17話

 初めての講義から1週間が経ち、新入生も徐々に学院に慣れ始めた頃。


 特別講義の集合場所に指定された中庭には、快活な笑みを浮かべたエミリアと、講義の開始を心待ちにする生徒たちの姿があった。



「よし、しっかりと集まっているな。それでは移動を開始するぞ!」


 

(……そういえば、どこのダンジョンに向かうんだ?)



 はつらつとした指示と共に身を翻すエミリアに、アルギスは難しい顔で頭を捻りながら、後を追いかける。


 というのも、学院から最も近い”始まりの洞窟”ですら、王都近辺の森まで行かなければならないのだ。


 アルギスの疑問をよそに、エミリアは学院の裏に聳え立つ円柱状の塔へと向かっていった。



「皆、到着したようだな。ここが特別講義の会場となる”天鎖の塔”。通称はアイワズの塔だ」



(学院の敷地内にダンジョンだと……?あの塔は、ダンジョンだったのか……)


 

 エミリアの説明に耳を傾けつつも、アルギスはまるで1つの石から切り出されたように継ぎ目のない塔を茫然と見上げる。


 これまで上機嫌に話していたエミリアは、一転して表情を引き締めながら天鎖の塔を一瞥した。



「さて、そろそろ実際に魔物を討伐してもらうか。……といっても、今日は1階層の魔物のみだがな」



(なに?1階層の魔物のみ?)


 

 言い聞かせるような口調で話すエミリアに、アルギスは怪訝そうな顔を浮かべる。


 生徒たちがざわつき始める中、エミリアは一層表情を険しくして言葉を重ねた。



「期待させてしまったところ申し訳ないが、油断して命を落とす者もいる講義だ。理解してくれると嬉しい」



 脅すようなエミリアの言葉に怯えた生徒たちは、一斉に顔を青く染め上げる。


 シンと静まり返った生徒たちを、エミリアは肩の力を抜きながら満足げに見回した。



「前置きが長くなってしまったが、これよりパーティを組んでもらう。私は塔の入り口にいるので、3人以上でパーティが組めた者から来るように」



(……パーティに必要なのは斥候、前衛、後衛、回復役か。特に回復役は絶対に必要だ)



 遠ざかっていくエミリアを尻目に、アルギスは周りの生徒たちに目を光らせる。


 ぐるぐるとメンバーを探し回るアルギスの下へ、レイチェルが喜色を滲ませながら近づいてきた。



「見つかって良かったわ。パーティを組みましょう?」



「……ああ、そうだな。後は、治癒師だ」



 レイチェルを引き連れたアルギスは、残るメンバーを探して、次々と生徒へ話しかけていく。


 しかし、治癒師の存在は貴重なようでなかなか見つからないか、見つかっても既にパーティが決まっている者だった。



「どうしたものか……」



「どうしても治癒師が必要なの?」



「ああ、どうせ攻略を進めていくうちに、治癒師がいなければ攻略できない階層が出てくる。ならば最初から抱え込む方がいいに決まっているからな」 


 

 レイチェルの問いかけに足を止めたアルギスは、辺りを見回しながら言葉を返す。


 当たり前のことを聞くなと言わんばかりのアルギスを、レイチェルは恐ろしいものを見る目で見つめた。



「……まさか、塔の制覇を目指しているの?」



「何を言っているんだ。ダンジョンだぞ?」



 震える声で問いかけるレイチェルに、アルギスは肩をすくめて、再び中庭を歩き出す。

 


 それからしばらくして、アルギスがメンバーを集めきれないかに思えた時。


 人数も減り始めた中庭の中央で、聞き覚えのある怒鳴り声が上がった。



「誰がお前らのパーティなんかに入るか!どうせ奴隷扱いだろ!」



「我らのパーティに入れるだけ喜べ!獣風情が!」



「そうだ!お前たちとパーティを組むものもいるまい!」 



 顔を真っ赤にした貴族の男子生徒たちは、揃ってジェイクを怒鳴りつける。


 すると、ジェイクはおろおろとするニアを背に、男子生徒の1人を押しのけた。


 

