10話
祝福の儀を終えた翌日の昼過ぎ。
パーティまで待機を指示されたアルギスは、屋敷にある図書室で使用人に見守られる中、大量の本に囲まれていた。
机に頬杖をつき、難しい顔で革の装丁がされた分厚い本を捲っていく。
「”エーテル”は万物の根源であり、邪悪の種……。神からの祝福と試練、ねぇ……」
幾重にも連なる詩のような要領を得ない文章に頭を悩ませたアルギスの口から、思わず呟きが零れた。
どうにか分かる範囲で読み取ると、”エーテル”と呼ばれるエネルギーは、魔力から農作物、鉱山に至るまであらゆる資源の素となる。
しかし、過剰に蓄積されることで魔物の発生原因にもなり得ると書かれていた。
(歴史書といっても、書かれているのは神話みたいな物語だな。他に分かったのは……約800年前の天変地異くらいか)
なんとか最後まで読み終えたアルギスは、目頭を押さえながら歴史書を片付ける。
そして次の本を読もうと机の上を見回すと、近くに積んでいたはずの本の山はすっかり無くなっていた。
「……もう全て読み終わってしまったか」
「坊ちゃん、いかがされますか?」
アルギスが誰にともなく呟くと、後ろで見守っていた使用人は膝を折って屈む。
すると、近くに顔を寄せられたアルギスは、机の上を一瞥して、静かに首を横に振った。
「ここにあるのは、もう片付けていい」
「かしこまりました」
(時間がかかっただけで、大した情報は得られなかったな……)
使用人に頼んで集めた本の殆どが子供向けの物語だったことに眉を顰める。
情報収集を諦めて、図書室を出ようと立ち上がった時、使用人の1人に抱えられた本の1冊が目に入った。
「!待て」
「は、はい」
「……魔術陣と、付与による魔道具」
慌てて立ち去ろうとする使用人を止めたアルギスは、タイトルを読み上げながら本を取り上げる。
本を抱えたまま立ち尽くす使用人をよそに、パラパラとページを捲り始めた。
「あの、坊ちゃん?」
しばらくの間、無言で立たされていた使用人は恐る恐る顔を覗き込む。
すると、じっと本を見つめるアルギスの瞳には、好奇心の輝きが宿っていた。
「――よし、王都に向かうぞ」
「え?」
満面の笑みで宣言したアルギスは、持っていた本から顔を上げる。
そして、ポカンと口を開ける使用人に持っていた本を預けると、急いで図書室を出ていった。
(なんで思いつかなかったんだ。王都に出るならソウェイルドのいない今がチャンス……!)
それから、どうにか覚えた屋敷の廊下を歩くこと十数分。
ヘレナの部屋へと向かっていたアルギスは、扉の横に使用人が立っている部屋を見つける。
(ん?……今はあの部屋にいるみたいだな)
使用人がヘレナの側付きの1人であることに気が付くと、くるりと体の向きを変えて、扉へと近づいていった。
歩いてくるアルギスに気が付いた使用人は少しだけ驚いた表情を浮かべる。
しかし、すぐに表情を元に戻すと、ニコリと微笑んで首を傾げた。
「これは坊ちゃん。いかがされましたか?」
「母上に用がある。ご在室か?」
扉の目の前までやってきたアルギスは、逸る気持ちを抑えながら使用人の顔を見上げる。
すると、使用人の笑顔は、より一層優しいものに変わった。
「はい。奥様はバルコニーにいらっしゃいますよ」
(なんだ?この生暖かい視線は……)
妙に上機嫌な様子の使用人を不思議に思いつつも、アルギスは気持ちを切り替えるように扉へと目線を移す。
そして小さく呟くように口を開いた。
「……開けろ」
「はい。かしこまりました」
使用人によって開かれた扉をくぐると、高い天井と豪奢な絨毯の敷かれた部屋には、中心にテーブルとソファーだけが置かれている。
部屋の中をぐるりと見回したアルギスは、風になびくように揺れているカーテンを見つけた。
(……バルコニーにいると言っていたな)
扉の前にいた使用人の言葉を思い出し、カーテンの奥で見え隠れする開け放たれた窓へ、まっすぐに向かっていく。
すぐにカーテンを跳ねのけるようにしてバルコニーへ出ると、そこではカップを手にしたヘレナが、使用人に日傘をささせながら屋敷の庭園を眺めていた。
「あら?アルギス、どうしたの?」
「母上、失礼いたします。後学のため、王都にある魔道具店へと向かいたいのですが、許可を頂けないでしょうか?」
カップを置いて顔を向けるヘレナに、アルギスは図書室で思いついた王都への外出許可を求める。
すると、パッと表情を輝かせたヘレナは、顔の前で両手を合わせた。
「まあ、いいじゃない。ちょうど私も欲しいと思っていた魔道具があるの」
「では許可を頂けると?」
思いのほか明るい声で返事をされたアルギスは、初めての王都に胸を躍らせる。
しかし、楽し気に笑うヘレナの返答は、アルギスの期待したものではなかった。
「ええ、でも私も付いていくわ」
「え、母上が一緒にいらっしゃるので?」
