4話

 魔族の捕縛から3週間ほど経ったある日の午後。


 エンドワース家の屋敷には、紋章の無い無骨な馬車と鎧を纏う騎士の一団――第四師団がやってきていた。


 

 しばらくして、正面玄関の前で停車した馬車からは、鎧のヘルムだけを外した女騎士が降りてくる。


 肩で切りそろえた黄緑色の髪を揺らす女騎士は、敬礼の姿勢を取る騎士たちの間を抜けると、出迎えたジャックと共に屋敷へと入っていった。


 

「……何事もなく、終わればいいがな」


 

 昼食を終え、自室へと戻る道中、廊下から外の様子を眺めていたアルギスは、騎士達の中でもひと際若い女騎士の姿に目を細める。


 そして、騎士館へと向かっていく第四師団の騎士たちから目線を外すと、重たい足取りで自室へと戻っていった。



 それから数十分が経った頃。


 部屋で本を読んでいたアルギスの耳に、カチャリと扉の開く音が聞こえてきた。



(……はぁ。やはり、こうなるか) 


 

「お休みのところ、大変失礼いたします……。旦那様がお呼びでございます」



 ソファーに座るアルギスの後ろに立ったジャックは、眉尻を下げて躊躇いがちに声を掛ける。


 半ば予想通りの状況に渋面しつつも、アルギスは閉じた本を机に置いて、ソファーから立ち上がった。


 

「ああ。向かおう」



「では、ご一緒させていただきます」



 静かに腰を折ったジャックは、くるりと踵を返して扉へ向かって歩き出す。


 そして見慣れた動きでジャックが扉を開けると、アルギスは何も言わずに部屋を出ていった。



(二つ返事で部屋を出たはいいが、俺が呼ばれた理由はなんだ……?) 


 詳細を聞かなかったことを後悔しつつも廊下を進んでいくと、執務室の扉が見えてくる。


 しばらくして執務室の前に辿り着いたアルギスは、不安を抑え込みながらジャックの開けた扉をくぐった。



「お待たせしました」 


 

「やっ少年!初めまして、私はルシア・エヴァンス。今回護送を担当する第四師団の副師団長だよ、よろしくね」


 

 先ほどの女騎士――ルシアは、くるりとアルギスに体を向けると、満面の笑みで手を振る。


 砕けた態度に面くらいつつも、アルギスは女性にしては高い身長のルシアを見上げ、胸に手を当てた。



「……ああ、お初にお目にかかるな。ソウェイルド・ワイズリィ・エンドワース公爵が嫡男、アルギス・エンドワースだ」



「えー、なんか固いなー。もっと気楽にいこうよ」



 堂に入った貴族の礼を取るアルギスに対し、ルシアは不満げに唇を尖らせる。


 想定外の反応に、アルギスは頬を引きつらせて言葉を失った。



(な、なんなんだ。コイツは)



「うーん……」 



 唇を尖らせたまま、首をひねったルシアは、唸りながらアルギスの姿を上から下までじろじろと確認し始める。


 全員がルシアの言葉を待つ中、苛立ち交じり机を指で叩いていたソウェイルドが口を開いた。



「もう、いいだろう。要求通りアルギスを連れてきたのだ」



「いえ、少々お待ちください。……んー?まあ、確かに問題はなさそうだけど」



「……おい」 


 

 軽く頭を下げて確認を続けるルシアに、アルギスはいよいよ痺れを切らす。


 しかし、抗議をしようとするアルギスの声は、ニコニコと笑うルシアによって遮られた。


 

