8話

「……ま」



「……さま」



「……ギス様」

 


 意識を取り戻したアルギスは、体の鈍い重みと共に、体を揺らされていることに気が付く。


 目を開けて横を見ると、ぼろぼろと涙を流し、目の周りを真っ赤に腫らしたマリーが必死にアルギスを揺り起こしていたのだ。



 地面に手をつき、無理矢理上半身だけを起こしたアルギスは、寄りかかるようにマリーを片手に抱きしめた。


 

「大丈夫だ。もう、何も心配ない」



「!」



 アルギスの唐突な行動に身を固くしたマリーは、目の周りだけでなく、途端に顔全体を真っ赤に染め上げる。


 一方、すぐにマリーを放したアルギスは、気にした様子もなく、現状を調べようと辺りを見まわしていた。

 


「体が思うように動かんな」



「はい、ワタシもです……」



「それにしても、ここはどこなんだ?」



 どれだけ周りを見ても湿り気を帯びた壁と部屋が狭い、という情報しか手に入れることができない。


 諦めて部屋の壁から目線を外したアルギスは、口元に手を当て、考え込み始める。

 


(しかし、アイツはどうやって逃げ出したんだ?それらしいスキルはなかったはずだが……)



 考えあぐねるアルギスとキョロキョロと辺りを見回すマリー。


 薄暗い部屋を静寂が支配し、空気の抜ける音だけが聞こえる中、マリーは勇気を振り絞って話しかけた。



「……失礼ながら、アルギス様はどのようにしてここへ?」



「ん?ああ、私は、なぜか地下牢に捉えておいたはずの男に気絶させられたのだ」


 

 横からの質問に思考を中断したアルギスは、顔を上げてマリーに言葉を返す。


 そして不快げに顔を歪めながら、吐き捨てるように言葉を続けた。


 

「まさか、屋敷で賊に襲われるとはな」



「あ、あの、実は――」


 

 苛立つアルギスに顔を青くしたマリーは、たどたどしく口を開く。


 マリーが気を失った時のことを伝えると、アルギスは腑に落ちたとばかりに頷いた。

 


「……なるほどな。だが、これで不調の原因もわかったぞ」


 

「え、なんなのですか?」



「おそらくだが、”呪術”だろう。アルドリッチは魔導師だからな。妨害系統も当然、修めている」



 大雑把に説明をしたアルギスは、壁を支えにして、鉛のような体で立ち上がる。


 服の埃を払って、不敵な笑みを浮かべながら、マリーへと片手を差し出した。



「立てるか?目立った怪我は、ないようだが」



「!は、はい、ありがとうございます……」



 いきなりのことに驚きつつも、マリーは遠慮がちに手を握る。


 そのまま、アルギスへと寄りかかるように立ち上がると、大慌てで飛びのいた。



「大変、失礼をいたしました!」 



「構わん。そんなことよりも、さっさとこの部屋を出るために、呪術を維持している”呪術陣”を発見……破壊しなければならないだろう」



 頭を下げるマリーを一顧だにせず、アルギスは支えにしていた壁をコンコンと叩く。


 恐る恐る顔を上げたマリーは、不安げな表情で部屋の中に視線を彷徨わせた。



「破壊、ですか?」



「そうだ、このままではいずれ力尽きてしまうからな。それは避けたいだろう?」



「それは、そうですが……」

 


「まあ、任せておけ。……《傲慢の瞳》よ――」

 


 徐々に減少する魔力と重たくなっていく体を肌に感じつつも、アルギスはニヤリと口角をつり上げる。


 そして、すぐにスキルを使用しながら、天井から床までをぐるりと見渡した。


 

「見つけたぞ、あそこだ。あそこに術式がある」



「?何もないように見えますが……」


 

 アルギスの指さす先にある石造りの壁を見て、マリーは不思議そうに首を傾げる。


 しかし、一点だけを見つめたアルギスは、壁伝いにフラフラと歩きだした。



(……このスキルが無かったら、危なかったな) 


 

 壁の中心に現れたカーソルへ意識を集中させると、詳細な鑑定結果が映し出される。


 

――――――――



『枯渇の禁呪』:《傲慢の瞳》により、この枯渇の禁呪は禁術指定の呪術陣であると判明。この呪術陣は常に純魔力を吸収することで敵の行動を阻害する。



――――――――



(純魔力を吸収、か。それに禁術とは……)


 

 呪術陣の隠された壁に辿り着いたアルギスは、苦々しく顔を歪めながら、そっと手を触れた。


 少しずつ魔力を流していくと、これまで何の変哲もなった壁には、おどろおどろしい紫色の魔術陣が現れる。



「……こんなことになるなら、妨害系統も学んでおくべきだったな」


 

