幕間

 アルギスが公領で忙しい日々を送っていた頃。


 王都の王宮には、難しい顔で馬車に揺られるソウェイルドの姿があった。



「……私を呼び出すとは何事だ?」

 


 窓から見える王宮の庭に目線を落とたソウェイルドは。呼び出しの理由に頭を悩ませる。


 しかし、しばらく考えても、依然として心当たりのない呼び出しに、不快げに頬杖をついた。

 

「まあいい。行けばわかることだ」



 目を瞑りながら王城への到着を待つソウェイルドを乗せた馬車は、静かに庭園を進んでいく。


 やがて、王城の玄関前までやってくると、静かに動きを止めた。



「……さっさと終わらせて公都に帰るとしよう」



「いってらっしゃいませ、旦那様」



 誰にともなく呟きながら苛立たし気に王城へと向かうソウェイルドに、ジャックは深々と腰を折る。


 一方。光り輝く照明に照らされた広い玄関ホールへと足を踏み入れたソウェイルドは、王城の騎士が巡回する廊下を抜け、薄暗い階段を下りていった。



(ここへ最後に来たのは、もう7年も前になるか……)


 

 1階とは打って変わり、無骨な石造りの廊下を進んでいくと、雰囲気に似つかない白銀の扉が姿を現し、両脇には武器を手にした近衛騎士の男女が2人、両開きの扉を守るように立っている。


 ソウェイルドが近づいていくと、女騎士は頭を下げ、男の騎士が声を上げた。



「エンドワース公爵閣下、お持ちしておりました。中へどうぞ」



「うむ」



 2人の騎士が開けた扉をくぐると、ソウェイルドは巨大な円卓に座る重臣たちの姿を見渡す。


 そして、ひそひそと話し合う貴族たちの輪の中に1人、腕を組んで座る巨体の男に目がとまった。


 

(なぜ、エヴァンス家がいる?)


 

 男の名は、グレゴリー・”ブレイズ”・エヴァンス。


 左目には切り裂かれたような古傷を持ち、野性的な雰囲気に似合わない豪奢な衣服はマントのように肩にかけられている。


 王都より遥か北方、魔力溜まりが数多く存在する荒野を領地とする辺境伯だった。



(……王都にエヴァンス家の当主か。不吉だな) 


 

 また、同時にアルデンティア帝国との国境を防衛する役割を担うエヴァンス家の当主は、派閥に所属せず、王都への来訪が極端に少ないことでも知られている。


 王都にいるはずのないエヴァンス家の存在を訝しみつつも、ソウェイルドは円卓の奥へと向かう。


 そのままソウェイルドが右隣の席に腰かけると、グレゴリーは組んでいた腕を降ろし、ニカリと男くさい笑みを浮かべた。



「久しいな。ソウェイルド」



「……ああ。それしても、どういう風の吹き回しだ?お前は王都にいるべき男ではないだろう」



 足を組んで背もたれへと寄りかかるグレゴリーに、目を細めたソウェイルドは視線を上下させる。


 一方、笑みを深めたグレゴリーは周りの様子など気にした様子もなく、椅子のひじ掛けをバンバンと叩いた。


 

「ハッハッハッ!相変わらず生意気なヤツだな」



「はぁ……」 



「――ま、俺にも理由はわからんが、招集されれば来ないわけにもいくまい」



 ひとしきり笑ったグレゴリーは、肩をすくめ、表情をおどけたものに変える。


 貴族としてあり得ない態度に、呆れたソウェイルドが口を開こうとした時、ギギギと再び扉の開く音が鳴り響いた。



 そして、会話を止め、開いていく扉に視線を移した2人は揃って目を見開く。


 

「!おい、見ろ。シュタインハウザー家まで来たぞ」



「言われなくても見ている」



 ゆっくりと開いた扉の外にいたのは、茶色い髪を綺麗に刈り上げた、武人然とした男だった。


 眉間にしわを寄せたしかめっ面に、きっちりと着こんだ暗めの衣装は鍛えられた筋肉で隆起している。



 男もまた、ソウェイルドとグレゴリーの顔を見て目を見開くと、ツカツカと2人の元へ歩いてきた。


 

「エンドワース家に……エヴァンス家まで呼ばれているのか?」



「ご挨拶だな、フリードリヒ」



 左隣へと座った男――フリードリヒ・”ウォルデン”・シュタインハウザー侯爵に、グレゴリーは気さくに声を掛ける。


 しかし、対置に座るソウェイルドは、口元に手を当てて黙り込んでた。



(……おかしい。戦争でもする気か?)