「そうだなー。じゃ、私と戦おっか」



「ならん。許可できるわけがないだろうが」



 ルシアの提案を言い終えた瞬間、ソウェイルドは首を横に振って即座に否定する。


 すると、口元を吊り上げたルシアは、ソウェイルドに顔だけを向け、小さく首を傾げた。



「それですと、私は”未確認”と報告することになりますが?」



「……この礼は、しっかりとさせてもらうぞ。覚えておけ」



 怒りが滲み出るような声色と対照的に、ソウェイルドの顔からは感情が抜け落ちる。


 スタスタとアルギスへ近づいていったルシアは、ニンマリとした顔で肩を組んだ。



「よし、修練場に行こうか」



「わかったから、離せ」



 グイグイと体を寄せるルシアを、アルギスはどうにか引き離そうとするが、片腕とは思えない力に抱き寄せられる。


 しばらくしてアルギスがぐったりとして抵抗を諦めると、ルシアは執務室の扉を見据えて歩き出した。



「さあさあ、行くよー」


 

「お待ちください。エヴァンス副師団長」



 引きずられるように扉へ向かっていくアルギスを、バルドフは慌てて追いかける。


 顔を青くして先導するバルドフをよそに、アルギスと肩を組んだルシアは、上機嫌で廊下へ踏み出した。 



「絶好の模擬戦日和だねぇ、少年」 


 

(……どうして、こうなった?)



 弾むような足取りで隣を歩くルシアに眩暈を覚えながら、アルギスは廊下を進んでいく。


 やがて、階段を降りた先の回廊を抜けると、肩を落として屋敷の裏にある騎士館へと向かっていった。


 

 ◇


 修練場に着いた2人は、互いに刃のない模擬戦用の剣を片手に、向き合っていた。


 周囲には、エンドワース家の騎士団と第四師団の面々が、遠目に様子を窺っている。



 ざわつく修練場の雰囲気をよそに、ルシアはアルギスだけを見つめ、鞘から剣を抜いた。

 


「さて、やろっか」



「待て、1つ聞きたいことがある」



 剣を構えようとするルシアに、アルギスはしかめっ面で手の平を前に差し出す。


 すると、剣を降ろしたルシアは、不思議そうな顔で首を傾げた。



「んー?なに?」



「……なぜ私は、こんな形でお前と戦う羽目になっている?」


 

 取り囲むエンドワース騎士団と第四師団の騎士たちを横目に見ると、アルギスは一層表情を険しくして口を開く。


 目線を上向けて思案していたルシアは、意味ありげな笑みと共に肩を竦めた。


 

「それは君がエンドワース家だから、かな」



「説明になっていないぞ」



「早い話が君ん家、権力持ちすぎなわけ。そこに追加で魔族の捕縛ときたら、王宮も確かめないわけにはいかないよねー」



 楽し気に語り出すルシアの話を聞けば、魔族の討伐は英雄派すら困難な武功らしい。


 故に、第四師団には功績の認定を口実とした、アルギスの能力調査が任務として与えられたというのだ。


 

「ま、そんなとこだからサクッと諦めてよ」 



(一体、俺にどうしろと言うんだ……)


 

 避けようのない厄介ごとの連鎖に、アルギスは思わず目頭を押さえる。


 やや間があいて、手を口元に滑らすと、王宮の内情を詳らかに話すルシアに目を細めた。



「……それは、私に伝えても良かったのか?」



「私自体は、あくまで第四師団の所属だしね。任務をそのまま伝えるだけかな。それよりも……」



 途端に笑みを冷たいものに変えたルシアは、降ろしていた剣をゆっくりと構えなおす。


 そして、アルギスが剣を抜いたことを確認すると、右足を後ろに引いた。



「――いくよ?」



「なっ!?」



 言い終えるが早いか、消えるように切りかかるルシアの速度に、アルギスは目を見開く。


 間近に迫った剣閃を、体を反らしてどうにか躱すと、冷や汗をかきながら後ろに飛びのいた。


 

(わかったぞ、コイツは馬鹿だ。この威力で殴られたら、刃の切れ味なんか関係ない)


 

「いいね!今ので終わりかと思ったのに!」



 嬉し気に口角を吊り上げたルシアの剣戟は、終わることなくアルギスへと襲い掛かる。


 嵐のように多方面から繰り出される攻撃に苛立ちながらも、アルギスは徐々に後ろへと下がっていった。


 

(くそ!《傲慢の瞳》よ、ステータスを表示しろ!)



