7話

 第四師団が去り、アイワズ魔術学院の入試があと1ヶ月に迫った頃。


 修練場へとやってきたアルギスは、無心で剣を振っていた。



(……ん?いや、まさかな)



 しばらくして、剣を振る手を止めた時、修練場の入り口にジャックの姿を見つける。


 できれば話しかけないでほしいというアルギスの願いも虚しく、ジャックは真っすぐに近づいてきた。



「アルギス様、旦那様がお呼びでございます」



「……すぐに向かうと伝えてくれ」



「かしこまりました。では、失礼いたします」


 

 アルギスの指示を受けると、ジャックは静かに腰を折った後、踵を返して屋敷へと戻っていく。


 ジャックと入れ替わるようにアルギスの下へやってきたマリーは、持っていたタオルを差し出した。


 

「アルギス様、こちらを」


 

「……ああ」


 

 ため息と共に肩を落としたアルギスは、名残惜しそうに剣を納める。


 そして、軽く手をはたくと、無造作にタオルを受け取った。


 

「どうか、なされたのですか?」


 

「なんでもない。ただ、今度は何だと思っただけだ」


 

「……アルギス様は、もう少しお休みになるべきかと思います」



 諦めたように首を振るアルギスに、マリーはどこか怒ったような様子で頬を膨らませる。 


 首を伝う汗を拭き終えたアルギスは、苦笑いを浮かべながら、憤るマリーへタオルを手渡した。



「私も常々、そう思っている」



「でしたら……」 



 膝を折って腰を屈めると、マリーは不安げにアルギスの目を見つめる。


 しかし、マリーと見つめ合ったアルギスは、口元を吊り上げ、笑みを不敵なものへと変えた。



「だが、このままではいつまで経っても終わらないからな。お前にも協力してもらうぞ」



「!はい。何なりと、お申し付けください」



 アルギスの言葉に頬を緩めつつも、マリーは両手を前に合わせて、深々と腰を折る。


 満足げに頷いたアルギスは、マリーの横を抜け、修練場の出口へと歩き出した。



「さしあたっては、王都に向かう件だ。用意しておけ」



「……連れて行って、いただけるのですか?」



 アルギスを追いかけようと顔を上げたマリーは、目を見開いてピシリと固まる。


 震えるマリーの声に足を止めると、アルギスは不思議そうな顔で振り返った。



「そうでなければ、言う訳がないだろう」



「ありがとうございます……!」 



 再び勢いよく頭を下げたマリーは、瞳を揺らしながら後を追いかけていく。


 一方、難しい顔で前を歩くアルギスは、わき目も振らずに騎士館を出ると、ソウェイルドの執務室がある屋敷の2階を見上げた。


 

(……一体、何の用だ?アイワズ魔術学院の関係か?)



 公都の出立まで2週間を切った今、呼び出される理由など他に思い当たらない。


 しかし、屋敷の裏口へと戻る道中、昨晩のソウェイルドの様子を思い出したアルギスは、ピクリと頬を引きつらせる。


 しばらくして、屋敷へ辿り着くと、マリーの開けた扉をくぐった先で、一度足を止めた。



「……マリー、お前は私の部屋に着替えを用意しておけ」



「かしこまりました」



 アルギスに続いて屋敷に入ったマリーは、丁重に扉を閉め、音もなく去っていく。


 遠ざかっていくマリーの背中から目線を外すと、アルギスは廊下へ向かって再び歩き出した。


 

(怒っていた理由に、関係なければいいが……)



 心当たりがなくとも、胸中には不安がしこりのように残る。


 背筋に薄ら寒いものを感じながら階段を登っていったアルギスは、軽く身だしなみを整えると、執務室の扉に手を掛けた。


 

「失礼いたします。お呼びとのことで、参上しました」



「よく来たな。……お前には謝らねばならんことがある」



 アルギスが執務室に入ると、肘掛けから手を離したソウェイルドは机の上で指を組み、静かに口を開く。


 見たことがない程落ち込んだ様子のソウェイルドに混乱しつつも、アルギスは表情を窺うように身を屈めた。



「私が、何かしてしまったでしょうか?」



「いいや、お前は何一つ悪くないとも。悪いのは全て、王都の無能どもだ」


 

