7話
マリーが騎士館の掃除を任された日の午後。
剣術の鍛錬を終えたアルギスの下へ、どこか落ち着かない様子のエマがやって来ていた。
着替えを終えてすぐに、エマから相談を受けたアルギスは、その内容に眉を顰める。
「なに?マリーがいなくなった?」
「はい。騎士館にはいなかったので、もしかしたら坊ちゃんのお部屋かと……」
腰を折ったエマは、アルギスの部屋を見回しながら、不安げに言葉じりを下げた。
椅子に腰かけたアルギスは、不思議そうな顔で首を横に振る。
「いや、私も知らんな。そもそも、今日は見ていないぞ」
「そうですか……。失礼いたしました……」
見込みが外れたエマは、頭を下げてトボトボと部屋を去っていった。
エマが部屋を出たことを確認したアルギスは、本を手に取りながら、机に向き直る。
(この屋敷は無駄に広いからな。どこかにいるだろう)
マリーの行方が気になりつつも、深くは考えずに本を開いた。
そして、パラパラとページを捲り始めたアルギスの耳に、再び扉の開く音が聞こえてくる。
(ノックがない。……エマが、なにか伝え忘れたのか?)
「今度は何の用だ?」
違和感が気になりながらも、アルギスは本に目を落としたまま口を開いた。
すると、扉の方から、あざ笑うかのような声が聞こえてくる。
「よお、また会ったなクソガキ。用があるのはお前の身柄だ」
想像していたものとは異なる声に、アルギスは弾かれたように扉に顔を向けた。
目線の先には、公都の市街地でバルドフが拘束した〈リヴェナンス〉の下級構成員――カルロスが立っていたのだ。
(なぜコイツがここに?……まあ、いい)
非合法組織のメンバーが屋敷を出歩いていることに眉を顰めながら、静かに椅子から立ち上がる。
「――我が下僕よ、契約に従い、その身を現せ。死霊召喚」
呪文を唱えると同時に、黒い霧が猛烈な勢いで体から溢れ出した。
そして黒い霧をまき散らすように、漆黒のオーガスケルトン――屍骸の鬼が姿を現す。
「グガァァァア!」
「かー!やっぱお貴族様は、ガキとはいえ魔術師かよ」
「……私に、貴様が倒せないと思っているのか?」
死霊を見ても態度を変えないカルロスに、アルギスは訝し気に目を細める。
すると、死骸の鬼を眺めていたカルロスは、わざとらしい程おおげさに肩をすくめた。
「いんや、100回やっても俺はお前に勝てんだろうね」
「その割に、随分と余裕だな」
「今はこんなもんを、渡されてるんでな!」
ニヤリと笑ったカルロスは、ポケットから取り出したガラス製のアンプルを、そのまま床にたたきつける。
粉々に砕け散ったアンプルは、中に封じ込められていた呪術を解放した。
「くっ!なんだ、この魔力は!」
放たれた紫色の魔力は、早送りのような速度で膨れ上がる。
やがて、膨れ上がり切ったヘドロのような紫色の魔力は、アルギスと屍骸の鬼に絡みついた。
「へへ、この前とは逆だな」
「貴様、どうなるか、わかってるんだろうな」
余裕の表情で近づいてくるカルロスに、アルギスは苛立たし気に顔を歪める。
しかし、カルロスはなおも余裕の表情で、アルギスの目の前に立った。
「そりゃあ、こっちの台詞だぜ」
「体が全く動かないだと……?」
屍骸の鬼に指示を出そうとしたアルギスは、体が石のように固まっていることに気が付く。
それからしばらくの間、体から魔力を吸い出されるような感覚に耐えていたが、ついに膝をついた。
身動きが取れなくなったアルギスを、カルロスは楽し気にヘラヘラと笑う。
「わりーな。ぶっちゃけ俺もやりたいわけじゃないんだが、命がかかってるもんでね」
「くそ、必ず、この、報いは、うけ、させる」
既に床に蹲っていたアルギスは、カルロスを睨みつけながら意識を途切れさせた。
アルギスが気を失ったことを確かめたカルロスは、いやらしい笑みを浮かべる。
「はは、ざまぁないぜ」
しかしながら、ここでカルロスにとって予想外のことが起きた。
アルギスが倒れ、紫色の魔力が消え去ると同時に、術者の支配を失った屍骸の鬼がカルロスへと襲いかかったのだ。
「……グガァゥゥ!」
「う、うわぁあ!」
