5話

 窓から差す日も徐々に傾き、屋敷の使用人が忙しく動き回る時間帯。


 アルギスの自室を出たマリーの下には、満面の笑みを浮かべた女騎士がやってきていた。



「それで、どういったご用件でしょうか?」



「私は王都第四師団副師団長、ルシア・エヴァンス。君、私と模擬戦をしてくれないかな?」



 キラリと歯を見せて笑ったルシアは、自己紹介と共にマリーの両肩に手を置く。


 そのまま肩をしっかりと握りしめるルシアに、マリーは目を白黒させた。



「あの、それはどういう……?」



「そのままの意味だよ。ま、もう許可は取ってあるから先行くねー」



 戸惑うマリーに対し、ルシアはくるりと体の向きを変え、廊下を歩きだしてしまう。


 ポツンと1人残されたマリーの表情は、どんよりと曇っていた。


 

(……これ、ついていく感じだよね) 



 辺りを見回すと、マリーは浮かない顔でトボトボとルシアを追いかける。


 

 弾むような足取りで歩くルシアと、重たい足取りで後ろに続くマリー。


 対照的な2人は、一言も言葉を交わすことなく、階段を降りていった。



「ふふーん♪」 


 

(アルギス様がお疲れでいらっしゃったのは、この人のせいかも……)



 部屋へと戻ってきたアルギスの様子を思い出すと、マリーは一層肩を落として、裏口の扉をくぐる。


 すると、先に扉をくぐったルシアは、上機嫌に騎士館を見据えていた。



「ねぇ、君さ何の武器を使うの?」



「……主に短剣を使用しております」



 まっすぐに騎士館へと歩いていくルシアに、マリーは渋々といった様子で言葉を返す。


 ニコニコと返事を待っていたルシアは、顎に手を当てて思案顔になった。



「ふーん、斥候系かぁ。じゃ、なんで”ウィザード”なの?レンジャーとかの方が良くない?」



「職務上、必要となりますので、術師を選択しております」


 

 矢継ぎ早に続くルシアの質問にげんなりしつつも、マリーはどこか自慢げに胸を張る。


 一方、チラリと後ろを振り返ったルシアは、小さな呟きを漏らしながら騎士館の中へと入っていった。


 

「……うーん。これは、外れかなぁ」


 

「――副師団長殿、いかがされましたか?」



 やがて2人が修練場へと入ろうとした時、ルシアとすれ違った騎士は、腰を屈めて恐る恐る声を掛ける。


 すると、ルシアは足を止めて振り返り、柔らかい笑みと共に首を倒した。


 

「もう一度、修練場と模擬剣を借りられるかな?」



「え、ええ、もちろんです」



「さ、行こっか」


 

「はい……」



 頭を下げる騎士を尻目に、マリーは人気のない修練場へと足を踏み入れる。


 そして、剣立てから剣を抜くルシアに続いて、壁にかけられた模擬戦用の短剣を手に取った。


 

(……面倒くさいなぁ)



「君も高速戦闘が得意なんでしょ?私もなんだ」



 修練場の中心へと着くや否や、ルシアは楽し気に剣を構える。


 ため息交じりに修練場を見回していたマリーは、やや遅れてルシアと向き合った。


 

「あの……」



「せっかくだし、遊ぼうよ!」



 言い終えるが早いか、ルシアは軽い調子でマリーへと切りかかる。


 しかし、口調とは裏腹に、空気を切り裂くようなルシアの剣は、目を見開くマリーの眼前を紙一重で通り過ぎていった。



「っ!?」 


 

「やるね!」



(なんなの!?) 


 

 流れるようなルシアの追撃にマリーが後ろに跳びのいた瞬間、修練場にはビリッという嫌な音が響き渡る。


 マリーが慌てて立ち止まると、メイド服はスカートの一部が裂けてしまっていた。



「あちゃー、引っかかっちゃったか。ごめんよ」



「……絶対に、許さない」



 スカートから目線を逸らしたマリーは、目の端に涙を溜めながら、わなわなと震える。


 ギロリとルシアを睨みつけると、消えるような速度で眉間目がけて短剣を突いた。



「うわぁ!ちょ、はやっ」



「チッ!」



 そのまま突き刺さるかに思えた短剣は、首を倒したルシアの髪を揺らすにとどまる。


 不意打ちの失敗を悟ると、マリーは反射的に振り下ろされたルシアの剣を躱すように、ズブズブと影の中へと沈み始めた。



「――影行舞躍」


 

「っと!……うへぇ、そんなのもあるんだ」



 剣で地面を叩いたルシアは、一瞬にして姿を消すマリーに顔を顰めながら、辺りを警戒する。


 すると次の瞬間、足元の影が大きく歪み、背後に短剣を逆手に構えたマリーが浮かび上がったのだ。

 


「……ぶっ殺す」



「もう、驚かないよ!」 



「くっ!」 


 

 しゃがみ込むと同時、小さく振り払われたルシアの剣に、マリーの短剣はあえなく弾かれる。


 そして、剣を肩の後ろまで引き絞ったルシアは、身を低くしたまま追撃の態勢に入った。



「今度は、私の番かな!」


 

(コイツ、本当に速い……!)

