9話

 アルギスとマリーの2人が儀式場で休憩をとっていた頃。


 王都にあるアルドリッチの隠れ家では、つばの広い帽子を被った長身痩躯の男が、ゆったりと椅子に腰かけていた。



「初めまして、アルドリッチ・ブラックウッド。良い夜ですね」



「……何者だ、どうやってここに入った?」



 鍵がかかっているはずの部屋で待ち構えていた男に、アルドリッチは警戒心を隠すことなく尋ねる。


 すると、椅子から立ち上がった男は、胸に手を当て、歌うように口を開いた。


 

「――小生の名は、ウェルギリウス。依頼により参上仕りました」



「!お前が、あの”渡航者”ウェルギリウスだというのか……?」



 男の名乗りを聞いたアルドリッチは、信じられないものを見たように目を見開く。


 すると、ゆらりと体を揺らした長身痩躯の男――ウェルギリウスは、瞬きの間にアルドリッチの目の前へと移動した。

 


「おやおや、そちらの二つ名をご存じですか。では、依頼の内容も想像がつくのでは?」



「っ!?くそ!私は、まだ終われん!」


 

 跳ねるように後ずさったアルドリッチは、ローブの中から魔石を取り出すと、素早く魔力を込める。


 魔石から溢れた紫色の泡は、次第に、大量の包帯を巻きつけられたツギハギだらけの巨体へと変わっていった。



「やれ!フレッシュゴーレム!」



「グゥゥゥウ!」



「その程度では、小生は倒せませんよ」


 

 腕を振り上げる襲い掛かるフレッシュゴーレムに、ウェルギリウスは呆れ交じりに魔術を行使しようとする。


 しかし、フレッシュゴーレムに気をとられているウェルギリウスに、アルドリッチは続けざまに懐から取り出したアンプルを放り投げた。



「これならどうだ!」 

 


 アンプルが粉々に割れると同時に現れた紫色の魔力は、ウェルギリウスを中心に、一瞬で魔術陣となって床に広がる。


 そして、広がり切った魔術陣が床に吸い込まれるように消えていくと、ウェルギリウスはピタリと動きを止めた。



「これは……魔力の使用が、制限されている……?」



「今だ!」



「え……?」 


 

 慌てて身を翻したアルドリッチは、ポカンと口を開けるウェルギリウスを背に、一目散に隠れ家を逃げ出す。


 それから数時間。


 持っていた呪術のほとんどを使い果たすことで、アルドリッチはどうにかウェルギリウスから逃げ続けていた。



「くそ……。くそ、くそ、くそ!何ということだ。準備していた術式を、ここまで使わされるとは……!」



 禁術を含む呪術を、対ソウェイルド用としてあらかじめ用意していたが、残りの数は既に心もとない。


 しかし、アルドリッチには、これから追加の呪術を準備する時間も、素材もなかった。



「……ここまで来て諦められるものか。……アイナ、マーサ、もう少しだ」



 自分に言い聞かせるように呟いたアルドリッチは、目に狂気をたたえながら、人ごみ紛れるように王都の街並みを進んでいく。


 やがて、市民街を抜けようとした時、酒場にカルロスの姿を見つけ、目を見開いた。



(な、なぜ、ヤツが王都に……!?) 



 アルドリッチの目線の先に居たカルロスは、机に足をかけ、酒を片手に顔を赤らめている。


 周りに声が聞こえない距離まで近づいていったアルドリッチは、動揺を隠しながらカルロスの耳元で会話を始めた。



「貴様には儀式場のエンドワースを見張る役目を与えていたはずだ。なぜ、酒場で酒を飲んでいる?」


 

「大丈夫ですよ、旦那の呪術陣を設置しておきましたから。呪術ってのは、俺でも使えていいですね」



 へらへらと笑うカルロスは、酔っぱらっているのか、気にした様子もなく答える。


 しかし、目を血走らせたアルドリッチは、締め上げるほどの勢いでカルロスの胸倉を掴んだ。



「この愚か者が!設置型の呪術陣は、使用者の力量によって効力が変化するものを……!」



 計画を邪魔されたことに、わなわなと震えながら、場所も忘れて声を荒げる。


 すぐに、カルロスへと触れんばかりに顔を寄せたると、瞳孔の開いた目で睨みつけた。



「言え。どの術式を使った?」



「ほ、ほら、旦那が最後に作ってた”アレ”ですよ」



 憑りつかれたようなアルドリッチの目に、カルロスは狼狽えながら言葉を返す。


 カルロスの言う”アレ”に思い至ると、アルドリッチの顔色は途端に血の気を失った。

 


「”枯渇の禁呪”を、禁術を勝手に使ったのか!?」



「やたら女のガキがうるさかったもんで……でも、そのために用意したんでしょ?」



「違う!あれは、エンドワース家から逃げるための保険だ……!」

 


