3話
日も傾き、公都の街並みを夕日が照らす中。
防壁に沿って歩いていた2人は、エンドワース家の屋敷が建つ、高台の裏へとやってきていた。
(……1人でここに来るのは、初めてだな)
太陽の光を反射してギラギラと輝く漆黒の城壁を見上げ、アルギスは眩しそうに目を細める。
すると直後、高台の下に設置された小屋の扉が勢いよく開き、中から鎧を纏う老騎士が姿を現した。
「お待たせいたしました。おや?アルギス様、本日はお一人ですかな?」
「ああ、そうなる。……元気そうで何よりだ、トマス」
「この老骨には、勿体ないお言葉にございます」
照れ笑いを浮かべたトマスは、やや丸くなった背中を曲げ、更に深く腰を折る。
しかし、すぐに表情を引き締めると、布の塊を担ぐマリーとアルギスを交互に見やった。
「確認になりますが、どういったご用件でしょう?」
「問題が発生した。裏口を降ろせ」
再度城壁を見上げたアルギスは、簡潔に指示だけを出す。
有無を言わせぬアルギスの態度に驚きつつも、トマスは腰に差していた杖を手に取った。
「では、少々お待ちください」
トマスが後ろを振り返って、杖の先に付いた鉱石を明滅させると、城壁の上でも同様の光が輝く。
しばらくすると、高台は一部がパラパラと崩れ、内側から漏れ出るように、暗く輝く光の階段を伸ばし始めた。
「マリー、もう降ろして良いぞ」
「っ!かしこまりました」
音もなく地面へと降りてくる通路に目を奪われていたマリーは、慌てて布を掴んでいた手を離し、肩からゲイルを落とす。
やがて、高台と地面が1本の通路で繋がると、階段の先、城壁にある小さな扉から赤黒い鎧が姿を見せた。
(あれは、バルドフだな)
通路へ向かおうとしていたアルギスは、扉を開けたバルドフを遠目に見据える。
すると、バルドフはキョロキョロと地面を見下ろし、高台の上から飛び降りたのだ。
(おいおい……)
落下してくるバルドフの速度に、アルギスは頬を引きつらせる。
短い滞空の後、バルドフはアルギスからやや離れた地点へ、轟音と共に着地した。
「――ご帰還されているとは気が付かず、大変申し訳ございません」
「……構わん。そもそも、身を隠してここまで来たんだ」
舞い上がる土埃の中から、何事もなかったかのように向かってくるバルドフに、アルギスは呆れ顔で肩を竦める。
そして、顔だけを後ろへ向けると、マリーの横に落ちているゲイルを指さした。
「あれを持て」
「はっ!」
指示を受けたバルドフは、しゃがみ込んで丸められた布へと触れる。
しかし、中に入っている物を確認すると、目を鋭くしてアルギスの顔を見つめた。
「アルギス様、これはもしや先程騎士団に運ばれてきた者たちと関連が?」
「ああ、詳しいことは父上の前で話す。一先ず持ってこい」
「承知いたしました」
バルドフがゲイルの包まれた布を小脇に抱えて立ち上がると、アルギスはマリーを連れて、足早に通路へと向かう。
通路の先を見上げた3人は、マリーを先頭にして、空中に浮かぶ階段を登り始めた。
(……わからないことだらけだな。さて、どう伝えたものか)
マリーとバルドフに挟まれたアルギスは、頭を悩ませながら、通路を上がっていく。
やがて、城壁の前まで辿りくと、マリーは静かに扉を開けた。
「どうぞ、お入りください」
「ああ」
アルギスとバルドフの2人は、マリーの開けた扉をくぐり、騎士館の裏庭へと足を踏み入れる。
そして、マリーが裏庭へと入り、扉を閉めると、バルドフは前を歩くアルギスの横に並んだ。
「この者は、いかがされますか?」
「……一旦、地下牢の最下層へでも閉じ込めておけ」
足を止めることなく、アルギスはバルドフへと追加の指示を出す。
しかし、バルドフが近くにいた騎士を呼び寄せると、振り返って立ち止まった。
「待て、それはお前が直接牢に入れて来い。私は父上の執務室へ向かう」
「委細、承知いたしました」
神妙に頷いたバルドフは、深々と頭を下げて騎士団の本部へと戻っていく。
遠くなるバルドフの背中から目を逸らすと、アルギスは難しい顔で歩き始めた。
「……マリー、ジャックの所へ行って、私が会いたい旨を父上に伝えさせろ」
「かしこまりました」
アルギスと共に歩き出したマリーは、その場で足を止め、ゆっくりと頭を下げる。
少しの間が空いて、顔を上げると、駆けるように屋敷へと向かっていった。
(はぁ、気の休まる暇がないな。……”アルギス”、お前もそうだったのか?)
