8話

 初日に辿り着いた街を出て、順調に進むかに思えた2日目。


 運悪く天候が崩れたことで、アルギス達は野営地での夕食となっていた。


 ただでさえ、予定が崩れたことで苛立つソウェイルドの下へ、骨で出来た鳥の死霊がやってきて以降、野営地の空気は悪化の一途を辿っていたのだ。



「チッ…………」 



「…………」 



「…………」 



 無言で腕を組んで目を瞑るソウェイルドと、その傍に静かに控えるジャックとバルドフ。


 耳を澄ませば、近くを流れる川の音と木々の揺れる音だけが聞こえている。


 しかし、清々しい自然に囲まれているはずの野営地は、依然として重苦しい雰囲気が漂っていた。

 


(なんだ……?空気がピリピリしすぎているぞ?)



 野営地の誰もが、ソウェイルドを刺激しないように口を噤んでいる。


 しかし、このままの空気であと3日も旅をすることに耐えられなくなったアルギスは、覚悟を決めて声を上げた。

 


「父上、今日は少しばかり予定から遅れてしまいましたね」



 唐突なアルギスの言葉に、ジャックとバルドフは、ぎょっとした顔をしつつも、すぐに気配を消す。


 しかし、相変わらず目を瞑ったままのソウェイルドだけは、不機嫌そうに眉の皺を深めた。



「ああ」



「……私はもう馬車に慣れましたから、明日はもう少し速度を上げて、今日の遅れを取り戻すのはいかがでしょう?」



「!ほう、もう馬車に慣れるとはさすがだ。……移動速度を上げることができれば、予定通り到着できるな」


 

 顔色を窺うように続けられたアルギスの言葉に、ソウェイルドはピクリと片眉を上げる。


 そして顎に手を当てて、旅の予定を立てなおすと、ニヤリと口元を歪めた。



「――では、そのように御者に伝えておきましょう」



「己も速度が上がる旨を、部下達に伝えなくては」



 ソウェイルドの機嫌がなおったのを確認すると、これまで空気のようだったジャックとバルドフがスッと話に入ってきた。


 そそくさと場を後にする2人へアルギスは非難の目線を向ける。


 

(……そもそも、あの手紙はなんなんだ?)



「不愉快なことが続くと思っていたが、なかなかに愉快なことも起こるものだな」



 アルギスの内心など知らないソウェイルドは、上機嫌に頭を撫でていた。


 その後、使用人と騎士たちが設置を終えたのか、少し空気の良くなった野営地では夕食が始まった。



 しばらくして食事を終えたアルギスは、眠たそうに目をこすりながらジャックの下へと向かっていく。



「……今日は、少しばかり疲れた。もう休むことにする」



「かしこまりました。そうしましたら、あちらのテントにベットがございますので、ご案内いたします」



(……ベットもあるのか。これはもう野営とは呼べないだろう)



 ジャックの後ろについていくと高さ3メートルを超えるだろうテントが立てられていた。


 中に入ると、床には豪華な絨毯が敷かれ、中心にはクイーンサイズほどもあるベットが置かれている。


 ぐるりとテントを見回したアルギスは、野営地とは思えない光景を見て、小さく口を開いた。



「……野営地でこれほど大きなベットで寝られるとはな」



「今回は旦那様がいらっしゃいますので、”アーティファクト”であるアイテムボックスを持ち出していますから」



 思わず零れた感想に、ジャックはすかさず反応する。


 しかし、アルギスの興味は、既に聞き覚えのない”アーティファクト”という単語に移っていた。


 

「ジャック、”アーティファクト”とはなんだ?魔道具とは違うのか?」



「”アーティファクト”とは、”古代のダンジョン”で極まれに発見されるアイテムでございます。錬金術によって作成される魔道具とは、成り立ちからして異なりますね」



 テントを出て行こうとしていたジャックは、アルギスの声に足を止めて振り返る。


 そして、出来るだけ平易な言葉遣いで”アーティファクト”とアイテムボックスの詳細について、説明していった。


 

「――また、ソラリア王国においてアイテムボックスを所有しているのは、当家を含め三家しかありません。その内一家は王家ですから、実質二家ですね」



「なるほどな……。よくわかった」


 

「はい。では、お休みなさいませ。坊ちゃん」


 

 説明を終えたジャックは、ニコリと微笑むと頭を下げてテントを出て行く。


 テントの中で1人きりになったアルギスは、ベットの上に用意されたパジャマを手に取った。



「さっさと寝よう。……どうせ朝も早い」 


 

