだろう」


 

「……なるほどな。説明、助かった」



 殆ど説明を聞いていなかったことを後悔しつつも、アルギスは小さく頭を下げる。


 すると、グレイはニコニコと笑いながら手を振った。



「いやいや、また寮でわからないことがあったら聞いてくれていい」



「ああ。では失礼」 


 

 書類作業を再開するグレイを背に、アルギスは寮長室を後にする。


 そして、所々に置かれた荷物を横目に見つつ、ホール奥の廊下へと向かっていくのだった。

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