31話

 公都へと帰ってきた翌週の始め。


 煌びやかなダンスホールで、アルギスは豪奢な衣装に身を包み、周囲よりも数段高い壇上の席に腰を下ろしていた。



(……やっと、ここまできたな)



 退屈そうに肘掛けに頬杖をついたアルギスの見下ろすホールでは、貴族たちが今も得意げにダンスを披露している。


 チラリと横を一瞥したアルギスは、隣の椅子へ座るソウェイルドとヘレナに、内心でため息をついた。



(はぁ……何がそんなに面白いんだ?)



「ふむ。見ているばかりではなく、お前も相手を見つけてはどうだ?」



 アルギスがホールへ目線を戻そうとした時、ソウェイルドは狙いすましたかのように顔を向ける。


 ソウェイルドと顔を見合わせたアルギスは、咄嗟に肘掛けから腕を降ろした。



「いえ、しかし、私は……」



「どうせ退屈していたのだろう?丁度いいではないか」



「私も久々にアルギスの踊っているところを見たいわ」



 動揺するアルギスに、ソウェイルドとヘレナは口を揃えて上機嫌な声を掛ける。


 2人の視線に耐えられなくなったアルギスは、零れそうになるため息を抑えながら席を立った。


 

「……承知しました。行って参ります」



 アルギスが壇上を降りていくと、奏でられていた音楽は鳴りやみ、ひとたびの静寂が訪れる。


 貴族たちが固唾をのんで動きを止める中、アルギスは無言でダンスホールへと足を踏み入れた。



(さて、どうしたものか……)


 

 ホールを見回すアルギスの目線の先では、令嬢たちがソワソワとドレスの皺を整えている。


 ややあって、小さく息をついたアルギスは、壁際にポツンと立つ令嬢の下へと歩き出した。



「失礼、ご令嬢。私と一曲、踊って頂けるかな?」



「は、はい!喜んで……!」



 ニコリと微笑みながら手を差し出すアルギスに、令嬢は顔を赤く染め上げる。


 慌てて令嬢がアルギスの手を取ると、ホールの端に控えた音楽家たちは、再び楽器を奏で始めた。



(……俺は一体、何をやってるんだ)


 

 優雅な音楽が流れるホールで、アルギスはダンスを踊りながら自問自答する。


 悶々と考え込むアルギスをよそに、ダンスの時間が終わりを迎えると、ホールには万雷の拍手が鳴り響いた。



「……せっかくのパーティだ。是非、楽しんで帰ってくれ」



「感謝いたしますわ」 



 微かに声を震わせつつも、令嬢は流れるように淑女の礼を取る。


 令嬢に穏やかな笑みを見せると、アルギスは早々に元居た壇上へ足を向けた。



(はぁ……ん?あれはセルヴァン家だな)



 階段に足を掛けようとしたアルギスの目の端に、くすんだ金髪をした少年の姿が映り込む。


 はたと立ち止まったアルギスは、1人ホールの隅から様子を眺める少年の下へと向かっていった。


 

「グルトス、今日は1人か?」



「これは、アルギス様。父上たちは最近、少々忙しくしておりまして……」 



 アルギスが声を掛けると、グルトスは申し訳なさそうに頭を下げる。


 しかし、アルギスはニヤリと口角を吊り上げながら、小さく首を横に振った。


 

「いや、私はお前に祝って欲しかっんだ。丁度よかったよ」



「っ!……改めて、生誕をお慶び申し上げます」



 驚きに目を見開いたグルトスは、顔に喜色を湛えながら恭しく腰を折る。


 いつにもまして慇懃なグルトスの態度に、アルギスは手を振りながら笑い声をあげた。



「クク、そう改まるな。学院でも顔を合わせる機会はあっただろう?」



「申し訳ありません。父上から、”くれぐれも無礼の無いように”と仰せつかっておりまして……」



「そうか」



 グルトスが困ったように頭を搔くと、アルギスもまた、苦笑いを浮かべる。


 しばらくの間、2人が会話に花を咲かせていた時、横から声を掛ける者が現れた。



「ご、ご、ご生誕おめでとうございます。え、エンドワース様」


 

「お前は……グリューネか」



 声のした方向へ顔を向けたアルギスは、震える体で頭を下げるメイソン・グリューネに目を細める。


 アルギスの訝し気な視線に、メイソンは派手な衣装に似合わないオドオドとた態度で口を開いた。


 

「は、はい。ほ、本日はお招き頂き、か、感謝いたします」



(当初の印象から、随分と様変わりしたものだ)



 王都のパーティでの出会いを思い出したアルギスは、伏し目がちに頭を下げるメイソンの姿を眺める。


 しばしの沈黙の後、小さく肩を竦めると、皮肉めいた笑みを浮かべた。

 


「……ああ。私も来てくれて嬉しいよ、グリューネ」



「こ、光栄にございます」



 ゆったりとした口調で話すアルギスに、メイソンは目を合わせることなく頭を下げる。


 ふと目線を彷徨わせたアルギスは、不思議そうな顔で首を傾げた。


 

