2話

 穏やかなひだまりの午後。


公都に程近い森では、エンドワース家騎士団による魔物の討伐が行われていた。


 小隊を組んだ騎士たちは、磨き上げられた鎧を身に纏い、剣を片手に次々と魔物を屠っている。


 心地よい木漏れ日に似合わない魔物の叫び声が森に響く中、バルドフに守られるように歩くアルギスの姿があった。



「それで、いつになったら私は戦えるんだ?」



「……坊ちゃん、恐れながら本当に実戦を?」


 

 ふてくされたような声を上げるアルギスに、前を歩いていたバルドフは、頬を引きつらせながら振り返る。


 しかし、バルドフの問いかけに対し、アルギスは不敵な笑みを浮かべながら肩をすくめた。



「当たり前だ。でなければ、わざわざ来た意味がないだろう」 


 

「はぁ、そうですか……」


 

 処置無しと首を振ったバルドフは、諦めたようにため息をついて前を向き直る。


 鬱蒼と茂る木々と、遥か遠くから聞こえてくる鳴き声に、アルギスは剣の柄を握る手に力が入った。



(さて、大した魔物は出ないと言っていたが……)



 事前に聞いていた説明を思い返しながら少し森を歩いていると、ガサガサと草木の揺れる音がする。


 物音のした方を振り向くと、そこには屋敷の鍛錬場で死体として見た魔物――ゴブリンが立っていたのだ。


 身長こそアルギスと変わらない程度だが、生きているゴブリンは醜悪な顔に涎を垂らし、牙を見せて唸っている。



「グギャギャ……」 


 

(こうして生きている所を実際に見ると、絶対に倒せるとは言い切れない。だが――)



 初めての戦闘に怯える自らの心に蓋をしたアルギスは、大きく息を吐いて体に透明な魔力を纏わせる。


 そして金属がこすれる音を立てながら、真新しい剣を鞘から引き抜いた。



「私は、こんなところで立ち止まれん!」



「ギャ……?」



 手に汗を滲ませ、緩慢な動きで近づいてきたゴブリンの首を切り飛ばす。


 訳もわからぬまま首を失ったゴブリンは、ドサリと後ろに倒れ、勢いよく血を噴き出した。



(……魔物とはいえ、生物を殺しても心には波1つ起きないか。いよいよ、身も心も、ということなのかもしれないな)


 

 死体となったゴブリンを冷たい目で見下ろしていたアルギスは、どこか寂し気な笑みを浮かべる。


 そのまま感傷に浸っていると、後ろからガチャガチャと金属をぶつけるような拍手が聞こえてきた。

 


「坊ちゃん、お見事でございます」


 

「……次だ」 



 ニコニコと微笑むバルドフに対し、歯を食いしばったアルギスは剣についた血を払って歩き出す。


 前を見据える瞳に、先ほどまでの怯えの色は消えていた。



 ◇



 初めてのゴブリン討伐から、立て続けに2体のゴブリンを倒したアルギスは、すっかり気分を良くしていた。


 血を拭った剣を鞘に仕舞いながら、キョロキョロと辺りを見回す。



「この辺りには、もういないか」



「……坊ちゃん、まだ続けるので?」


 

 周囲を警戒していたバルドフは、なおも魔物を探し続けるアルギスに呆れた表情を浮かべる。


 しかし、楽し気に口元を吊り上げたアルギスは、体に黒い魔力を纏い始めた。



「くく、まだ始まったばかりだ。――偽りの魂よ、我が敵を打ち破り、蹂躙せよ。軍勢作成」



 術式の完成と共に、噴き出した黒い霧は、3つにわかれて徐々に形を成し始める。


 やがて霧が晴れる頃には、古びた剣を手にした3体のスケルトンが、ギシギシと軋むような音を立てて現れていた。


 

「――我が闇の力を以て、死霊を支配下とせん。死霊使役……行くぞ」



「はぁ……。そちらにはいませんよ、坊ちゃん」

 


 ぞろぞろとスケルトンを引きつれるアルギスに、バルドフはため息をつきながら、後を追いかけていく。


 それからしばらくの間、2人は森を練り歩くが、魔物の姿は一向に現れない。



(まずいな、このまま見つからないと魔力が無くなる……)



 見つからない魔物とみるみる減少していく魔力に、苦々しく顔を歪める。


 どうにか見つからないものかとバルドフに顔を向けた時、木の棒を腰みのに差したゴブリンが鬱蒼とした木陰から飛び出してきたのだ。


 突然のことに目を見開きながらも、アルギスはスケルトンの後ろに跳びのいた。


 

