34話
学院の休暇も終わりに近づいた頃。
王都の屋敷の自室でソファーに腰を下ろしたレイチェルは、使用人を追い出し、1人退屈そうに膝を抱えていた。
「はぁ、アルギス様とマリーがいないとつまらないわ……」
表情に深い影を落としたレイチェルの呟きは、ガランとした人気のない部屋へ消えていく。
大きなため息をつくと、レイチェルはふさぎ込むように膝へ顔を埋めた。
「……マリーとの約束もあるし、冒険者ギルドに行ってみようかしら」
ややあって、顔を上げたレイチェルの口から、再び小さな呟きが漏れる。
マリーとの約束を思い出すと、表情は徐々に明るさを取り戻していった。
「うん、我ながらいい考えかも」
先程とは異なる明るい口調で呟いたレイチェルは、跳ねるようにソファーから立ち上がる。
シンプルなローブを手に、こそこそと部屋を抜け出すと、そのまま逃げるように屋敷を出ていった。
(あの時も、お父様に剣術の稽古を認めてほしくて鍛冶屋まで行ったんだっけ……)
庭園を抜ける道中、レイチェルの脳裏には、オリヴァーに剣術の講師を保留にされた時の記憶が思い浮かぶ。
騎士たちに聞いた通りの位置を頼りに屋敷を抜け出した4年前。
初めて歩く王都に不安を抱えながら鍛冶屋へ辿り着いたことを思い出すと、庭を歩く足は無意識に速くなった。
(アルギスと初めて会ったのも鍛冶屋だったものね。……我ながら色気はないけれど)
やがて、屋敷の出口までやってきたレイチェルは、伏し目がちにクスリと笑みを零す。
未だ表情に影を残しつつも、軽い足取りで商業区へと向かっていった。
「正解だったわね。屋敷にいるより、ずっと気持ちが晴れるわ」
見慣れた天鎖の塔が陰を落とす王都の商業区は、いつもと変わらず穏やかな空気に包まれている。
しかし、大通りを抜けたレイチェルがギルドのある通りへ差し掛かった時、背後にじっとりとした視線を感じた。
「……気のせいよね」
多くの人々が行き来する通りで立ち止まったレイチェルは、警戒するように辺りを見回す。
ややあって、再び歩き出すと、冒険者ギルドの扉をくぐっていった。
(これが、冒険者ギルド……?)
人気のないガランとしたギルドホールでは、顔を赤くした数人の冒険者が肩を組んで笑い合っている。
困惑したレイチェルが目線を横にずらすと、ニッコリと微笑む受付嬢がカウンターに腰を下ろしていた。
「王都冒険者ギルドへようこそ!本日はどのようなご用件でしょうか?」
「あ、あの……冒険者の登録に来たのだけれど……」
想像と異なるギルドホールの様子に気を取られつつも、レイチェルは受付嬢の座るカウンターへと近づく。
遠慮がちに声を上げるレイチェルに、受付嬢は目を瞬かせながら、側に置かれていたベルを手に取った。
「はい、承っておりますよ。少々お待ちください」
受付嬢がベルを揺らすと、ギルドホールにはリンリンと澄んだ音が響き渡る。
程なく、ガチャリと扉の開いた受付裏の別室から、ギルド職員が姿を現した。
「お待たせいたしました。では、こちらにどうぞ」
「ええ」
薄い笑みを浮かべたレイチェルは、ギルドの内装を観察しながら、職員の後を追いかけていく。
すぐに別室へと戻った職員は、慣れた様子で扉を開け、手前の椅子を指し示した。
「どうぞ、おかけください」
「ええ、失礼するわ」
職員へ小さく頭を下げたレイチェルは、手前の椅子へと手を掛ける。
レイチェルが静かに椅子へ腰を下ろすと、職員はペンと羊皮紙を机に置いた。
「ではこちらに、お名前と使用する武器に属性、習得スキルを可能な範囲で申請書にご記入ください」
「えーっと……」
すかさずペンを手に取ったレイチェルは、羊皮紙へサラサラと記入していく。
やがて、全ての欄を書き込み終えると、申請書を職員へと渡した。
「はい、これでいいわ」
「……確認させていただきました。こちらをどうぞ」
申請書をくるくると丸めた職員は、冒険者証をレイチェルへ差し出す。
職員の手のひらに乗せられた冒険者証をつまみ上げると、レイチェルは不思議そうな顔を向けた。
「これは何かしら?」
「そちらは冒険者証となります。少量の魔力を込めて頂くことで、登録が完了いたしますよ」
「まあ!」
レイチェルが遠慮がちに魔力を流すと、淡く輝いた冒険者証には星のマークが1つ表示される。
上機嫌に冒険者証へ目線を落とすレイチェルに、職員は優し気な笑みを浮かべた。