予想外の言葉にアルギスの表情はピシリと固まる。
アルギスが言葉を失い茫然としている間に、使用人に指示を出し終えたヘレナが椅子から立ち上がった。
「アルギスのおかげで忘れていた魔道具のことを思い出せたわ。ありがとう」
「……お役に立てたようでなによりです」
「じゃあ、少しだけお部屋でいい子にしていてね」
諦めたように頷いたアルギスは、使用人と共にバルコニーを出て行くヘレナを見送る。
(……とりあえず、王都には行けるんだ。屋敷にいるよりずっといい)
予定とは異なる状況に肩を落としながら、少し遅れて部屋を出て行った。
その後、部屋に戻ってしばらく経った頃。
ソファーで休んでいたアルギスの耳に、ガチャリと扉の開く音が聞こえてくる。
「行くわよ、アルギス」
「……はい、母上」
名前を呼ばれたアルギスは、ソファーから降りると、ドレスに身を包んだヘレナの元へと向かっていった。
◇
太陽が西に傾き始め、3度目の鐘が鳴り響く頃。
ヘレナとアルギスの姿は、王都の商業区でも貴族街にほど近い、オーバル商店という魔道具店の2階にあった。
「これが例のものね。悪くないじゃない」
「はい、当店でも最新の魔道具となっておりまして魔力を込めることでですね――」
店の主人、ミルトンは置かれている魔道具の中から鏡を手に取ったヘレナへ魔道具の説明している。
魔道具の前で髪を整え、微笑を浮かべるヘレナは、次々に機能を試していた。
(はぁ……暇だ)
次々と魔道具を説明させるヘレナと揉み手で案内するミルトンを見つつ、アルギスは小さくため息をつく。
あくまでヘレナの付き添いだと認識されている以上、望む魔道具は見ることができない。
来た意味を半ば失い、手持ち無沙汰になったことで、棚に置かれた魔道具の1つをじっと見つめ始めた。
(どうせやることもないしな。……見られていないよな?――《傲慢の瞳》よ、詳細を表示しろ)
アルギスがスキルを使用すると、視界に入っていた魔道具のカーソルが開き、詳細が表示される。
――――――――
『魔感知の水晶玉』:《傲慢の瞳》により、この魔感知の水晶玉は魔道具であると判明。この魔道具は手に持つことで、魔力量を段階的に表すことが可能。
――――――――
(なるほど、これが魔道具か!……ん?あれは屋敷にもあるぞ?)
詳細を見ることに成功したアルギスは、味を占め、目についた魔道具を次々に鑑定していく。
しばらくの間、バレていないのをいいことに、せわしなく目を動かしていると、ある一点に目が留まった。
(な、なんなんだ、あれは……)
――――――――
『??の?輪』:
《傲慢の瞳》により、この虚????は??ックア???であると判明。この??ック???ムは装??の???スを????る。
また????アイ?ムその??にも隠??施さ??いる。
――――――――
アルギスの目線の先には、ボロボロの輪っかがポツンと1つ、忘れられたように棚の端に置かれている。
所々に罅が入り、今にも崩れてしまいそうな外見は、どうみても貴重品には見えない。
にもかかわらず、名前すら満足に見ることができない魔道具に、アルギスは思わず声をあげた。
「おい、商人。あの魔道具は、なんだ?」
「え……?あ、あれは……!?」
唐突な質問にヘレナとの会話を止めたミルトンは、アルギスの指さす先を見て顔を青くする。
というのも、棚の端にあるガラクタは、ミルトンが仕入れたものの鑑定ができず放置されていたのだ。
「……大変、申し訳ございません。あのガラクタは部下に捨てるように申し付けていたのですが、職務に怠慢な者がいるようで困ってしまいます」
失態を悟られまいと、ミルトンは悲し気に首を振りながら、言い訳を口にする。
一方、ミルトンの言葉で、謎の魔道具から目線を外したアルギスは、楽し気に口元を吊り上げた。
「ほう?捨てるガラクタなのであれば、私が貰っても構わんな?」
「あ、あれをですか……?」
予想していなかったアルギスの言葉にミルトンは、困惑したように首をひねる。
その場の全員が不思議そうな表情を浮かべる中、ヘレナは腰を屈めてアルギスへと顔を寄せた。
「アルギス?あんな薄汚いガラクタよりも、美しい装飾品を買ってあげるわよ?」
「……母上、事情は後ほどご説明いたします」
ヘレナの耳元に顔を近づけたアルギスは、ミルトンに聞こえない声量でそっと囁く。
そして再びミルトンへと目線を移すと、一歩前に進み出た。
「それで、いくらだ?」
「い、いえ、お代は結構でございます。お好きにお持ちくださいませ」
これ以上話を長引かせるのは危険だと考えたミルトンは、頬を引きつらせながらも、揉み手で腰を屈める。
機嫌を窺うようなミルトンに、これまで不敵な笑みを浮かべていたアルギスは、表情を途端に不快げなものへと変えた。
「……この私に強盗の真似事をしろと?」