「そういえば、会うのは久々だな。あまり、学院では姿を見かけないが?」



「っ!も、も、申し訳ございません。に、入学試験にて力及ばず……」



 アルギスの問いかけにドッと汗を噴き出すと、メイソンは真っ青な顔で一層頭を低くする。


 絶望の表情を浮かべるメイソンに頬を引きつらせつつも、アルギスは誤魔化すように何度も頷いた。



「……まあ、失敗は誰にでもあるからな。机を並べられることを楽しみにしている」



「は、はい!必ずや……」



 一瞬顔を上げたメイソンは、すぐに目を伏せながら、悲痛な声色で決意を口にする。


 一方、アルギスの隣に立つグルトスは、どこか冷たい目で頭を下げ続けるメイソンを見つめていた。



「…………」 



「では、私はこれで失礼する。もう、終わりも近いが、2人ともパーティを楽しんでくれ」



 深々と腰を折る2人を尻目に、アルギスは優美な音楽の流れるホールを抜けて、壇上へ戻っていく。


 そして、元居た席に着くと、パーティの終了を心待ちにするのだった。



 


 パーティを終えて数日が経った、ある日の朝。


 朝食をとり終えたアルギスは、いつも通り自室のソファーに腰かけて本を読んでいた。



(まだ何回かパーティが開かれると言っていたが、正直考えたくないな……)


 

 読み終えた本をパタリと閉じるアルギスの表情には、未だ濃い疲労の色が残っている。


 今後の予定を思い出したアルギスは、不満げに顔を歪めながら、机に置かれていたベルを手に取った。


 

(気分転換にでも行こう) 


 

「アルギス様、ご用でしょうか?」



 ベルの音が部屋に消えると同時、使用人の1人がアルギスの後ろに控える。


 机に本を置いたアルギスは、使用人の顔を見上げるように後ろを振り返った。



「マリーを呼んで来い」



「かしこまりました」



 前を向き直るアルギスに、使用人は恭しく頭を下げて部屋を出ていく。


 

 それから数十分が経った頃。


 アルギスが目を瞑って待っていると、部屋に扉の開く音が響いた。



(……来たか) 



 パチリと目を開けたアルギスは、近づいてくる使用人とマリーへ顔を向ける。


 ややあって、アルギスの側まで戻ってきた使用人は、連れ立ったマリーと共に頭を下げた。

 


「アルギス様、マリーをお連れいたしました」



「お呼びとのことですが、いかがされましたか?」



 疲れた様子で首を回すアルギスに、マリーは眉尻を下げながら不安げに顔を上げる。


 しかし、アルギスはマリーの不安を振り払うように、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。



「少し付き合え。これからギルドへ向かう」



「かしこまりました。直ちにご用意を」



 アルギスがヒラヒラと手を振ると、マリーは使用人を残し、消えるように部屋を去っていく。


 残った使用人もまた部屋の奥へと向かっていく中、アルギスは再び目を瞑ってマリーの到着を待ち始めた。



(依頼を受けたことは無いからな。……楽しみだ)



 我知らず頬を緩めるアルギスの耳に、さほど間を置かず、扉の開く音が聞こえてくる。


 眠たげに瞼を開くアルギスの目の前には、既に黒いローブを手にしたマリーの姿があった。


 

「アルギス様、ご用意が整いました」



「ああ、では行くとしよう」



 ローブを受け取りながら立ち上がると、アルギスはマリーを引き連れて部屋を後にする。


 そのまま屋敷の玄関口を出た2人は、用意されていた馬車に乗り込んで、冒険者ギルドへと向かっていった。



(そういえば、前回来たときは、魔族がギルドマスターに擬態していたな……)



 石畳を進む馬車の中で、アルギスは窓の外に見え始めたギルドの建物に思わず顔を顰める。


 やがて、馬車がギルドの前で停車すると、すかさずマリーは外へ出て扉を押さえた。



「どうぞ」

 


(……行くか)



 馬車を降りたアルギスは、マリーの開ける木製の扉をくぐり、酒精の匂いが漂うギルドホールへと入っていく。


 そのままアルギスとマリーが依頼の貼られたボードに足を向けた時、ギルドの職員が駆け足で近づいてきた。


 

「申し訳ございません。エンドワース様でお間違いないでしょうか?」



「……ああ。確かに私はエンドワース家だが?」



 仰々しい態度で声を掛ける職員に、アルギスは立ち止まって質問を返す。


 弾かれるように頭を下げた職員は、恐る恐るアルギスの顔を覗き込んだ。



「大変、失礼かとは存じますが、少々お時間をいただくことは可能でしょうか?」 


 

「どういうことだ?」



 すっかりやる気に水をさされたアルギスは、不快げに眉間の皺を深くする。


 怒気を孕んだアルギスの視線に怯えつつも、職員は意を決したように口を開いた。


 