――――――――



【名前】

ルシア・エヴァンス

【種族】

 人族

【職業】

ツイン・ブレイダー

【年齢】

 20歳

【状態異常】

・なし

【スキル】

・気絶耐性 

・剣術

・騎乗 

・気配察知

・閃駆

・損傷遅延

【属性】

 雷

【魔術】

・強化系統

・攻撃系統

・補助系統

【称号】

・ソラリア王国第四師団副師団長



――――――――



(……剣1本の”ツイン・ブレイダー”相手に、このザマか)

 


 表示されたステータスの職業欄に、アルギスは悔し気に奥歯を噛みしめながら、剣を振り払う。


 そして、距離を詰めようとした足を踏み出した瞬間、ルシアの突きが頬を掠めた。



「させないよ!」



「チッ!」

 


 流れるような動きで首元へ迫る剣閃を、アルギスは苛立ち交じりに剣の腹で弾く。


 しかし、防御すら抜けるような連撃に、再び翻弄され始めた。



(早すぎるだろうが……!これでは、攻勢に回る暇がないぞ)



「アハハ!逃げているだけ!?」



 顔を紅潮させたルシアは、剣を振り上げながら挑発する。


 そのままルシアが剣を振り下ろそうとした時、ピクリと眉を上げたアルギスの体から、黒い霧が揺らめいた。


 

「――死霊作成。……足を掴め」



「きゃあ!なに!?」



 突然、片足を地面へと縫い留められたルシアは、勢い余って地面へと倒れ込む。


 ガツンと鎧が地面にぶつかる音を聞いた後、アルギスは顔を上げたルシアの首に剣をそっと当てた。



「これで、満足か?」



「……個人的には納得いかないけど、任務は完了かな」



 先ほどとは打って変わり、不満げに口元を歪めたルシアは、仕方ないとばかりに小さく頷く。


 一方、じっとルシアを見下ろしていたアルギスは、模擬戦の終了を確認すると、疲れたように剣を鞘に仕舞った。



「はぁ、やっとか」


 

「ねぇ、ねぇ。一体何をしたのー?」


 

 跳ねるように地面から立ち上がったルシアは、興味深そうにアルギスへと顔を近づける。


 グイグイと顔を寄せるルシアに対し、アルギスは鬱陶しそうに体を離した。



「……死霊を作成して、足を掴ませただけだ」



「君、剣士じゃないの?」



 アルギスの返答に、ルシアはキョトンとした表情で首を横に倒す。


 呆れたように大きく首を振ったアルギスは、ため息と共に肩を竦めた。



「私はエンドワース家だぞ?ネクロマンサーに決まっているだろうが」



「あちゃー!そりゃそうだ……」



 自らの失敗を悟ったルシアは、のけ反りながら頭を抱えた後、地面に膝をつく。


 そのまま、四つん這いになって大げさに落ち込むルシアに、アルギスは隠すことなく顔を顰めた。



(コイツ、まさか俺が術師だってことを忘れていたのか……?)


「――ま、もういいや」


 

 しばらくして開き直ったルシアは、手に付いた土を払いながら立ち上がる。


 いやらしい笑みを浮かべて、アルギスの肩をポンポンと叩いた。



「とりあえず君はご褒美をもらえることが確定したから、考えておいてね」

 


「なんだと?ただの口実じゃないのか?」



「ふふん。それを口実にしたんだから、第四師団が認めた以上貰えるに決まってるでしょ」



「そうか……」 



 にひひ、と口元を隠して笑うルシアに、アルギスは処置無しとばかりに背中を向ける。


 徐々に遠くなっていくアルギスの背中を見つめていたルシアは、不満げに唇を尖らせた。



「……なんか、反応薄かったなー。つまんないの」



「アルギス様は、そういった褒美には無欲でいらっしゃる。さぞ、期待外れだったことだろう」



 アルギスと入れ替わるように修練場の中心へとやってきたバルドフは、小さく呟くルシアに声を掛ける。


 すると、ルシアはピンと背筋を伸ばして、恭しく腰を折った。



「これは、フォルスター殿。先程はご無礼を致しました」



「ははは、気にする必要はない。第四師団の副師団長ともなれば、あの場で己程度に頭を下げることは難しいだろう」



 腕を組み、柔らかい笑みを浮かべたバルドフは、ゆっくりと首を横に振る。


 躊躇いつつも顔を上げたルシアは、目を輝かせてバルドフの顔をじっと見つめた。

 


