10話
アルギスが案内に従い、次の会場へと足を踏み入れてしばらく時間が過ぎた頃。
燦燦と輝く太陽は既に頂点を超え、わずかに西へと傾き始めていた。
(これが最終試験のはずだが……)
空を見上げていたアルギスは、目線を落とし、無人の客席に囲まれたコロシアムのような会場を見回す。
待たされ初めて早1時間近く。
未だに試験官の1人も現れない会場では、痺れを切らした200人近い受験生たちが、ガヤガヤと騒めいている。
しかし、アルギスを含む一部の受験生たちは、コロシアムの壁に寄りかかり、じっと試験の開始を待っていた。
(……ん?誰かに見られている?)
視線を感じたアルギスが相手を探そうとした時、黒いローブをフードまで被った男が、どこからか影のようにゆらりと現れる。
小柄ながらも奇妙な存在感を感じさせる男は、すっぽりと被ったフードの奥から、気難しそうな顔を覗かせていた。
「さて、ここにいる者は皆、術師志望で相違ないな?」
男が声を上げると同時、支柱のついた円形の金属板を持った試験官たちが、四方の扉からぞろぞろと会場へ入ってくる。
動揺する受験生たちをよそに、数人の試験官は、コロシアムの中心から等間隔に持っていた金属板の1つを地面に突き刺した。
「では、始めよう。――我が影よ、夢現を隔て、夜の底より励起せよ。陰伏影陣」
試験官たちが合図を出すと、男は慣れた様子で呪文を唱え、術式を行使する。
すると、これまでむき出しの土しかなかった地面から、会場を区切るような壁が、音もなく伸び始めた。
「言い忘れていたが、私の名前はケヴィンだ。……まあ、覚える意味があるかは、人によるがね」
受験生たちに向き直ったケヴィンは、皮肉気な笑みを浮かべながら、足元に出現した影の中へ沈み込んでいく。
やがて、ケヴィンが会場から姿を消すと、いつの間にか近づいていた試験官たちが、茫然とする受験生たちを観察していた。
「少々驚かせてしまったようだが気にしなくていい。それよりも、これからの最終試験について説明を始める」
(……やっとか。示威行動だとしても、派手なことだ)
コロシアムを四等分する仕切りを横目に、アルギスはじっと試験官の説明に耳を傾ける。
試験官によれば、最終試験は区切られた空間で金属板へ向けて術式を行使する、魔術の実技だった。
さらに、選択できる系統の異なる4つの区画の中から、1つを選択することで会場が決定されるというのだ。
「大まかな説明は以上だ。あとは各区画の試験官に従ってくれ」
説明を終えた試験官は、ピタリと口を閉じて、後ろへ身を引く。
すると、これまで後ろに立っていた試験官たちが、入れ替わるように声を上げた。
「攻撃系統の受験希望者はこっちだ!」
「補助系統はこちらへ」
(大半が攻撃系統に流れたか。使役系統は……アイツだな)
きょろきょろと辺りを見回していたアルギスは、試験官たちの中から使役系統の試験官を見つけ、近づいていく。
めっきり人のいなくなった会場で、痩せぎすの試験官は、持っていた長杖を弄びながら集まった受験生の数に目を輝かせた。
「へぇ、こんなにいるんだ。今年は豊作だねぇ」
(せいぜい20人程度だが、これで豊作なのか?)
周囲の人数を数えたアルギスは、試験官の言葉に首を傾げる。
しかし、アルギスの疑問が解消される前に、試験官は杖をついて担当する区画へと歩き出した。
「さあさあ、急ごう。ただでなくとも、僕らはきっと時間がかかるからねぇ」
(……どうやら、選択を誤ったようだ)
不吉な前置きに目頭を押さつつも、アルギスは黙って先導する試験官を追いかけていく。
やがて、やっとの思いで区画の中へ辿り着くと、試験官はフラフラと受験生たちへ向き直った。
「初めまして、僕はネイト。それじゃあ使役系統の試験について、説明を始めようか。っと、その前に」
青い顔をしたネイトが杖の先でつつくと、地面はたちまちモコモコとせり上がり、仕切りを背に巨大な人型が姿を現す。
凹凸の無い顔の中心に紅い光を灯した人型は、地面を揺らしながら膝を折ると、今にも倒れそうなネイトをすくい上げた。
「悪いねぇ。普段、あまり外に出ないものだから」
(ゴーレム操術か。実物を見るのは初めてだな)
ゴリゴリと音をたてて動くゴーレムを、アルギスは眩し気に目を細めながら見上げる。
一方、すっかり呼吸を整えたネイトは、あっけに取られる受験生たちを見下ろしながら、巨大な手のひらの上で説明を始めた。
「さて、改めて試験内容を説明するんだけど……まあ、僕のゴーレムと戦ってもらおうかねぇ」
(なに?じゃあ、あの金属板は一体……?)