「ギルドマスターが、是非お会いしたいと……」



「……すぐに連れていけ」



 言いにくそうに伝えられた言葉に、アルギスは目頭を押さえながら頷く。


 アルギスの返事を聞いた職員は、ホッと胸を撫でおろして、ギルドマスターの部屋へと歩き出した。



「……では、こちらへ」



「お前はここで待っていろ」



 頭を下げるマリーをホールに残すと、アルギスはうんざりとした表情で職員の後を追いかけていく。


 やがて、階段を登りきった職員は、廊下の最奥にあるドアを叩いた。



「ギルドマスター、アルギス・エンドワース様をお連れしました」



「入って頂きなさい」



 職員の声に被せるように、部屋の中からは、重たい口調で入室の許可が聞こえてくる。


 ゆっくりと開かれた扉の奥には、僅かにやつれた様子のレオニード・ユーブルスが机から立ち上がっていた。



「また会えるとは嬉しいな、レオニード」



「ええ、儂も大変うれしく思っております。と言っても繋がっているのは首の皮1枚ですが……」



 薄笑いを浮かべながら部屋へ入ってくるアルギスに、レオニードは疲れたような苦笑いを見せる。


 ソファーに腰を下ろしたアルギスは、職員が紅茶を運んでくる中、先を急ぐとばかりに前のめりになった。



「それで、私に用があったのだろう?」



「……あくまで個人的な用事ですが、どうしても直接お礼申し上げたかったもので、お呼びだてさせていただきました」



 ややあって、職員が部屋を出ると、レオニードはアルギスへ深々と頭を下げる。


 呼び出しの理由に納得のいったアルギスは、ティーカップを手に取りながら、首を横に振った。



「ああ、そのことか。私が勝手にやったんだ、気にするほどの事じゃない」



「それでは儂の気持ちが治まらないもので……」



 興味が無いとばかりにカップへ口をつけるアルギスに、レオニードは腰を屈めながら、なおも食い下がる。


 少しの間黙り込んでいたアルギスは、カップを机に置いて、対面のソファーを指さした。



「ふむ……ならば少し取引といこう」


 

「取引、ですか?」



 唐突なアルギスの提案に戸惑いつつも、レオニードは言われた通りにソファーへ腰を下ろす。


 レオニードと向き合ったアルギスは、言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。


 

「ああ。……私は最近、王都近くのダンジョンへ向かってな」



「は、はぁ……」 


 

 世間話のような口調で話し出すアルギスに、レオニードは困惑を滲ませながら頷く。


 紅茶を飲み干したアルギスは、一拍置いて楽し気に身を乗り出した。 



「そのダンジョンは、恐らく未発見のものだ」



「なんですと!?それはまことですか!?」



 アルギスの言葉に目を見開いたレオニードは、ソファーから勢いよく立ち上がる。


 目を爛々と輝かせるレオニードに、アルギスは再度ソファーを指さして口を開いた。



「……ああ、事実だ。そして、ここからが肝心の取引内容だ」



「…………」



 恥ずかし気に腰を下ろしたレオニードは、ごくりと唾を飲んでアルギスの言葉を待つ。


 すると、アルギスはレオニードの目を見つめながら、不敵な笑みを浮かべた。



「このダンジョンの、今わかっている情報と位置を教えてやる」



「え!?それは……」



 予想外の提案に身を固くしたレオニードは、忙しなく重ねた両手の指を動かす。


 考え込むレオニードをよそに、アルギスは一層前のめりになって、声のトーンを落とした。



「まあ、最後まで聞け。この功績をくれてやるから、調査させた内容を内密に私の所まで届けさせろ」



「……それを国に上奏すれば、アルギス様は勲章をいただけますが?」



 しばらくの間、黙り込んでいたレオニードは、アルギスの機嫌を窺うように首を傾げる。


 しかし、当のアルギスは不快げに鼻を鳴らして、ソファーの背もたれに深く寄りかかった。



「そんなもので、私の心が動くと思うか?」



「っ!」



 あまりにも傲慢な物言いに、レオニードは目を剥いて絶句する。


 一方、気楽な調子で足を組んだアルギスは、予定を立てるような口ぶりで言葉を続けた。


 

「確か、見つけた冒険者の所属しているギルドには国から1年の調査優先権が与えられるんだったな?」



「し、しかし……」



 試すような視線に、レオニードは冷や汗を流しながら目線と指先を忙しなく動かす。


 アルギスがため息をつくと、部屋には痛いほどの沈黙が降りた。



「……いつまでも汚名を被ったままでは、お前も随分とやりづらいだろう?私の手を取るだけで話は済むぞ?」



 一向に口を開く気配のないレオニードに焦れつつも、アルギスは優しげな笑顔と共に片手を差し出す。


 程なく、動かしていた指を止めたレオニードは、そのまま両手でアルギスの手を握った。



「……かしこまりました。ダンジョン調査の件、お受けいたします」



「実に賢い選択だ、レオニード」



 覚悟を決めた様子のレオニードに、アルギスはニコリと笑い返す。


 そして、握られていた手を降ろすと、ダンジョンに関する伝えられる限りの情報を伝え始めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る