 いそいそと服を着替えると、枕元に置かれた蝋燭の火を吹き消す。


 真っ暗になったテントの中で、ベットに横たわると、すぐに寝息を立て始めるのだった。


 

 ――――そして、次の日の朝、目を覚ますとジャックがテントにやってきているのが目に入る。


 ぼーっとする頭で目をこすりながら、アルギスはベットに手をつき、上体を起こした。


 

「……今、何時だ?」



「おはようございます、坊ちゃん。現在、朝の7時を回ったところでございます」



「そうか、思ったより眠ってしまったな」



 時刻を確認すると、欠伸をかみ殺すように顔を歪め、ベットから立ち上がる。


 すると、目じりに溜まった涙を拭うアルギスに、ベットの側までやってきていたジャックは、申し訳なさそうに腰を折った。


 

「申し訳ありません。お疲れのようでしたので起こすことは忍びなく……」



「よせ、責めているわけじゃない。思いのほか、自分が疲れていたことに驚いただけだ」



「……失礼を承知で申し上げれば、坊ちゃんは優秀とはいえ、まだお子様でいらっしゃいます。くれぐれもご無理はなさいませんよう」



 着替えを用意していたジャックは、不安そうにアルギスの顔を覗き込む。


 ジャックと目を合わせたアルギスは、皮肉気な笑みを浮かべながら着替えを受け取った。


 

「ああ、だが予定通り王都に着かなければ、また父上の機嫌を損ねるだろう。そうならない範囲でならば、考慮しよう」



「……それが、よろしいかと」



「さて、それでは向かうとするか」



 気を取り直してテントから出ると、近くに置かれていたテーブルには、籠に入ったパンが山のように用意されている。


 しかし、テーブルの前で既に席についているソウェイルドの姿が目に入ったアルギスは、表情を苦いものに変えた。



(……マズイな。どれ程待たせた?)



「――ご安心ください。旦那様も今いらっしゃった所でございます」



「そうか!」


 

 足を止めたアルギスの耳元に、そっと顔を近づけたジャックは、囁くように声を掛ける。


 そして満面の笑みを浮かべながら振り返るアルギスに、優しく微笑み返した。



「はい。問題は、何一つございません」


 

「……ならいい。行くぞ」



「かしこまりました」



 一方、ジャックの生暖かい目線に気が付いたアルギスは、少しだけ顔を赤くしてテーブルへと向かっていく。


 すぐにテーブルの側に置かれた椅子へとよじ登ると、向かいに座るソウェイルドが口を開いた。



「よく眠れたか、アルギス?」



「はい、父上。……遅れて申し訳ありません」 


 

「なに、そもそも野営など想定外だ、気にすることはない。それよりも早く食べてしまいなさい」 


 

 頭を下げるアルギスに対し、ソウェイルドは気にした様子もなく、パンの入った籠を指さす。


 そして、自身も積まれていたパンの1つを手に取ると、ジャムを付けて食べ始めた。



(……焼きたてだ。今作ったわけじゃないよな?)



 つられて籠に手を伸ばしたアルギスは、未だ熱を持っているパンに首を傾げながら口に運ぶ。


 それから続々と運ばれてくるエッグベネディクトやソーセージなどの料理も、作りたてのように湯気が立っていた。



(食事は、本当に屋敷にいるのと変わらないな……) 


 

 目の前に置かれる料理へと訝し気な目線を向けながらも、アルギスは黙々と食事を進めていく。


 やがて、デザートとなる果物を食べ終えた頃、口元を拭っているソウェイルドへ目線を移した。



「父上、これほどの料理を一体どこで……?」



「む?ああ、これらは全てアイテムボックスに仕舞っておいたものだ。言っただろう?マズイ食事を摂る気は無いと」



 ナプキンを机に置いたソウェイルドは、黄金製のカップを手に、不思議そうな顔でアルギスを見つめ返す。


 しかし、すぐに興味を失くして目線を外すと、カップに注がれていた蜂蜜酒へと口を付けた。



(ジャックがアイテムボックスは内部の時間が停止しているとは言っていたが……料理をそのまま入れているのか?) 