 この場に集められているのは皆、王宮で大臣などの職にある者たちだったが、ソウェイルド達3名は事情が異なる。


 ソウェイルド、グレゴリー、フリードリヒはそれぞれ、王国における最高位の魔導師、剣士、重騎士の称号を得ていることから王城に招集されていた。


 

 ――――そして、この場にいない王国の最高位治癒術師、エリザベート・”セインツ”・ライデンバッハを含む4名が、一堂に会したことは過去に一度しかない。



「それにしても、俺達が最後に集まったのはいつぶりだ?」



「ふむ、そうだな。確か……」


 

「……第二次アルデンティア戦役だ」



 これまでじっと黙っていたソウェイルドは、フリードリヒの後を引き継ぐように口を開く。


 すると、2人ともが難しい顔で黙り込んでしまった。



 しばらくして、ひそひそと話す重臣たちの声だけが聞こえる室内に、勢いよく扉の開け放たれる音が響く。



「国王陛下のご入場です!」


 

 張り上げられた近衛騎士の声と共に入ってきたのは、国王ライナースと眼鏡をかけた細身の男――宰相のパトリック・ヴァレンティナ公爵だった。


 ソウェイルド達3人を含む貴族たちは、全員が静かに立ち上がり、頭を下げる。


 ぐるりと室内を見回し、穏やかに微笑んだライナースは、パトリックを伴い円卓の最奥へと向かっていった。

 


「面を上げよ」



 ライナースの言葉で頭を上げた重臣たちは、再び席につく。


 そして静かに言葉を待っていると、ライナースの隣に座ったパトリックが片手を上げた。



「ではこれより、諮問会議を行います。議題は”アルデンティア帝国”について」



 パトリックの口から出た議題に、室内は途端に騒がしくなる。


 慌てふためく貴族たちに眉を顰めたソウェイルドは、すぐ傍に座るライナースの表情に目を向けた。


 

(む?荒事ではないようだが……だとしたらなんだ?)



 温和な微笑みを浮かべる国王の姿に、重臣たちのざわめきも徐々に小さくなる。


 やがて十分に落ち着いたことを確認すると、パトリックは眼鏡のブリッジを押し上げ、ニコリと微笑んだ。



「さて、皆さん落ち着きましたか?これは今からする話を聞いてもらうための前準備ですよ。……陛下、お願いいたします」



「うむ。皆の者、心して聞いてくれ」


 

 落ち着いて臣下を見渡したライナースは一拍呼吸を置いてから、ゆっくりと言葉を続ける。



「――アルデンティア帝国から同盟の申し出があった」



「な……!」



「なんですと!?」



 ソウェイルドが口を開くよりも早く、机に乗り出したグレゴリーは声を張り上げた。


 予期していなかった言葉に、重臣たちも落ち着きを失くし、会議室は先ほどよりも大きなざわめきに包まれる。

 


 しばらくして、騒がしくなった室内を黙って見ていたパトリックは、パンパンと手を叩いた。


 

「落ち着いてください、皆さん」



「……ならば、どういうことか説明して欲しいものだな」



 不機嫌そうに腕を組み、考え込んでいたグレゴリーは、眉間に皺を寄せてパトリックを睨みつける。


 しかし、突き刺すような眼光に晒されながらも、パトリックはあくまで柔和な笑みを崩さない。


 

「もちろん、今からいたしますとも。――既に各地でエーテル量の増加がみられています。それは、貴方が一番よくお分かりでしょう?」



「…………」


 

 強大な魔物の跋扈する荒野を領地に持つグレゴリーは、腕を組む手に力が入る。


 一方でニコニコと笑うパトリックは、大きく手を広げて説明を続けた。



「これからのラナスティア大陸には協調が必要不可欠。要するに魔物の脅威に対抗するための共同戦線、といったところですよ」



「……ヴァレンティナ卿、それは事実なのか?」



「ええ。私が保証いたしましょう」



 疑うように片眉を上げるグレゴリーの問いかけに、パトリックは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


 パトリックの言葉に目を見開いて黙り込むグレゴリーに、隣に座るソウェイルドもまた、無言で目線をせわしなく動かしていた。


 

(アルデンティア帝国が同盟だと?ありえん、確実に何かしらの罠だ)



 現在、北に広大な領土を保有するアルデンティア帝国は、周辺諸国を戦争と謀略によって侵略、吸収することで巨大化してきた歴史がある。


 かつて2度の戦役に参加したソウェイルドは、嫌と言うほどアルデンティア帝国の危険性を知っていたのだ。

 


 やがて室内が落ち着きを取り戻す頃、ライナースはソウェイルド達3人へと顔を向ける。



「――国防の要たる、そち達に問いたい。この申し出どうすべきと見る?」


 

「詳細に検討すべきかと愚考いたします」



「そうですな。私も、より詳しく知りたいものです」



「……私は断固、反対です。かの国が突然の同盟など、何かがおかしい」



 前のめりになるフリードリヒとグレゴリーの2人に対し、表情の抜け落ちたソウェイルドは、ゆっくりと首を振った。


 ソウェイルドのきっぱりとした否定の言葉に皆が言葉を失う中で、数人の貴族が続けて声を上げる。


 

