13話
翌日、辺りは薄暗く、まだ日も登りきらない早朝。
いつもより早く目を覚ましたアルギスは、剣を片手に、敷地の端に位置する修練場へと足を運んでいた。
「学院の修練場は屋内なのか……」
アルギスが鉄の取っ手が付けられた木製の扉を開けると、鉱石のような灯りに照らされたエントランスが姿を現す。
再び無骨な扉を開けた先には、巨大な鉄のランタンが四角く敷き詰められた灰色の石材を照らす、試合場のような空間が広がっていた。
(ん?あれは試験監督をしていたヤツだな)
ぐるりと修練場を見回したアルギスは、隅に1人で剣を振るイリスの姿を見つける。
思わぬ先客にアルギスが入り口で立ち止まっていると、剣を降ろしたイリスが後ろを振りむいた。
「君は新入生だろう?随分と早起きなんだな」
「ああ、今日は少し早く目が覚めてな。使用に許可が必要だったか?」
快活な笑みと共に近づいてくるイリスに、アルギスは肩を竦めながら言葉を返す。
汗で濡れた髪を耳に掛けたイリスは、アルギスの問いかけにキョトンとした顔で首を振った。
「いいや、不要だ。どうせ、この時間は私だけだしな」
「そうか」
会話が途切れると、2人は左右に分かれ、黙って素振りを始める。
やがて、窓から朝日が差し込み出す頃、イリスは隣で剣を振るアルギスに顔を向けた。
「もし良ければ、少し模擬戦をしないか?」
「……なに?」
唐突な提案に眉を上げたアルギスは、剣を振る手を止め、イリスへと向き直る。
アルギスが胡乱げな目つきで見つめると、イリスは目線を彷徨わせて、しどろもどろに話しだした。
「せっかく2人いるから、どうかと思ったんだが……」
「ふむ……いいぞ」
しばしの思案の後、軽く頷いたアルギスは、降ろしていた剣を鞘へと仕舞う。
色よいアルギスの回答に、イリスはパァっと表情を明るくした。
「ほ、本当か!?」
「……ああ、ルールはどうするんだ?」
勢い込むイリスに若干引きつつも、アルギスは腕を組んで先を促す。
すると、目を輝かせたイリスは、1本ずつ指を折りながらルールを確認し始めた。
「使用する魔術は無属性のみ、致命傷になる攻撃は禁止。それに剣は当たる寸前で止めるルールだ、どうだろうか?」
「それでかまわん」
折り目正しいイリスに、アルギスは組んでいた腕を降ろしてニコリと微笑む。
ややあって、自己紹介すらしていないことに気が付くと、イリスは頬を赤らめながら手を差し出した。
「遅くなったが、私はイリス。イリス・エヴァンスだ」
「ああ、アルギス・エンドワースだ。……ん?おい、”ルシア”という女を知っているか?」
イリスの手を握り返したアルギスは、聞き覚えのある家名に、思わず目を細める。
アルギスの口から飛び出した名前に、イリスは頬を引きつらせながらサッと顔を青くした。
「あ、姉上の事を知っているのか?」
「やはり姉妹か。奴も私に模擬戦を申し込んできたからな」
挨拶ついでとばかりに、アルギスはルシアが公都にやって来た時のことを話し始める。
肩を震わせながら話を聞いていたイリスは、アルギスが話し終えると同時に勢いよく頭を下げた。
「すまない!姉上は優秀だが、それ故に少々自由なんだ……」
「少々という程度ではなかったが……まあ、過ぎたことだ」
あっけらかんと表情を緩めると、アルギスは落ち込んだ様子のイリスから修練場へと目線を移す。
しかし、じっと黙り込んでいたイリスは、沈痛な面持ちで再び頭を下げた。
「本当に申し訳ない……」
「おい、どこに行くんだ。模擬戦はどうなった?」
立ち去ろうと肩を落として振り返るイリスを、アルギスは不思議そうな顔で呼び止める。
すると、イリスは目を白黒させながら、アルギスに顔を向けた。
「え?でも君に、これ以上迷惑をかけるのは……」
「いつ私が迷惑だと言った?いいから、さっさと行くぞ」
不満げに顔を顰めたアルギスは、困惑するイリスの手を引いて、引っ張るように歩き出す。
そして修練場の中心までやってくると、イリスから距離をとり、静かに剣を抜いた。
「さあ、構えろ」
「……なあ、君にとって、私との模擬戦は迷惑じゃないのか?」
剣を向けるアルギスに、イリスは下を向いて唇を尖らせ、小さく呟くように問いかける。
大きなため息をついたアルギスは、剣を降ろし、目頭を押さえながら口を開いた。
「ルールのきちんと決まった模擬戦と、剣一本渡されて切りかかられる事が同じなわけないだろうが」