「!やれ、スケルトンども」 



「ギャ!?」



 突然スケルトンに襲われたゴブリンは、驚きながらも必死で木の棒を振り回して反撃する。


 拮抗するゴブリンとスケルトンの戦いに、落ち着きを取り戻したアルギスは、余裕の笑みを浮かべた。



「囲んで攻撃しろ」



「グギャギャ……!?」 



 アルギスの指示に従うように、スケルトンは軋むような音を立て、ゴブリンを囲むように移動を始める。


 そして、スケルトンが三方向から攻撃を始めると、必死に抵抗していたゴブリンは徐々に力を失い、すぐに物言わぬ死体となるのだった。

 


「いやはや、素晴らしい戦いでしたな」



 じっと戦いを見ていたバルドフは、鷹揚に頷きながら、ゴブリンの死体へと近づいていく。


 しかし、ニッコリと笑みを浮かべるバルドフとは対照的に、難しい顔をしたアルギスは、口元に手を当てて考え込んでいた。


 

(……死霊術にも問題はないが、長時間の戦闘に関しては魔力量的にまだ厳しいか)


 

 打開策の思い浮かばない課題に、ため息をつきつつ、軽く手を振ってスケルトンを消滅させる。


 そして、アルギスが再び魔物を探そうと顔を上げた時、ゴブリンの死体を燃やしていたバルドフが、一瞬で目を鋭くした。



「坊ちゃん、ご注意ください」



「……どうした?」 



 バルドフの雰囲気の変化に、アルギスは不思議そうな顔で辺りを見回す。


 すると、ざわざわと揺れる森の奥から、はっきりと耳障りな声が聞こえてきた。


 

――グギャギャギャァ!――


 

(これは……随分と数が多そうだな)



「そろそろ、来るようですな」 



 近づいてきた声の数にアルギスが表情を曇らせる一方で、周囲を警告するバルドフは油断なく大剣の柄に手を掛ける。


 やがて、空気がピンと張り詰める中、鋭い歯をむき出しにしたゴブリンの群れが、アルギス達を囲むようにぞろぞろと姿を現した。



「ギャッギャ!」



(予想はしていたが、これほどとは……)



 一定の距離を保ちながら様子を窺うゴブリンの群れに、アルギスは眉間の皺を深くする。


 しかし、ゴブリンの群れをぐるりと見渡したバルドフは、顎を撫でながら事も無さげに口を開いた。



「ふむ。坊ちゃんは目の前の1体だけに集中してください」



「1体だけ?いいのか?」



 簡潔すぎるバルドフの指示に目を丸くしたアルギスは、反芻するように言葉を返す。


 すると、大剣を構えたバルドフは、珍しく口元を吊り上げて誇らしげに笑った。


 

「はい。そのために、己がおりますので」 



「フッ、そうか」



 きっぱりと言い切るバルドフの自信に、肩の力が抜けたアルギスは、楽し気に目を細める。


 そして、じりじりとにじり寄るゴブリンに目線を移すと、鞘に仕舞っていた剣をスラリと抜き放った。



「――ならば、お前に全てを任せよう」



「はっ!お任せください!」



 力強い返事と共に、バルドフは近づいてきたゴブリンを横薙ぎに切り払う。


 抵抗もなく、上下にわかれてズシャリと倒れる死体に、ゴブリンの群れはけたたましい叫び声を上げた。



「グギャギャァァァァッ!」



「さあ、行くぞ!」



 目を血走らせて迫りくるゴブリンと対峙するように、体に魔力を纏ったアルギスは剣を振り上げて前に進み出る。


 そのまま肩口目がけ、袈裟懸けに振り下ろすが、剣はゴブリンの胴体を浅く切り裂くに留まった。


 

「ギャギャ!?」



「チッ!」



 血を流しながら慌てて背を向けるゴブリンの首を、アルギスは苛立ち交じりに二の太刀で切り捨てる。


 すぐに迫ってきた2体目のゴブリンを刺し貫きながら、体内に意識を向けると、既に魔力は底をつきかけていた。



(くそっ……ギリギリだな)



 ゴブリンから剣を引き抜いたアルギスは、ズルリと崩れる死体の向こうで、未だ様子を窺うゴブリンたちに顔を歪める。


 しかし、次の瞬間、キラリと何かが光ったかと思えば、叫び声を上げていたゴブリンの体は、崩れるように上下に分かれたのだ。



(一体、何をしたんだ?) 