「然り、然り。エンドワース卿の言う通りかと」



「そうです、陛下。アルデンティアの和平交渉など、謀略の道具ではありませんか」


 

「ふむ……」



 ソウェイルドと同様、貴族派に属する重臣たちの追従により、ライナースはじっと考え込んだ。


 すると、国王派のパトリックは、口元を吊り上げ、ソウェイルドに嘲笑を見せる。



「おや?天下のワイズリィも、随分と及び腰になったものですね」


 

(おのれ、王宮に引きこもる腰抜けの分際で策略家を気取りおって)



 何も言わずに背もたれへと寄りかかったソウェイルドは、苛立ちを隠すように目を瞑った。


 パトリックのあざけるような態度に、貴族派全体が不穏な空気を醸し出す中、英雄派のフリードリヒが手を挙げる。



「……ヴァレンティナ卿、一先ず親書とやらを見せて頂けるかな?」



「ええ、もちろんですよ。こちらに」



 楽しそうにパトリックが取り出した華やかな装飾の親書には、美しい文字で確かに同盟の申し出が書かれていた。


 親書にされた署名と、読み上げられる内容に、ソウェイルドは目を見開く。



(!確かにサインの名は皇帝本人のものだ。……まさか本当に同盟を組むというのか?)



 下部に押された大きな印章の下には、皇帝――カディル・ギュネシュ=アルデンティアの名がはっきりと記されていたのだ。


 

 親書が正式なものだとわかると、これまでに増して賛成派の意見が多くなる。


 そして会議の盛り上がりがひと段落した頃、片手を挙げたパトリックが口を開いた。


 

「それでは参考のために決を採るといたしましょうか。――同盟に反対の者は起立を」



 多数決を取ると、ソウェイルドを含む数名の貴族派と、グレゴリー達北方に領地を持つごく僅かな者だけが立ち上がる。


 席についたままの国王派と英雄派を見たソウェイルドは、内心苦々しげに顔を歪ませた。



(……やられたな。諮問会議など名ばかり、どう見ても結論は決まっていた)



 作為を感じる流れと、ニヤニヤ笑うパトリックに今回の会議が茶番だと悟る。


 ソウェイルド達が席につくと、これまで会議を黙って見守っていたライナースは、神妙に頷いた。



「皆の者、意見に感謝する。……余は、この申し出を受けようと思う」



「承知いたしました。速やかに回答の草稿を作成いたします」


 

 ライナースの言葉にニヤリと口角を上げたパトリックは、即座に頭を下げる。


 そのままソウェイルド達が満足に反論する暇もなく、会議は終了したのだった。


 

 しばらくして、ライナースとパトリックが退室した後、重臣たちもまた、まばらに席を立ちあがる。


 ぞろぞろと連れ立って部屋を出る貴族たちに交じり、ソウェイルドは無言で足を急がせた。


 

(くそ!公都の守りを固めなくては……)



 煮えたぎる怒りを抑え込み、アルデンティア帝国への対抗策に苦心しながら廊下を進んでいく。


 やがて階段の前までやって来た時、突如後ろから聞こえてきた声に現実へと引き戻された。



「――ソウェイルド」

 


(む?)


 

 ふと足を止めて振り返ると、キラキラと光を反射する銀色の髪と不安を湛えた緑色の瞳が目に入る。


 不機嫌そうなソウェイルドの顔を見た男は、結んでいた口元を少しだけ緩めた。



「やっと会えたな」 



「……オリヴァーか」 


 

 貴族派に属する侯爵――オリヴァー・ハートレスの姿に、ソウェイルドは目を細める。


 すると、歩く速度を上げたオリヴァーが、思いつめた表情でソウェイルドの隣に並んだ。

 


「……なあ、ソウェイルド。王都は、どうする気なんだ?」



(なんだ?唐突に。……悪いが、今はそんなことをしている場合ではない)



 階段を登るソウェイルドは、訝し気な表情をオリヴァーへと向ける。


 しかし、すぐに公都へ帰らなければならないことを思い出すと、前を向き直った。


 

「私は公都を優先せねばならん。そもそも、そのために予め、グリューネへ魔術省の椅子を融通したのだ。お前らで何とかしろ」



「そうか……じゃあ、俺は先に失礼するよ」



 ソウェイルドの返事を聞いたオリヴァーは、小さく頷くと、駆け足で先に階段を登って行ってしまう。


 1人残されたたソウェイルドは、不思議そうな顔で遠ざかっていく背中を見つめていた。

 


(結局、何の話だったんだ?……まあアルギスも、まだ6歳。王都の事など、どうでもいい)



 首を振ってオリヴァーのことを思考の外へ追いやると、再び難しい顔で足を進める。


 そして階段を登り切ると、アルギスの待つ公都へと帰るため、馬車の止められた玄関先の車寄せへと急ぐのだった。

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