裏庭に1人残ったアルギスは、屋敷へと近づいていく道中、薄くなった記憶に思いを馳せる。
ゲーム内で不敵な笑みを浮かべる”アルギス”の姿を思い出すと、すぐに唇を引き結んだ。
「……まだだ。まだ、足掻いてやる」
誰にともなく呟いたアルギスは、不敵な笑みを湛え、屋敷の扉を勢いよく開ける。
すると、中の回廊ではジャックとマリーの2人が、揃って頭を下げていた。
「お帰りなさいませ。アルギス様」
「父上への言伝は済んでいるか?」
「はい。旦那様からは、既にご許可を頂いております」
顔を上げたジャックは、アルギスの後ろに付き従いながら言葉を返す。
ソウェイルドへ話が通っていることを確認すると、アルギスは廊下を見据えて、歩く速度を上げた。
「このまま向かう。ついて来い」
「……かしこまりました」
アルギスのただならぬ雰囲気に目を眇めつつも、ジャックは小さく頭を下げ、後を追いかける。
それからしばらくの間、廊下を進んだ2人は、先を急ぐように2階へと繋がる階段に足を掛けた。
(……この対応の早さは、やはり不測の事態なんだろうな)
言伝に対するソウェイルドの反応に、アルギスは苦々しげに顔を歪める。
しかし、階段を登り切る頃には、どうにか元通りの笑みを浮かべて廊下を進んでいった。
やがて、執務室の前へとやってくると、ジャックはアルギスの前に進み出て、素早くドアを開ける。
「お入りください」
「ああ。……後にバルドフも来る、ここで待っていろ」
着ていたローブを預けたアルギスは、軽く身なりを整えて、中に入っていく。
不満げに腕を組んで待つソウェイルドの姿を確認すると、執務机へ近づき、粛々と頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません」
「構わん。それよりも、なぜ裏の通路を降ろした?」
ゆっくりと腕を降ろしたソウェイルドは、小さく息をつきながら首を横に振る。
しかし、机に肘をついて前のめりになると、眉間に皺を寄せ、アルギスの顔をじっと見つめた。
「その件についてですが、バルドフに少々指示を出しておりますので、到着を待った方がよろしいかと」
一度言葉を区切ったアルギスは、小さく頭を下げた後、姿勢を正して言葉を待つ。
室内を沈黙が支配する中、ソウェイルドは疲れたように首を回し、部屋の中心に置かれたソファーを指さした。
「……そうか、ならば話は奴が来てからにしよう。掛けて待っていなさい」
「はい」
釣られるように後ろを振り返ったアルギスは、そのままソファーへ近づくと、浅く腰掛けて瞼を閉じる。
それから、しばらく時間が経った頃。
扉が開くと同時に響いた、金属の擦れあう音にパチリと目を開けた。
(……来たか)
「失礼いたします」
執務室の入り口で頭を下げたバルドフは、キビキビとした動きでソウェイルドの机へと向かっていく。
バルドフに続いてジャックが部屋に入り、扉が閉まると、ソウェイルドは大きく息を吐いた。
「……では、改めて詳しく話せ」
「はい。公都近辺の森で冒険者数名を拘束後、騎士団へ連行しました」
ソファーから立ち上がり、机に近づいくと、アルギスはバルドフの横に並んで報告を始める。
難しい顔でアルギスを睨んでいたソウェイルドは、バルドフを一瞥した後、少しだけ表情を緩めた。
「それについては、既にバルドフから報告を受けている。それだけか?」
「……いえ。その後、事実確認のため冒険者ギルドへ向かい、魔族なる者を捕縛しております」
眉間の皺を薄くするソウェイルドに対し、報告を再開したアルギスは一層顔を顰める。
続けて報告された予想外の内容に、ソウェイルドは目を剥いて表情を一変させた。
「なに?私の街に魔族だと?……一体、どういうことだ」
