3話

 初めての遠征から数週間が経った日の夕暮れ時。


 自室の椅子に腰かけたアルギスは、珍しく満面の笑みを浮かべていた。


 きらきらとした目線の先には、現在”ミダス商業同盟国”に商談のため赴いているソウェイルドからの手紙が握られている。


 

(……いきなり屋敷を出ていったことには驚いたが、これは嬉しい誤算だ)


 

 文章を指先でなぞり、読み進めていく中で、書かれた内容に心を躍らせていた。


 手紙には希望していた遠征について、公都付近の草原であれば許可する旨が、確かに記載されているのだ。



(ソウェイルドの性格からいって、正直却下されると思っていたな……)



 机に手紙を仕舞ったアルギスは父、ソウェイルドについて考える。


 

 ゲーム内におけるソウェイルドは、典型的な悪役キャラクターだった。


 傲慢で自己中心的、選民思想を持つ高位貴族。強大な権力を持ち、王国の乗っ取りを画策している。

 


(そして、最後は勇者に倒されるべき物語のボス。……のはずなんだが、この世界では違うのか?) 


 

 ゲームでの印象と異なる実際のソウェイルドの姿に、アルギスは首を傾げた。


 というのも、この4年間、ソウェイルドはアルギスに魔術を教える以外、殆ど1日中執務室に籠っている。


 また、肝心の反乱に関しても、王都へ向かうどころか公都を離れる事すら稀だったのだ。


 

「ふぅ……油断は出来ないが、一先ずは大丈夫そうだな」



 先程よりも大きく息をついたアルギスは、気持ちを切り替え、机から手紙を取り出す。


 そして、ペンを取ると、ソウェイルドへ送る返事の手紙を書き始めた。



「――さて、こんなものだろう」


 

 サラサラと手紙を書き終えたアルギスは、文章にミスがないか内容を確かめていく。


 鼻歌交じりのアルギスに握られた手紙には、挨拶と近況報告の他に、ズラリと死霊の素材や魔道具が書き記されていた。



(……思ったよりも量が多くなってしまったが、8割くらいは死霊術の素材だからな。父上もきっとわかってくれるだろう)



 自分に言い聞かせるように何度も頷くと、蝋を溶かして手紙に封をする。


 

 やがて手紙の印蠟が乾いたことを確認すると、机の上にあったベルを鳴らした。 


 リンリンと高い音が鳴り響く中、すぐにエマがアルギスの部屋へと入ってくる。


 

「お呼びでしょうか?」



「これを父上に渡るよう手配しろ」



「かしこまりました」



 アルギスの座る机の側までやってきたエマは、差し出された手紙を恭しく受け取る。


 そして、エプロンのポケットに手紙をしまうと、アルギスの満足げな表情に頬を緩めた。



「あらあら、坊ちゃん。何か、いいことでもあったのですか?」



「ん?ああ、ついに父上から魔物の討伐を許可されたんだ」


 

 エマの妙に暖かい目線に気づくことなく、上機嫌なアルギスはリストの写しを見ながら言葉を返す。


 思いがけない返事に驚きつつも、エマは困ったように笑った。



「まあ、それはおめでとうございます。……ですが危険なのでは?」



「多少の危険はあるが、必要なことだ」


 

 なおもリストの写しに目線を落としたアルギスは、事も無さげに肩をすくめる。


 それからしばらくして、見飽きたようにリストの写しを机に置くと、未だ部屋を去らないエマへと訝し気な目を向けた。



「……ここに残っているということは、何か用があるのか?」



「!実はマリーについて、ご相談がございまして――」


 

 慌てて頭を下げたエマは、躊躇いながらも静かに話し出す。


 じっと黙って話を聞いていたアルギスは、相談された内容に思わず眉を顰めた。



「……なに?マリーを正式なメイドにしたいだと?」



「はい、彼女は能力が高く、やる気も十分です。今はまだ教育中ですが、いずれ良きメイドになるかと思います」



 一息に説明しきったエマは、珍しく興奮した様子で手をぎゅっと握りしめる。


 一方、腕を組んで考え込むアルギスの表情は曇ったままだった。


 

「だが、あれはハーフエルフだぞ」



「はい……。ですが、それだけで野放しにするには惜しいのです」



(俺としては全く構わないんだが……) 



 言い募るエマに対し、俯いたアルギスは唸りながら頭を悩ませる。


 そして疲れたように首を振ると、椅子の背もたれに寄りかかりながら顔を上げた。


 

「第一、そういうことは私ではなく父上の指示に従うべきだろう?」


 

「旦那様からは坊ちゃんに一任する、と……」



「……そうか」



(考えてみれば、ソウェイルドが雑用のハーフエルフのことなど覚えているはずがないな……) 



 ソウェイルドの性格を思い出したアルギスは、不満を抑え込むように目を瞑る。


 しかし、一拍置いてすぐに瞼を開けると、唇をかみしめて言葉を待つエマに真剣な顔を向けた。



「ならば、まずエンドワース家の使用人として、私に恥をかかせない程度には教育してみせろ。……話は、その後だ」



 話を締めくくったアルギスは、逃げるように机を離れ、ソファーで読書を始める。


 断られるだろうと考えていたエマは、目を見開きつつも反射的に腰を折った。



「ありがとうございます!必ずや、最高の使用人として教育してみせます」



(……とりあえず、今はこれで良いだろう)



 問題を先送りにしたアルギスは、後ろめたい気持ちを隠すように無言で首を縦に振る。


 そして、急ぎ足で部屋を出て行くエマを背中に感じながら、本の内容に集中し始めるのだった。



 ◇



 エマがアルギスの指示を受けてから丸一日が経つ頃。


 シンプルだが清潔な服に身を包んだマリーは、オレンジ色の日が差す屋敷の一室で、いつも通り掃除に精を出していた。


 水の入ったバケツを側に置き、雑巾で一枚一枚、丁寧に窓を拭き上げていく。



「ふん、ふふーん♪」


 

 部屋の窓の数を考えれば気の遠くなるような作業にもかかわらず、鼻歌まじりに移動するマリーの表情は明るかった。


 差し込む太陽の光に目を細めながら手を動かしていたマリーは、ふとエンドワース家にやってきた時のことを思い出す。



(起きた時、ふかふかのベットだったのはびっくりしたなぁ)



 アルギスが直接連れてきたこともあって、当初は腫物のように扱われていた。


 しかし、皆に無視されながらも懸命に働く姿に、心動かされた使用人たちは、いつの間にかマリーを仲間として認めていたのだ。



(それに……もしかしたら、ちゃんとしたメイドになれるかもしれない)



 今日の朝、エマから伝えられた内容に頬を緩ませながら、マリーはバケツで雑巾を固く絞る。


 そして、立ち上がって再び窓に目線を向けるが、気づけば部屋の窓を全て拭き終えてしまっていた。

 


「……あれ?もう終わり?」


 

 自分でも拭き終えていることに驚きながら、もう一度注意深く窓を確認していく。


 やがて全ての窓が綺麗になっていることを確認すると、腕で額の汗を拭った。



「うん、大丈夫」


 

 すぐに使い終わった雑巾とバケツを持ったマリーは、弾むような足取りで廊下を歩いていく。


 しかし、次の部屋へと着く手前で、ほんの少しだけ表情に影を落とした。



(……当たり前だけどこの4年間、魔術も戦闘系のスキルも増えていない)



 エマにメイド見習いとして認めてもらえたことは嬉しいが、現状ではアルギスの遠征に同行できない。


 未だアルギスの役に立てていないことを歯がゆく思いつつも、マリーは両手で頬をパンと叩いた。



「とにかく、今は仕事!」



 自分に言い聞かせるように呟いたマリーは、気持ちを切り替えて部屋のドアノブに手を掛ける。


 すると、すれ違うように廊下を歩く、濃い紫色のローブを着た男が目に入った。



「あ……!」


 

 顔を見てアルギスの魔術講師であるアルドリッチだと気が付いたマリーは、慌てて頭を下げる。


 すると意外なことに、穏やかな笑みを浮かべたアルドリッチは、立ち止まってマリーへと話しかけた。



「私は、そのように頭を下げられる身分ではありませんよ」



「いえ、しかし……」



「それほど畏まられると困ってしまいます」



「で、では……」 



 苦笑いを浮かべるアルドリッチの言葉に、マリーはおずおずと頭を上げる。


 そのままマリーが上目遣いで顔色を窺うと、アルドリッチは笑顔を穏やかなものに戻した。



「ありがとうございます。君のような年齢の少女に頭を下げられるのは、どうにも落ち着かなかったもので」



(もしかして、今なら……)



 頬を搔くアルドリッチに恐縮しつつも、マリーは先ほどまで頭の中で渦巻いていた思考を思い出す。


 そして、ごくりと唾を飲み込むと、震える声でアルドリッチに質問を投げかけた。



「――大変、失礼であると承知していますが、1人で魔術を学ぶ方法はあるか教えてもらえないでしょうか」


 

「おや、魔術に興味がおありとは。私は闇属性魔導師ですので、他の属性魔術については専門外ですが……」



 決死の覚悟で問いかけたマリーに対し、アルドリッチは目を丸くして驚く。


 しかし、一拍置くと、視線を上に彷徨わせながら話しだした。


 

「そうですね、魔力をそのまま使用する”無属性魔術”であれば、どのような者でも使用できますから、そちらを鍛えるのがよろしいかと」



「あ、ありがとうございます!」



「いえいえ、それでは」 



 マリーに無属性魔術と、”身体強化”の練習方法について簡単に教えたアルドリッチは、小さく頭を下げて去っていった。


 徐々に遠ざかっていくアルドリッチの背中に、マリーは深々と頭を下げる。



(これが、ワタシの最後の希望……!)



 これまで望むべくもなかった魔術について、成り行きとはいえ知ることができたのだ。


 マリーは瞼を閉じ、今聞いたことを1つも忘れないように頭の中で反芻する。


 そしてカッと目を見開くと、急いで忘れていた次の部屋の掃除に向かうのだった。

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