ネイトの説明にピクリと眉を上げたアルギスは、用途不明の金属板を視界に捉える。
すると、アルギスが目線を外したゴーレムは、ゆっくりと金属板をつまんで支柱を引っこ抜いた。
「学院のご厚意はありがたいけど、使役系統はこれじゃあ測れないからねぇ」
青白い顔に穏やかな笑みを湛えたネイトは、ゴーレムにそのまま金属板を避けさせる。
そして、受験生全員の顔を見渡すと、呪文を唱えながら、その内の1人に杖を向けた。
「――土霊創成。じゃあ君から行こうかねぇ、受験番号をどうぞ」
「は、はい……!427番です!」
どもりつつも声を張り上げた少年は、目の前にせり上がった、やや小ぶりなゴーレムにゴクリと唾を飲みこむ。
緊張した面持ちで指示を待つ少年に、ネイトは満足げな様子で頷きながら、巨大なゴーレムを動かした。
「申し訳ないけど、他の子達はもう少し後ろで待っていてもらおうかねぇ」
(……この手より後ろで待てということか)
ゴーレムを手足のように扱うネイトに呆れつつも、アルギスは他の受験生たちと共に、地面へと下ろされた巨大な片手の後ろに下がる。
全ての受験生がゴーレムよりも後ろへ下がったことを確認すると、ネイトは杖を小脇に抱え、パンと手を打った。
「後は君が術式を行使すれば試験が始まるからねぇ。健闘を祈るよ」
「――我が土の力を以て、心なき有形に生命を賜えん。土霊創成」
1人区画の中心に残った少年は、目の前のゴーレムを見据えながら、慎重に呪文を唱える。
すると、ネイトのゴーレムよりも幾分簡素な、のっぺりとしたゴーレムが、ぎこちない動きで立ち上がった。
(同じ術式なのに術者が違うだけで、ここまで差が出るとはな)
ネイトと少年のゴーレムを見比べたアルギスは、両者の違いに目を細める。
その場の全員が見守る中、2体のゴーレムは、凄まじい音をたてて殴り合い始めた。
(……なるほど。時間がかかるというのは、こういう意味か)
砕けては修復を繰り返す2体のゴーレムに、アルギスは苦々しい表情を浮かべる。
数えるのも嫌になるほどの応酬の末、ネイトのゴーレムが頭を打ち砕くと、少年のゴーレムはようやく元の土へと戻っていった。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。じゃあ、次は……君にしよう」
頭を下げる少年に手を振り返したネイトは、再び杖の先を受験生の1人へと向ける。
そして試験を終えた少年と入れ替わるように、次の受験生がゴーレムの前へ立つと、先程と全く同じ光景を繰り返した。
(冗談だろ……これを、あと何回見せられるんだ?)
あまりにも得るものの無い戦いに内心で頭を抱えたアルギスは、少しでも早く試験が終わることを天に祈る。
しかし、アルギスの願いも虚しく、入れ替わる受験生は、立て続けに既視感のある戦いを見せた。
(お!今の呪文は第三階梯だな)
ゴーレムの殴り合いが5回目に入る頃。
既に試験の様子に興味を失ったアルギスは、隣で行われている攻撃系統の試験に耳をそばだ始める。
それからも10人を超える受験生が試験を終え、様々な使役系統の魔術を目にしても、アルギスの食指が動くことは殆どなかった。
「さて、次は……。ああ、君で最後だねぇ」
「201番だ」
ネイトに向かって声を上げたアルギスは、首を回しながら、すっかり周りの静かになった区画へと歩き出す。
やがて、区画の中心までやってくると、不敵な笑みを浮かべて傷一つないゴーレムと向き合った。
「さっさと終わらせよう。――軍勢作成」
術式の完成と同時にアルギスの体から噴き出した黒い霧は、ゴーレムの足元で、無数の黒いスケルトンへと姿を変える。
アルギスが矢継ぎ早に唱えた呪文によって縋りつくように足を固定するスケルトンを引き離そうと、ゴーレムは腕を振り回しながら、じりじりと後ずさり始めた。
「ふむ、ちょうどいい距離だ。――来い、”砕顎”」
ゴーレムがさらに数歩後ろへ下がると、アルギスは不敵な笑みと共に、左手を突き出す。
すると、体から漏れ出し続けていた黒い霧は、アルギスの左腕へと集まり、悪魔の腕を思わせる尖った爪を持った籠手を形作った。
(……さあ、通用するかな?)