尻もちをついたカルロスは、腕で顔を庇いながら、攻撃に怯えて目を瞑る。
しかし、いつまでも経っても攻撃はされない。
不思議に思いながら薄目を開けると、目線の先にあったのは、紫色の魔力に拘束された屍骸の鬼と、苛立たし気に顔を歪めるアルドリッチの姿だった。
「グゥゥゥゥ……」
「へ、へへ。助かりましたよ」
「……まさか、すでに契約死霊を持っているとは。……雑用の少女といい、計算違いばかりだ」
再び屍骸の鬼を拘束したアルドリッチは、重苦しい呟きと共に、片手で顔を覆う。
やがて諦めたように懐からアンプルを取り出すと、屍骸の鬼に向かって放り投げた。
「ここで2つも”呪術”を使うことになったか……。まあいい、さっさとエンドワースを持て」
「はい、はい。これでいいんでしょ、上級構成員様」
屍骸の鬼が紫色の魔力に溶かされていく中、立ち上がったカルロスは、アルギスを肩に担ぎ上げる。
気楽なカルロスの態度に苛つきながらも、アルドリッチは部屋の出口に足を向けた。
「ああ」
「しっかし、このガキが素直に言うことを聞くとは思えませんがねぇ。売っちまった方が、いいんじゃないですか?」
アルドリッチの後を追いかけるカルロスは、相変わらずニヤニヤと笑いながら軽口をたたく。
すると、顔を歪めて振り返ったアルドリッチは、気さくに話しかけるカルロスを、無言でギロリと睨みつけた。
「…………」
「じょ、冗談ですって。そんなに怒らないで、ね?」
失敗を悟ったカルロスは、慌てておどけながら手を振る。
懐から時計のような魔道具を取り出したアルドリッチは、なおも苛立たし気に前を向き直った。
「だったら、その不愉快なおしゃべりと、頭の悪そうな顔を止めろ」
「へへへ……すみません」
媚びるような笑いを零したカルロスは、頭を搔きながら、軽口をやめる。
しかし、すぐに前を歩くアルドリッチの隣に並ぶと、注意を忘れたように口を開いた。
「それで、いつ頃屋敷を出られるんです?」
「……この後は、本来ならば魔術の講義がある。その時間内に屋敷を出るぞ」
5分と黙っていないカルロスに迷惑そうな顔をしながらも、アルドリッチは今後の予定を話す。
以降、無言になったアルドリッチとカルロスの2人は、使用人たちから見えていないかのように、悠々と廊下を進んでいった。
――――その後、夕食の場にやってこないアルギスを不思議に思った使用人が様子を見に行くと、鍛錬場には人がいた気配すらない。
メイド見習いのマリー、地下牢に閉じ込められていた囚人のカルロス、そしてエンドワース家の嫡男アルギス。
この日、エンドワース邸から3人の人物が消えたのだった。
◇
アルドリッチの凶行の翌日。
アルギスがいなくなったことに取り乱したヘレナは、熱を出し、寝込んでしまった。
バルドフは失態の責任を取るため、騎士団長を辞そうとしている。
寝込んだヘレナの看病に追われるエマは、マリーについて心配する暇もない。
大慌ての上層部に、屋敷の使用人や騎士たちが浮足立つ中、エンドワース家現当主――ソウェイルドが、ついに屋敷へと帰投したのだ。
「これは一体、どういうことだ!」
散々たる屋敷の現状に、ソウェイルドは机を叩きながら声を張り上げる。
自責の念を滲ませたバルドフは、沈痛な面持ちで深々と腰を折った。
「……全て己の失態です。大変、申しわけございません」
「誰が謝罪をしろと言った!なぜ、このようなことになったか報告しろ!」
顔を真っ赤に染め上げたソウェイルドは、歯を剥いて怒鳴り散らす。
あまりの剣幕に部屋の誰もが身を固くする中、バルドフは躊躇いがちに口を開いた。
「……それがどうやら、坊ちゃんについていた魔術講師が、〈リヴェナンス〉の者であったようです」
「……お前は〈リヴェナンス〉の手の者を、屋敷に招き入れたというのか?」
ビキビキと青筋を立てながらも、ソウェイルドは努めて冷静な口調で話す。
静かな圧力に、なおも腰を折ったままのバルドフは、冷汗を流しながら報告を再開した。
「経歴と素行は事前に調査させたのですが、問題はなく……」
「それを見抜くのが、お前の役目だろうが!」
「……返す言葉も、ございません」