「お前らだって2人じゃダンジョンに入れないだろ!」



「貴様っ!」



(……また、やっているのか)


 

 胸倉を掴み合うジェイクの姿に、アルギスは静かに目頭を押さえる。


 しかし、アルギスの隣に立つレイチェルは、ジェイクの後ろで怯えるニアを見つめていた。

 


「あら?あれ、ニアじゃない。あの子、水属性だから回復系統も使えるんじゃないかしら?」



「……なに?」



 思い出したように呟かれたレイチェルの言葉に、アルギスはピクリと眉を上げる。


 そして顔を顰めつつも、改めてジェイクが言い合いをしている場所を見据えた。



「今の言葉は事実か?」



「ええ、回復系統に関しては確実とは言えないけど、水属性なのは確かよ。……妨害系統の講義にも参加していたでしょう?」



 見向きもせず尋ねるアルギスに、レイチェルは呆れ顔で言葉を返す。


 しばしの沈黙の後、アルギスは一度大きなため息をつくと、中庭の中心へ足を進めた。



「仕方がない。聞いてくるから、ここで少し待ってろ」



「え?今から行くの?」



 揉め事の中心へと向かっていくアルギスに、レイチェルは目を丸くする。


 周囲で様子を見ていた生徒が左右に道を開ける中、アルギスはズカズカと間を抜け、ジェイクたちの前へ躍り出た。



「ニア、お前は水属性だと聞いたが、回復系統は使えるか?」



「え、エンドワース様?それはどういう……?」



 突然やってきて詰め寄るアルギスに、ニアは状況が理解できず、目を白黒させる。


 しかし、アルギスは困惑するニアの肩を掴んで質問を重ねた。



「そのままの意味だ。現状、回復系統の術式を習得しているか?」



「はい、まだ低位のものですが……」



 視線を彷徨わせつつも、ニアは風に消えるような返事と共にコクコクと頷く。


 回復系統を習得していることを確認すると、アルギスはニアから手を離し、ジェイクと揉めていた男子生徒に向き直った。


 

「それだけ聞ければいい。……おい。そこのお前、話がある」



「は、はい、エンドワース様。私めに、なにかご用でしょうか?」


 

 これまで怒鳴っていた男子生徒は、額に汗を浮かべながら、アルギスの機嫌を窺うように腰を屈める。


 男子生徒を見下ろしたアルギスは、隣で目を回しているニアを指さした。



「こいつと……そこの獣人は私のパーティに入る。文句はあるか?」



「……いえ、ございません」


 

 睨みつけるようなアルギスの目線に、男子生徒たちは何も言えず、下を向いて小さくなる。


 様子を眺めていた生徒たちが慌てて目を逸らす中、アルギスは2人を引き連れて歩き出した。



「喜べ。今を以て、お前らは私のパーティとなった」



「急になんだよ」



 不敵な笑みを浮かべながら前を歩くアルギスに、ジェイクは不満げに鼻を鳴らす。


 一方、戸惑いを隠せない様子のニアは、恐る恐るアルギスに声を掛けた。



「よろしいのですか……?エンドワース様」



「ああ。あそこに居ては、延々揉め事が続くだけだからな」



 ため息交じりに首を回すと、アルギスはすっかり人のいなくなった中庭を横目にレイチェルへ近づいていく。


 アルギスの後を大人しく追いかけるジェイクに、レイチェルは手を口に当てて目を丸くした。



「よくもまあ、大人しくあそこから連れ出せたわね」



「交渉の結果だ。それよりも、さっさとダンジョンに行くぞ」


 

 レイチェルの目線を受け流したアルギスは、天を貫く巨大な塔を見上げる。


 逸る気持ちを抑えながら、塔の入り口に立つエミリアの下へと向かっていった。



「アルギス・エンドワース及びそのパーティだ。次の指示を仰ぎたい」



「……ふむ、いいだろう。学生証を取り出してくれ」



 アルギス達を確認したエミリアは、黒塗りにされた手のひらサイズの箱を取り出す。


 そして、差し出された4人の学生証を1枚ずつ箱に翳していった。



「よし、これでパーティの登録が完了した。変更する際は申請が必要になるから注意してくれ」 



「ああ。……入るぞ」



 小さく呟かれたアルギスの声を合図に、4人は巨大な石造りの扉の前に立つ。


 ゴリゴリと擦れるような音を立てて扉が開くと、中にはむき出しの土と岩でできた洞窟が広がっていた。



「すっげぇな」 


 

「わぁ……!」 


 

(学院の創設よりも古くから存在するダンジョンだそうだが、一体どの程度の難易度だろうか?)



 ぼんやりと光を発する洞窟の壁に目を奪われつつも、4人はジェイクを先頭に警戒しながら進んでいく。


 やがて岩だらけの広場のような空間に足を踏み入れると、先に入っていった生徒たちが剣や魔術の音を響かせながら魔物と戦っていた。



「よし!敵はコボルトとゴブリンだな!」



 魔物と戦う生徒の姿に、ジェイクはやる気を漲らせながら手甲をぶつける。


 しかし、広場の様子を見渡したアルギスは、意気揚々と歩き出そうとするジェイクの肩を掴んだ。



「おい。ここは低位の魔物しかいない上、生徒が多すぎる。先に進むぞ」


 

「ちぇ、なんだよ……」

 


 すっかり出鼻を挫かれたジェイクは、つまらなそうに唇を尖らせる。


 混戦を繰り広げる生徒たちを尻目に、4人は広場から分岐する通路を抜け、洞窟の奥へと進んでいった。



 


 時おり通路に現れる魔物を倒しながら進むこと1時間余り。


 再び開けた空間へ辿り着いた4人は、見張りの講師に呼び止められていた。


 

「お疲れ様。ただ残念だけど今日はここまで終わり、ここから先は2階層だ」



「ほら見ろ!こんなに急いでも意味ないだろ!」 



「ジェイク君、そんなに大声出さなくても……」



「もう、うるさいわねー」

 


 2階層へ繋がる階段を前に、3人は緊張の糸が切れたように話し始める。


 3人が言い合いを続ける中、1人講師の男と向きあったアルギスは暗闇に包まれる階段の先を見つめた。



「2階層は、どうなっているんだ?」


 

「あー……本来は伝える必要も無いことだけど、まあいいか」



 ポリポリと頬を搔くと、講師の男は苦笑いを浮かべながら、2階層以降の簡単な説明を始める。


 このダンジョンは10階層ごとに存在する階層主を倒すことで、次の階層へと上がることができるようになるらしい。


 そして次回からは最初の扉を開けると、階層主を倒した階層へと移動できる扉が現れるというのだ。



(なんだと?ここは『救世主の軌跡』の仕組みと違うのか?途中の階層から始まるようなシステムはなかったはずだ)

 


 聞き覚えのないシステムに、アルギスは難しい顔で頭を悩ませる。


 説明を終えた講師の男は、軽い調子でヒラヒラと手を振った。



「まあ、そういう訳だから、次回から頑張ってくれ」



「……なるほど。なら、もうここに用はないな」



「あ、おい!」



 途中から講師の説明に耳を傾けていたジェイクは、踵を返すアルギスを引き留める。


 そのままアルギスの肩を掴むと、正面を向き直らせた。



「どういうことか、説明しろよ!」



「……今回は、どうせダンジョンに慣れさせるための、いわば練習だ。本格的な講義の開始まで無駄な危険を冒す必要はない」


 

 体を揺らすジェイクに、アルギスは鬱陶しそうに顔を歪めながら口を開く。


 理由を聞いたジェイクが気まずそうにアルギスから手を離すと、レイチェルはクスクスと楽しそうな笑い声をあげた。



「本当に言葉足らずなのね」



「……わかっていたなら教えてやれ」



 ジェイクに掴まれていた肩を手で払ったアルギスは、レイチェルへと非難の目線を送る。


 しかし、当のレイチェルはアルギスの目線を気にする様子もなく肩をすくめた。



「いやよ、私の考えが間違っていたかもしれないもの」



「はぁ、もういい。……ジェイク、納得したか?」



 嘲りを隠そうともしないレイチェルに、アルギスは呆れ顔でジェイクへと目線を戻す。


 恥ずかしそうに赤面したジェイクは、俯くようにアルギスから目を逸らした。



「……ああ、今後はもう少し落ち着く」



「さあ、戻るぞ」


 

 アルギスが声を掛けると、4人は一列になって出口へと歩き出す。


 しばらくしてダンジョンの半ばほどまで戻った時、先ほど通り過ぎた広場から悲鳴が聞こえて来た。



「さっきの場所みたいね」



「1階層で悲鳴だと……?」



 チラリと顔を向けるだけのレイチェルに対し、アルギスは立ち止まってじっと考え込む。


 しばらくして、ふと顔を上げると、ジェイクとニアの姿が目に入った。



「どうするんだ?」



「え、エンドワース様、どうされますか?」



「……様子を見に行く。どうせ帰り道だ」



 どこか縋るような表情で覗き込む2人に、アルギスは意を決して広場へと足を向ける。


 すると、2人は目を丸くして顔を見合わせ、嬉しそうに頬を緩めた。



「おう!」



「はい!」


 

「……仕方ないわね」


 

 広場へと向かうことを決めた4人は、警戒を強めながら元来た道を戻っていく。


 やがて4人が広場へ辿り着くと、中央では1階層とは思えない戦いが繰り広げられていた。



「ガーゴイルだぞ!」



「な、なぜ、1階層にガーゴイルが?」



「…………」



 予想外の敵に、3人は身を固くしながら入り口で足を止める。


 3人がガーゴイルに集中する中、アルギスの目線だけは、戦っているパーティに固定されていた。

 


(勇者のパーティ……。ゲームにはこんなイベントなかっただろ)


 

 未知のイベントに焦りを覚えたアルギスは、その場でピタリと動きを止める。


 しかし、勇者パーティの戦線が崩れ始めると、戦いに目を奪われているジェイクの肩を叩いた。



「……おい、ジェイク。戦えるか?」



「!あ、ああ、大丈夫だ。いつでも行けるぞ」



 ハッと我に返ったジェイクは、気持ちを奮い立たせるようにガツンと手甲をぶつける。


 そのままガーゴイルを見据えるジェイクに、アルギスは不敵な笑みを浮かべた。



「あれほど欲しがっていた出番だからな、喜べ。……ニア、お前はどうだ?」



「……怖いけど、頑張るよ」


 

 アルギスに顔を向けられたニアは、体を震わせながらも、ぎゅっと拳を握る。


 怯えを抑え込もうとするニアへ頷きを返すと、アルギスは戦場になっている広場の中央を指さした。

 


「ジェイクはガーゴイルの足止めだ。ニアはジェイクが援護している間に、傷ついている奴の回復をしろ。いいな?」



「おう!任せておけ。行こう、ニア」



「わ、わかった。頑張ろうね、ジェイク君」

 


 アルギスの指示を受けたニアとジェイクは、二手に分かれてルカ達へ駆け寄っていく。


 2人が戦いへ乱入していく様子に、アルギスは腕を組みながら目を細めた。


 

(欲を言えば、もう少し見学しておきたいものだな)



「ねえ、私には指示をしてくれないのかしら?」



 2人きりで入り口に残ったレイチェルは、つまらなそうにアルギスへ声を掛ける。


 不満げなレイチェルの雰囲気を背中に感じつつも、アルギスは振り返ることなく口を開いた。



「お前はどうせ止めてもついてくるだろ。なら私の傍にいればいい」



「……ほんと、ずるいわね」


 

 きっぱりと言い切るアルギスに対し、レイチェルは戦闘音にかき消されるほど小さな声で呟く。


 以降何も言わず横に並んだ2人は、しばらくの間ジェイクの戦いを眺め続けるのだった。

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