砕顎の装備された左手をじっと見つめたアルギスは、感覚を確かめるように、開いたり閉じたりを繰り返す。
少しの間が空いて目線を上げると、ゴーレムの顔を掴むように左手を翳した。
「”圧縮”」
アルギスが左手を握りしめた瞬間、スケルトンを破壊していたゴーレムの顔は、左右から押し潰されるようにひしゃげる。
顔がガラガラと崩れ落ちると、無事だった身体もまた、土となって元の地面に戻っていった。
「へぇ……」
「相変わらず、加減の出来ない力だ。壊れたが、続きはあるのか?」
左手を振って砕顎を送還したアルギスは、指示を仰ごうと、ゴーレムの手から様子を眺めていたネイトを見上げる。
腰かけているゴーレムの手を地面すれすれまで下ろすと、ネイトはアルギスの顔を間近で確認した後、小さく首を横に振った。
「……いや、君の試験は終わり。もとい、使役系統の実技試験もここで終了だねぇ」
「そうか」
試験の終了を確認したアルギスは、同様に試験を終えた受験生たちの下へと歩き出す。
すると、ネイトはアルギスの後を追いかけるように、ゴーレムの手を受験生たちの前へずらした。
「お疲れ様。それじゃあ、皆気を付けて帰ってねぇ」
(……腹も減ったし、帰るか)
手を振るネイトと巨大なゴーレムを背に、アルギスは疲れた表情でコロシアムを後にする。
そのまま学院を出ようとアルギスが向かった中庭は、朝の様子が嘘のように閑散としていた。
(ん?あいつは……)
正門へと足を進めていたアルギスは、夕日でオレンジ色に染まる中庭で、ベンチへ腰かけたレイチェルに目を留める。
アルギスの姿に気が付いたレイチェルは、スカートの埃を払うと、満面の笑みで近づいていった。
「アルギス様。試験の方はいかかだったかしら?」
「まずまずの結果だ」
レイチェルを背中に感じつつも、アルギスはわき目も振らず中庭を進んでいく。
立ち止まることなく歩き続けるアルギスに、レイチェルは苦笑いを浮かべながら、足早に後を追いかけた。
「もう、そっけないのね」
「……なにか、私に用でもあるのか?」
しばらくして2人の前に正門の姿が見えると、アルギスはどこまでもついてくるレイチェルに訝し気な目線を送る。
一度小さく肩を揺らしたレイチェルは、すぐにニコリと微笑み、アルギスの表情を覗き込むように首を傾げた。
「この後、一緒にお食事でもいかが?」
「随分と急だな。なにが狙いだ?」
唐突な提案に、アルギスは眉間の皺を深めながら真意を探ろうとする。
しかし、アルギスと見つめ合ったレイチェルは、微笑みを寂し気なものに変えた。
「あら、同じ貴族派として親睦を深めたいだけよ。そんなに疑われると悲しいわ」
「…………」
悲しそうに目を伏せるレイチェルに、アルギスは足を止め、むっつりと黙り込む。
しばしの沈黙の後、小さく息をつくと、ポケットから懐中時計のような魔道具を取り出した。
「……今の時間だと、もう夕食だな。商業区の店か?」
「ええ、そうよ」
アルギスの質問に顔を跳ね上げたレイチェルは、目に見えて表情を明るくする。
そして、足を弾ませてアルギスの横に並ぶと、得意げに胸を張った。
「ふふ、後悔はさせないわ」
「くく、そうか。では少し寄り道をして帰るとしよう」
前を向き直ったアルギスは、楽し気な笑いを零しながら、正門へと繋がる石畳を再び歩き出す。
すっかり機嫌をよくしたレイチェルは、腕と組んで、アルギスにピッタリと寄り添った。
「さ、行きましょう」
「おい。許可したのは食事だけだ」
不意に腕を掴まれたアルギスは、目を丸くしてレイチェルから離れようとする。
しかし、上機嫌な様子のレイチェルに水を注すこともできず、引っ張られるようにアイワズ魔術学院を出ていくのだった。
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