「!め、滅相もございません。ただ、仕入れ値自体が30万F(フラグメ)ほどですので……」
より一層顔を青くしたミルトンは、慌てて両手を振って否定する。
すると、金額を聞いたアルギスは、チラリとヘレナを一瞥した後、静かに口を開いた。
「……そうか。ならその倍額で買おう」
「い、いや、しかし……」
「アルギスがこう言っているのだし、それで構わないわ。持ってきてちょうだい」
なおも躊躇うミルトンに対し、ヘレナは気にした様子もなく頷く。
そして近くにいた使用人へと指示を出すと、アルギスへと微笑みかけた。
(なんとかなった……しかし、あのガラクタで仕入れ値が30万か。魔道具の価値はさっぱりわからない)
魔道具の金額に内心で冷や汗をかいていたアルギスは、ヘレナの許可が出たことに胸をなでおろす。
それからしばらくの間、魔道具をじろじろと眺めていると、使用人が申し訳なさそうに声をかけた。
「あの、坊ちゃん。申し訳ありませんが、そろそろ……」
「ん?……ああ」
使用人の声に顔を上げたアルギスは、購入した魔道具の運ばれていく光景に、屋敷へと戻る時間となったことに気が付く。
名残惜しそうに店の階段を降りると、1階に控えていた騎士に囲まれながら、入り口の前に停められた馬車へと乗り込んでいった。
馬車に揺られながら屋敷へと戻る道中、小さく息をついたヘレナはアルギスへと顔を向ける。
「それで、その魔道具はなんなの?」
「それが、わからないのです」
魔道具を弄り回していたアルギスは、ヘレナの質問に首を横に振った。
するとアルギスへと顔を寄せたヘレナは、眉を顰め、疑問の色を一層濃くする。
「どういうこと?」
「それがですね――」
訝しむようなヘレナに、アルギスは自身の持つスキルについて手短に説明していく。
説明を聞くヘレナの表情は徐々に明るくなり、話が終わる頃にはアルギスと魔道具を交互に見ていた。
(……今鑑定した方がよさそうだな)
期待した顔で見守るヘレナを前にアルギスは、諦めたように魔道具へと目線を落とす。
「《傲慢の瞳》よ、詳細を表示しろ」
スキルを使用して魔力を込めると、虫食いだらけの表示は少しずつ文字が露になる。
同時に、いつまでも止まらない魔力の消費にアルギスは顔をひきつらせていた。
(ま、魔力の消費量が多すぎる……)
みるみる減少していく魔力を肌で感じながらも、既に発動したスキルの効果を止めることは出来ない。
やがてアルギスの魔力を殆ど消費し尽くした頃、ようやくアイテムの詳細が表示された。
――――――――
『虚偽の腕輪』:《傲慢の瞳》により、この虚偽の腕輪はマジックアイテムであると判明。このマジックアイテムは装備者のステータスを隠蔽できる。
またマジックアイテムそのものにも隠蔽が施されている。
――――――――
(……今後はよく考えてから使うことにしよう)
「アルギス、それでどうだったの?」
背もたれに寄りかかるアルギスに対し、ヘレナは待ちきれないといった様子で顔を向けている。
声をかけられたアルギスは、重くなった体を起こすと、持っていた腕輪をヘレナへと渡した。
「これは、どうやらステータスの隠蔽が可能な腕輪のようです。ただ、マジックアイテムともありましたが」
「まあ!こんな見た目なのに効果だけじゃなくマジックアイテムだなんて」
腕輪を受け取ったヘレナはマジックアイテムという単語に目を見開く。
じろじろと腕輪を観察するヘレナに、価値のわからないアルギスは首を傾げた。
「マジックアイテムとは、なんなんです?」
「うーん、そうね……。私も詳しいわけではないのだけれど――」
ヘレナの話を聞くと、マジックアイテムとは迷宮や遺跡等の一般的に”ダンジョン”と呼ばれる場所から発見されるアイテムだった。
そしてマジックアイテムは魔道具のように同じものを作成する、ということはできない。
なぜならば”魔術陣”と”錬金術”によって作成される魔道具と異なり、マジックアイテムはどうして効果を発揮しているのか仕組みが明らかになっていないというのだ。
(……確か、アーティファクトも同じような説明だったな)
説明を聞くアルギスは、顎に手を当てながらマジックアイテムと前に聞いたアーティファクトの説明を比較する。
少ししてふと顔を上げると、目じりを下げたヘレナの顔が目前にあった。
「――それを、まさか魔道具店で見つけるなんて!凄いわ、アルギス」
「ありがとうございます」
上機嫌なヘレナに笑みを返したアルギスは、力が抜けるように窓際にもたれかかる。
そして、表情を隠すようにヘレナから顔を背け、窓の外へと目線を向けた。
(はぁ……え?)
兵士のような男たちに引きずられる首輪を付けられた少女が、疲弊しきったアルギスの目に飛び込んでくるのだった。
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