我慢の限界を超えたソウェイルドは、怒りが治まらない様子で声を荒げる。
しかし、すぐに気持ちを切り替えるように息を吐くと、背もたれに深く寄りかかった。
「――今すぐに現在ある情報の真偽を確定し、討伐隊を編成しろ。……場合によっては、私も出る」
「!旦那様が出向かれるほどの相手であると?」
これまでじっと頭を下げ続けていたバルドフは、目を見開いて顔を跳ね上げる。
すると、口元に手を当て、思案顔になっていたソウェイルドは、目線だけをバルドフに向けた。
「〈リヴェナンス〉の魔術師であれば、禁術が使用されるやもしれん。そうなれば、対応できるのは私くらいだろう」
「はっ!失礼いたしました!直ちに行動を開始いたします!」
勢いよく頭を下げたバルドフは、覚悟を決めた表情で、足早に執務室から出ていく。
バルドフから目線を外したソウェイルドは、机から取り出した手紙を、側に立っていたジャックに差し出した。
「……これで、ウェルギリウスに連絡を取れ」
「かしこまりました」
手紙を受け取ったジャックもまた、指示に従い、急いで部屋を出ていく。
全ての指示を出し終えたソウェイルドは、今まで抑え込んできた怒りを、一気に再燃させた。
「絶対に許さん!震えて待っていろよ、害虫め……。この私自ら、八つ裂きにしてくれる!」
堪えきれなくなったように立ち上がると、机を罅が入るほどの勢いで殴りつける。
怯える使用人たちをよそに、奥歯を噛みしめながら、ズカズカと執務室を出ていった。
――――そして、次の日の夜。
ソウェイルドの執務室には、いつも通り真っ黒の衣服に身を包んだウェルギリウスの姿があった。
「何やら、小生にご入用だとか?」
ソファーに腰かけたウェルギリウスは、広いつばに隠れた目を、楽し気に細める。
一方、向かいのソファーに座るソウェイルドは、苛立たし気に指で机を叩きながら、顔を歪めた。
「わかっているだろうが。さっさと話せ」
「ええ、そうですね。今日は、このくらいにしておきましょう」
帽子を深くかぶり直したウェルギリウスは、すぐに声色をまじめなものに変える。
そして、前のめりになると、依頼されていた調査内容を報告し始めた。
「まず、アルドリッチ・ブラックウッドについてですが、彼は数年前どうやら娘を喪ったそうで――」
ウェルギリウス曰く、早くに妻を病気で亡くしたアルドリッチは、父と娘の2人で生活していたという。
しかし、数年前、娘を妻と同じ病気で喪って以降、姿をくらましていたのだ。
悲劇的な話を、黙って聞いていたソウェイルドは、不快そうな顔でウェルギリウスを睨みつけた。
「つまらん男の一生など、どうでもいい。さっさとアルギスに関する情報を教えろ」
「ここからが、要注目ですよ」
ソウェイルドから目を反らしたウェルギリウスは、どこか誤魔化すように言葉を続ける。
そして、アルドリッチが蘇生術の研究に傾倒してから、エンドワース家の家庭教師になるまでを一息に話しきった。
まるで舞台のように大げさな抑揚で話すウェルギリウスに対し、ソウェイルドは目を瞑りながら、なおも静かに苛立ちを募らせる。
「……それで、アルギスの居場所はどこだ?」
「それが……アルドリッチは〈リヴェナンス〉から姿を消しておりまして……」
これまで饒舌に話していたウェルギリウスは、少しだけ口ごもりながら、気まずそうに報告を続ける。
すると、目を剥いたソウェイルドの表情は、一瞬で驚きと怒りに染まった。
「なんだと?では、アルギスの状況は変わらないというのか!?」
「い、いえ、既に隠れ家も発見しておりますので……」
目前で怒鳴りつけられたウェルギリウスは、珍しく慌てた様子で頭を下げる。
肘掛けに頬杖をついたソウェイルドは、顔を顰めながら、鬱陶しそうに手を振った。
「言い訳など要らん。……見つけたら即座に報告しろ」
「……はい。では失礼いたします」
席を立ったウェルギリウスは、胸に手を当て、優雅に一礼する。
そして、メイドの案内を断ると、音もなく去っていった。
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