14話

 入学式から数日が経った初めての休日。


 既に汚れつつある寝室のベットに寝転がったレイチェルは、憂いに沈んだ表情で足をばたつかせていた。



「はぁ……」



 ごろりと寝ころびながら学院に来る前、父であるオリヴァーと喧嘩をした時のことを思い出す。

 


 ――――アイワズ魔術学院の合格通知を受け取り、入学を待つばかりとなったある日のこと。


 鼻歌交じりに学院へと持ち込む荷物を選んでいたレイチェルの耳に、扉をノックする音が聞こえてきた。



「入っていいわよ」



「失礼いたします」



 レイチェルが許可を出すと、落ち着き払った声と共に扉の開く音が聞こえる。


 荷物を選ぶ手を止めて後ろを振り返ったレイチェルは、真剣な眼差しで見つめるアンダーソンの姿に首を傾げた。



「どうしたの?」



「旦那様がお呼びでございます」



「お父様が?何かしら……」 


 

 綺麗に腰を折って話すアンダーソンの言葉に、レイチェルは顎に指を当てて考え込む。


 唐突な呼び出しを不思議に思いながらも、すぐに荷造りを切り上げると、オリヴァーの待つ部屋へと向かっていった。


 

「お父様、レイチェルでございます」


 

「……入りなさい」


 

 扉をノックすると、いつもと異なり、低い声が扉の奥から聞こえてる。 


 すぐに雰囲気の違いを察したレイチェルが恐る恐る扉を開けると、机に肘をついて頭を抱える父の姿が目に飛び込んだ。



「お呼びとのことですが、いかがなさいましたか……?」



「……お前の婚約者が決まるかもしれない」



「っ!なぜ、急に……?」



 顔を上げ、低い声で理由を告げるオリヴァーの言葉に、レイチェルは声を震わせながら近づいていく。


 慌てた様子のレイチェルから目を逸らしたオリヴァーは、ゆっくりと背もたれに寄りかかった。



「どうやら先方が興味を持ち、独自に調べた様だ……」



「そ、それで、どのようなお方なのですか?」



 深刻な様子のオリヴァーにレイチェルは嫌な予感を感じながら詰め寄る。


 するとオリヴァーの表情は、より一層険しいものになった。



「それが、ソーンダイク伯爵家なんだ……」



「……あの家に私と歳の近いご子息は、いらっしゃらなかったと記憶しておりますが?」



 家名を聞いたレイチェルは、頬を引きつらせながらも、努めて冷静に質問を返す。


 レイチェルの問いかけに、オリヴァーは奥歯を噛みしめ、これでもかと顔を歪めた。


 

「相手は、ヴィクターだ……」



「な!?な、なぜですか?どうして……?」


 

 オリヴァーの口から出た名前に、レイチェルは呼吸を荒くして床にへたり込む。


 というのも、ヴィクターには、慈善活動を隠れ蓑に盗賊や奴隷商人と繋がり、人身売買をしている裏の顔があるのだ。


 

 ゆっくりと首を振ったオリヴァーは、うなだれながらレイチェルの手を取った。



「……俺としても想定外なんだ、レイチェル」



「なにが、あったのですか?お父様」


 

 見たことのない父の姿に、レイチェルは表情を窺うように足元から見上げる。


 片手で顔を覆うと、オリヴァーは諦めたように机から手紙を取り出した。



「先日、これが届いた……」



「これは?」



 手紙を渡されたレイチェルは、躊躇いながらも、目線を落とす。


 艶のある豪奢な手紙には、王都における同盟とレイチェルとの婚約の申し出がヴィクターの署名と共に記されていた。



「それで、どうやって断るのですか?」



「……すまない、レイチェル。今回ばかりは、お前のお願いを聞いてやれないかもしれん」



 レイチェルの問いかけに、オリヴァーは歯切れ悪く答えながら、突き返された手紙を受け取る。


 断ってくれるだろうと高をくくっていたレイチェルは、目を見開いて固まった。



「嘘、よね?お父様?」



「事実だ。……このままであれば、近いうちに婚約が成立する」



 不快げに顔を歪めつつも、オリヴァーはきっぱりとレイチェルの言葉を否定する。


 取り付く島もないオリヴァーの態度に、レイチェルは焦りから顔を赤くして立ち上がった。



「なぜ、私があんな偽善者の豚と結婚しなければならないの!?」



「いずれお前にも話すことになると思っていたが、これほど早いとはな……」


 