「無事、登録が完了いたしました。この後はギルドについての説明になりますが、聞いていかれますか?」
「ええ、お願いするわ」
冒険者証から顔を上げたレイチェルは、頬を紅潮させながら大きく頷く。
そして、それからしばらくの間、職員の説明にじっと耳を傾けるのだった。
◇
冒険者登録の開始から1時間近くが経ち、冒険者ギルドの説明が終わる頃。
目を輝かせるレイチェルに、ギルドの職員は机に手をつきながら、深々と頭を下げた。
「――以上が冒険者ギルドにおける制度と禁止事項についてになります。長くなってしまい、大変申し訳ありません」
「いいえ、私がお願いしたことだもの。登録してくれてありがとう」
苦笑しながら席を立ったレイチェルは、手に入れたばかりの冒険者証を握りしめて別室を後にする。
そのまま冒険者ギルドを出ようとした時、不意に壁際の依頼ボートが目に入った。
(少しだけ見てみようかしら……)
足を止めたレイチェルの目線の先には、パラパラと依頼書の貼られた木製のボードが、壁際にポツンと佇んでいる。
レイチェルが依頼書ボードへと体の向きを変えると、横から明るい声が聞こえてきた。
「ねえ君、僕らのパーティに入らないかい?」
「興味ないわ」
皮鎧をつけた青年2人組を一瞥したレイチェルは、不快げに顔を歪めながら、依頼ボードへと向かっていく。
すると、青年たちはスタスタと横を通り過ぎるレイチェルを挟むように並んで歩き始めた。
「僕はフランク、こいつはレント。僕らは2人とも三星級冒険者なんだよ?」
「もう一度言うわね、興味ないわ。邪魔だから、あっちに行ってもらえる?」
青年たちのしつこさに足を止めたレイチェルは、うんざりとした表情で鬱陶しそうに手を振る。
取り付く島もないレイチェルの態度に、フランクは顔を赤くして怒りだした。
「……コイツ、下手に出てりゃいい気になりやがって!」
「きゃぁ!」
突然腕を掴まれたレイチェルは、思わず叫び声を漏らす。
しかし、すぐにフランクを睨みつけると、全身に力を入れた。
「ちょっと、離して!」
「うるさい!」
振り払おうと身をよじるレイチェルに、フランクは一層強く腕を握りしめる。
2人が互いに声を張り上げると、間にがっしりとした体躯に真新しい皮鎧を纏う少年が割り込んできた。
「おい!嫌がってるじゃないか、やめろよ!」
「なんだよ、お前には関係ないだろ!?」
レイチェルと同い年ほどの少年に、フランクは歯を剥いて怒りを露にする。
威圧するように顔を近づけるフランクに見下ろされつつも、少年は負けじと食い下がった。
「嫌がってるのを見て見ぬふりできないだろ!」
「カッコつけやがって……」
レイチェルから手を離したフランクは、少年の胸倉を掴んで拳を振り上げる。
しかし、振り上げられたフランクの拳は、これまで黙って様子を見ていたレントに掴まれた。
「フランク、やめよう。……コイツはドミニクんとこのガキだ、手を出すと後が厄介だぞ」
「ちっ!親がいなくちゃ何もできないガキが!」
レントに拳を下ろされたフランクは、少年にわざと肩をぶつけて去っていく。
遠ざかっていく2人を背に、少年は振り返ることなく、下唇を噛みしめながら俯いた。
「…………」
「あの……」
悔し気に口を閉ざす少年に、レイチェルは声をかけあぐねる。
すると直後、冒険者然とした男女2人組が、ドタドタと階段を降りてきた。
「マルコ、扉の前にいろと言っただろ!」
「そうだよ。せめて一言くらい、なんかあるだろ?」
「うぅ、でも……」
ドミニクとエイミーが揃って叱りつけると、マルコは肩を落として言い募ろうとする。
呆れ交じりに首を振ったドミニクは、はたと視界に入ったレイチェルの姿に一転してニカリと笑みを浮かべた。
「おお!ハートレス嬢じゃないか!」
「これはハートレス様。こんなところで、一体なにを?」
「お久しぶりでございます。……実は――」
2人に挨拶を返したレイチェルは、恥ずかし気にギルドやってきた理由を話し始める。
やがて、レイチェルがフランク達から助けられたことを伝えると、エイミーはキョトンと目を丸くした。
「じゃあウチの子が、お役に立ったんですか?」
「はい。お助けいただきました」
信じられないとばかり顔を見合わせるドミニクとエイミーに、レイチェルは静かに頷きを返す。
そして、くるりと体の向きを変えると、顔に柔らかい笑みを浮かべながらマルコへと向き直った。