 


 一直線に繰り出される突きを躱したマリーは、短剣を順手に持ち換える。


 しかし、息をつく暇もないルシアの連撃に、魔術を行使する暇もなく、徐々に押し込まれ始めた。


 

「ハッ!」


 

「くぅ……!」


 

 止めとばかりに力強く剣を振り下ろすルシアに、マリーは汗を垂らしながら短剣を突き出す。


 お互いの剣が首元と胸元でピタリと止まると、激化していた模擬戦は、あっけなく終わりを迎えるのだった。



 しばらくして、2人が修練場の待機エリアへ戻った後。


 剣立てに剣を戻したルシアは、同様に短剣を元の位置に置いていたマリーへと向き直った。


 

「いやー君、強いね。びっくりしちゃったよ」



「……ありがとうございます。では、私は業務がございますので、これで失礼いたしますね」



 ニコニコと楽しそうに笑うルシアをよそに、慇懃に頭を下げたマリーは、すぐに出口へと歩き出す。


 そして、表情に悲しみと苛立ちを滲ませながら、来た時よりもなお重たい足取りで騎士館を出ていった。



「あぁ……。アルギス様に、なんとお伝えすれば……」



 屋敷の裏口へと戻る道中、スカートを握りしめたマリーの口からは、震える声で呟きが零れる。


 この世の終わりのような嘆きの原因は、先ほどの模擬戦で破損してしまったメイド服にあった。



 このメイド服は、マリーにとってただの服ではない。


 初めて側へと仕えることを許された際、アルギスから渡された思い出の品なのだ。


 そんな努力の結晶をくだらない模擬戦で破損してしまったという事実は、マリーの心に深い影を落としていた。



(……断りたかったなぁ) 



 破けたメイド服へ目線を落としたマリーは、あふれ出しそうになる涙をこらえながら屋敷の扉へと手を掛ける。


 そして、小さく開いた隙間から屋敷の回廊へと足を踏み入れると、部屋にいたはずのアルギスの姿が目に入った。



「っ!」



「……なにか、あったのか?」


 

 思わず身を固くするマリーに、アルギスは眉間に皺を寄せながら近づいていく。


 予想外の状況に動揺しつつも、マリーは慌ててスカートの裂けた部分を手で隠した。



「い、いえ……」 


 

「なんだ?私に隠し事か?」



 歯切れの悪いマリーの様子に、アルギスは眉間の皺を一層深くする。


 険悪になる場の雰囲気に顔を青くしたマリーは、スカートから手を離し、素早く腰を折った。



「申し訳ありません!頂いた服を破損してしまいました……」



「……そんなことか。エマに言って、新しいものを受け取れ」



 あからさまに安堵の表情を浮かべたアルギスは、ため息交じりに廊下へと足を向ける。


 しかし、2、3歩歩いた後、はたと立ち止まると、呆れ顔で後ろを振り返った。



「……遠征の時から言おうと思っていたが、その服は屋敷での仕事用に渡したものだ。戦闘時くらいは着替えろ」


 

「はい……!」


 

 それ以上何も言わず廊下を進んでいくアルギスに、マリーは感動と安堵の気持ちを抑えながら深々と頭を下げる。


 それ以降、アルギスが階段へと足を運ぶまで、じっと頭を下げ続けるのだった。



 


 時は流れ、数十分が経った頃。


 アルギスの姿は、廊下の突き当りにある、装飾の施された重厚な木製の扉の前にあった。



「少しばかり遅くなったが、夕食には間に合いそうだな」



 小さく息をついたアルギスは、精緻な彫刻の刻まれた金属製の取っ手に手を掛ける。


 そのままゆっくりと開かれた扉の先には、毛足の短い絨毯が敷かれ、一部に光沢がある布の垂らされた空間が広がっていた。



「……今日は1人でゆっくりできるぞ」



 辺りに人気がないことを確認したアルギスは、くたびれた表情で布に区切られた場所と向かっていく。


 そして、模擬戦で汚れた服を脱ぎ捨てると、布の奥にかけられたバスローブの1着を手に取った。



(しかし、あれほど成長しているとは……。止めようかとも思ったが、これは止めなくて正解だったな)



 バスローブを肩にかけたアルギスは、扉の向こうで交わされていたやり取りを思い出しながら浴場の入り口をくぐっていく。


 大理石造りの巨大な浴槽や数多の彫像が配置された大浴場は、天井を含む壁面の全てに物語を感じさせる膨大な量の彫刻が彫り込まれていた。


 

「いつ見ても、無駄の多いことだ」 


 