「そうか、それは、何というか嬉しいな」
俯いていた顔を上げると、イリスはこわばっていた頬を綻ばせる。
ようやく笑顔を見せるイリスに、アルギスもまた、邪気の無い笑みを浮かべた。
「少なくとも奴とお前ならば、お前の方が好意的な人物であることはわかる。……始めるぞ」
「……ああ、わかった。やろう」
表情を引き締めたイリスは、気持ちを切り替えるように、鞘から剣を引き抜く。
そのままイリスが剣を構えると、アルギスは柄を固く握りしめて切りかかった。
「ふん!」
「ほう……」
アルギスが振り下ろした一撃は、イリスの剣によってことも無さげに受け止められる。
そのまま押し返されたアルギスは、追撃するイリスの剣を弾きながら、逃げるように後ろへ飛びのいた。
(チッ!やはり俺の膂力では、こんなものか)
「強いんだな、君は」
再びアルギスが距離をとると、イリスは剣を構え直しながら、楽し気に笑う。
一方、イリスを睨んだアルギスは、奥歯を噛みしめ、悔し気に顔を歪めた。
「嫌味か?」
「まさか、本心だよ。……今度はこちらから行くぞ?」
「っ!来い……」
剣を構えて向き合った2人は、陽炎のように揺らめく透明な魔力に身を包む。
息苦しいほどの静寂の中、突如、アルギスの前からイリスの姿が掻き消えた。
「フッ!」
「!?」
いつの間にか目前に迫っていたイリスの斬撃に、アルギスは無理やり剣を割り込ませる。
しかし、甲高い音をたてたかと思うと、イリスの剣はそのままアルギスの首元に迫った。
(くそ、いくら防いでもきりがない……)
連撃に晒されながらも、アルギスはどうにか腰を屈めて反撃を試みる。
目の回るような攻防が繰り返された後、戦いが膠着状態に陥るかに思えた時、イリスの持つ剣が、魔力の光で淡く輝きだした。
「ハッ!」
「くっ!……間に合わんか」
アルギスも即座に魔力を込めようとするが、僅かに輝いた剣には、イリスの剣が半ばまで食い込む。
武器を失ったアルギスが手を振ったことで、模擬戦はあっさりと終わりを迎えるのだった。
(これは、かなり善戦したほうだな)
口元を吊り上げたアルギスは、壊れた剣をどうにか鞘へと納める。
すると、目の前のイリスが、アルギスの手元をじっと見つめながら声を上げた。
「済まない……。君の剣を壊してしまった……」
「ん?ああ、気にするな」
茫然と肩を落とすイリスに、アルギスは未だホクホク顔で言葉を返す。
しかし、剣を仕舞ったイリスは、声を震わせながら頭を下げた。
「本当に済まない……」
「ルールは守っていたんだ。謝る必要はない」
何度目になるかわからないイリスの謝罪に呆れつつも、アルギスは肩へ手を置いて顔を上げさせる。
2人の間に流れた気まずい雰囲気を断ち切るように、修練場には朝の始まりを報せる鐘が鳴り響いた。
「……もう時間だな。模擬戦、楽しかったぞ」
「ああ、こちらこそ、申し訳なかった」
「気にするなと言っているだろ……」
出口に足を向けたアルギスは、なおも頭を下げるイリスを尻目に修練場を後にする。
そして、日の昇った空を見上げると、清々しい気持ちで寮へと戻っていった。
(なんだか、今日はいいことが起きるかもしれないな)
珍しく笑顔を浮かべたアルギスが玄関口の扉を開けると、寮内はなにやら騒然としている。
ホールを抜けた先の共同リビングでは、貴族の少年と獣人の少年が言い合いをしていた。
「そもそも、貴様のような獣風情がSクラスなど何かの間違いだろうが!」
「なんだと!?実力も足りてない癖に文句つけるな!」
(……つくづく、良い予感は当たらないな)
今までの清々しい気持ちがすっかり消えたアルギスは、罵り合う2人の声にげんなりする。
以降も2人の言い合いは続き、ついには取っ組み合いの喧嘩になっていった。
「言うに事欠いて……許さんぞ!」
「なんだ!?やるのか!?」
「おい!やめないか!」
騒ぎが大きくなると、寮長のグレイや上級生が駆け寄り、間に入って2人を引き離している。
しばらくボーっと様子を眺めていたアルギスは、見覚えのある獣人の少年に思わず声を上げた。
「名前は確か……ジェイク、だったな」
「……お前も、俺が獣人なことに文句があるのか?」
犬のような耳をひくつかせると、ジェイクは苛立ちをぶつけるようにアルギスを睨みつける。
予期していなかったアルギスの登場に、立ち去ろうとしていた生徒たちの間には、どよめきが広がった。