 疲れたように話し始めるオリヴァーによれば、現在、王都における貴族派の勢力は弱まりつつある。


 派閥争いの均衡が、いよいよ崩れかねない所まで来ているというのだ。



「一体、なぜ急にそんなことに……」



「……何もかも、悪いことは全てソウェイルド・エンドワースが原因だ!」



 現状の原因を思い出したオリヴァーは、苛立ち交じりに机へ手のひらをたたきつける。



 何でもレイチェルが生まれた数年後まで貴族派は王都で権勢を維持していたという。


 当時の戦争による功績で、最高位魔導師の称号と魔術省の大臣の地位を得たソウェイルドが王都に常駐していたことを背景に、貴族派の貴族は王宮で利益を得ていた。



 そして、野望を同じくしたソウェイルドとオリヴァーの2人は、共に王都の権力闘争に勝利することを誓っていたのだ。



「だが、お前が生まれて少しした頃だった。……俺は王宮に出仕しなくなったソウェイルドへ手紙を出したんだ」



 ギリリと奥歯を噛んだオリヴァーは、怒りと共に当時の状況を語り出す。


 当時の情勢とソウェイルドから返事が届いたことについて説明を終えると、大きく息を吸い込み、一度話を切った。



「そこになんと書かれていたか、分かるか?”やることができたため公都へと戻る、王都の政治闘争については好きにして構わない”だと……ふざけるな!」



「…………!」 



 再び机を叩いて怒り狂うオリヴァーの剣幕に、レイチェルは思わず息をのむ。


 すると、レイチェルの怯えに気が付いたのか、オリヴァーは少しだけ冷静になって拳の力を抜いた。



「……ソウェイルドが王都にいなくなったことを知った貴族派貴族たちは、報復を恐れ、次々と王都を抜け出していった」 

 


 蜘蛛の子を散らすように貴族派貴族たちが逃げ出した当時の王都は、一夜にして派閥の権力図が入れ替わる程だったという。


 しかし、王宮での役職を持つ者や、騎士の身分にある者たちは、王都を離れることができない。


 そういった貴族派貴族たちを報復から守るため、オリヴァーは王宮で1人奮闘していたのだ。



「そんなことが……」



「だから、ずっと言っていたんだ。エンドワース家など期待するだけ無駄だとな」

 


 言葉を失うレイチェルに対し、オリヴァーは吐き捨てるようにエンドワース家を腐す。


 嫌悪の籠った声に不穏な雰囲気が流れる中、レイチェルは零れそうになる涙を抑えながらオリヴァーの顔を覗き込んだ。



「それにしても、なぜソーンダイク家なの……」



「……あの家はどういった形であれ、金と力がある」

 


 レイチェルの目線から逃げるように顔を反らすと、オリヴァーは呟くように言葉を返す。

 


 裏稼業の関係上、商人や他種族の支配者階級に知り合いが多いヴィクターは、高位貴族であってもそう刺激しない。


 ソーンダイク家との婚姻が派閥闘争にとって非常に有効なことは確かだった。



「ねえ、どうにかならないの……?」



「現状、どうにもできない。納得しろとは言わないが理解しろ」



「……嫌よ、絶対にいや!パパなんか嫌い!」



 目の端に涙を溜めたレイチェルは、駄々をこねるような言葉と共に、オリヴァーの部屋を飛び出ていく。


 しかし、自室へと戻ろうとする道中、ついに涙をこらえきれず、廊下でしゃがみ込んでしまった。



「どうして……」



 突然降ってわいた現状を受け入れることは、到底出来ない。


 余りにも残酷な未来から逃げるように、レイチェルの気持ちはアイワズ魔術学院へと向かっていた。



「――はあ、嫌なこと思い出しちゃった」



 ハッと我に返り、ベットから起き上がったレイチェルは、目の端に溜めた涙を拭いながら寝室を出ていく。


 そして、隣り合う衣裳部屋へ向かうと、乱雑に置かれた宝石や貴金属のアクセサリーの中から無骨な短剣を取り上げた。


 

「……私は私の人生を生きてみせる。そのためには、力が必要なの」



 愛しいものに触るように撫でていた短剣を元の位置に戻すレイチェルの瞳には、野心の光が輝く。


 そのまま乱雑にパジャマを脱ぎ散らかして制服に着替えると、レイチェルは決心を新たに、駆け足で寮を後にした。



(とりあえず、剣術の講義に参加できるか確認しないと……)


 

 あれこれ頭を悩ませながらレイチェルが玄関へと足を踏み入れると、いつもと異なり、校舎に人の気配はない。


 静寂に包まれる玄関を抜けたレイチェルは、階段を上がり、ブランドンの教員室へと向かっていった。



「ここ、よね」

 


 階段を上がり切ったレイチェルの目線の先には、古びた絨毯で覆われた廊下と、各教員に割り振られた部屋の扉が並んでいる。


 ややあって、立ち並ぶ教員室からブランドンの部屋の扉を叩くと、中から入室を許可する声が上がった。



「どうぞ」 



「失礼するわ。少々尋ねたいことがあるのだけど……」



「おお、ハートレスか。お前が来るとは思わなかったが……どうした?」


 

 突然やってきたレイチェルに驚きつつも、ブランドンはペンを持っていた手を止めて顔を上げる。


 すると、レイチェルはどこか不安げに口を開いた。


 

「私はウィザードなのだけど、剣術の講義を選択することに問題はないかと思って聞きに来たのよ」 

 


「それなら選択する上で制限は特にないぞ。ただし、講義を増やせば、試験の数も増えるから注意しろ」



 ドキドキしながら回答を待つレイチェルに、ブランドンはことも無さげに返事を返す。


 期待していた返事を聞くことが出来たレイチェルは、表情を緩めながらホッと息をついた。

 