 過剰に装飾された空間に呆れつつも、アルギスは慣れた様子で浴槽の近くに置かれていた彫像にバスローブを掛ける。


 そのままアルギスが浴槽へ飛び込むと、満水まで注がれていた湯は、大きな音をたてて流れ出ていった。


 

「はぁ……俺との模擬戦は手を抜いていたのか?」



 ため息とともに天井を見上げたアルギスは、コッソリと観戦していた模擬戦の様子を思い出す。


 目にもとまらぬ速さの戦いを繰り広げるマリーの姿は、アルギスにとっても様々な意味で予想外だった。



「速度は互角だったな。経験の差を考慮すれば、勝利と言っても差し支えないだろう」



 戦力の増強を考えていたアルギスは、巨大な浴槽に顔を半分まで沈めながら、改めて現状の整理をする。


 しかし、1つ1つ状況を整理していくと、どうしても人手が足りないのだ。



(……なんとか、仲間になってくれる者はいないだろうか)



 仲間を探すにしてもある程度の戦力を持ち、かつ好意的な者となると相当に限られてくる。


 少なくとも派閥の異なるゲームキャラクターが使えないことだけは確かだった。



「仕方がない。王都に着いてから、もう一度考えよう」



 解決の糸口が見つからない問題に辟易したアルギスは、ジャブジャブと顔を洗い流した後、勢いよく浴槽から上がる。


 そして、彫像に掛けていたバスローブを羽織って出口へ向かうと、いつの間にかやってきていた使用人が、辺りを見回していた。



(……バレたか。1人でゆっくりしたかったんだがな) 



「これはアルギス様。ご入浴の準備は、されていなかったと記憶しておりますが……」 



 着替えを片手に持った使用人は、アルギスの姿を見つけると、困ったように眉尻を下げる。


 どこか咎めるような視線を感じつつも、アルギスは水の滴る髪を纏めながら使用人の横を通り過ぎた。



「副師団長殿との模擬戦自体が予定外だ。……許せ」 


 

「!い、いえ、全て私共の不注意にございます。大変申し訳ございません」



 アルギスの小さな呟きに顔を青くした使用人は、慌てて頭を下げる。


 ブルブルと震える使用人をよそに、アルギスは脱ぎ終えたバスローブを床に落とした。



「構わん、それよりも急いでくれ。夕食まで、そう時間もないからな」



「では、失礼いたします」



 使用人はタオルでアルギスの体を丁寧に拭き上げていく。


 やがて、髪を乾かし終え、着替えを手に取った時、これまでじっと黙っていたアルギスが口を開いた。



「……第四師団は帰還したか?」



「はい。先程出立されました」



「そうか……。もういいぞ、後は自分でやる」



 ホッと息をついたアルギスは、受け取った上着を手に廊下へと出ていく。


 そして、足早に自室へと戻ると、難しい顔でソファーに体を預けた。


 

「……ステータス」



――――――――



【名前】

アルギス・エンドワース

【種族】

 人族

【職業】

ネクロマンサー

【年齢】

 12歳

【状態異常】

 ――

【スキル】

・傲慢の大罪 Lv.2

・血統魔導書

・第六感

・剣術

・思考加速

・詠唱省略 

【属性】

 闇

【魔術】

・使役系統 

・強化系統

・妨害系統

・補助系統 

【称号】

・――

 


――――――――

 


(……ダメだ。魔族とやらの戦力が分からない以上、これでは心もとない) 


 

 ステータスを一通り確認したアルギスは、表示された内容に不満げな表情を浮かべる。


 というのも、アルギスの知る「救世主の軌跡」においては”魔族”や”デモルニア大陸”など存在しない。


 

 この3年間でいくつかの契約死霊や死霊武装を手に入れながらも、アルギスの心中は得も言われぬ焦燥感に埋め尽くされていた。


 

「やはり、ダンジョンへ向かうのは決定事項だな」



 しばらく考え込んだ後、ステータスを消したアルギスは、机の引き出しから革の装丁がされた大判の手帳を取り出す。


 パラパラと捲られていく手帳のページには、ゲームに登場するダンジョンの名前と出現する魔物の種類、そしてこの世界におけるダンジョンの地図が書き込まれていた。



(問題は、どこにダンジョンがあるかについて、文字以上の情報がないことだ)



 地図の書かれたページを行き来しながら、アルギスは調べたダンジョンの情報について再度目を通していく。


 

 アルギスの持つゲームに登場していたダンジョンの情報は、基本的に文字しかなかった。


 ゲーム故に、具体的な地名や地図の位置などの明示はされていないのだ。


 そのため、名前と情報を知っているダンジョンの場所を探すという、あべこべの状態となっているのが現状だった。



「……アイワズ魔術学院の入学試験があったのは、僥倖かもしれんな」



 手帳から顔を上げたアルギスは、3年前に見た王都の情景に思いを馳せる。


 しばらくして、再び手帳へ目線を落とすと、王都へと向かった際に調査する内容について手帳に纏め始めるのだった。

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