「私はレイチェル・ハートレスと申します。マルコ様、先ほどは危ないところを助けていただき感謝いたしますわ」
「あ、あ、当たり前のことだからな」
優雅に貴族の礼を取るレイチェルに、マルコは赤く染まった顔を慌てて背ける。
すると、レイチェルは一層笑みを深くして、クスクスと楽し気な笑い声をあげた。
「ふふ、それでも感謝いたしますわ」
「そういえば、ハートレス嬢は依頼を受けるのかい?ボードに向かっていたみたいだが……」
すっかり目を回しているマルコに、ドミニクは苦笑しながら話題を変える。
未だ顔に笑みを湛えつつも、レイチェルはドミニクを見上げて、首を横に振る。
「いいえ、依頼を受ける気はないわ。どんなものがあるのか、興味があっただけよ」
「それがいい。あそこに貼られているのは、塩漬けばかりだからな」
「塩漬け?」
「ああ。あのボードに貼られている余った依頼のことだ」
レイチェルが不思議そうな顔で聞き返すと、ドミニクはゆっくりと壁際のボードへ顔を向ける。
釣られてボードへ目線を移したレイチェルは、貼られている依頼の数に眉を顰めた。
「余った依頼って……依頼者は困るんじゃなくて?」
「余るのには理由があるってことさ」
不審げに顔を見上げるレイチェルに、ドミニクはボードを見つめたまま、あっけらかんと言葉を返す。
ややあって、ドミニクがボードから目線を外すと、レイチェルは浮かない顔で口を開いた。
「……どういうこと?」
「あそこの依頼は冒険者が割に合わないと判断したものが殆どだ。要するに、内容に問題のある依頼だな」
珍しく声のトーンを落としたドミニクは、腰を折ってレイチェルにヒソヒソとボードの意味を伝える。
そして、すぐに顔を上げると、困ったように頭を搔きながら、ため息をついた。
「依頼は基本的に早い者勝ちなんだ。いい依頼は、朝一で来た冒険者が受付で持っていっちまう」
「それは、また……」
荒々しい冒険者ギルドのルールを知ったレイチェルは、顔を顰めながら必死で言葉を選ぶ。
口をパクパクさせるレイチェルに、ドミニクは腕を組んで呵呵と笑った。
「ははは、言いたいことは分かるが、これも伝統だそうだ。それに、冒険者には文字を読めない奴も多い」
「……そうね。少し驚いたけど、否定する気は無いわ」
しばしの沈黙の後、レイチェルは飲み込むように何度も頷く。
レイチェルの返事に目を細めたドミニクは、間もなく、自嘲気味な笑みと共に首を振った。
「まあ見ての通り、今のギルドはガラガラだ。いずれ、マトモな依頼も貼られるかもしれないな」
「確かに人は少ないけれど、普段はもっと多いの?」
肩を落とすドミニクの呟きに、レイチェルは振り返って、人気のないホールを見回す。
レイチェルが再び不思議そうな顔で見上げると、ドミニクは腕を組んで難しい顔で唸り出した。
「ああ。少し前までは、このホールも朝は人がごった返してたんだが……今じゃなあ、エイミー?」
「はい。ゴブリンのような魔物の討伐依頼まで殆ど無くなりまして……この子の指導にもダンジョンに向かう始末」
「いてっ」
頭を叩かれたマルコは、肩を竦めながらエイミーを恨みがましい目で見る。
頭をさするマルコを尻目に、ドミニクはエイミーの言葉を引き継いだ。
「それに加えて近隣に新たなダンジョンの出現だからな。人もいなくなるわけだ」
「ダンジョンが、発見されたのですか?」
ドミニクの言葉に目を輝かせたレイチェルは、我知らず足を踏み出す。
レイチェルの圧に目を白黒させつつも、ドミニクは思い出すように視線を上向けた。
「ああ。なんでも80年ぶりの事だそうだぞ」
「公都のギルドが調査隊を出してるって話だけど、いつから行けるのかね」
ドミニクが感嘆交じりに呟くと、エイミーもまた、続け様にダンジョンの情報を口にする。
ダンジョンの情報に耳をそばだてていたマルコは、跳ねるようにドミニクとエイミーの顔を見比べた。
「そうだ、どんなダンジョンだったんだ!?」
「まだ、そこまで詳しいことは分かっていない」
「……まあ、調査隊のメンバーを見るに難易度が相当だってのはわかるけどね」
落ち着きをなくすマルコに、ドミニクとエイミーは釘を刺すような口調で言葉を返す。
以降2人がパタリと口を閉じると、マルコはつまらなそうに唇を尖らせた。
「なんだ。期待して損した」
(新しいダンジョン……どんな所なんだろう?)