(なぜ、こんなことに……)
クラスメイトの名前を呼んだだけのアルギスは、運の悪さを嘆きながら、目頭を押えさる。
生徒たちの視線が集中する中、小さく息をつくと、肩を竦めながら不快げに周囲を睥睨した。
「いいや?全くないな。私はむしろ、今この場の空気の方が不愉快だ。散れ」
アルギスが睨みつけると、生徒たちは一斉に視線を逸らし、共同リビングを立ち去っていく。
瞬く間に人のいなくなった共同リビングは、これまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
(はあ……部屋に帰って風呂にでも入ろう)
1人共同リビングに残ったアルギスは、がっくりと肩を落としながら部屋へ戻っていく。
しかし、トボトボとホールの奥へと向かうアルギスの背中を、玄関口で振り返ったジェイクだけがじっと見つめていた。
◇
日はすっかり昇り、2度目の鐘が鳴り止む頃。
朝食を終えたアルギスが教室に入ると、不機嫌そうに頬杖をついているジェイクの姿が目に入った。
(やはり、ゲームに囚われているな……)
一顧だにしていなかったジェイクの存在に、アルギスは自分の迂闊さを呪う。
顔を顰めながら後列の席へ向かうと、隣の席にはすっかりお馴染みになったレイチェルが腰かけていた。
「ごきげんよう、アルギス様。良い朝ね」
「……ああ、お前も元気そうだな」
「ええ、とても」
ため息交じりに挨拶を返すアルギスに、レイチェルは目を細くして微笑む。
アルギスが椅子に腰を下ろすと、しばらくして教室の扉が開いた。
「おはよう。全員、揃っているな」
後ろ手に扉を閉めたブランドンは、教室を見回しながら教壇へと向かっていく。
そして、教卓の前に立つと、バインダーを開き、数枚の書類を取り出した。
「今日は講義の選択について説明する……前に、アリア・ソラリア」
「はい」
ブランドンに名前を呼ばれたアリアは、落ち着いた声と共に柔らかい物腰で席を立つ。
そのまま教壇へと向かう姿には、丁寧に手入れのされた青藍色の髪とブレザーを押し上げる歳不相応な膨らみが際立っていた。
(……イラストのままだな)
『救世主の軌跡』そのままのアリアの見た目に、アルギスは思わず身を乗りだす。
Sクラスの面々が見つめる中、アリアは小さくお辞儀をした後、艶然と微笑んだ。
「アリア・ソラリアと申します。職業はアルケミスト……王女という身分ではありますが、仲良くしていただけると幸いです」
「これで、自己紹介は全員済んだな。では講義の選択について説明する、一度しか説明しないので、しっかり聞いておけ」
(あの姿だ。あいつらのせいで、どうしてもゲームに引っ張られてしまうな)
アリアの背中をじっと見つめていたアルギスは、意識を切り替えるように背もたれに寄りかかる。
そのまま足を組んで説明を聞き始めるアルギスに、レイチェルは探るような目線を向けた。
「王家に近づくの……?」
「何の話だ。ちゃんと説明を聞いていろ」
突然顔を寄せるレイチェルにギョッとしつつも、アルギスは教壇で説明を続けるブランドンを顎で指し示した。
以降、全員が説明を聞き入る中、突き上げられたレベッカの手に、ブランドンは一度話を止めた。
「どうした、ファルクネス?」
「戦闘講義について、教えてください!」
挙げていた手を降ろすと、レベッカは鼻息荒く身を乗り出す。
興奮を抑えきれない様子のレベッカに、ブランドンは呆れ顔で首を振った。
「それを今から説明するところだ、全く。……それでは、戦闘講義についてだが、これは原則強制参加になる」
(ふむ、3クラス合同の演習か。しかし、治癒師まで強制参加とは……)
戦闘講義の内容に驚きつつも、アルギスは黙って耳を傾ける。
やがて説明が終盤に差し掛かった頃、ブランドンはいくつかの書類を纏めると、開いていたバインダーへ挟み込んだ。
「今週中は選択できる全ての講義が、講義内容の説明をする体験講義として開かれる。悩んでいるものがあれば参加してみろ」
(剣術の講義も取りたいが……時間は足りるか?)
教室を去っていくブランドンをよそに、アルギスはどの講義を選択すべきか頭を悩ませる。
しばしの沈黙の後、誰一人席を立たない教室に、甲高いベルの音が授業時間の終了を告げるのだった。
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