 カルロスの愚かさと、思慮の浅さに眩暈を覚えたアルドリッチは、フラリとよろめく。


 しかし、すぐに体に力を入れなおすと、苛立ち交じりにカルロスを突き放した。



「もういい!儀式場には私が行く。お前は指示した場所に行って、逃げる手段を用意しておけ!」



「……へいへい、わかりましたよ」



 気怠そうに呟いたカルロスは、肩をいからせて酒場を出て行くアルドリッチから目を逸らす。


 そして、残っていた酒を一気に飲み干すと、フラフラと酒場を去っていった。


 

 ――――翌日の夜、月が高く昇る頃。


 逃走経路の確保を命じられたはずのカルロスの姿は、王都近辺の森の中にあった。



「旦那に恨みはないが、どうやら潮時みたいだしな。……第一、あんな不気味な場所に、ずっと居られるかよ」



 ぶるりと体を震わせたカルロスは、つぎはぎだらけの馬のような死霊にまたがり、道なき道を駆けていく。


 死霊が風のような速度で森を進む中、アルドリッチの隠れ家から盗み出した魔石に目線を落とした。



「しっかし、こりゃあいいもんを手に入れた。魔力を込めるだけで、言うことを聞いて目的地に向かってくれるとはな」

 


 いやらしい笑みを浮かべたカルロスの指示に従い、死霊は軽快な足取りで、ソラリア王国の国境へと向かっていく。


 しかし、森の半ば程までやってきた時、カルロスを乗せた死霊の前に、爆発音と共に猛烈な勢いで黒い炎が立ち昇った。



「うわぁ!な、なんだ!?」



 吹き飛ばされた先で地面に手をついたカルロスは、すぐに死霊が斃れていることに気が付く。


 慌てて周囲を見回しながら、爆発音の原因を探していると、木々の間から赤黒い鎧を纏う巨体が姿を現した。



「……やっとだ。やっと、捕らえたぞ」



 ゾッとするほど冷たい声で呟いたバルドフは、怯えるカルロスを見据えながら、黒炎の揺らめく大剣を横薙ぎに払う。


 すると、近くの木々は音もなく斬り飛ばされ、倒れることすらなく灰となって消えていった。



「ひ、ヒィ!」

 


 バルドフの殺気に腰を抜かしたカルロスは、震える体で少しでも遠ざかろうと後ずさる。


 そしてポケットに手を入れると、先ほどよりも二回りは大きい紫色の魔石を取りだした。



「さっさと出てきて、俺を助けやがれ!」



 魔石から吐き出しされた紫色の泡は、モコモコと膨らみながら、かさを増し始める。


 やがて、見上げる程に膨らんだ泡が弾けると、筋骨隆々の体に文字の刻まれた仮面を装備した、巨大なフレッシュゴーレムが姿を現した。

 


「グゥゥゥ……!」



「……邪魔だ」


 

 立ちふさがるフレッシュゴーレムに対し、バルドフは目を細めながら、剣を下段に構える。


 すると、身を低くしたフレッシュゴーレムは、体格に見合わない俊敏さでバルドフへと襲い掛かった。



「グゥォォォォ!」



「――燃え盛れ、煉獄の炎よ」



 目にもとまらぬ速さでバルドフが剣を振りぬくと同時に、フレッシュゴーレムは十字に切り裂かれ、赤黒い炎を噴き出して燃え尽きる。


 フレッシュゴーレムを斃したことを確認し、ゆっくりと近づいてくるバルドフに、カルロスは泣きながら頭を下げた。



「あ、あぁぁ……。な、なあ、悪かった……何でも話すから、たす――」



「貴様の言葉になど、興味はない」



 カルロスが命乞いの言葉を言い終える前にバルドフは頭を斬り飛ばす。


 そして、転がった頭だけを壺に仕舞うと、灰になったカルロスの体を背に、ソウェイルドの元へと戻っていった。



 ◇

 


 一方同じ頃、カルロスがこの世から消え去ったことを知らないアルドリッチは、一心不乱に王都近くの廃村へと急いでいた。



「もう少し、もう少しなんだ。待っていてくれ、アイナ、マーサ」



 うわ言のように繰り返しながら、足早に儀式場を目指して、街道を進んでいく。


 もう少しで目的の村へと辿り着くというところで、どこからともなく足音が聞こえてきた。



「貴様が、アルドリッチ・ブラックウッドだな……?」



「何者だ!?」



 立ち止まったアルドリッチは、聞き覚えのない声に、不機嫌そうな声で誰何する。


 しかし、街道の先から歩いてくる男の姿を見て、表情を一変させた。



「そ、ソウェイルド・ワイズリィ・エンドワース……」



「ほう?私の顔と名を知りながら敵に回すとは、実にいい度胸をしている」



 暗闇から現れたソウェイルドは、体に黒い煙を纏わせながら、アルドリッチへと近づいていく。


 一方、唖然としたアルドリッチは、顔を青ざめさせながら、立ち竦んでいた。



(なぜ、ここにこの男が……?術式に問題はなかったはず……)