「……フォルスター殿であれば、いずれ師団長にもなり得たと聞き及んでおりますので」



「やめてくれ。己があそこに居たのは、君が生まれるよりも前の話だ」 



 思いがけないルシアの言葉に、バルドフは苦笑いを浮かべながら、照れくさそうに頬を搔く。


 2人の間に生暖かい雰囲気が流れる中、ルシアはハッと思い出したように口を開いた。


 

「おじいちゃん……失礼、ライオネル師団長も会いたがっておりました」



「ふふ、あの人も相変わらずのようだな」 



「はい。常々、フォルスター殿には戻ってきて欲しい、と」


「ふむ……」



 昔を懐かしむように目を伏せていたバルドフは、目を見開いて顔を上げる。


 しかし、すぐに表情を引き締め直すと、上目づかいで言葉を待つルシアに頭を下げた。



「……過分な申し出だが、応えることはできない。己の剣は、既に旦那様と……アルギス様に捧げている」



「そうですか……。では、そのように伝えます」



 半ば予想通りの返答に小さく肩を落としたルシアは、噛みしめるように数回頷く。


 目線を彷徨わせながら思案顔になるルシアに対し、バルドフは申し訳なさそうに眉尻を下げた。



「うむ。辛い役割だろうに、任せてすまないな」


 

「いえ、問題ありません。慣れておりますので」



 曖昧に微笑んだルシアは、気にした様子もなく、ヒラヒラと手を振る。


 そして、修練場をチラリと横目に見ると、恥ずかしそうに頭を搔きながら話題を変えた。



「それにしても驚きました。まさか、負けるとは」



「……ああ、己も正直、あそこまでとは思わなんだ」



 小さく息をついたバルドフは、アルギスの模擬戦を思い出しながら、嬉しそうに目を細める。


 修練場へと体を向けたバルドフの横で、ルシアは申し訳なさそうに腰を屈めた。



「報告には、一太刀目を避けた時点で十分だったんですけどね。つい、興が乗ってしまいました」



「なに、己も止めなかったのだ。同罪だろう」 


 

 ルシアに流し目を送ったバルドフは、冗談交じりにニヤリと口元を吊り上げる。


 すると、ルシアの表情はピシリと固まり、慌てて訂正しようと声を上げた。



「い、いえ!決して、そういう意味では!」


 

「ははは、アルギス様は剣に対する怯えがないからな。試したくなる気持ちもわかる」

 


「しかし、私の速度に慣れている素振りが見えましたが、あれもフォルスター殿が?」



 歯を見せて笑うバルドフに、ルシアは安堵の息を吐きながら、ふと疑問を零す。


 ルシアへと向き直ったバルドフは、少しだけ悔しそうに首を振った。



「いや。あれは、おそらくマリーとの模擬戦の成果だろうな」



「……マリー、とは?」



 聞き覚えの無い名にピクリと眉を上げた後、ルシアは目を細めて、バルドフを見上げる。


 ルシアの視線に気がついたバルドフは、すぐに苦笑いを浮かべて頬を搔いた。

 


「ああ、すまない。マリーはアルギス様の従者だ。あの子はウィザードでありながら、高速戦闘に長けるんだ」



「なるほど……。そのマリーとやらは、今どこに?」



 マリーの情報を得たルシアは、口角を吊り上げ、好戦的な笑みを浮かべる。


 そして、辺りで様子を窺っていた第四師団へと指示を出すと、バルドフと共に軽い足取りで騎士館を後にするのだった。

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