 悔し気に呟いたアルギスは、流し込む魔力の量を一気に増やし、術式に対して無理矢理干渉し始めた。


 すると、すぐに顔には冷や汗が流れ、噛みしめた唇の端からは血が流れ始める。



「ぐっぅ!」



「アルギス様、もうおやめください!」



「……これは、私にしかできないことだ」



 見ていられなくなったマリーが叫び声をあげるが、アルギスは手を緩めない。


 やがて、禍々しい紫の魔力を黒い魔力が飲み込むと、呪術陣は輝きを失い、効果を停止する。


 ようやく体が軽くなったことを感じながら、アルギスはズルズルと床に崩れ落ちた。


 

「くっ!ハァハァ……」



「アルギス様!」



 息を切らして蹲るアルギスを支えようと、マリーは慌ててしゃがみ込む。


 壁にもたれかかるように座らされたアルギスは、大粒の汗を流しながら、不敵に笑った。


 

「言っただろう?任せておけと」



「ですが、お体が……」

 


「ここにいれば、どうせ最期は一緒だ。とにかく、通路に出るぞ」


 

 時間が惜しいとばかりにマリーの手を払って立ち上がったアルギスは、呪術陣を消滅させたことで、脆くなった壁を蹴り壊す。


 通路へ出た2人の目に飛び込んできたのは、ボロボロの廊下に一定の間隔で燭台が置かれた、気の滅入るような場所だった。



「ここは一体どこなんでしょう……」



「さあな。だが、愉快な場所でないことは確かだ」



 不安げに辺りを見回すマリーと対照的に、アルギスは通路の奥に広がる闇を見据える。


 そして息が詰まるような不安を感じつつも、2人は僅かな灯りを頼りに、薄暗い廊下へと足を向けた。



 それから歩くこと数分。


 目線をせわしなく揺れ動かしていたマリーは、震える声で小さく口を開いた。



「出口は、どこでしょうか……」

 


「一見したところ、地下のようだが……階段は見当たらないな」


 

 周囲を警戒しながら前を歩いていたアルギスは、落ち着いた表情で、窓1つない廊下を眺める。


 しかし、どこからともなく聞こえてくる足音に気が付くと、マリーの手を掴んで柱の陰に駆け寄った。


 

「!こっちだ」



「はい!」



 突然手を引かれたことに驚きながらも、マリーはアルギス同様、柱の影に隠れる。


 徐々に大きくなる足音を、2人が息を殺して待っていると、人骨だけの姿をした魔物――スケルトンが3体、歩いてくるのが目に入った。

 


「……スケルトン、だと?」



「だ、大丈夫でしょうか?」



 ギシギシと軋むような音に、思わずアルギスの服を掴んだマリーは、不安げな声で問いかける。


 一方、拳を握りしめたアルギスは、マリーを緊張を落ち着かせるように、穏やかな声音で答えた。



「ああ、私も他の魔物であったなら、同じように怯えていただろう。……だが死霊であれば問題はない。――死霊使役」



 呪文が詠唱されるとともに、黒い霧に包まれたスケルトンたちは、その場でピタリと足を止める。


 そして、すぐに再び動き出すと、アルギス達を守るように前を向き直った。



「進むぞ」



「は、はい」



 3体のスケルトンを先行させたアルギスは、マリーを引き連れて通路の奥へと進んでいく。


 しかし、しばらく廊下を進んだ時、再び響き渡るスケルトンの足音に足を止めた。



「またか。多いな……」



「はい。本当に、ここは一体……」 



 2人が身を隠す中、不愉快な音を立てながら、燭台の明かりで照らされた3体のスケルトンが姿を現す。


 スケルトンが通り抜けたことを確認したアルギスは、使役したスケルトンで攻撃を仕掛けた。



(急に強くなったりしなくてよかった)



 後ろから襲い掛かったアルギスの使役するスケルトンは、敵のスケルトンと拮抗した乱戦を始める。


 そのまま相打ちとなるかに思えたが、徐々にアルギスの使役するスケルトンが優勢になっていった。



「なに?……使役された死霊は、多少強化されるのか?」



 様子を見ていたアルギスは、使役するスケルトンを1体残し、敵が全て消滅したのを見て目を丸くする。


 死霊術について考察しながら、倒したスケルトンの剣を拾おうとしゃがみ込むと、小さな丸い宝石のようなものが目に入った。



「なんだ、これは?」



 見覚えのない宝石を拾い上げたアルギスは、訝し気な目でじっと見つめる。


 そのまま《傲慢の瞳》を使用して、見慣れたカーソルに意識を集中させた。


 

――――――――



『無属性魔石』:《傲慢の瞳》により、この魔石は無属性魔石であると判明。この魔石は低位のものであり、込められる魔力量は少ない。



――――――――


「ほう、これが魔石か。……ゴブリンにもあったのか?」



 魔石をジロジロと眺めていたアルギスは、疑念を振り払うようにポケットへしまう。


 そして、スケルトンの持っていた剣の中で比較的まともなものを拾い上げると、マリーへと渡した。



「持っておけ。素手よりは、ましだろう」



「ありがとうございます……!」



 剣を受け取ったマリーは、身をすくませながらも、決意に満ちた目で柄を握りしめる。


 しかし、同じように剣を手にしたアルギスは、呆れたようにマリーから目線を外した。


 