3人の話を間近で聞いていたレイチェルは、頬を緩めながら、新たなダンジョンの存在に思いを馳せる。
沸き上がるような興奮を覚えつつも、表情を引き締め直して普段通りの薄い笑みを浮かべた。
「今日はお話をありがとうございました。私はこれで失礼しますわ」
「おお。またな!」
「いえいえ。本日は、ご迷惑をお掛けして……」
レイチェルが淑女の礼を取ると、ドミニクとエイミーは対照的な態度で別れの言葉を口にする。
一方、2人の横に立つマルコだけは、相変わらず赤く染まった顔を背けていた。
「…………」
「では、また」
3人に別れを告げたレイチェルは、冒険者ギルドを出て、弾むような足取りで屋敷へと戻っていく。
しかし、大通りへと足を踏み入れる直前、人ごみの中で不意に立ち止まった。
(……どこから見てるの?)
視線を感じたレイチェルがキョロキョロと見回しても、周囲には街行く人の姿しか見当たらない。
違和感を感じつつも再び歩き出そうとした時、首元にそっと短剣が添えられた。
「えっ!?」
「おっと、下手に動くと死んじまうぜ?」
動揺するレイチェルの耳元に、嘲笑うかのような男の声が聞こえてくる。
背後から短剣を突きつけた男は、空いていた手でレイチェルの肩を掴んだ。
「さて、このまま大人しく、そこの路地裏まで来てもらおうか」
(なんでだれも反応してないの!?)
路地裏へと連れ去られる中、レイチェルは誰一人として違和感を持つ者がいない通りに目を見開く。
レイチェルの動揺を感じ取った男は、楽し気に体を揺らし始めた。
「ハハハ、残念だが周りの人間に俺の姿は見えちゃいない。誰も助けてはくれないぞ?」
「……すぐに、魔力は切れるわ」
どこか投げやりな男の笑い声に、レイチェルは歯を食いしばって抵抗する。
すると、男は添えていた短剣を、ピタピタとレイチェルの首筋に当てた。
「悪いな、俺の姿が見えない理由は魔術じゃないんだ。つまり、お前は逃げ出せない」
(くっ!こいつは何者なの!?)
ますます男の正体が分からなくなったレイチェルは、短剣の当てられた首を必死で捻る。
傷つくことも厭わず後ろを振り返ろうとするレイチェルに、男は慌てて首から短剣を離した。
「そう暴れようとするなって。俺はただの伝言役だ」
「伝言役、ですって?こんなやり方、誰からの伝言よ」
未だ首元に短剣を添えられつつも、レイチェルは嫌悪感を滲ませながら声を上げる。
必死で抵抗するレイチェルを鼻で笑った男は、掴んでいた肩を数回軽く叩いた。
「お前の未来の旦那様だぞ。そんなに悪くいうこともないだろ?」
(そんな、うそ……)
囁くような男の言葉に、レイチェルは頭が真っ白になる。
力の抜けたレイチェルが抵抗をやめると、男は耳元で言葉を続けた。
「ようやく、大人しくなったな。肝心の伝言だが……内容は、”さっさと諦めろ”だ」
(嫌、やめて……)
つきつけられた現実に体を震わせたレイチェルは、潤みだす目をぎゅっと瞑る。
首元に添えていた短剣を仕舞うと、男は舌打ちと共にレイチェルの背中を突き飛ばした。
「……伝言は、確かに伝えたぞ」
「どうして、今なの……」
力なく倒れ込んだレイチェルは、ぽたぽたと地面に涙を落とす。
空気へと溶けるように男が消えた路地裏には、泣き崩れるレイチェルだけが残されるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます