16話

 遡ること数刻、時はレイチェルとマリーがレストランへと辿り着いた頃。


 王都に五度目の鐘が鳴り響く中、勢いで2人と別れたアルギスは、色とりどりの幕で飾られた通りの前で足を止めていた。



(市場か。確か、部屋には小さな厨房もあるが……) 



 アルギスの目線の先には、食材や手作りの陶器、織物などが所狭しと並べられた市場が広がっている。


 夕日が照らす時間帯にもかかわらず、通りは今も売買を繰り返す人々で活気に包まれていた。



(……この体になって料理をしたことはない。作れるか?)


 

 市場の様子をじっと眺めていたアルギスは、ふと心に疑問が浮かび上がる。


 しばしの逡巡の後、躊躇いつつも、食材を買おうと市場へ向かっていった。



「新鮮な野菜、新鮮な野菜だよ!買わなきゃ損だ!」



「今ならパンが焼き立てですよ!」 


 

(キャンディグレープか。見た目は、まんま飴玉だな)



 商人たちが声を張り上げる中、アルギスは並べられた商品を鑑定しながら通りを進んでいく。


 しばらくぐるぐると市場を散策しているうちに、アルギスの腹からは空腹を報せるぐぅという音が鳴った。



(ふむ、そうだな……。家では食べられないものにしよう)



 夕食のメニューを決めたアルギスは、必要な食材を買うため、店を探し始める。


 すると、目的の店の近くで、獣人の少年と水色の髪の少女という見覚えのある2人の姿が目に入った。



「あれはジェイクと……ニアだったか?」



 市場を巡る2人の横顔に、アルギスは教室での自己紹介を思い出す。


 アルギスがそのまま歩き出そうとした時、突如ジェイクが後ろを振り返った。



「おい!」



(どうやら、挨拶をしてくれるわけではなさそうだ……)


 

 一直線に近づいてくるジェイクの表情に、アルギスはがっくりと肩を落とす。


 ややあってアルギスの間近に迫ったジェイクは、苛立たしげに腕を組んだ。



「こんなところに何の用だ?」



「……ご挨拶だな。市場ですることなど、買い物しかないだろうが」



 ジェイクと睨み合ったアルギスは、眉を顰めながら鬱陶しげに言葉を返す。


 すると、ジェイクは表情を怪訝そうなものに変え、アルギスを上から下までジロジロと眺め始めた。

 


「お前は人族の貴族だろ?なんで市場で買い物をする?」



「それは、お前には関係のないことだ」



 無遠慮に質問を重ねるジェイクに、アルギスもまた、苛立ちを露にしながら語気を強める。


 一歩も引かず喧嘩腰で話す2人に、ジェイクの行動に言葉を失っていたニアが、慌てて間に入った。



「そこまで、そこまでにしようよ!ジェイク君、急にどうしたの?」



「くそ……」 


 

(助かった……。こんなところで揉めるのは、ごめんだからな)

 


 ニアの説得で落ち着きを取り戻すジェイクに、アルギスは内心でホッと息をつく。


 そして、3人の間に沈黙が広がる中、未だ腹の虫がおさまらない様子のジェイクに首を傾げた。

 


「何故それほど私に対して攻撃的なんだ?」



「なぜって……お前はこの国の貴族だろ!」



 アルギスの質問に顔を赤くしたジェイクは、牙を剥いて声を張り上げる。


 しかし、アルギスはどこ吹く風とばかりに涼しい顔で聞き流した。



「ああ。だが私は貴族である前に、アルギス・エンドワース個人だ。理由はそれだけか?」


 

「それだけ……」


 

「あの、それが、この国に来て貴族の方にかなり種族のことで言われたようで……」



 ポカンと口を開けるジェイクに対し、ニアはアルギスの耳元にそっと顔を寄せる。


 ボソボソと伝えられるジェイクの情報に、アルギスはため息交じりに肩を竦めた。



「なんとも傍迷惑な話だ。しかし、それほど貴族と揉めていてよく学院から追い出されないな」



「……ジェイク君は”ファングリア獣王国”の氏族長の息子ですし、留学生ですから」



 アルギスから目を逸らしつつも、ニアは呟くように言葉を続ける。


 やがて、再び3人の間に沈黙が降りると、ジェイクは歩き出そうとするアルギスの腕を掴んだ。



「おい、質問に答えてから行けよ」



「……理由など1つしかないだろ。夕食の食材を買いに来たんだ」


 

 やむを得ず足を止めたアルギスは、不快げにジェイクの手を振り払う。


 すると、ジェイクとニアの2人は予想していなかった回答に揃って目を丸くした。



「は?お前、料理するのか?」



「え、エンドワース様が、お料理を……?」



(貴族が料理するのは、そんなに変なのか?)


 

 ぽかんとした顔で固まる2人に、アルギスは口元に手を当て、じっと考え込む。


 しばらくして顔を上げると、誤魔化すように2人の顔を見比べた。



「貴族でも野営時に料理をする者くらいはいるだろう?」


 

「そうだけどさ……」



「お料理をするようには、見えないよね……」


 

 釈然としない様子で顔を寄せるジェイクに、ニアもまた、納得がいかないとばかりに首を捻る。


 互いに違いにアルギスを一瞥した2人は、そのままコソコソと耳打ちをし始めた。



「……まあ、そういうことだ。質問には答えたぞ」



 1人残されたアルギスは、話し合いを止める気配のない2人に背を向ける。


 そして、少しだけ表情に陰を落としながら、再び市場の探索へと戻っていった。



 


 すっかり日が沈み、通りを松明の火が照らし出す中。


 買い物を終え、店を立ち去ろうとしたアルギスの目に、ジェイクとニアの姿が飛び込んできた。


 

(後ろをつけているのは気が付いていたが……学院への帰り道が同じだからじゃなかったのか)



 慌てて建物の陰へと隠れる2人に、アルギスは不快げに顔を歪める。


 すぐに持っていた紙袋を抱えなおすと、ズカズカと2人へ近づいていった。

 


「……まだ、なにか用か?」



「い、いや大したことじゃないぞ……ニア、説明して」



「え。そ、その、2人共貴族様の手料理に興味があったので…」



 ジェイクに役割を押し付けられたニアは、しどろもどろに理由を話し出す。


 2人が後をつけていた理由を知ると、アルギスは呆れ顔で肩を落とした。



「今から作る料理は私が勝手に作るものだ。貴族とは関係ない、さっさと帰れ」



「じゃあ、お前が考えたのか?」



「どんなお料理ですか?」



 これまで居心地が悪そうにしていた2人は、途端に表情を明るくしてアルギスを見つめる。


 アルギスの言葉を待つ2人の目は、好奇心でキラキラと輝いていた。



(……しまった)


 

 チラチラと表情を窺う2人に、アルギスは無言で目頭を押さえる。


 しかし、諦めたように大きなため息をつくと、ジェイクに持っていた紙袋を押し付けた。



「はあ、そんなに気になるならついてこい。ついでに荷物を持て」



「お、おい、ちょっと待てって」



「え、エンドワース様?」



 アルギスに取り残された2人は、顔を見合わせた後、小走りで後を追いかけていく。


 やがて、3つの店を回ったアルギスは、食材をいれた袋をジェイクに持たせ、学院の寮へと戻っていった。



「ご苦労だった。では、また」 



「え!食べさせてくれないのか!?」



「お料理を見せて頂けないのですか!?」


 

 紙袋を受け取ったたけで立ち去ろうとするアルギスに、2人は慌てて扉を掴む。


 一方、後ろから呼び止められたアルギスは、扉ごしに2人の顔をじろりと睨んだ。


 

「……図々しい奴らだ。いつ私が部屋に入れると言った」



「ここまで荷物を運んだじゃないか!」



 アルギスに怯みつつも、ジェイクは必死の形相で言葉を返す。


 扉の隙間から顔を出したアルギスは、息を荒くするジェイクを鼻で笑った。

 


「ああ、ついてきたかったんだろう?その対価だ」



「そんな……」



 取り付く島もないアルギスの言葉に、ジェイクはしょんぼりと耳をたらして扉から手を放す。


 そのまま閉まるかに思えた扉を、アルギスは足を挟んで押し開けた。



「食いたければ先刻の無礼の謝罪と、今後私に逆らわないことを誓え」



「……今まで悪かった。人族の貴族はまだ嫌いだけど、お前だけは敵じゃない」



 どこか気まずそうにしつつも、ジェイクはアルギスの目を見て、ぺこりと頭を下げる。


 捻り出すようなジェイクの言葉に、アルギスは疲れたように頷いた。



「……いいだろう。そうしたら、これを持って厨房に行っていろ、場所は分かるな?」



「ああ、大丈夫だ」 


 

 紙袋を受け取ったジェイクは、満面の笑みでアルギスの部屋へ入っていく。


 そのままジェイクがリビングの奥へ姿を消す中、アルギスは所在なさげな様子のニアに目線を移した。



「……お前も、さっさと入れ」



「はい!」



 顎をしゃくるアルギスに、ニアは頬を上気させながら部屋の中に飛び込む。


 アルギスがニアを連れて向かったリビングでは、厨房に紙袋を置いたジェイクがソファーに腰を下ろしてた。



「それで、なにを作るんだ?」



「ハンバーガーだ」



 2人がリビングに着いて早々、前のめりになって声を上げるジェイクに、アルギスは料理名のみを伝える。


 ところが、アルギスの返事を聞いたジェイクは、キョトンとした顔で首を傾げた。


 

「なあ、ハンバーガーってなんだ?」



「こう、ミンチにした肉を焼いてパンに挟んだものだが……知らないのか?」



 予期していなかった質問に目を丸くしつつも、アルギスは身振りを交えてハンバーガーの説明を始める。


 しかし、アルギスの説明を聞き終えたジェイクは、相変わらず不思議そうな顔で首を横に振った。


 

「そんなもの知らない。ニア、知ってるか?」



「ううん、私も知らないかな」



(ふむ、妙だな。ゲームでは食べているイラストを見た気がするが……)


 