 

 ジャックの説明を思い出したアルギスは、新たな疑問を浮かべつつ目の前のグラスを手に取る。


 そしてジュースを飲みながら辺りを見回していると、後ろからガチャガチャと金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。



(……バルドフだな) 



 グラスを置いて後ろを振り返ると、やはりと言うべきか、鎧に身を包んだバルドフが近づいてくる。


 すぐにアルギスの後ろまでやって来たバルドフは、両足を揃えると、ゆっくりと腰を折った。



「旦那様、出発の用意が整いました」



「うむ、では行くとしよう」



 カップを置いたソウェイルドは席を立つと、バルドフを見上げているアルギスへと顔を向ける。


 すると、視線を感じたアルギスもまた、グラスを置いて立ち上がった。



(なるほど。あれがアイテムボックスか) 


 

 騎士たちの待機している馬車へと向かう途中、ふと後ろ振り返ったアルギスは、巨大なテーブルがジャックの持つ小さな箱に吸い込まれていくのを目にする。


 ややあって、アルギスが馬車に乗り込むと、ソウェイルドの指示に従い一行は可能な限り速度を上げて、王都を目指すのだった。



 ◇

 


 それから、いくつもの街を越えて走り続けること3日。


 馬車の窓からは、夕日に照らされた巨大な城門が見え始めていた。


 アルギス達は、ついにソウェイルドの予定を守り、本来であれば1週間以上かけて移動する公都と王都を、僅か5日で走り切ったのだ。


 

(やっと着いたぞ、後半はかなり急いだからな。いくら魔術の付与された馬車でも揺れを完全になくすことはできないのか……)



 いくら一般的な馬車よりも優れた乗り心地だったとはいえ馬車は馬車であり、速度が上がれば当然、揺れは大きくなる。


 速度と引き換えに大きくなった揺れは、確実にアルギスの尻を蝕んでいた。



(くっ、慣れたなんて、迂闊なことを言うんじゃなかった……)



 アルギスが尻の痛みを悟られないように、もぞもぞと動いていると、馬車は徐々に速度を落としていく。


 やがて城門の目の前までやって来ると、外では騎士たちの言い合う声が聞こえてきた。



「……チッ」


 

「……なにか、あったようですな」



 これまで苦笑いを浮かべていたバルドフは、馬車が完全に止まったことで表情を険しいものに変える。


 緊張が走る中、横に立てかけていた大剣に手を掛けると、馬車の扉を叩く音が聞こえた。



「――失礼いたします」



「報告を」



「はっ!」 


 

 1人、馬車までやって来た若い騎士は、バルドフの質問に視線を彷徨わせながら、慎重に言葉を選びだす。


 そして意を決したように固く目を瞑ると、表情が見えなくなるほど深く頭を下げた。


 

「……旦那様に会いたいという方がいらっしゃっております」



「なに?」 



「ふん、この私が会いたいからといって会えるわけがないだろうが。そいつは何者だ?」



 騎士の言葉に目を見開くバルドフに対し、眉を顰めたソウェイルドは不快げに鼻を鳴らす。


 しかし、顔を青くした騎士は、頭を下げたまま言いにくそうに言葉を続けた。



「それがその、会いたいとおっしゃっている方が”七星級冒険者”のウェルギリウス様でして……」



「……旦那様、いかがいたしますか?」


 

「……あやつか、何の用だかわからんが無視もできん」



 騎士の口から出た名前に、バルドフは顎に手を当て、ソウェイルドは難しい顔で背もたれに寄りかかる。


 腕を組んだソウェイルドがじっと考え込むと、騒がしい屋外とは対照的に、馬車の中は静寂に包まれた。



(”七星級冒険者”?何者だ?)



 皆が無言でソウェイルドの指示を待つ中、これまで取り付く島もなかった態度が変わったことに、アルギスは興味を惹かれる。


 すると、しばらく考え込んでいたソウェイルドが、諦めたように口を開いた。


 

「……仕方がない。通せ」



「ここに連れてこい」



「はっ!」 



 許可を出ると、顔を上げた騎士は急いで上官の元へと走っていく。


 

 少しして、アルギスの目の前に、黒いマントに身を包んで顔が隠れるほど、つばの大きな帽子をかぶった長身痩躯の男が乗り込んできた。


 辛うじて見える口元は弧を描き、なんの感情も読み取ることができない。



(……これが、この世界の冒険者なのか?)

 


「ご無沙汰しております。エンドワース卿も、お変わりないようで」



 訝し気に見つめるアルギスをよそに、向かいに座った長身痩躯の男――ウェルギリウスは親し気な口調でソウェイルドへと声をかける。


 しかし、対面に座るソウェイルドは、顔を顰めて苛立たし気に腕を組んでいた。


 

「何の用だ?」 



「いやはや、相変わらずですねぇ。実は、王都に入ろうにも今は祝福の儀で人が集まっている影響で随分と混雑してまして――」 

 


 楽しそうな声色で話を続けるウェルギリウスに、自然と眉間の皺が深くなる。


 組んでいた腕を降ろして前のめりになると、言葉を重ねるように口を開いた。


 

「……貴様には関係のないことだろう。本当の狙いはなんだ?」


 