「……可能な限り戦闘は避けるぞ。戦うとしても、不意打ちだ」



「!はい。かしこまりました……」



 恥ずかし気に顔を赤らめたマリーは、進み出すスケルトンとアルギスの後を追いかけていく。


 しばらくの間、スケルトンに隠れながら廊下を進むうちに、アルギスはある違和感に気が付いた。



(……やはり、スケルトン同士なら戦闘にならないな)


 

 隠れてスケルトンのみを先行させると、敵のスケルトンはまるで気づく様子もなく、そのまま素通りしたのだ。


 

「――羽交い絞めにしろ」

 


 敵のスケルトンを後ろから拘束させたアルギスは、悠々と近づき、胸にあった魔石を抜き取る。


 すると、魔石を失ったスケルトンは崩れ落ち、2度と立ち上がることはなかった。



「喜べ、マリー。弱点がわかったぞ」


 

 戦闘が避けられることを確認したアルギスは、小さな魔石を握りしめながら上機嫌に口角をあげる。


 そして全てのスケルトンから魔石を抜き取ると、その内の1つをマリーに手渡した。



「これを抜き取るか、破壊すればスケルトンは止まる」



「かしこまりました」

 


 弱点がわかり、破竹の勢いで進んでいた2人は、この場所の核心に迫りつつあることを確信する。


 通路の奥へと進むにつれて、スケルトンの数は徐々に、だが確実に増加しているのだ。



「この先に、なにかあるのでしょうか……?」



「分からん。とにかく、気を引き締めておけ」



 異変を感じ取りつつも、アルギスとマリーは胸の魔石を抜き取りながら先に進んでいく。


 やがて長かった通路が終わりを迎え、視界に映る範囲のスケルトンがいなくなると、目の前に金属製の扉が現れた。



「何でしょう?今までとは、だいぶ雰囲気が違いますね……」



「ああ。どうやら、ここが最奥のようだしな」



 しり込みをするマリーに対し、アルギスは真っすぐ鈍く光る扉に向かっていく。


 そして、扉に触れられる位置までやってくると、大きく息をついた。



「行くか」 



「……本当に入られるのですか?」



「それ以外に選択肢はないからな」



 アルギスがドアノブを回すと、扉はガタガタと不愉快な音を立てて開く。


 警戒しながら、中を覗き込んだ2人は、部屋の光景に言葉を失った。



「……なんだ、これは」



「…………」



 2人が覗き込んだ先、鉱石のような灯りに照らされた部屋には、白骨化した大量の死体が積まれ、中央には巨大な魔術陣が設置されている。


 戦闘の痕跡も、周囲に血痕もない不自然な亡骸と、用途不明の魔術陣に、アルギスは頭を悩ませた。



「ここで、なにが起こったんだ?それに、これだけ集められた死体が1つも腐敗していないだと……?」 


 

「は、はい……」



 あまりにも異様な光景にマリーは、顔を青くして、立ちすくむ。


 口元に手を当て、じっと考え込んでいたアルギスは、意を決して部屋に足を踏み入れた。

 


「仕方ない、少し調べてみよう。……何かあったら、すぐに呼べ」



「か、かしこまりました」 



 この場所が何のために使われていたかを調べるために、2人は別れて周囲を探索し始める。


 しばらくして、巨大な魔術陣に目線を落としたアルギスは、刻まれている文字に既視感を感じた。



(この文字は、どこかで……思い出したぞ、屋敷の地下にある魔術陣だ)



 既視感の正体に気が付くと、途端に嫌な思い出が走馬灯のように流れる。


 背筋を走る悪寒と共に、苦々しげに顔を歪めたアルギスの口から、小さな呟きが零れた。



「ここは、儀式場か……」



「きゃあ!」



「どうした!?」



 魔術陣を鑑定しようとしてアルギスは、マリーの悲鳴に慌てて振り返る。


 すると、死体の1つがカタカタと揺れ始め、スケルトンとなって立ち上がろうとしていた。



「チッ!――行け」 



 使役されたスケルトンは、マリーを囲むように駆け寄り、戦闘の準備を整える。


 しかし、ギシギシと立ち上がったスケルトンは、使役されたスケルトンだけでなく、アルギスやマリーにも反応せずに通り抜けていった。



「……行っちゃいましたね」



「ああ……。まさか、この部屋で戦闘は起きないのか……?」



 扉を開けて部屋を出ていくスケルトンを見た2人は、予想外の出来事に目を丸くする。


 思いがけず、安全を確保したことで、疲れ切った体を休め始めるのだった。 

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