 ゆっくりと首を振ったソウェイルドは、組んでいた両手が白くなるほど手を握りしめる。


 王宮からの連絡によれば、魔族の護送の道中、第四師団は別の魔族によって襲撃され、逃走を許した。


 そして、それだけに留まらず、王宮からは魔族がいないなら功績を証明できない。


よってアルギスへの褒賞も無い、という結論が出されたというのだ。



「王宮にはゴミしかいないのか……!どいつもこいつも役に立たん」



(なんだ、そんなことか。命の心配もないし、問題ないじゃないか)



 怒りが再燃したように奥歯を噛みしめるソウェイルドと対照的に、アルギスは内心でホッと息をつく。


 そして小さく肩をすくめると、薄笑いを浮かべて口を開いた。

 


「まあ、仕方がないのでは?元より、そう期待していませんよ」



「おお、何と言う事だ。お前に、そんなこと言わせてしまうとは……」



 一転して悲痛な表情を浮かべたソウェイルドは、打ちひしがれるように両手で顔を覆う。


 執務室に陰鬱な雰囲気が漂う中、アルギスは拳をぎゅっと握りしめて声を上げた。



「……それよりも、襲撃した魔族とは何者なのです?」



「なんでも、魔物を使役する者であるそうだ」



 顔から手を降ろしたソウェイルドは、険しい表情で髪をかき上げた後、アルギスをじっと見つめる。


 そのまま机を指で叩き始めるソウェイルドに対し、アルギスは口元に手を当てて考え込んだ。


 

「魔物使いですか……」



「ふん、王宮はそう言っているが、どこまで事実かわかったものではない」



 吐き捨てるように言葉を返すと、ソウェイルドは苛立たし気に机を指で叩き続ける。


 再び静かになる執務室で、黙り込んでいたアルギスは、意を決して顔を上げ、ソウェイルドの目を見つめ返した。



「……父上、王都への出発を急ぐことをお許しいただけますか?」



「なに?なぜ、王都に急ぐ?」



 アルギスの提案に、ソウェイルドは机をたたく指を止め、真意を探るように聞き返す。


 すると、アルギスはピンと背筋を伸ばし、用意していた言い訳を話し始めた。



「どうやら情報が足りていないようなので、王都にて収集しようかと。幸い、私はアイワズ魔術学院の入学試験があります、王都入りも不自然ではありません」



「ふむ。確かに、私が王都へ出向けば警戒されるか。……よし、いいだろう」



 一度目線を上向けたソウェイルドは、しばしの逡巡の後、噛みしめるように頷く。


 狙い通り許可が出たことに胸を弾ませつつも、アルギスは努めて冷静に腰を折った。

 


「感謝いたします」


 

「……言い忘れていたが、王都に到着次第、魔術師協会へ向かえ」



 一旦言葉を区切ったソウェイルドは、小さく息をつくと、躊躇いがちに指示を重ねる。


 聞き覚えのない単語に、アルギスは訝し気に眉を顰めながら顔を上げた。

 


「魔術師協会、ですか?」



「ああ。……王都の協会はさすがに無視できん」



 背もたれに寄りかかったソウェイルドは、面倒くさそうに説明を始める。


 魔術師協会とは各地に支部を持ち、魔術師たちの情報交換や協力、依頼受付などを行っている組織らしい。


 当然、公都にも存在しており、アルギスも所属していることになっているというのだ。



(いつの間に……?そんな場所に行ったことはないはずだが……) 



 アルギスが混乱している間にもソウェイルドの説明は進んでいく。


 最終的には、私用の手紙を魔術師協会の”マリオン・クロフォード”なる人物に渡すことまで頼まれたのだった。



「――話は以上だ。手紙と登録証はジャックに後で届けさせる」 



「承知しました……では、失礼いたします」


 

 指示を反芻しつつ、アルギスは頭を下げて退室する。


 そして、大きなため息をつくと、王都での予定に頭を悩ませながら自身の部屋へと戻っていくのだった。


 

 


 ソウェイルドの呼び出しから2週間、未だ外には冷たい風が吹く中。


 アルギス達を乗せた馬車は、騎士団の護衛に囲まれ、王領に程近い街道を移動していた。



(王都に着けば、魔術師協会と冒険者ギルドへ向かい……ついでに入学試験か。我ながら忙しい事だ)


 

 アルギスがこれまで思考の外へと追いやっていたアイワズ魔術学院の入学試験は、筆記と実技の2種類から総合的に判断される。


 そして、この試験に合格した者は、入学時の成績に応じてSからEまでの6クラスのいずれかに配属されるのだ。



(ゲームでは、アルギスと勇者は3年間同じクラスだったが……さて、どうなるか) 