 

 アルギスが目を白黒させていると、パラパラと灰になっていくゴブリンの死体の奥から、大剣を肩に担いだバルドフが近づいてくる。


 しばらくして周囲の確認を終えたバルドフは、圧を感じさせる笑顔でアルギスの顔をじっと見つめた。



「本日は、もうよろしいでしょう?」



「……ああ、そうだな。そろそろ戻るとするか」



 事実上の終了宣言に思う所はあれど、流石にこれ以上戦う気になれなかったアルギスは、大人しく首を縦に振る。


 そして、重くなった体で剣を収めると、バルドフの後に続いて歩き出した。



 騎士たちの待つ拠点へと戻る道中、どことなく自慢げな様子で、アルギスは口を開く。



「どうだ?やはり正解だっただろう?」



「はい。己の予想を上回る、素晴らしい戦果でありました」


 

 楽しそうに話しかけるアルギスに対し、先を警戒しながら歩くバルドフは振り返ることなく進んでいく。


 返事を聞いたアルギスが「ならば」と言いかけたところで、たしなめるように言葉を続けた。



「しかしながら、本日の実戦で新たな課題も見えたことでしょう」



「……ああ」



 不本意な点もあったと自覚しているアルギスは、つまらなそうに頷く。


 不承不承ながらも納得した様子のアルギスに、バルドフはあからさまにホッとした表情を浮かべた。

 


「では次回の遠征は、それらの課題が克服できてからですな」



(はぁ……。これで、またしばらくは屋敷に籠りきりか)



 屋敷での生活を思い浮かべたアルギスは、こっそりとため息をつく。


 それからしばらく、げんなりとした顔で足を進めていると、前を歩いていたバルドフが、思い出したように声を上げた。



「そういえば坊ちゃん、本日の件は旦那様には……」



「あくまで私の命令だと伝えろ」



 バルドフの言葉を遮るように指示を出したアルギスは、歩みを進める。


 しかし、途端に真剣な表情へと変わったバルドフは、ピタリと足を止めて振り返った。


 

「騎士団を代表して感謝いたします」 



「なんだ急に……?いいから行くぞ」


 

 深々と腰を折るバルドフに困惑しつつも、アルギスは立ち止まって顔を上げさせる。


 すると、躊躇いながらも顔を上げたバルドフは、肩の荷が下りたとばかりに安堵した表情で歩き出した。



「ありがとうございます。これで、騎士たちも憂いなく屋敷に帰ることが出来ます」



「ああ……」 


 

 何の気なしに後を追いかけていたアルギスは、やや遅れてバルドフの心中を悟る。


 というのも、今回の遠征はソウェイルドの許可を受けていない。完全にアルギスの独断なのだ。


 

(……騎士団に対するソウェイルドの叱責もあり得たな)


 

 半ば無理矢理同行していたアルギスは、騎士団が責任を取らされていた可能性に思い至り、顔を青くする。


 申し訳なさを感じつつも、黙って歩みを進めていると、バルドフの奥に森の出口が見え始めた。



(やっと着いたか)


 

 木々が途切れ、太陽の差す草原を目にしたアルギスは、無意識に歩く速度が速くなる。


 しかし、前を歩いていたバルドフが、出口へと向かおうとするアルギスを押しとどめた。



「今度はどうした?」



「どうやら、最後のお客のようですな」



 不思議そうに見上げるアルギスに対し、表情を引き締めたバルドフは、背中に担いでいた大剣を抜く。


 アルギスがきょろきょろと周りを見まわしていると、ドシドシと地面を揺らしながら異様な影が現れた。



「ブゴオォ!」



 (……オークか)



 丸太のような腕を生やした巨体は、分厚い茶色の毛皮と、ぶ厚い脂肪に覆われている。


 平たんに潰れた鼻をひくつかせたオークは、獲物を見るような目でアルギスを睨みつけ、敵意を露わにしていた。



(このサイズの魔物が普通に徘徊しているのか……) 



 実物のオークの力強さに圧倒されながらも、アルギスは腰に差した剣の柄に手をかける。


 しかし、アルギスが剣を抜くよりも早く、鎧をまとっているとは思えないほどの速度でバルドフは動き出していた。



「ぬんっ!」

 


「ブゴ……!?」

 


 下から切り上げられたオークは、一刀の元両断され、体がズレるように地面へと崩れ落ちる。


 音もなく倒れ伏すと同時に、切り口から黒い炎をまき散らし、灰になってしまった。

 


(あれが”煉獄の燼剣”か……)

 


 風に吹かれて消えていくオークの灰から目線を上げたアルギスは、ゲーム内で名前だけが登場していたバルドフの魔剣をじっと見つめる。


 そして、バルドフが背中に担ぎなおしたことを確認すると、魔剣に《傲慢の瞳》を使用した。



 ――――――



 《煉獄の燼剣》:この魔剣を手にした者は、黒炎の力を使うことができる。ただし、耐性のない者が持てば、黒炎に身を焼かれる。

 

 [付与スキル]:黒炎操作、延焼


 [等級]:伝説級

 


 ――――――

 


(また、知らないスキルだ。……もしかしてゲームに登場したのはごく一部なのか?)



 魔剣の詳細を確認したアルギスは、自らの知識が想像以上に限定的であることを知り、愕然とする。


 しかし、気持ちを切り替えるように首を振ると、前で待っているバルドフを追いかけていくのだった。

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