「フフフ、ちょっとしたジョークですよ。公爵閣下がお望みであろう情報を手に入れましてね。それをお伝えしようと参した次第です」



 途中で話を遮られたウェルギリウスは気にした様子もなく、笑い声を漏らす。


 そして、帽子をつばを持ち、なお深くかぶり直すと表情を帽子のつばで覆い隠した。



「ふん、ならばさっさと話せ」



「話すにはいささか長くなりますので、資料にまとめて参りました。そうですねぇ、題名は――”再臨の勇者”なんていかがでしょう?」



 鬱陶しそうに窓際に頬杖をつき、言葉を待っていたソウェイルドは動きをピタリと止める。


 しばしの沈黙の後、睨みつけるように目を細めると、腹の底から響くような低い声が零れた。



「確かな情報か?」



「ええ、小生にも関係のある事ですので」



「そうか……。はぁ、資料をよこせ」

 


 ウェルギリウスの言葉を聞いたソウェイルドは、目頭を押さえながら、再び背もたれに体を預ける。


 ソウェイルドが疲れたように小さく息を吐くと同時に、ウェルギリウスはマントの中から取り出していた紙の束を差し出した。



「この文書には、勇者の生まれ変わりについての情報が書かれています。小生は、この情報を手に入れるため、各地をわたり歩いて調べ上げたのですよ」



「……いいからよこせ」 



 歌うように大げさな身振りで語るウェルギリウスを無視して、ソウェイルドは渡された文書を手に取り、静かにページをめくり始める。


 ソウェイルドがページを捲る音だけが聞こえる馬車の中で、一連の流れを黙って聞いていたアルギスは、グルグルと思考を巡らせていた。


 

(ソウェイルドの対応だけじゃなく、勇者にも関係がある?……《傲慢の瞳》よ――)



 しばしの逡巡の後、正体を知るため、目を細めてウェルギリウスを見つめる。


 すると、これまで楽し気にソウェイルドの様子を見ていたウェルギリウスが突如顔の向きを変え、そっと唇の前に人差し指を当てたのだ。



「っ!」



(まさか、バレたのか!?)


 

 意味深なウェルギリウスの行動に、身を固くしたアルギスは慌てて目を下に逸らす。


 状況を窺おうと、チラリとソウェイルドを横目に見ると、読み進めていた文書を投げ捨て怒りを抑えるために深く息を吐いていた。



「おのれ。やはり、勇者の復活は確実か」



「もしかすると、今後の大陸は荒れるやもしれませんね」



(よかった。怒っているわけじゃなさそうだ……) 



 ソウェイルドの投げた文書を拾うウェルギリウスは、他人事のようにフフフと笑うだけで、それ以外には何も言わない。


 ひとまず事なきを得たことに安堵しながら、アルギスは『救世主の軌跡』のストーリーを思い出していた。



(……勇者の復活か、まあゲームの主題自体が勇者とそのパーティの話だからな)



 記憶をたどりながらキャラクターを思い浮かべていく。



 ”再臨の勇者”――ルカ・ファウエル


 ”鉄壁の騎士”――シモン・シュタインハウザー


 ”暁の魔導師”――レベッカ・ファルクネス


 ”碧海の姫君”――アリア・ソラリア



 『救世主の軌跡』は、王都のアイワズ魔術学院へと入学した際に、勇者と3人がクラスメイトとなることから物語が始まっていた。


 3人はいわゆる初期パーティであり、シナリオも最初から選ぶことが出来る。


 各自のシナリオを攻略することで、”聖剣”のスキルを成長させ、勇者となることを目指すストーリーだった。



(物語を進めると、僧侶や盗賊のシナリオも出てきたんだったか……)


 

 アルギスが登場キャラクターを思い出している間に馬車は門をくぐり、王都へと入っていく。


 しばらく流れていく景色にアルギスが目を輝かせていると、ウェルギリウスを降ろすため、王都の商業区に入ったところで一度停車した。



「では、小生はこれで失礼させていただきます」


 

 馬車から降りたウェルギリウスは、大仰に手を胸に当て腰を折ると、すぐに王都の喧騒へと消えてしまう。


 日暮れが近づき夜の気配を感じ始めた頃、天まで届くような塔や流れていく街の景色を馬車の中から見ていたアルギスは内心、興奮していた。



(……これが王都。『救世主の軌跡』の舞台か)



『救世主の軌跡』で描かれた王都の街並みと実際の街を比較しながらアルギスが気持ちを高揚させる中、夜の帳が下りる大通りを、馬車は王都の屋敷目指して進んでいくのだった。

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