「どうやら、レオニードに化けて冒険者ギルドへ潜入していたようです。受付嬢に気が付いている様子はありませんでしたが……」
奥歯を噛みしめるソウェイルドに身を引きつつも、アルギスは努めて冷静に報告を続ける。
湧き出る怒りを抑え込みながら、ソウェイルドは鋭い目線でアルギスを射抜いた。
「チッ!それを、他に誰が知っている?」
「この場に居る者を除けば、知っているのは恐らく私と、私の従者のみです。そのために姿を隠して裏から帰還しましたので」
一息に報告を終えると、アルギスは視線から逃げるように頭を下げる。
これまで苛立たし気に指を組んでいたソウェイルドは、机をバンと叩いて獰猛な笑みを浮かべた。
「そうか!よくやったぞ。それで、魔族はどこだ?」
「――バルドフ、父上に報告を」
「はっ!アルギス様のご指示通り、現在は地下牢の最下層に投獄しております」
顔を上げたアルギスが横目に見ると、バルドフはピンと背筋を伸ばして声を上げる。
数回小さく頷いたソウェイルドは、乱雑に開けた引き出しから2枚の手紙を取り出した。
「相手が魔族では公領内での処理すら難しい。全く、忌々しいことだ」
「……父上、魔族とは何者なのですか?」
ため息交じりにペンをとるソウェイルドの言葉に、アルギスの口からは思わず疑問が零れる。
すると、ソウェイルドはピタリとペンを走らせる手を止め、顔を上げた。
「……今から話すことは機密事項だ。いいな?」
「承知しました」
底冷えするようなソウェイルドの声色に、アルギスはゴクリと唾を飲みこむ。
しばしの逡巡の後、ソウェイルドは魔族、そして”デモルニア大陸”について語り始めた。
「――多種多様な魔族と竜王種を長とする竜人共が日夜争いを繰り広げていた最果ての大陸。それが”デモルニア”だ」
(なんということだ……。この世界に存在する、もう一つの大陸”デモルニア”だと?)
予想だにしていなかった内容に、アルギスはゆっくりと俯いて黙り込む。
一方、説明を終え、背もたれに深く寄りかかったソウェイルドは、小さく呟きを漏らした。
「……戯言とばかり思っていたが、どうやら”虚”の反転は事実のようだな」
「”虚”、ですか?」
少しの間、茫然と俯いていたアルギスは、聞き覚えのない単語に顔を上げる。
すると、ソウェイルドは思案顔で天井を見上げたまま口を開いた。
「ああ。”虚”とは我らの暮らす大地の遥か上、何人も生きること叶わぬ暗黒の海であり、万物の根源たるエーテルが満たす空間でもある」
(なるほど、宇宙が大気中にあるエーテルの供給源なのか。……しかし、”虚”とやらのエーテルは一体どこから来る?)
口元に手を当て、再び俯いたアルギスは、謎に包まれた”虚”とエーテルの存在に頭を悩ませる。
しかし、黙り込むアルギスと対照的に、机に肘をついて前のめりになったソウェイルドは、苛立ち交じりに言葉を続けた。
「近いうちに、恐らく第四師団が派遣されてくる」
「……第四師団とは?」
「第四師団は、いわば王国の暗部だ。魔族の護送ともなれば来るのは奴らだろう。一応、用意をしておけ」
(……もう、何も言うまい。それよりも、このままではマズイな)
当たり前のように話すソウェイルドに呆れつつも、アルギスは一層過酷になった未来を想像し、身を震わせる。
冷や汗を流すアルギスをよそに、小さく首をひねったソウェイルドは、顰めていた顔を緩めた。
「お前はじきに、”アイワズ魔術学院”の入学試験で王都へ向かうことになる。そちらの準備も整えておきなさい」
「承知しました。では、失礼いたします」
小さく頭を下げたアルギスは、すぐに手紙に目線を落とすソウェイルドに背を向ける。
そして新たに得た情報を整理しながら、足早に執務室を後にするのだった。
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