「アルギス様、ご休憩はいかがなさいますか?」



 黙って窓の外を眺めているアルギスに、マリーは遠慮がちに声を掛ける。


 考えに没頭していたアルギスは、ハッと我に返ると、対面に座るマリーへと向き直った。



「そうだな。この辺で少し休息をとる」



「かしこまりました」



 マリーが御者に指示を伝えると、馬車は徐々に速度を落とし、緑の生い茂る街道の脇に停車する。


 使用人たちが騎馬の面倒を見る中、椅子に腰かけたアルギスの下へ、騎士の一人が駆け寄ってきた。


 

「お休みのところ、大変失礼いたします。アルギス様、魔物の群れが近づいてきております」



「魔物がここに?種族はなんだ?」



 椅子から背を離したアルギスは、眉間に皺を寄せて騎士の顔を見上げる。


 すると、騎士は額に汗を浮かべつつも姿勢を正して報告を続けた。


 

「はっ!種族はゴブリンであるため脅威ではありませんが、なにぶん数が多い為報告に参りました」


 

「上位種はいるのか?」



「発見されておりません」



(どういうことだ?王都の近辺は、魔物の討伐も入念に行われているはずだぞ?)


 

 奇妙な違和感を感じたアルギスは、口元に手を当てて俯く。


 そして、下を向いたまま、グルグルと思考を巡らせ始めた。


 

「時間は、どの程度かかる?」



「おそらく30分から、1時間の間かと……」



 アルギスの質問に対して、即座に答える騎士だったが、表情は晴れない。


 思いのほか時間がかかることに、アルギスは難しい顔で片手を挙げた。



「……マリー」



「はい、こちらに」



 アルギスの後ろに控えていたマリーは、音もなく一歩前に進み出る。


 少しの間があいて顔を上げると、アルギスは腰を折って顔を近づけるマリーの前で、ヒラヒラと手を振った。



「……お前が手伝って、10分で終わらせろ。王都へ急ぐ」



「かしこまりました」



 深々と頭を下げたマリーは、騎士と共に軽快な身のこなしで去っていく。


 そして、数分が経つ頃には、戦場となっている森の裂け目から、騎士の怒声とゴブリンの断末魔が上がり始めた。


 

(魔物の数が少なかったのは、ゲームとの差じゃなかったのか……?)


 

 絶えず上がるゴブリンの叫びに、アルギスは小さく息をつきながら背もたれに寄りかかる。


 この世界の魔物はゲームよりも数が少なく、あまり強くないものがほとんどだった。



(全てをゲームとの差異だと考えるのは、やめた方が良さそうだな……)


 

 王都周辺であっても魔物が出現していることに、漠然とした不安を感じながら、アルギスは騎士たちが魔物を倒し終えるのを待つ。


 しばらくすると、鳴り響いていた叫び声が止み、騎士の中から飛び出したマリーが1人で駆け寄ってきた。


 

「アルギス様、討伐が完了いたしました」



「よし、さっさと馬車を出せ」



 マリーから討伐完了の報告を聞いたアルギスは、出発を指示して馬車へと乗り込む。


 続いてマリーが乗り込むと、御者は遠目に見える王都の城門目指して馬車を繰り出した。



(王都か……。もう、3年ぶりになるな) 



 アルギスが懐かしむように街道の景色を眺めている間にも、馬車は王都へ向かってグングン速度を上げる。


 やがて、城門の前に辿り着くと、並んでいる馬車の列に割り込むように、王都の中へと進んでいった。



(あれが、アイワズ魔術学院……『救世主の軌跡』の舞台か)



 大通りを通って屋敷に向かう途中、商業区を通りかかったアルギスは、豪奢な鉄柵に囲まれた敷地を見て目を細める。


 周囲を様々な建物に囲まれる中で、唯一無骨な造りをした白塗りの校舎は、夕日に照らされ、息を呑むような威容を誇っていた。



(やっと、ここまできた。……生き残ってみせる、絶対にだ)



 馬車が学院を通り過ぎる中、アルギスは間近に迫るストーリーの開始に思いを馳せて不敵な笑みを浮かべる。


 アルギスを乗せた馬車の一団は、大通りをかき分けるようにエンドワース家の屋敷へと向かっていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る