「ありがとう。これで悩みが1つ解消したわ」



「はは、それは良かったな。また、なにかわからないことがあったら来い」


 

 レイチェルが安堵の笑みを浮かべると、ブランドンもまた、朗らかな笑みを見せる。


 2人を穏やかな空気が包む中、頭を下げたレイチェルは、書類仕事へと戻るブランドンを背に部屋を後にした。


 

「……お祝いに、王都のレストランにでも行こうかしら」


 

 レイチェルが廊下へ出ると、既に日は高く昇り、穏やかな光が窓から差し込んでいる。


 優雅な微笑みを湛えたレイチェルは、来た時とは異なる軽い足取りで、廊下を歩き出した。


 



 レイチェルが正面玄関へと足を進めていた頃。


 アルギスもまた、入れ違うようにブランドンの部屋へとやって来ていた。



「失礼する」



「おお、エンドワース。お前まで来るとは思わなかったが、どうしたんだ?」



 室内を見回しながら近づいてくるアルギスに、レイチェルを見送ったばかりのブランドンは目を丸くする。


 ブランドンの意味深な言葉に片眉を上げつつも、アルギスは早速とばかりに話し始めた。



「少しばかり聞きたいことがあってな。私はネクロマンサーだが、剣術の講義を選択することに問題はないか?」



「……ああ、問題はない。ただ試験の数が増えれば、成績の維持が難しくなるから気をつけろよ」


 

 真面目くさった表情で話すアルギスに対し、ブランドンは呆れ交じりにポリポリと頭を搔く。


 ブランドンの回答に満足げな笑みを浮かべたアルギスは、用事は済んだとばかりに扉へ足を向けた。


 

「そうか。では用事はそれだけだ」



「……今年のSクラスは、こんな奴ばかりか?」


 

 軽く礼をして扉に手を掛けるアルギスに、ブランドンは小さな声で呟く。


 一方、ブランドンの部屋を出たアルギスは、足早に廊下を歩き出した。


 

(ふむ……。そういえば、失くしたままだったな)



 階段をリズムよく降りていく中、ふとアルギスが目線を落とした腰元には、剣帯すらない。


 奇妙な喪失感に、アルギスは無意識に階段を降りる速度を上げた。


 

「王都の鍛冶屋にでも行ってみるか……ん?」



 午後の予定を考えながらアルギスが校舎の廊下を歩いていると、前を歩くレイチェルの姿が目に入る。


 目をぱちくりさせたアルギスは、ガランとした廊下を駆け、レイチェルの後を追いかけた。



「休日に登校とは、珍しいな」



「きゃ!」 


 

 急に後ろから話しかけられたレイチェルは、びくりと肩を揺らして振り返る。


 しかし、すぐにアルギスだと気づくと、パァと表情を明るくした。



「あら、アルギス様。まさか、お会いするとは思なかったわ」



「ああ、私も会うとは思っていなかったな。それにしても何をしていたんだ?」



 なにやら嬉しそうな様子のレイチェルに、アルギスは不思議そうな顔で首を傾げる。


 アルギスの視線に気が付いたレイチェルは、頬を赤らめながら目を伏せた。

 


「実はお恥ずかしい話なのだけれど、剣術の講義を選択できるか確認をしに来ていたの」



「くく、なるほどな」



 レイチェルが校舎へとやってきた理由に、アルギスは思わず笑みを零す。


 一層顔を赤くしたレイチェルは、表情を隠すように歩く速度を上げた。



「笑わなくてもいいじゃない」 


 

「勘違いするな、お前を笑ったんじゃない。……私も同じ理由で来たからな」



 苦笑いを浮かべたアルギスは、躊躇いつつも教員室へとやってきたことを話す。


 すると、レイチェルは一転して上機嫌になり、アルギスの横に並んだ。



「じゃあ剣術の講義でも、お会いできるわね」



「お前も参加するのか?」



「ええ、もちろん。これでもそれなりなのよ?」



 2人は他愛の無い話をしながら、人のいない休日の校舎を進んでいく。


 やがて正面玄関に着く頃、レイチェルはアルギスの表情を窺うように顔を覗き込んだ。



「ねえ、今日の昼食、一緒にいかが?」



「ん?……いや今日はこの後、予定がある」



 レイチェルの提案に、アルギスは再度腰元に目線を落とし、首を横に振る。


 断られたことで少し落ち込みつつも、レイチェルは誤魔化すように質問を続けた。



「そう……ちなみに何をする予定なの?」



「ああ、実はいろいろあって持ってきた剣を失ってな。鍛冶屋に行く必要がある」



 肩を竦めたアルギスは、何も持っていないことをアピールするように両手を開く。


 一方、アルギスの予定を知ると、レイチェルは満面の笑みで両手をパンと合わせた。

 


「まあ、ちょうどいいわ!私も王都に行くから、昼食の後一緒に行きましょう」



「……あまり時間がかかる所には行かないぞ」


 

 好都合とばかりに店を考え始めるレイチェルに対し、アルギスは疲れたようにため息をつく。


 対照的な表情で玄関口を出た2人は、揃って軽い足取りで正門へと向かっていくのだった。

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