「居場所を知られていることが、それほど不思議か?貴様のマヌケな仲間が隠れ家に戻ったおかげで、容易にわかったぞ?」



「なっ!?」



「あとは貴様にアルギスの居場所を聞き出し、処理するだけだ」


 アルドリッチの目の前までやってきたソウェイルドは、怒りに塗れた顔で右手に煙を集め始める。


 すると、集まった黒い魔力の煙は、ユラユラと揺れ動きながら、禍々しい長杖へと姿を変えた。



「――頭が高い」 

 


「っ!」



 静かに向けられた長杖に対し、アルドリッチは険しい表情で、ローブの中にある魔石へ手を伸ばす。


 しかし、気が付くとローブの中にあるはずの左腕は、どこかに消え去っていた。



「が!?ぐわぁああ!」



 噴き出す血の量にアルドリッチは慌てて傷を押さえながら、しゃがみ込む。


 アルドリッチの腹を蹴り上げたソウェイルドは、杖を向け、睨むように見下ろした。



「今すぐに、アルギスの居場所を吐け」



「し、知らない……」



 地面に蹲ったアルドリッチは、痛みに悶えながら、ひねり出すように答える。


 すると次の瞬間、ソウェイルドの舌打ちと共に右足が消し飛ばされた。



「ぐうぅぅう!や、やめてくれ!」



「ならば嘘はやめておけ。頭を消し飛ばされたくなかったら、正直に答えろ」



 涙を流しながら懇願するアルドリッチに、ソウェイルドは黙って杖を向ける。


 少しでも逃げようと藻掻くアルドリッチの内心は、千々にかき乱だされていた。



(どうすれば、どうすれば!)



 なにもできることのない現状に諦めの感情が首をもかげる中、アルドリッチはある1つの可能性に行き着く。


 そして、身をよじるように動かしながら、ローブから呪術の込められた魔石を取り出した。

 


(……試したことはないが理論上は可能なはず。それに、どうせここで負ければすべてが終わりなんだ)

 


 アルドリッチが魔石をそのまま自らの腹部に押しあてると、紫色の泡はドロドロとアルドリッチを繭のように包み始める。


 ソウェイルドのスキルを発動する前に、紫色の繭はアルドリッチをすっぽりと包み込んでしまった。



「なんだ、この術式は?」



 見たことのない術式に眉を顰めたソウェイルドは、ぐねぐねと蠢く紫色の繭を遠目に観察する。


 しかし、すぐに繭には罅が入り、骨だけになった体にローブを纏う、死霊となったアルドリッチが立ち上がったのだ。

 


「ハハハ、成功だ。やはり、私は間違ってなどいなかった!」



「自我を持った死霊化の術式だと?貴様、なんというものを……」


 

 自らを死霊とする、あまりにも冒涜的な術式に、ソウェイルドは表情を凍り付かせる。


 人の姿を捨てたアルドリッチは、骨だけになった顎をカタカタと揺らしながら、地面を滑るように進みだした。 



「残念だったな、ソウェイルド」


 

「……現れろ、”アビス・パラディン”」


 

 ゆっくりと近づいてくるアルドリッチに、ソウェイルドは不愉快そうに顔を歪めながら、死霊を召喚する。


 体から噴き出した黒い煙がモクモクと周囲を包み込むと、中から巨大な盾を持つ全身鎧が現れた。


 

「ゴギャアァァァァ!」



「……なに?全て砕けているだと?」


 

 死霊を召喚しようとローブの中に手を入れたアルドリッチは、すぐに死霊を封じていた魔石が粉々になっていることに気が付く。


 しかし、慌てることなくアビス・パラディンへと指先を向けると、膨大な灰色の瘴気を集中させた。



「まあいい……これでも喰らえ」


 

「なんだ?――やれ、アビス・パラディン」


 

 奇妙な落ち着きを見せるアルドリッチを訝しみつつも、ソウェイルドはアビス・パラディンに盾を構えて突進を仕掛けさせる。


 すると、次の瞬間、集まりきった灰色の瘴気は、アビス・パラディンの盾にぶつかり、凄まじい轟音を響かせた。


 

「ゴギィァア!」


 

「なんだと!?」


 

 後ろに押し戻され、膝をつくアビス・パラディンに、ソウェイルドは目を疑う。


 一方、自身の魔術の為した結果に、アルドリッチは満足げな笑い声をあげていた。


 

「見ろ!魔物しか使用できない破壊系統を習得したぞ!ソウェイルド・エンドワースよ。私は今、お前を超えた!」

 


「おのれ……現れろ――」



 忌々し気に顔を歪めたソウェイルドは、アルドリッチを取り押させようと、次なる死霊を召喚し始める。


 しかし、輪郭をぼやけさせたアルドリッチは、影のように暗闇へと溶けていった。


 

「おっと、私は急いでいるので、これで失礼する。ではさらばだ、”元”最高の魔導師よ」


 

「くそが!……禁術の使用は予期していたが、まさか未知の術式を使うとは。それも死霊化の術式だと?」



 完全に姿を消すアルドリッチに、罵声を上げたソウェイルドは、沈痛な面持ちで紫色の繭を睨みつける。


 やがて、苛立たし気に顔を背けると、グツグツと憎悪を募らせながら、その場を後にするのだった。

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