 訝しむニアとジェイクの姿に、アルギスの脳内には、様々な憶測が駆け巡る。


 少しの間、2人の様子を交互に見比べていたアルギスは、制服の上着を脱いでソファーの背もたれに掛けた。



「まあ要するに、今説明した通りの料理だ。作るからリビングで待ってろ」

 


「見ててもいいか?」



 アルギスが厨房へ足を向けると、ジェイクはソファーから立ち上がって後を追いかける。


 これまでと打って変わって上機嫌なジェイクに、アルギスは眉間の皺を深めた。



「……お前、急に馴れ馴れしくなってないか?」


 

「そうでもないだろ。それよりも、早く作ろうぜ」



 期待に胸を膨らませたジェイクは、気にした様子もなくアルギスの肩に手を掛ける。


 既に厨房を見据えているジェイクに、アルギスは処置無しとばかりに肩を落とした。



「まあいい、好きにしろ。……ニアは座って待っていていい」



「あ、はい……」 



 アルギスが声を掛けると、ニアは躊躇いつつも、ゆっくりとソファーへ腰を下ろす。


 なおも落ち着かない様子でリビングを見回すニアを尻目に、2人は連れ立って厨房へと向かっていった。


 

(まずは肉をミンチにするところからか……)



 調理台に置かれた紙袋を覗き込んだアルギスは、用意したバットの上に取り出した肉を無造作に重ねていく。


 積み上げられた肉の量に、ジェイクはキラキラと目を輝かせた。


 

「その肉をどうするんだ?」



「黙って見てろ。――来い、”砕顎”」



 アルギスが呪文を唱えると、左腕に黒い霧が纏わりつく。


 徐々に姿を現す悪魔のような籠手に、ジェイクは頬を引きつらせながら身を引いた。



「いぃ!お前、何してんだ!」



「黙って見てろと言っただろうが、まったく」



 騒ぐジェイクを抑えつつ、アルギスは黒い霧の揺らめく左手を肉に翳す。


 ややあって、アルギスが左手を閉じると、重ねて積まれていた肉が強烈な力で握りつぶされるように変形した。



「お前、魔術でなんてことを……」



「安心しろ。スキルのおかげで、籠手が肉に触れる必要はない。よって非常に衛生的だ」



 茫然とするジェイクをよそに、アルギスは続けて砕顎のスキルを使用する。


 すると、肉はギチギチと空間が軋むような音を立てながらミンチへ変わっていった。

 


「どういう仕組みなんだ、これ?」


 

「さあな、私も全てを理解できているわけではない。……ああ、ただ巻き込まれたら四肢がちぎれ飛ぶから、もう少し離れた方がいいぞ」



 じろじろと肉の様子を観察していたジェイクに、アルギスは思い出したように忠告を付け加える。


 肉に触れんばかりに近づいていたジェイクは、飛び上がって調理の光景が見えるギリギリまで距離を取った。



「そういうことは先に言え!」



「……さて、こんなものだろう」


 

 顔を真っ赤にして怒るジェイクをよそに、アルギスは刻んだ野菜などを混ぜて、肉ダネを作っていく。


 そして3つに分けてフライパンへ移すと、中央に魔石のはめ込まれた竈の上に置いた。



(それにしても、竈まで異世界仕様か。こんな小さな魔石がエネルギー源とは……)



 竈の技術に驚きつつもアルギスが魔力を込めたフライパンからは、焼ける音とともに煙が上げ始める。


 おいしそうな匂いが厨房に漂う中、アルギスは肉の中まで火が通るように弱火でじっくりと焼き上げていった。



(よし!意外と作れるじゃないか)



「……美味そうだな」



 予想以上の出来にアルギスが笑みを浮かべていると、いつのまにか近づいていたジェイクが声を上げる。


 アルギスの背後から覗き込むジェイクの目は、じゅうじゅうと音をたてるハンバーグに固定されていた。



「待て、落ち着け」



 ハンバーグをフライパンから皿に移したアルギスは、涎が垂れそうな勢いで睨みつけるジェイクを押しとどめる。


 そして、あらかじめ用意していたパンを横半分に切り、具材を全て挟み込んでケチャップのような調味料を塗ると、アルギス特製のハンバーガーが完成したのだった。



(玉ねぎとトマトが見つからなかったときは焦ったが、まさか名称が違うとはな。レタスはレタスなのに……)



 この世界の野菜の名称に顔を顰めつつも、アルギスは出来上がったハンバーガーを皿に乗せる。


 待ちきれないといった様子のジェイクに皿を1つ渡すと、ニアの待つリビングへ持っていった。



「できたぞ、食え」



「おお!」



「いただきます!」



 目の前に置かれたハンバーガーへ一口かぶりつくと、ジェイクとニアは手を止めて押し黙る。


 しばしの沈黙の後、ジェイクはガツガツと、ニアは目を瞑って幸せそうに食べ始めた。



「これ、美味いな!」



「美味しい……」 



(……また作っても、いいかもしれないな)



 幸せそうな2人の様子につられ、アルギスもまた、久しぶりのハンバーガーにかぶりつく。


 誰も言葉を発しなくなったリビングで、3人は黙々と食事を楽しむのだった。

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